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第百六十五話:最後の円卓、最後の朝

 

 決戦の朝は、音もなく訪れた。


 夜通し降り続いた雪が、エルヴァン要塞とその周囲に集結した数千の連合軍の喧騒を、一枚の分厚い純白のヴェールで覆い隠している。


 掲げられた各国の旗は、湿った雪を吸って重々しく垂れ下がり、兵士たちの吐く息だけが、唯一の生命の証のように白く立ち上っては消えていく。


 連合軍の司令部として使われている天幕の中は、鋼のような緊張感に満ちていた。


 中央の作戦卓には、巨大な大陸地図が広げられている。


 だが、その地図は、エルヴァン要塞から北へ三日進んだ地点で、無情にも途切れていた。


 その先は、ただの空白。


 先代勇者ハルキとそのパーティー以外、誰も足を踏み入れたことのない、前人未到の地。


「各部隊、準備は完了しております」

 ライアスが報告を締めくくり、全ての視線が、議長席に座るアレクシオスへと注がれた。


 彼が、その口を開き、人類の存亡を賭けた最後の進軍を命じようとした、まさにその瞬間だった。


 天幕の中央に置かれた通信魔石が、何の予兆もなく、血のような赤い光を激しく明滅させた。


 王都からの、緊急通信だった。


『―――王様、聞こえるか』

 水晶に映し出されたのは、宰相代行のフィンの姿だ。


 その顔は、数日の徹夜を物語るように青白く、目の下の隈は、もはや深淵のようだった。だが、その瞳だけが、常軌を逸した熱量で、爛々と輝いていた。


「フィンか。一体何が……」


『最後の報告だ』

 フィンの声は、ひどく、かすれていた。


『あんたたちが旅に出てから、大陸全土から集めた「呪いの種」の汚染データを、もう一度、ゼロから洗い直した。当初は線形予測だったが、ここ一月で指数関数的な汚染拡大が確認された。原因は…民衆の『絶望』そのものだ。戦いの報せ、帝国の崩壊、それらが大陸全体の精神を蝕み、呪いの最高の『肥料』になっちまってるんだ』


 その、あまりにも不吉な前置きに、天幕にいた誰もが息を呑んだ。


 リリアナが、ゴクリと喉を鳴らす音が、やけに大きく響いた。


『計算が出た。俺たちの、残された時間は……』

 フィンは、一度言葉を切り、そして、あまりにも残酷な、冷徹な事実を告げた。


『―――三か月だ。もって、三か月。それが、この世界に残された、全ての時間だ』


 絶望的な死の宣告。


 その言葉は、天幕の中の、全ての音を奪い去った。


 凍てつく風の音すら、聞こえない。


 昨夜、固めたはずの覚悟も、夜明けと共に抱いたはずの希望も、その、たった一言の前に、ガラスのように脆く砕け散った。


「三か月……ですって……?あと半年は時間があったはずじゃ」

 リリアナの声が、か細く震える。


 バルカスも、グレイデンも、歴戦の将である彼らですら、その顔から血の気を失い、ただ呆然と立ち尽くす。


 その、絶対的な絶望の沈黙を、打ち破ったのは、一つの、怒りに満ちた声だった。


「だから、どうしたってんだよッ!!」


 田中樹だった。彼は、近くにあった粗末な椅子を、その足で力任せに蹴り飛ばした。


「三か月だぁ!? ふざけんじゃねえぞ! それっぽっちの時間で、何ができるってんだよ! ハルキとかいう奴は千年も絶望してたんだろ!? なのに、俺たちには三か月しかねえのかよ! 不公平だろうが、クソッ!」

 その瞳には、恐怖も、絶望もない。


 ただ、この、あまりにも理不尽な運命に対する、燃えるような怒りの炎だけが宿っていた。


 その声に、アレクシオスは応えた。


 彼は、絶望に染まる仲間たちの顔を、一人一人、見渡した。そして、天幕の外、動揺が伝播し始めているであろう数万の兵士たちへと、その視線を向けた。


「……リリアナ、俺の声を、全軍に」

 アレクシオスは、有無を言わせぬ響きで命じた。


 リリアナは、はっとしたように顔を上げると、杖を掲げ、増幅の魔法陣を展開する。


 アレクシオスの声が、天幕を越え、エルヴァン要塞の、全ての兵士の魂に直接響き渡った。


「聞いたか、同胞たちよ! 我らに残された時間は、三か月しかない!」


 彼は、絶望を隠さなかった。


 それどころか、その事実を、全軍の前に、叩きつけた。


 兵士たちの間に、致命的な動揺が走る。


「終焉の谷について、我々は何も知らない。大賢者からの情報では、魔王の城まで単純に数カ月かかる。前人未到の地だ。単純に進めるものでもないだろう!我だが、我々は数字と戦うのではない! 絶望そのものと戦うのだ! 敵が、我らに絶望を与えようというのなら、我々は、それを上回る希望を、この剣で、こじ開けるまで!」


 アレクシオスは、天幕を出て、馬に跨った。そして、整列する兵士たちの、その最前列へと、ゆっくりと馬を進める。


 彼は、腰に佩いた星詠みの神剣を力強く抜き放った。


 神剣が、主の揺るぎない覚悟に共鳴し、極北の鉛色の空を切り裂くほどの、蒼銀の光を放った。


 彼は、その光り輝く神剣を、目の前に立つ若い騎士の、槍の穂先に、コツン、と静かに当てた。


 若い騎士は、びくりと肩を震わせ、そして、目を見開いた。


 槍を通じて、王の燃えるような覚悟が、自らの魂に流れ込んでくるかのような不思議な感覚。


 恐怖が、消えていく。


 コツン……コツン……コツン……。


 アレクシオスは、無言のまま馬をゆっくりと進め、兵士一人一人の、槍に、剣に、盾に、その神剣を当てていく。


 その度に、蒼銀の光の波紋が広がり、兵士たちの絶望に凍てついた心を、鋼の決意へと変えていく。


 それは、王が自らの魂を、全ての兵士と分かち合う、最後の最も神聖な儀式だった。


 やがて、最前列の全ての兵士に触れ終えたアレクシオスは馬上で振り返り、その神剣を天へと高く掲げた。


「―――全軍、出撃ィィィッ!! 我らが道行き、もはや退路はない! ただ、前へ! 終焉の谷に座す魔王、そして、哀れな勇者の魂を、救い出す!」


 地鳴りのような雄叫びが、今度こそ、本当の覚悟と共に天を衝いた。


 ギィィィィィィン……!


 エルヴァン要塞の、巨大な城門が、ゆっくりと開かれていく。


 アレクシオスは、樹の、その怒りに満ちた瞳を見つめ静かに頷く。


 そして、二人は、共に地図にない前人未到の地へと、その最初の一歩を踏み出した。


 彼らの背中に、絶望的なタイムリミットと大陸の全ての希望を背負って。


 第四部 了





 これにて第四部了となります。

 明日からは金曜日まで一日一話幕間を投稿します。

 次の土曜日から、最終章の投稿を再開します。


 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

 皆様の応援が、何よりの執筆の糧です。よろしければブックマークや評価で、応援していただけると嬉しいです。

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