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第百六十一話:最後の円卓、砕け散る神話

 

 宴の喧騒が嘘のような、静かで張り詰めた朝だった。


 夜通し降り続いた雪が、エルヴァン要塞の無数の傷跡を純白のヴェールで覆い隠し、世界から全ての音を奪い去っていた。


 再建の槌音も止んだ要塞は、まるでこれから始まる最後の戦いを前に、世界そのものが息を殺しているかのようだった。


 その心臓部である司令部の作戦室。


 中央に置かれた巨大な円卓を、大陸の、いや、人類の最後の希望と呼ぶべき者たちが囲んでいた。


 席に座るのは、王にして神剣の担い手である俺、アレクシオス・フォン・ロムグール。


 俺の顔には、この数ヶ月に渡る旅と、これから背負うであろう大陸の全ての命運の重みが、深い疲労として刻まれている。


 だが、その瞳だけは、絶望の淵に立ってなお、未来を見据える王の光を失ってはいなかった。


 俺の隣では、王国最強の魔術師リリアナが、作戦概要の最終稿に目を通していた。


 その横顔は冷静沈着そのものだが、羊皮紙を持つその指先が、僅かに白くなっていることに気づく者は少ない。


 彼女は、王である俺の、そして何より一人の大切な人の無事を、その胸の内で必死に祈っていた。


 円卓の一角には、帝国の将軍ヴァレンティンが、腕を組み、氷の仮面のような無表情で地図を睨みつけていた。


 故国の崩壊という絶望をその双肩に背負い、彼の傲慢さは、今や、より冷徹で、より危険な覚悟へと昇華されている。


 彼がここにいる理由はただ一つ、全ての元凶たる魔王への、復讐のためだ。


 その向かいには、先の戦いで左目を失い、その隻眼に鋼の覚悟を宿す北壁の司令官グレイデンがいる。


 彼の横には、昨夜、頼もしい援軍を率いて帰還した師、バルカスの巨体が、まるで王を守る最後の砦であるかのように、微動だにせず控えている。


 また、その隣では、元騎士団長レナードが、皮肉な笑みを浮かべながら壁に寄りかかっているが、その瞳は、いつでも牙を剥けるよう、油断なく戦場の中心を観察していた。


 そして、部屋の隅の影。


 そこには闇滅隊の三人が、その気配を完全に殺して溶け込んでいる。


 リーダーのファムは、シズマの形見である霊刃の柄を握りしめ、その瞳は、この部屋の誰よりも鋭く、魔王城へと続く道筋だけを見据えていた。


 部屋のもう一方の隅では、田中樹が、一人、膝を抱えていた。彼は、この場の誰よりも怯え震えていた。


 だが、その手の中では、レオの形見である木彫りの鳥を、祈るように、固く握りしめていた。


 もう、逃げないと決めた。


 恐怖で奥歯がガチガチと鳴るのを必死にこらえ、仲間を守る「盾」になるという、自らに課した不器用な覚悟だけが、彼をこの場に繋ぎ止めていた。


 その、誰もがそれぞれの覚悟と向き合う、重苦しい沈黙を破ったのは、千年の時を超えた大賢者、セレヴィアだった。


 彼女は、それまで虚ろだった瞳に、揺るぎない覚悟の光を宿し円卓を見渡した。


 「―――最終作戦会議を始める前に。皆様には、知っていただかねばならないことがあります」

 その声は、か細いが、その場の全ての者の意識を惹きつける、不思議な力を持っていた。


 「魔王ヴォルディガーン。彼を真に討つには、まず、彼が何者なのか、その魂の根源を知る必要があります。言葉では、その絶望の深さは伝わりますまい。わたくしの魔術と、アレクシオス様の神剣の力を使い、皆様に、千年前の『真実』を、直接お見せいたします」

 彼女の言葉に、俺たちは覚悟を決めた。


 (……ハルキ、思い出させてごめんね……)


 セレヴィアが、俺の腰の神剣に手を翳し、古代の言語を紡ぎ始めると、俺たちの意識は、光の奔流に呑まれ、千年前の、あの最後の戦場へと引きずり込まれた。


 目の前に広がるのは、終焉の谷。


 だが、俺たちが見ているのは、ただの光景ではない。勇者ハルキの、最後の記憶そのものだった。


 彼の足は鉛のように重い。


 仲間を全て失った。その亡骸を弔う暇もなく、ただ、この忌まわしい旅路を、終わらせるためだけに歩いてきた。


 『―――来たか、最後の一匹』

 魔王城から現れたのは、純粋な混沌と破壊の化身、原初の魔王ヴォルディガーンだった。


 その姿を見た瞬間、ハルキの心に燃え上がったのは、もはや正義感ではない。


 仲間を殺されたことへの、どうしようもない魔王への恨みだった。


 だが、その怒りは、すぐに別の方向へと転移する。


 (なぜ、俺がこんな目に……)


 脳裏をよぎるのは、自分をこの世界に引きずり込んだ、あの気まぐれな女神の顔。


 (あんたが、俺をここに呼ばなければ、ボルグもアストリッドや、みんなは死ななかった! ただ、平和に暮らしてただけの俺を、英雄だなんて祭り上げて、勝手な都合で、俺の全てを奪った! あんたこそが、元凶じゃないか!)


 女神への恨みが、彼の心を黒く染めていく。


 そして、その憎悪は、やがてこの世界そのものへと向けられた。


 (なんだ、この世界は。英雄だと持ち上げておきながら、仲間が死んでも、誰も悲しまない。ただ、次の勝利を期待するだけ。俺は、ただの道具か? この、血と悲鳴に満ちた、狂った世界を維持するための、ただの駒なのか?)


 この世界への恨みが、彼の魂を蝕んでいく。


 戦う理由を、守るべきものを、全て失った。


 もう、何も聞きたくない。仲間の断末魔も、民衆の歓声も、女神の無責任な声も、魔王の嘲笑も。何もかもが、ただの「雑音」にしか聞こえない。


 (ああ……もう、いい。疲れた)


 彼が最後に願ったのは、勝利ではない。救済でもない。ただ、全てが終わる、絶対的な静寂だった。


 その心の隙間を、原初の魔王が見逃すはずもなかった。混沌の闇が、ハルキの魂を喰らおうと殺到する。


 そして、ハルキは、抵抗しなかった。 


 彼は、自らの魂を、最後の願いと共に、星詠みの神剣に注ぎ込んだ。


 『―――静かに、なりたいだけだ』

 それは、世界を救うための祈りではない。


 この、あまりにも理不尽な世界そのものを、道連れにするための、最後の呪いだった。


 ハルキの「静寂を願う絶望」の光が、原初の魔王の「混沌を望む破壊」の闇と、激しく衝突する。


 二つの、相反する巨大な魂が、互いを喰らい合い、そして、一つの、哀しい存在へと融合していく。


 破壊の意志は、より純粋な「無」への渇望に上書きされ、その性質を永遠に変質させたのだ。


 次の瞬間、俺たちの意識は、凄まじい勢いで、現実の世界へと、引き戻された。


 作戦室は、死んだような静寂に包まれていた。


 誰もが、その、あまりにも衝撃的な真実を前に、言葉を失い、ただ、呆然と立ち尽くしていた。


 魔王ヴォルディガーン。その正体は、破壊の化身などではない。


 千年前、世界を救うために召喚され、そして、その世界に絶望し、全てに見捨てられた、一人の、哀れな勇者の魂が、絶対的な悪と融合して生まれた、成れの果ての姿だったのだ。



 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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