第百六十話:鋼の牙、集う
再建途上のエルヴァン要塞に、束の間の平穏が訪れていた。
激しい戦闘で半壊した大食堂は、兵士たちの手によって応急処置が施され、今宵、大陸の未来を担う英雄たちが集う、ささやかな宴の場となっていた。
並べられた料理は、王都の晩餐会のような豪華さはない。
ロザリアの「太陽の実」の煮込みと、兵士たちが仕留めた雪ウサギの串焼き、そしてシルヴァラントから届けられた固い黒パンとエール。
だが、死線を越えて再会した仲間たちにとって、それはどんなご馳走よりも温かく、そして心に染みる味だった。
「ライアス殿! 無事であったか!」
「グレイデン司令官こそ。師…バルカス殿より、貴殿の奮戦ぶりは伺っております。よくぞ、この北壁を守り抜かれた」
隻眼の司令官グレイデンと、リリアナと共に南の死線を越えてきた騎士団副団長ライアスが、互いの無事を確かめ合うように、固くその腕を組み合った。
その傍らでは、ファムとハヤテ、ナシルが、今は亡きシズマの杯に黙ってエールを注ぎ、静かに献杯を捧げている。
宴の喧騒から、一人、田中樹は、そっと抜け出していた。
彼は、要塞の裏手にある、小さな墓地へと向かった。
そこには、先の戦いで命を落とした兵士たちの、簡素な木の墓標が、静かに並んでいる。
その一番端に、レオの名が刻まれた、新しい墓があった。
樹は、懐から、小さな木彫りの鳥を取り出した。レオの、最後の形見。
そして、宴の席から、一つだけくすねてきた、黒パンを、その墓前にそっと置いた。
「……よぉ。腹、減ってんだろ。これくらいしか、持ってきてやれなくて、悪かったな」
彼は、何を言っていいか分からず、ただ墓標の前に、膝をついて座り込んだ。
「……俺さ。お前が死んでから、ずっと、考えてたんだ。なんで、俺は、何もできなかったんだろうって。……今も、分かんねえよ。俺が、本当に勇者なのかも、あの変な光の力が、なんなのかも。……でもさ」
彼は、顔を上げた。その瞳には、涙はない。
ただ、夜空に浮かぶ、三つの月を、真っ直ぐに見つめていた。
「……もう、誰かが、俺のせいで死ぬのは、ごめんだ。だから、俺、戦うよ。どうやったらいいか、全然わかんねえけど……それでも、あいつらと一緒に、最後まで。……お前に、胸張って、会えるように、な」
それは、誰に聞かせるでもない、たった一人の、静かな誓い。
一人の少年が自らの意志で、英雄へのあまりにも険しい道を、歩み始めた瞬間だった。
彼が墓地から戻ろうとした、まさにその時。
ブオオオオオオオオオオッッ!!
要塞に、新たな部隊の到着を告げる角笛が、一つ、また一つと、夜空に高らかに鳴り響いた。
何事かと兵士たちが城門へと駆け出す。
アレクシオスやリリアナも、宴席を中断し、何事かと城壁の上へと急いだ。
松明の明かりに照らされた街道の先に、見慣れた、しかし、以前とは比較にならないほど精強な気を放つ一団の姿があった。
掲げられているのは、ロムグール王国の獅子の紋章旗。
その数、およそ千。
彼らの鎧は磨き上げられ、その隊列は寸分の乱れもない。
何よりも、その一人一人の瞳に宿る光が違った。
それは、地獄の訓練を乗り越え、覚悟を決めた者だけが放つ、鋼の光だった。
その先頭に立つ二人の騎士の姿を認め、グレイデンとライアスが息を呑んだ。
一人は、その身に纏う鎧を新調し、老いてなおその武威が衰えることのない、獅子バルカス。
そして、もう一人は、元騎士団長レナード・フォン・ゲルツ。
「陛下! お待たせいたしました!」
バルカスの雷鳴のような声が、夜のエルヴァンに響き渡る。
「王都に残る騎士の中から、真に国を思う者だけを選りすぐり、このレナードと共に、地獄の訓練を施してまいりました! 彼らこそ、魔王軍本隊と戦うための、ロムグール王国が誇る、新たな『鋼の牙』にございます!」
アレクシオスが馬から降りた二人を迎える。
その視線に気づき、グレイデンとライアスが、警戒するように一歩前に出た。
「……なぜ、貴様のような反逆者が、ここにいる」
グレイデンの声は、怒りと不信に満ちていた。
彼にとってレナードは、王都の腐敗の象徴であり、自分たちがこの辺境で必死に守り抜いてきた騎士の誇りを、内側から蝕んだ張本人だった。
レナードは、その敵意を意にも介さず、グレイデンを一瞥すると、その口元に皮肉な笑みを浮かべた。
「おやおや、これはエルヴァンの番犬殿か。相変わらず、よく躾けられているようで何よりだ。主人が変わっても、その忠犬ぶりは変わらんな」
「なっ……! 貴様、まだそのような口を!」
一触即発の空気を、アレクシオスが静かに制した。
「レナード。貴殿も、よく来てくれた」
アレクシオスの労いの言葉に、レナードは肩をすくめた。
「勘違いなさるな、陛下。俺は、貴殿にも、この国にも、忠誠を誓ったつもりはない。ただ、俺の剣が、錆びつく前に、斬り応えのある相手が必要だった。それだけのことだ。あの魔王とかいう大層な奴が、その相手に不足はないかと判断したに過ぎん」
「それでいい」
アレクシオスは、満足げに頷いた。
「俺が求めているのは、忠誠の言葉ではない。その剣が、どちらを向いているか、だ」
レナードの目が、楽しげに細められた。
「俺の剣は、常に最強の敵を向いている。……どうせ死ぬなら、退屈な牢獄より、魔王の喉笛を噛み千切る方が、よほど面白い芝居でしょうからな」
その、どこまでも皮肉的で、しかし、揺るぎない武人としての覚悟。
アレクシオスは、この危険な牙を解き放った自らの判断が、間違っていなかったことを確信した。
だが、到着したのは彼らだけではなかった。
バルカスたちの部隊のすぐ後ろから、別の角笛の音が響く。
月 光を浴びて輝く銀の鎧に身を包み、月に向かって吠える一匹の狼を描いた旗を掲げた一団――シルヴァラント公国の騎士団だった。
その先頭で、誇らしげに槍を掲げているのは、サー・レオン。
「アレクシオス陛下、 シルヴァラントの銀狼騎士団、連合の盟約に従い、ただいま馳せ参じました!」
そして、誰もが予想だにしなかった第三の軍勢が、静かに、しかし圧倒的な威圧感を放って姿を現した。
その鎧は傷つき、掲げられた黄金の鷲の旗はところどころが焼け焦げている。
だが、その隊列は、敗残兵のそれではない。
帝国の崩壊という地獄を生き延びた、真の精鋭だけが持つ、鋼の覚悟に満ちていた。
先頭に立つ帝国の将軍ヴァレンティンは、馬を降りると、アレクシオスの前に進み出た。
その瞳には、もはや以前のような傲慢さはない。
ただ、故国の再興と、共通の敵を討つという、冷徹な決意だけがあった。
「アレクシオス王。帝国の、最後の牙だ。好きに使うがいい。我らの敵はただ一つ、魔王ヴォルディガーンだ」
ロムグール、シルヴァラント、そして帝国。
かつては互いに牽制し、あるいは敵対した国々の軍勢が、今、一つの目的のために、この北壁の地に集結したのだ。
アレクシオスは、その頼もしすぎる光景に、そして、それぞれの国と、それぞれの誇りを背負って集った英雄たちの姿に、胸が熱くなるのを感じていた。
「―――皆、よくぞ来てくれた! 今宵は宴の続きだ! 到着した全ての同胞に、腹一杯の食事とエールを! 明日に備え、今宵は勝利を信じて杯を交わそう!」
「「「おおおおおっ!!」」」
大陸の、全ての力が、今、一つになった。
魔王ヴォルディガーンとの、最後の戦いの時は、刻一刻と、迫っていた。
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