第百五十七話:王の不在、難民の波
王都カドアテメは、復興の槌音と人々の活気に満ちていた。
宰相代行フィンが打ち出す大胆な経済政策と、ロザリアがもたらした農業革命は、驚くべき速度で国を立て直し、ロムグールは今や、呪いと混沌に沈む大陸において唯一、安定と食糧が確保された国家となりつつあったのだ。
だが、その活気の裏側で、王城に残された者たちの心は、日増しに重くなる一方だった。
王と、国の精鋭たちを送り出してから数ヶ月。
2つの部隊からの知らせは、あまりにも断片的で、希望よりも不安を掻き立てるものばかりだった。
「見たか、市場に並んでた南の果物を! 俺たちみてえな庶民が、あんなもんを口にできる日が来るとはな!」
「ああ、これも全て、フィン様がシルヴァントや商業同盟との街道を整備してくださったおかげだ。そして何より、ロザリア様が育てた『太陽の実』のおかげで、もう腹を空かせる心配もねえ。国王陛下が、あのお二方を見つけ出してくださったんだ。早く、無事にお戻りになられれば良いが……」
酒場や市場で交わされる民衆の声には、以前のような諦観の色はない。
自分たちの国が、確かな指導者の下で、日に日に良くなっていく。
その実感が、彼らの顔に誇りと活気を取り戻させていた。
しかし、その会話の端々には、遠い地で戦う王への憂いが滲む。
その光が強ければ強いほど、必然的に、濃い影をも生む。
◇
ロムグール王国と、崩壊した旧ガルニア帝国領を隔てる国境の町「南門」。
その城壁の上で、衛兵隊長を務めるベテランの男、ドルズは、信じられないといった表情で、南の地平線を指差した。
「……なんだ、あれは……」
地平線の彼方から、黒い染みが、ゆっくりと、しかし確実に、こちらへと広がってくる。
それは、砂嵐ではない。人の波だった。
最初は数十人の、家族連れと思しき一団だった。
ボロボロの衣服を身に纏い、飢えと絶望をその瞳に宿した彼らは、帝国の難民だと名乗った。
ドルズは町の規則と、なけなしの備蓄を鑑み、人道的な観点から最低限の水と食料を与え、門の外での休息を許可した。
だが、それは悪夢の始まりに過ぎなかった。
翌日には、その数は数百人に膨れ上がっていた。
東方諸侯連合の領地からも、同様に、戦乱と「静寂の使徒」の支配から逃れてきた難民たちが合流し始める。
彼らは皆、口を揃えて言うのだ。
「ロムグールには慈悲深い王がいる」「あそこには飢えがない」、と。
「食料を! どうか、食料を分けてください!」
「子供が……子供が、もう三日も何も食べていないのです!」
「この国には、恵みの大地の癒し手様がいらっしゃると聞きました! どうか、我らをお救いください!」
三日後には、その数は数千を超え、国境の町は、難民たちの悲痛な声で埋め尽くされた。
町の備蓄は完全に底をつき、衛兵たちは、ただ、押し寄せる人の波を前に、なすすべもなく立ち尽くすだけだった。
ドルズは、震える手で、王都へ向けて最上級の緊急魔法伝書を放った。
緊急魔法電は、真にやむを得ない時以外には、使用がきつく禁じられているが、今がその時だった。
◇
その報せが王都の司令室にもたらされた時、フィンは、忌々しげに、地図の上に新たな駒を置いた。
「……くそっ。最悪のタイミングで、最悪の問題が、来やがったか」
彼の顔には、この国を立て直してきたという自信ではなく、あまりにも巨大で、そしてあまりにも繊細な問題に直面した、為政者としての深い苦悩が浮かんでいた。
部屋には、報告を聞きつけ駆けつけたロザリアと、王都警備の責任者である騎士団の衛兵隊長も詰めている。
「ロザリア殿。国境地帯への、緊急の食糧輸送は?」
「はい、フィン様。国内の備蓄の中から、送れるだけのものは、全て手配いたしました。ですが、このままでは、王都の備蓄すらも、いずれ底をついてしまいます……!」
ロザリアの声もまた、悲痛に震えていた。
彼女にとって、飢えに苦しむ人々を見捨てることなど、考えられもしない。
だが、国の食糧にも限りがある。
「宰相代行殿、申し上げます!」
古参の衛兵長が、厳しい表情で進言した。
「これは人道の問題であると同時に、国家安全保障上の、深刻な脅威です。あの人の波に紛れ、静寂の使徒や、ギルドの残党がどれだけ入り込んでいるか、見当もつきません。直ちに国境を完全封鎖し、これ以上の流入を阻止すべきです!」
「お待ちください!」
ロザリアが、悲痛な声を上げた。
「それでは、門の外にいる方々を見殺しにするのと同じではありませんか! 私が育てた『太陽の実』があります! あれを増産すれば、きっと…!」
「夢を語るな、ロザリア!」
フィンの、氷のように冷たい声が、彼女の言葉を遮った。
「あんたの芋が奇跡なのは認める。だが、今この瞬間に、数千、数万の人間を食わせるだけの増産する力はねえ! それに、衛兵長の言う通りだ。この国は、まだ盤石じゃねえ。下手に受け入れれば、国内の民衆だって黙っちゃいねえぞ。『なぜ、俺たちの税金で、他国の人間を食わせるんだ』とな。内側から、暴動が起きる。それこそ、敵の思う壺だ」
人道と、国益。
救済と、秩序。
その、あまりにも重い天秤の間で、若き宰相代行は、苦渋の決断を迫られていた。
彼の脳内では、【数理最適解】スキルが、あらゆる選択肢の未来をシミュレートするが、そのどれもが、何らかの破綻を示す絶望的な数字を弾き出すだけだった。
「……国境地帯に、大規模な難民キャンプを設置する」
長い沈黙の末、フィンは絞り出すように言った。
「食料と、最低限の医療は提供する。ロザリア、あんたにはその指揮を頼む。だが、都市への立ち入りは、厳しく制限する。衛兵長、あんたには、その秩序維持と、不審者の徹底的な洗い出しを命じる。それが、今の俺たちにできる、ギリギリの選択だ」
それは、あまりにも非情で、しかし、国を守るためには、あまりにも現実的な判断だった。
「そんな……! それでは、彼らは……」
「分かってる! だが、今は、そうするしかないんだ!」
フィンの絶叫が、静まり返った司令室に、虚しく響き渡った。
王の不在。
そのあまりにも大きな穴を、残された者たちは、自らの、血の滲むような決断で、埋めるしかなかった。
そして、その頃、遠い南の砂漠と、東の海で、彼らが待ち望む王たちが、人類の未来を左右するほどの、巨大な力をその手にしようとしていることを、王都の誰もが、まだ、知る由もなかった。
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