第百四十一話:砂漠の王、賢者の番人
ガルニア帝国領を抜ける旅は、地獄そのものだった。
無法と化した町々、民の心に巣食う「静寂の使徒」という名の疫病。
または、中央から半独立した各地の領主たちによる、妨害。
第一部隊『賢者の手』は、幾度となく命の危険に晒されながらも、リリアナの冷静な指揮と、ヴァレンティンの内心の葛藤を押し殺した的確な判断、そして、時に田中樹が引き起こす予測不能な奇跡によって、辛うじてその死の荒野を突破した。
そして、彼らが次に足を踏み入れたのは、灼熱の太陽と、どこまでも続く黄金色の砂丘が支配する、砂漠の王国ザルバードだった。
混沌と腐敗に沈んだ帝国領とは対照的に、そこは厳格な規律と、独特の活気に満ちた世界だった。
城壁に囲まれたオアシス都市は、行き交う商人たちの声で賑わい、兵士たちの動きには一切の無駄がない。
彼らは、この過酷な環境で生き抜くための知恵と、誇りをその瞳に宿していた。
一行がザルバードの王都に到着すると、城門では一人の老人が、穏やかな笑みで彼らを待っていた。
「ふぉっふぉっふぉ。ようこそおいでなすった、連合の使者殿たち。長旅、ご苦労であったのう」
対魔王連合会議にも出席していた、ザルバードの賢者ジャファルだった。
「ジャファル殿!」
リリアナは、この旅で初めて出会う、心から信頼できる協力者の姿に、安堵の息を漏らした。
「出迎え、感謝いたします」
「なに、当然のことじゃ。ささ、王がお待ちかねじゃ。こちらへ」
ジャファルに導かれ通されたザルバードの王宮は、帝国のそれとは違う、機能的で、涼やかな美しさに満ちていた。
謁見の間で一行を待っていたのは、日に焼けた肌と、砂漠の民特有の鋭い、しかし、どこまでも深い思慮を宿した瞳を持つ、壮年の王だった。
「私がこのザルバードを治める王だ。対魔王連合の使節団の来訪を、心から歓迎する」
その声には、砂漠の民の長としての、揺るぎない威厳があった。
「大賢者セレヴィアの覚醒のため、遠路はるばるご苦労であった。賢者ジャファルより、話は全て聞いている。我らも、最大限の協力を約束しよう」
「ありがたきお言葉、ザルバード王」
リリアナは、代表として深々と頭を下げた。
「つきましては、大賢者様が眠るという『忘却の聖域』への案内を……」
リリアナがそう切り出した瞬間、ザルバード王の、その穏やかだった表情が、わずかに曇った。
「……うむ。その前に、一つだけ、伝えておかねばならぬことがある」
王は、ゆっくりと、そして、重々しく口を開いた。
「諸君らは、聖域を、何かの試練の場とでも考えておるやもしれん。だが、違う。あの場所は……」
王は、そこで一度言葉を切り、まるで、千年の禁忌に触れるかのように、その声を潜めた。
「あの『忘却の聖域』は、大賢者セレヴィア自身が、そのあまりにも強大な力で、世界から自らを『拒絶』して創り出した、禁足地なのだ」
「拒絶……ですって?」
リリアナが、驚きに目を見開く。
「左様」
王は、静かに頷いた。
「千年前、魔王との死闘の後、彼女は、仲間を救えなかったこと、そして、友であった勇者ハルキを、その絶望から救えなかったことへの、深い罪悪感に苛まれた。彼女は、自らの力を、そして、争いに満ちたこの世界そのものを呪い、二度と誰とも関わることのない、永遠の孤独を選んだ。それこそが、あの聖域の正体なのじゃ」
賢者ジャファルが、王の言葉を引き継ぐ。
「聖域は、大賢者の『拒絶』の意志そのものが、具現化した場所。故に、あの場所は、悪意ある者だけでなく、善意ある者すらも、等しく拒絶する。我らザルバードの民が、千年もの間、誰一人として、その最深部へたどり着けなかったのは、そのためじゃ。我らの力では、彼女の、そのあまりにも深く、そして、気高い絶望を、解き放つことはできぬ」
王は、リリアナたち一人一人の顔を、その深い瞳で見つめた。
「これから諸君らが向かうのは、魔物が巣食うダンジョンなどではない。一人の、傷付いた大賢者が作り出した、千年に渡る魂の迷宮だ。その固く閉ざされた心を解き放つことができるか……。それは、もはや、我らにも分からぬ。もしかしたら、諸君らは、彼女の絶望に飲み込まれ、二度と、あの場所から戻れぬやもしれん。……それでも、行く覚悟が、おありかな?」
その、あまりにも重い問い。
それは、一行が、これから挑む戦いが、剣や魔法だけでは決して勝てない、魂の戦いであることを、何よりも雄弁に物語っていた。
リリアナは、息を呑み、そして、自らが背負う使命の、本当の重さを、改めて、その胸に刻む。
一行は、言葉もなく、しかし、その瞳に、新たな、そして、より困難な試練への覚悟を宿し、静かに頷くことしかできなかった。
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