第百三十三話:それぞれの旅路
第四部の開始です。
毎日、朝と夜に2話投稿します。
大陸会議の喧騒が嘘のように静まり返った、数日後の夜明け。
王都カドアテメは、まだ深い眠りの中にある。
だが、城内の練兵場だけは、凍てついた空気と、吐き出される白い息、そして、木剣が激しく打ち合わされる音で、異様な熱気に満ちていた。
「ぐあっ……!」
若き騎士マルクは、打ち込みを弾き返され、泥濘に膝をついた。
目の前で、オークの戦斧に砕かれた同期の顔が、悪夢のように蘇る。あの、グラズニールの罠。
鉄の匂いと、血のぬかるみの味。
「立て、マルク! その恐怖ごと、敵を斬り伏せろ!」
練兵場に響き渡るのは、歴戦の騎士団員たちの、容赦のない声だった。
「我らが陛下と、リリアナ様たちは、今、この瞬間も、死地へと向かう準備をしておられる! 半年後、我らがエルヴァンの地に立つ時、その程度の恐怖で足が竦むなら、ここにいる資格はない! 立てと言っている!」
その声に、マルクは、奥歯を食いしばり、再び立ち上がった。
彼らは、旅の一員に選ばれなかったのではない。
半年後に始まる、本当の決戦のために、この王都で、牙を研ぐことを選んだのだ。
◇
城門へ向かう回廊。
その一角で、田中樹は、腕を組んで壁に寄りかかる、巨大な影に気づき、足を止めた。
「……ジジイ」
療養中の身であるはずの、バルカスだった。
彼は、練兵場の喧騒を、ただ黙って聞いていた。
「……なんだよ。見送りなら、柄じゃねえだろ」
「ふん」バルカスは、その鼻を鳴らした。
「貴様のその、滅茶苦茶な剣は、今も見ておれん。……だがな」
老将は、一度、言葉を切った。
「誰よりも剣を振り続け、血反吐を吐きながら立ち上がってきた姿を、このワシが、ずっと見てきたのも、また事実よ」
その、あまりにも予想外の言葉に、樹は、驚いて目を見開いた。
「いいか。戦場で、難しいことを考えるな。貴様には、できん。ただ、リリアナ様の、そして仲間の背中だけを見ておれ。そして、何があっても、死ぬな。……分かったな」
それは、あまりにも不器用で、しかし、あまりにも温かい、師から弟子への、餞の言葉だった。
樹は、何も言い返さなかった。
ただ、照れくさそうに頭を掻くと、一度だけ強く頷き、再び歩き出した。
城壁の上。
アレクシオスは、眼下に広がる王都の街並みを見下ろしていた。
その隣には、宰相代行のフィンが、同じように腕を組んで立っている。
「……フィン。俺がいない間、この国を頼む」
「へっ、あんたがいねえ方が、仕事が捗るってもんだ。だがな、王様」
フィンの声のトーンが、わずかに変わった。
「死ぬなよ。あんたが死んだら、俺が築き上げたこの国も、ただの砂上の楼閣だ。……必ず、帰ってこい」
「ああ。約束だ。必ず帰る」
◇
少し離れた場所では、リリアナとロザリアが、最後の別れを惜しんでいた。
「リリアナ様。どうか、ご無事で。これは、旅の護符です。わたくしの故郷の、特別な薬草を編んだもの。きっと、リリアナ様をお守りします」
ロザリアが差し出した小さな護符を、リリアナはそっと胸にしまった。
「ありがとう、ロザリア。貴女も、フィンを支えてあげて。あの男は、一人で抱え込みすぎる癖がありますから」
ロザリアが静かに頷く。
「本当に、男の子って、難しいですね。もうちょっと素直になればいいんですが……」
その言葉にリリアナが笑みを浮かべる。
部隊の編成が、最終段階に入る。アレクシオスは、リリアナを、人気のない回廊へと呼び止めた。
「リリアナ」
「はい、陛下」
「南は、頼んだぞ。大賢者殿の探索は、この戦いの、まさに要だ。……そして、勇者のことも、頼む」
その、付け加えられた言葉に、アレクシオスが、どれほどの重責を彼女に託しているかが、痛いほど伝わってきた。
リリアナは、その重みを、静かに、そして、誇らしげに受け止めた。
「はい。承知しております、陛下。必ずや、大賢者様と……そして、手が掛かる『勇者様』も、ご一緒にお連れして、陛下の元へ」
その、ほんの少しだけ、茶目っ気のある言葉に、アレクシオスの表情が、わずかに和らいだ。
「ああ。信じている」
二人は、それ以上何も言わずに、ただ頷き合った。
そこには、王と臣下ではない、共に、世界の命運を背負う同志としてだけではなく、特別な2人だけにしかわからない深い信頼があった。
◇
やがて、東の空が白み始める。出発の刻が来た。
城門前に整列した、二つの部隊。
リリアナが率いるのは、ヴァレンティン、ライアス、サー・レオンといった、大陸屈指の騎士たちと勇者イトゥキで構成された第一部隊。
彼らの使命は、旧帝国領を南下し、大賢者セレヴィアを探し出すこと。
そして、協力を取り付けること。
アレクシオスが率いるのは、闇滅隊のみという、完全な隠密行動に特化した第二部隊。
彼らの使命は、東方諸侯連合を抜け、遥か東の島国ヤシマに眠る、魔を祓う神剣を見つけ出すこと。
アレクシオスは、その全ての仲間たちの顔を、一人一人、見渡した。
そして、静かに、しかし、その場の全員の魂に刻みつけるかのように、力強く言った。
「聞け。我々に残された時間は、多くない」
「半年だ」
その言葉に、誰もが息を呑んだ。
「半年後、我々は、北のエルヴァン要塞で落ち合う。その時、我らの手には、必ずや、賢者と神剣、二つの鍵が握られているはずだ。―――必ずだ」
アレクシオスが、右手を、天へと高く掲げる。
それを合図に、二つの部隊は、同時に動き出した。
リリアナの第一部隊は、南門から、混沌の旧帝国領へ。
アレクシオスの第二部隊は、東門から、未知なる東方諸侯連合へ。
城壁の上から、フィンとロザリア、そしてバルカスは、その二つの小さな光が、それぞれの地平線の彼方へと消えていくのを、ただ、黙って見送っていた。
世界の命運を賭けた、二つの旅。
確かな幕開けだった。
本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。
皆様の応援が、何よりの執筆の糧です。よろしければブックマークや評価で、応援していただけると嬉しいです。




