第百二十六話:残された者たち
魔王が去った司令室は、死んだような静寂に包まれていた。
破壊された玉座の残骸。壁に刻まれた、壮絶な戦いの痕。そして、床に広がる、生々しい血の海。
その中心で、宰相イデン・フォン・ロムグールは、その身を横たえていた。
自らの剣を、その胸に突き立てたまま。
「イデン様!しっかりしてください!」
ロザリアが、その身体に駆け寄り、必死に治癒の力を注ぐ。
淡い、緑の光が、彼の傷口を包み込むが、イデンの命の灯火は、もはや、風前の灯だった。
自ら心臓を貫いた傷は、いかなる治癒魔術をもってしても、塞ぐことは叶わない。
「……よせ、ロザリア殿。もう、無駄だ」
イデンは、か細い声でそう言うと、その力ない手で隣に膝をつくフィンの腕を、確かな力で掴んだ。
その瞳は、もはや、いつもの尊大な響きではなかった。
ただ、一人の、国を憂う老人の穏やかなものへと変わっていた。
「……聞け、若造」
「……何を、今更……」
フィンの声が、震える。
目の前で、失われようとしている命。
その重さに、彼の思考は、初めて、麻痺していた。
その時、部屋の隅で、呻き声が上がった。
「ぐ……っ……」
レナード・フォン・ゲルツ。
魔王の一撃を受け、壁に叩きつけられた彼は、その口から大量の血を吐き出し、その巨体を、再び床へと横たえた。
その瞳からは、急速に、光が失われていく。
魔王の、ただ一撃が、彼の、規格外の生命力すらも、その根源から破壊し尽くそうとしていた。
「レナード殿!」
ロザリアの顔から、血の気が引いた。
イデンと、レナード。
二つの、失われかけている命。
彼女のその力は、あまりにも、無力だった。
「……ロザリア殿」
イデンが、静かに言った。
「そちらを。その男を、生かせ。……その牙は、まだ、この国に、必要だ」
「しかし、イデン様!」
「良いから、行け」
イデンは、フィンの腕を、最後の力を振り絞り、強く、握りしめた。
「……聞け、若造。わしは、ずっと、間違っておったのかもしれん」
「わしは、王家の血筋に、この国の未来を見ていた。だが、違った。この国の未来は……陛下が、おぬしのような、新しい血を、この国に招き入れた、その瞬間に、始まっておったのだ」
イデンは、荒い息をつきながら、続けた。
「……おぬしの、その『能力』は、確かに、この国を支えるだろう。だがな、若造。それだけでは、足りぬ。ロザリア殿が持つ、その『温かさ』を、決しておろそかにするな。貴様の能力と、人の心。その二つが、揃ってこそ、国は、真に、強くなる。……陛下は、きっと、それを見抜いておられたのだ」
イデンの、その瞳が、遠い過去を見ていた。先々代の王との、あの日の約束。
(……陛下。わしは、ようやく、本当の意味で、この国を、次の世代へと、託すことが、できそうですぞ)
「……若造、いや、フィン。おぬしに、この国の、未来を……いや、陛下の、その、重すぎる荷を、共に背負うことを……頼む。わしの、最後の……忠義だ」
その言葉を最後に、イデンの腕から、力が、ふっと、抜けた。
彼の瞳から、光が、永遠に失われた。
静まり返った司令室に、ロザリアの、悲痛な嗚咽と、そして、レナードの苦しげな荒い呼吸だけが響く。
フィンは、動けなかった。
その腕に残る、イデンの、最後の感触と、その耳に、今もなお、こびりついて離れない、あまりにも重い、遺言。
それは、彼が、生涯、背負い続けなければならない、呪いにも似た、祝福だった。
どれほどの時間が、経っただろうか。
フィンは、ゆっくりと、立ち上がった。
彼の瞳から、涙は、消えていた。
代わりに宿っていたのは、悲しみを、怒りを、そして、託された遺志の、その全てを、飲み込んだ、氷のように冷たい、決意の光だった。
彼は、ロザリアへと向き直った。
「ロザリア。レナードを、頼む。死なせるな。あんたの力の、全てを使ってでも、あいつを、この世に、繋ぎ止めろ」
「……はい」
ロザリアは、涙を拭い、こくりと頷くと、再び、その両手を、レナードの傷口へと翳した。
フィンは、イデンの亡骸に、静かに、一礼すると、その場を後にした。
宰相を失った王都。
残されたのは、規格外の知恵を持つ若者と、大地を癒す力を持つ少女。
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