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第百二十四話:牙、砕ける

 

 司令室の中央で、レナードと影のロザリアの剣戟が、一瞬、止まる。


 フィンが、もう一体の分身である影のフィンを、この死地へと引きずり込んだからだ。


「レナード! プレゼントだ! そいつと、まとめて、ぶった斬れ!」


 フィンの絶叫。


 二つの戦場が、今、一つになった。


「くくっ……」

レナードは、心底楽しそうに喉を鳴らした。


「なるほど。一匹では飽き足らず、二匹まとめて、か。小僧、貴様、なかなか気の利いた演出をするではないか」


 影のロザリアと影のフィンは、互いの存在を認めると、無言で頷き合い、そのターゲットを、この場で最も危険な存在であるレナード、ただ一人へと定めた。


 二体の分身が、左右から、同時に地を蹴る。


 影のロザリアの黒い茨の鞭が、予測不能な軌道でレナードの首を狙い、同時に、影のフィンの氷の刃が、最短距離で、その心臓を貫かんと迫る。


 天衣無縫の鞭と、合理性の刃。


 いかなる達人であろうと、防ぎきれるはずのない、完璧な挟撃。


 だが、レナードは、笑っていた。


「―――遅い」


 次の瞬間、彼の姿が、ブレた。


 そう見えた時には、彼は、二体の影の、ちょうど中間点、攻撃の死角となる、ただ一点に、音もなく移動していた。


「なっ!?」

 二体の影が、驚愕に目を見開く。


「基本が、なっとらんな」

 レナードは、まるで新兵に稽古をつけるかのように、つまらなそうに言った。


「連携とは、互いの力を足すことではない。互いの死角を消し、敵の選択肢を奪うことだ。貴様らの動きは、ただの、二方向からの、単調な突撃に過ぎん」


 彼は、その手に持つ愛剣を、回転させた。


 それは、もはや剣技ではない。遠心力で加速された、鋼の嵐。


 影のロザリアの鞭は、その嵐に巻き込まれ、半ばで寸断される。


 影のフィンの氷の刃は、切っ先が触れる前に、その側面を打ち据えられ、粉々に砕け散った。


「「ッ!?」」


 二体の影は、信じられないといった表情で、後方へと飛びのいた。


 物理的な攻撃が、通用しない。


いや、それどころか、自分たちの動きの、その全てを、完璧に、読み切られている。


目の前の男は、自分たちとは、あまりにも、次元が違いすぎた。


「終わりか? 魔王とやらの余興は、この程度か」

 レナードは、肩をすくめ、心底、退屈そうに言った。


「ならば、こちらも、少しは、楽しませてやろう」


 彼は、剣を、中段に構えた。


 その瞬間、司令室の空気が、変わった。彼の身体から、これまで抑えられていた、おぞましいほどの闘気が、奔流となって、溢れ出したのだ。


 それは、幽閉されていた獣が、ようやく、その檻から解き放たれた、歓喜の咆哮のようだった。


「行くぞ、影法師ども」


 レナードの姿が、消えた。


 そう思った瞬間には、彼は、影のフィンの、がら空きになった背後に、回り込んでいた。


「まず、一体」

 その呟きと共に、剣が、閃く。


 影のフィンは、反応すらできずに、その胴を、一刀両断にされた。


「次は、お前だ」

 レナードは、振り返ることなく、その剣を、背後の、影のロザリアへと、投げつけた。


 回転しながら飛んでいく剣は、影のロザリアの胸の中心を、寸分の狂いもなく、正確に貫いた。


 二体の影は、声もなく、その身体を維持できなくなり、黒い靄となって、霧散した。


「……やったか」

 フィンが、安堵の声を漏らした、その時。


 司令室の、玉座があった場所に、いつの間にか、魔王ヴォルディガーンが、楽しそうに拍手をしながら、座っていた。


「素晴らしい! 実に、素晴らしい剣技だ。僕が生み出した、不完全な写し身とはいえ、二体同時に、こうも容易く屠るとは。人間の中にも、君のような、面白い牙を持つ者がいるのだね」

 ヴォルディガーンは、心底、感心したように言った。


「……貴様が、本体か」

 レナードは、投げた剣を拾い上げると、その切っ先を、魔王へと向けた。


「ちょうどいい。その首、この俺が、貰い受ける」


「おっと、そう殺気立たないでくれよ」

魔王は、笑みを崩さない。


「僕は、君と戦うつもりはない。ただ、君たちのその力が、どこまで『本物』なのか、少しだけ、試してみたいだけさ」


 次の瞬間、レナードは、地を蹴っていた。


 フィンやイデンの目には、もはや捉えることすらできない、神速の踏み込み。


 彼の剣は、一直線に、魔王の、その喉元へと、吸い込まれていく。


 ロムグール王国最強の剣士が放つ、必殺の一撃。


 だが。


 キィン、と。


 甲高い、しかし、あまりにも軽い音。


 レナードの剣は、ヴォルディガーンの喉元、その数センチ手前で、ピタリ、と止まっていた。


 魔王が、ただ差し出した、人差し指一本によって。


「な……!?」

 レナードの顔に、初めて、信じられないという、驚愕の色が浮かんだ。


 自らの、渾身の一撃が、赤子の手を止めるかのように、容易く受け止められている。


「うん。良い太刀筋だ。速さも、重さも、人間としては、間違いなく、一級品だね」

 ヴォルディガーンは、まるで美術品でも鑑定するかのように、そう言った。


「―――だけど、それだけだ」


 魔王は、つまらなそうに、呟いた。


 そして、その指先を、ほんの少しだけ、前に動かした。


 ただ、それだけ。


 ゴッ、と。


 鈍い、破壊音。


 レナードの身体が、まるで巨大な城壁に叩きつけられたかのように、凄まじい勢いで、司令室の壁まで吹き飛んだ。


 壁に、蜘蛛の巣のような亀裂が走り、彼は、声もなく、ずるずると、床に崩れ落ちた。


 その手から、愛剣が、力なく滑り落ちる。


「…………」

 フィンも、ロザリアも、イデンも、その、あまりにも、現実離れした光景に、言葉を失っていた。


 最強の盾が、砕けた。


 王国に残された、最後の希望が、まるで、子供の遊びのように、一瞬で、打ち砕かれたのだ。


「さて、と」

 ヴォルディガーンは、立ち上がると、呆然とするフィンたちを見下ろし、言った。


「牙が折れた今、君たちに、何ができるのかな?」


 絶望。


 その一言だけが、その場を支配していた。


 だが、その、絶対的な絶望を前に、一つの、老いた影が、ゆっくりと立ち上がった。


「……まだ、終わってはおりませぬぞ、魔王」


 宰相イデン・フォン・ロムグール。


 彼は、自らの細身のレイピアを、魔王へと向けた。


 その瞳には、もはや恐怖はない。


 ただ、この国を、そして、王が信じた若き才能たちを守る、最後の盾としての、揺るぎない覚悟だけがあった。


 

 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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