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第百二十三話:二人の盾

 ギィィ、と、錆びついた鉄の扉が開く。


 解き放たれた、最も危険な、そして、最も頼れる、最後の牙。


 元騎士団長レナード・フォン・ゲルツ。


「急げ! 宰相が、もたない!」

 フィンは、看守からレナードの愛剣を受け取ると、それを本人に投げ渡し、自らは松明を手に、今来た道を駆け戻る。


 レナードは、その剣を手にすると、まるで長年の相棒と再会したかのように、その口元に獰猛な笑みを浮かべ、フィンの後を、獣のような速さで追った。


 二人が、長い螺旋階段を駆け上がり、司令室へと続く廊下にたどり着いた時、フィンの足が、ピタリと止まった。


「……どうした、小僧。怖気づいたか?」

 レナードが、訝しげに眉をひそめる。


「……いや、違う」

 フィンの顔から、血の気が引いていた。


「敵は、一体じゃなかった。ロザリアも、別の化け物に襲われているはずだ。二手に分かれるぞ!」


「はっ、面倒なことだ」レ

 ナードは、つまらなそうに吐き捨てた。


「ならば、俺は、宰相殿がいるという、司令室の方へ行こう。あの老いぼれには、貸しがあるからな」

 その言葉の真意を問う暇もなく、レナードは、一人、司令室の方へと、その姿を消した。


 フィンもまた、覚悟を決め、ロザリアがいるはずの、診療所へと、全速力で駆けた。


 司令室は、もはや戦場と化していた。


 イデンは、倒れた騎士の盾を拾い上げ、それを最後の砦として、影のロザリアの猛攻を、絶体絶命の状況で凌いでいた。


「陣形を崩すな! 奴の動きは速いが、単調だ! 攻撃の瞬間に、必ず予備動作がある!」

 イデンの、老練な指揮官としての声が、室内に響く。


 彼の周りでは、新たに駆けつけた三名の衛兵が、必死の防衛線を張っていた。


 だが、純粋な力の差が、あまりにも、ありすぎる。


 一人、また一人と、忠実な兵士たちが、血の海に沈んでいく。


 ついに、最後の衛兵が、鞭に足を絡め取られ、無様に床に叩きつけられた。


「……終わりか」

 イデンは、自らレイピアを構え、最後の覚悟を決めた。


「ええ、終わりですわ、古い頭脳さん」

 影のロザリアが、とどめを刺さんと、黒い茨の鞭を、大きく振りかぶった、まさにその瞬間。


「―――つまらん女の遊びは、そこまでだ」


 背後から響いた、傲岸な声。


 影のロザリアが、ハッと振り返ると、そこには、レナードが、まるで最初からそこにいたかのように、静かに立っていた。


「……なんですの、あなたは。下品な……」

 影のロザリアが、不快そうに眉をひそめ、その茨の鞭を、レナードへと振るった。


 鞭は、音速を超え、レナードの心臓を、正確に捉え―――


 ―――ようとした、寸前で、ピタリ、と止まった。


 レナードが、その鞭の先端を、こともなげに右の拳で掴んでいたのだ。


「なっ……!?」

 影のロザリアの顔に、初めて、驚愕の色が浮かぶ。


「遅いな」

 レナードは、つまらなそうに、そう言うと、指に、ほんの少しだけ力を込めた。


 パキィン!と、乾いた音。


 影のロザリアの、鋼鉄の騎士をも容易く打ち砕いたはずの鞭が、いとも容易く粉々に砕け散った。


「さて、と」

 レナードは、その愛剣を、ゆっくりと、鞘から抜き放った。


 その剣は、王国のどんな剣よりも、禍々しく、そして、美しかった。


「ようやく、少しは、楽しめそうだ」


 彼は、地を蹴った。


 次の瞬間には、影のロザリアとの間に、常人には目で追うことすら叶わぬ、凄まじい剣戟が繰り広げられていた。


 それは、もはや戦いというよりは、二匹の、頂点捕食者による、殺意の舞踏だった。


 ◇


 一方、その頃。


 王城の診療所。


 本物のロザリアは、影のフィンに追い詰められ、壁際にへたり込んでいた。


「……あなた、は……フィン、さん……では、ありませんね」


「いかにも。僕は、彼が捨てた『合理性』そのものだ」

 影のフィンは、感情のない声で告げた。


「君のその、非効率な優しさは、この国を滅ぼす。一人を救うために、全体を危険に晒すなど、愚の骨頂だ。君という『バグ』は、僕が、ここで修正する」


 影のフィンは、その手から、鋭い、氷の刃を形成した。


 ロザリアは、必死に、近くにあった薬草棚を倒して、その進路を塞ぐ。薬草が、床に散らばる。 


「やめてください! あなたの言っていることは、正しいのかもしれない……。でも、目の前で苦しんでいる人を、見捨てることなんて、私には……!」


「だから、君は、欠陥品なのだよ」

 影のフィンは、散らばった薬草を、まるで汚物でも見るかのように踏みつけ、一歩、また一歩と、ロザリアへと近づいてくる。


 ロザリアは、追い詰められ、診療所の壁際へと追いやられた。


 もう、逃げ場はない。


(……アレクシオス様……!)

 彼女が、自らの無力さに、唇を噛みしめた、その瞬間。


 診療所の扉が、勢いよく開け放たれた!


「ロザリア!」

 そこに立っていたのは、息を切らした、本物のフィンだった。


「……来たか、本体。いや、『欠陥品』の方、か」

 影のフィンは、本物のフィンを一瞥し、嘲るように言った。


「ちょうどいい。君に、見せてやろう。君が捨てた、僕という『合理性』が、いかに優れているかを」


 影のフィンは、ロザリアから、本物のフィンへと、そのターゲットを変えた。

「君のその、非効率な感情論ごと、ここで消去してやる」


 フィンは、腰に差していた、護身用の短剣を抜き放った。


 だが、その目は、影のフィンではなく、部屋の、全く別の場所を見ていた。


(……勝てない。力じゃ、絶対に。しかし、俺ならば、その行動原理は、常に『最適解』のはずだ。俺の動きを予測し、最短距離で、俺を排除しようとする……。その思考パターンを利用すれば……!)


「ロザリア! 俺の合図で、そこの窓から飛び降りろ!」

「えっ!? フィンさん、何を……!」


「いいからやれ! 信用しろ!」

 フィンは叫ぶと、影のフィンに背を向け、ロザリアとは逆方向の扉へと、全力で駆け出した!


 それは、あまりにも、非合理な行動。


 仲間を見捨て、敵前逃亡する、愚かな選択。


「……やはり、欠陥品だ」

 影のフィンは、一瞬だけ、ロザリアと、逃げるフィンのどちらを追うべきか、その思考を巡らせた。


 だが、答えはすぐに出た。

(脅威度が高いのは、本体のフィン。彼を先に排除するのが、最も合理的だ)


 影のフィンは、ロザリアには目もくれず、逃げるフィンの背中を最短距離で追う。


(……食いついた!)


 フィンは、廊下を曲がり、階段を駆け上がり、複雑な王城の通路を、迷うことなく突き進む。


 彼の頭の中の地図には、影のフィンを司令室へと導く、最短ルートが完璧に描かれていた。


「逃がしはしない。君の行動パターンは、全て、僕の計算の内だ」

 背後から、影のフィンの、冷たい声が迫る。


「……どうかな!」

 フィンは、最後の角を曲がった。


 その先にあるのは、レナードと影のロザリアが、死闘を繰り広げている、司令室のもう一つの入り口。


 彼は、その扉を、勢いよく開け放った!

「レナード! プレゼントだ! そいつと、まとめて、ぶった斬れ!」


 フィンの絶叫と同時に、彼の背後から、影のフィンが、その氷の刃を、突き出してきた。


 そして、その影のフィンの、さらに背後には、フィンの奇策に気づき、追いかけてきた、本物のロザリアの姿があった。


 司令室の中央で、レナードと影のロザリアの剣戟が、一瞬止まる。


 四者の視線が、司令室で、交錯した。


 王都の運命を賭けた、二つの戦場が、今、一つになろうとしていた。



 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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