第百十二話:王手
「……やってやるよ!」
勇者、田中樹の、その覚悟を決めた一声。
それは、この地獄と化した帝都の広場で、反撃の狼煙を上げる唯一無二の合図だった。
「樹! お前の全てを、その光に叩き込め! 今、この瞬間だけ、お前がこの世界の王になれ!」
アレクシオスは叫んだ。
それは、もはや王の命令ではない。
共に死地に立つ、仲間への、魂の絶叫だった。
「うおおおおおおおおおおっっ!!」
樹は咆哮した。
脳裏を、レオの最後の顔が 、リリアナの悲鳴が、自分を庇って倒れていく兵士たちの姿が、走馬灯のように駆け巡る。
怖い。
だが、それ以上に、嫌だった。
また、誰かの背中を見ているだけの、無力な自分が。
彼は、自らの内に眠る、得体の知れない黄金の光を、無理やりこじ開けるように、その全ての感情を、意志を叩きつけた。
(守る! 俺が、みんなを、守るんだ!)
「……何をしている?こいつら、自ら死を早めようとしている?……いや!!」
その純粋な願いに呼応し、紫に染まっていた聖域が、再び、その輝きを変貌させる。
だが、それは、元の清浄な黄金色ではない。
聖と邪、光と闇、秩序と混沌。
相反する二つの巨大なエネルギーが、樹の意志によって、無理やり捻じ伏せられ、混じり合い、臨界点を超えて膨張を始めたのだ。
檻の内側の空間が、ギシリ、と音を立てて歪む。
熱が、色が、音が、一つの奔流となって、樹の魂に流れ込み、そして、彼の意志によって、ありえない密度にまで圧縮されていく。
「なっ……!? なんだ、この力は……! 増大しているだと……!?」
玉座で、余裕の笑みを浮かべていたヘカテリオンの顔から、初めて血の気が引いた。
「まさか……! この小僧、アレクシオス! 貴様、この聖域ごと、自爆する気か!」
彼の、常に二手三手先を読んでいたはずの思考が、初めて、アレクシオスの、その常軌を逸した狂気の策に、追いつけない。
「ヴァレンティン将軍!」
リリアナが、最後の魔力を振り絞りながら叫ぶ。
「陛下が信じた策です! 私達も、それに賭けるしかありません!」
「……ええい、ままよ! ロムグールの王の道楽に、この私が付き合わされるとはな!」
ヴァレンティンは、屈辱に顔を歪ませながらも、自らの魔導剣に全魔力を注ぎ込み、リリアナの作り出した防御障壁を、さらに外側から補強する。
(この私が、小国の王の、狂気の賭けに乗るだと……! だが、死ぬよりはマシか!)
彼の魔導剣が、帝国の威信を示すかのように、漆黒の輝きを放ち、リリアナの聖なる光と混じり合い、聖邪のエネルギーが渦巻く、歪な防壁を形成した。
光の檻が、限界を超えて膨張し、その表面に無数の白い亀裂が走る。
もう、持たない。
「「―――行けぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっ!!」」
アレクシオスたちは、来るべき衝撃に備え、叫んだ。
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次の瞬間、世界から音が消えた。
聖域は、凄まじい閃光と共に、内側から、破裂した。
世界から音が消え、ただ、全てを白く塗りつぶす光だけが存在した。
空間が引き裂かれる衝撃波が、広場に面する建物を、まるで砂の城のように崩していく。
広場に開かれていた魔界のゲートは、その圧倒的なエネルギーの奔流に飲み込まれ、悲鳴を上げる間もなく、その存在ごと、この世界から消滅した。
「ぐっ……おおおおっ!」
リリアナとヴァレンティンの、命がけの障壁が、その最初の衝撃波を受け、凄まじい音を立てて軋む。
倒れている兵士たちは、木の葉のように吹き飛ばされ、アレクシオスですら、その場に留まるのがやっとだった。
そして、その爆発のエネルギーの、最大瞬間風速が、ただ一点―――全ての元凶である魔界のゲートを吹き飛ばし、その前で呆然と立ち尽くす、ヘカテリオンへと殺到した。
「ば、馬鹿な……! 私の、計算を超えるだと……!?」
ヘカテリオンは、咄嗟に、自らの持つ、最強の防御魔術を展開する。
だが、遅かった。
その余波は、展開しきる前のヘカテリオンの防御魔術を、まるで薄紙を破るかのように、いとも容易く、貫いた。
「が……はっ……!?」
彼の、その、常に優雅さを失わなかった身体が、初めて、無様に吹き飛ばされ、瓦礫と化した広場の地面に、叩きつけられた。
やがて、光が収まり、舞い上がっていた粉塵が、ゆっくりと晴れていく。
後には、巨大なクレーターと化した広場と、破壊されたゲートの残骸。
そして、満身創痍ながらも、確かに、立っているアレクシオスたちの姿があった。
「……はぁ……はぁ……。やった、のか……?」
樹が、力なく、その場にへたり込む。
リリアナも、ヴァレンティンも、魔力と体力の全てを使い果たし、肩で大きく息をしていた。
そして、彼らの視線の先。
瓦礫の山の中から、一つの影がゆっくりとその身を起こした。
ヘカテリオンだった。
彼の、あの、塵一つ付いていなかった優雅な衣服は、ズタズタに引き裂かれ、その白い肌には、無数の切り傷と、火傷の痕が生々しく刻まれている。
その口元からは、一筋、黒い血が流れていた。
彼は、信じられない、といった表情で、自らの手のひらを見つめ、そして、ゆっくりと、アレクシオスへと、その顔を向けた。
(なぜだ? 私の計算は、完璧だったはずだ。この結末は、ありえない。この私が、こんな、人間の、それも、最も愚かで、予測不能な要素によって……!)
その思考は、もはや論理ではなく、ただ純粋な怒りだった。
その瞳には、もはや、いつもの余裕の笑みはない。
あるのは、自らの計画が、自らの芸術が、最も愚かで、最も予測不能な形で打ち破られたことへの、純粋な驚愕と、そして底なしの怒りだけだった。
アレクシオスは、ボロボロの身体に鞭打ち、自らの王剣を、再び構え直す。
そして、地に両膝をつき呆然とする、魔王軍四天王に向かって、静かに、しかし、確かな勝利の響きを込めて宣言した。
「―――王手だ、ヘカテリオン」
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