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第百九話:ゲートキーパーの戯れ

 

 狭い裏路地を抜ける。


 鼻を突くのは、焼けた石と、熱せられた鉄、そして、こびりついた血の錆びた匂い。


 足元には、事切れた帝国兵の、無残な亡骸と、おぞましい異形の魔物の残骸が、瓦礫と共に散乱していた。

 ほんの数時間前まで、ここで、どれほど凄惨な戦闘が繰り広げられていたのか。


 想像に難くない。


 その、狭い路地を抜けた、その先。


 視界が、開けた。


 アレクシオス一行がたどり着いた光景。 


 それは、もはや、大陸一と謳われた広場と呼べるものではなかった。


 帝都の中央広場。


 かつては、壮麗な噴水と、美しい庭園が、市民の憩いの場となっていたはずの場所は、今や、巨大なクレーターのように、抉れていた。


 その中心で、空間そのものが、悲鳴を上げているかのように、禍々しい紫黒のエネルギーが、巨大な渦を巻いている。


 魔の『ゲート』。 


 それは、まるで、世界に開いた、巨大な傷口。


 傷口からは、絶えずおびただしい数の、異形の魔物たちが、膿のように溢れ出し、歓喜の咆哮を上げながら、街のまだ燃え残っている場所へと、駆け出していく。


 空気を震わせる、魂を削るような、低周波の唸り。


 硫黄と絶望の匂い。


 そして、その、全ての元凶である、ゲートの前に。


 まるで、玉座のように黒水晶の椅子に、ゆったりと腰掛けた一人の男が、その光景を満足げに眺めていた。


 四天王、”千呪”のヘカテリオン。


「―――やあ、皆さん。よくこそ、いらっしゃいました。この、世界の終焉を祝う、ささやかなパーティーへ。君たちのことは、心から歓迎するよ」

 彼は、一行の姿を認めると、満面の笑みで、芝居がかった仕草で立ち上がった。


 まるで、待ちわびた主役の登場に、歓喜する舞台の演出家のように。


 その、ふざけた態度に、ヴァレンティンの、その表情から、全ての感情が抜け落ちた。


 彼の瞳の奥で、静かな、しかし、地獄の業火よりも、遥かに熱い、純粋な怒りが燃え上がった。 


 キィン


 彼が、その腰の魔剣を、鞘から、ゆっくりと、しかし、寸分の隙もなく抜き放つ金属音が響いた。


「……貴様」

 その声は、怒号ではなかった。


 ただ、絶対零度の、殺意だけが込められていた。


「待て、将軍! 奴の挑発に乗るな!」

 アレクシオスが、その、あまりにも危険な殺気を、力強く制した。


「おや、おや。そんなに、怒らないでくれたまえ。これは、破壊ではない。『創造』だよ」

 ヘカテリオンは、うっとりと、ゲートを見上げた。


「古く、醜い世界を、一度、更地に戻し、新たなる、美しい、静寂の世界を創るための、神聖な儀式なのだから。見なさい、あのゲートのなんと芸術的なことか。あれこそ、新たなる世界の産声なのだよ」


「……問答無用! 仕掛ける!」

 ヴァレンティンの号令一下、一行は、一斉は遅れまいとヘカテリオンへと突撃した。


 アレクシオスとヴァレンティンが、そして騎士たちが左右から。


 その後方から、リリアナが、援護の魔法を。


 そして、ヘルガは、影に紛れ、必殺の間合いを、探っている。


 だが、ヘカテリオンは、その場から一歩も動かなかった。

 彼は、ただ楽しげに微笑むと、その指先を、パチン、と鳴らした。


「―――第一楽章、『絶望の泥沼』」


 その瞬間、一行が駆け抜けていた硬い石畳の地面が、まるで意思を持ったかのように、粘度の高い、底なしの泥沼へと、その姿を変えた!


「なっ……!?」


「足が……動かん!」


 ただ、泥に変わっただけではない。


 足元から、黒いタールのようなものが、無数に伸び、まるで亡者の腕のように、彼らの足に絡みついてくる。


 それは、動きを封じるだけでなく、気力そのものを吸い取っていくような、陰湿な呪詛だった。


「ふふっ。どうしたんだい? そんなに、ゆっくりしていては、いつまで経っても、私には、届かないよ?」

 ヘカテリオンは、さらに、指を鳴らす。


「―――第二楽章、『千の嘲笑』」

 彼の周囲に、無数の、彼自身の幻影が、陽炎のように現れた。


 その、全ての幻影が、泥の中でもがく一行を見て、腹を抱えて嘲笑っている。


『見ろ、帝国の獅子も、泥の中では、ただの濡れネズミだ』


『小国の王よ、貴様の器では、この程度の遊戯すら、楽しめないか』


 幻影は、彼らの、心の奥底にある、不安や、屈辱を、的確に、抉り出す言葉を、囁きかけてくる。


「くそっ、幻術か!」


「惑わされるな! 本体は、中央だ!」


「リリアナ!」


「はいっ! 【聖なる光よ、偽りを照らせ! ホーリー・ライト!】」

 リリアナの杖から放たれた、浄化の光が、広範囲に拡散し、幻影をと泥沼を次々とかき消していく。


 だが、ヘカテリオンは、全く動じない。


「お見事。だが、その光も、いつまで、続くかな?」

 彼は、ただ楽しんでいた。


 自らが作り出した、この混沌の舞台の上で、必死に、そして、滑稽にもがき続ける役者たちの姿を。

 アレクシオスは、悟った。


(……ダメだ。力攻めでは、埒が明かない。奴は、俺たちの、全ての動きを、楽しんでいるだけだ。これは、戦いではない。奴にとっては、ただの遊戯なのだ)


「さて、前座は、このくらいにしておこうか」

 不意に、ヘカテリオンは、その表情から笑みを消した。


 その瞳に、冷たい蛇のような殺意が宿る。


 それまでの、遊戯の空気が一変する。  


 場の温度が、急速に下がり、肌を刺すような純粋な悪意が、広場を満たした。   


「君たちの、その、必死な顔も少し見飽きてきた。……そろそろ、本物の絶望を見せてあげよう」


 彼は、ゆっくりと、リリアナに指先を向けた。


「―――まずは、この場に相応しくない君たちに消えてもらおうかな。厄介な君からご退場願おうかな」


 彼の指先に、これまでとは比較にならない、禍々しい、黒と、紫の、呪詛のエネルギーが、螺旋を描きながら収束していく。 


 それは、まるで、無数の、苦悶の表情を浮かべた魂を、無理やり一つの槍へと、練り上げたかのようなおぞましい代物だった。


 空気が、悲鳴を上げる。空間が、そのあまりにも邪悪な魔力に歪み始める。


「リリアナッ!」

 アレクシオスの、絶叫が、響き渡った。


 だが、その声も、放たれた漆黒の呪いの光の前では、あまりにも無力だった。


 絶望が、今まさに、その鋭い牙を剥いた。



 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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