第百三話:血の誓い、鋼の策
古城グレイヴェンが、光の中に消滅してから、丸一日が過ぎていた。
東方諸侯連合の、とある山中にある、打ち捨てられた狩人の小屋。
闇滅隊の残された三人は、その中で、重い沈黙に支配されていた。
小屋の中央では、焚火が、パチパチと、か細い音を立てている。
だが、その炎の温かさですら、この場の、氷のような空気を、溶かすことはできなかった。
ナシルは、壁に寄りかかり、静かに目を閉じている。
その手には、『真実の鏡』の欠片が、力なく握られていた。
そして、ハヤテは、小屋の隅で、ただ無言で、一枚の布で、二振りの霊刃を繰り返し磨いていた。
一振りは、彼自身のもの。
そして、もう一振りは、もはや、主の元へ還ることのない、相棒のシズマの形見だった。
その動きには、一切の感情がない。
だが、その、あまりにも静かな姿が、逆に、彼の内に渦巻く底なしの悲しみと、そして、全てを焼き尽くさんばかりの静かな怒りを、物語っていた。
ファムは、その二人の姿を黙って見ていた。
彼女の心もまた、怒りと、そして、自らの判断ミスで、仲間を死なせてしまったという、リーダーとしての、重い罪悪感で張り裂けそうだった。
(俺のせいだ……。俺が、奴の罠を、甘く見ていた。俺が、シズマの覚悟に、あいつの命に、甘えた。だから、あいつは……)
その思考は、無限のループとなって彼女の精神を蝕んでいく。
耐えきれなくなった彼女は、おもむろに立ち上がり、短剣を手に取った。
「……俺が、ケリをつけてくる」
その声は、乾ききっていた。
「俺一人なら、あいつの懐にだって潜り込める。相討ちでも、なんでもいい。あいつだけは、この手で……!」
無謀な、自暴自棄の決意。
だが、彼女が、小屋の出口へと、一歩足を踏み出そうとした、その瞬間。
音もなく、彼女の目の前に、ハヤテが立ちはだかった。
その手には、磨き上げられたシズマの霊刃が、握られていた。
「……どけよ、ハヤテ」
「断る」
ハヤテの、低い、地を這うような声がファムの行く手を阻んだ。
「……お前まで、死なせるわけには、いかない」
「だったら、どうしろって言うんだ! このまま、指をくわえて、仲間が殺されたのを、黙って見てろってのか!」
ファムの絶叫が響く。
「そうだ!」ハヤテもまた、叫び返した。
その瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
「今は、そうだ! 感情に任せて、再び、奴の罠に飛び込むことこそ、シズマの死を、犬死にさせる行為だ! ……奴は、それを、望んではいない……!」
二人の、悲しみと、怒りが、激しくぶつかり合う。
その、張り詰めた空気を破ったのは、ナシルの静かな声だった。
「……二人とも、もう、やめろ。仲間割れは、それこそ、敵の思う壺だ」
彼は、立ち上がると、テーブルの上に、この地方の地図を広げた。
「我々が為すべきは、復讐ではない。シズマが命を賭して守った、この『仲間』が生きて、任務を完遂することだ」
彼の、冷静な言葉に、ファムとハヤテは、ハッと我に返り、互いに視線を逸らした。
「……悪かった」
やがて、ファムが、ぽつり、と呟いた。
「俺が、間違ってた」
彼女は、テーブルの上の地図を、睨みつけた。
その瞳には、もはや自暴自棄の色はない。
代わりに、仲間を失った悲しみを、鋼の覚悟へと変えた、リーダーの光が宿っていた。
「……あいつは、俺たちの裏をかいた。俺たちが、罠を張ることすら読んでやがった。だったら、今度は、こっちが、その、さらに裏の裏をかいてやる」
彼女の指が、地図の上で鋭く動く。
「単純な罠は、もう通用しねえ。奴は、俺たちの動きを、完璧に予測してくる。だったら、予測できない状況を、こっちから、作ってやるんだ」
彼女は、ナシルに向き直った。
「ナシル。お前が持つ、ザルバードの情報網と、ジエンが持つ、東方諸侯の裏社会のネットワーク。その両方を使え。そして、一つの『偽の情報』を、奴の耳に、確実に入れるんだ」
ファムが立てた、新たな「反撃の策」。
それは、悪辣なまでに、非情なものだった。
「こう流せ。『闇滅隊は、仲間の死によって、完全に崩壊した。リーダーのファムは、復讐心に駆られ、単独で、最大の標的と目されるオルテガ公爵の護衛任務に、無断で就こうとしている』、と」
「……なんだと?」
ハヤテが、目を見開いた。
「それは、お前自身を、囮に使うということか!」
「ああ、そうだ。だが、ただの囮じゃねえ」
ファムは、不敵に笑った。
「フェンリラは、俺が、感情に任せて、無謀な行動に出たと、必ず、そう思うだろう。そして、俺とオルテガ公爵を、まとめて始末するために、必ず姿を現す。奴にとって、これ以上ない甘美な餌だからな」
「だが、奴は、罠を警戒する。だから、俺たちは、罠を、仕掛けない」
「……どういうことだ?」
「“砦”には、何の罠も仕掛けねえ。ただ、俺とハヤテ、そしてナシル、たった三人で、将軍の視察団に、影のように紛れ込む。そして、奴が、油断しきって、俺たちの前に姿を現した、その一瞬。その、たった一点だけを、俺たちの、本当の『狩場』にする」
敵の、その傲慢な心理そのものを利用した罠だった。
ハヤテは、その作戦を聞き終えると、静かに、シズマの霊刃を鞘に収めた。
「……分かった。その作戦に乗ろう。仇はお前が討て」
「ああ。シズマは、お前を、リーダーとして信じていた。だから、命を張った。……だから、奴の仇は、リーダーである、お前自身の手で討つべきだ」
三人は、夜明け前の、冷たい光の中で、シズマの霊刃に血の誓いを立てた。
もう二度と、仲間を失わない、と。
そして、次こそ、必ずあの銀色の狐を狩る、と。
彼らの瞳には、悲しみを乗り越えた、新たな闘志の炎が、静かに、しかし、力強く燃えていた。




