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第九十九話:三つの死地

 

 戦いの火蓋は、三つの場所で、ほぼ同時に切られた。


【東方諸侯連合・港湾都市リンドバーグ】


 湿った、血の匂いが、港町特有の潮の香りに混じって、ファムの鼻腔を突いた。


 彼女たち闇滅隊は、音もなく、東方諸侯連合の兵站を担う、重要拠点の一つであるこの街に潜入していた。


 彼らが向かった先は、連合の将軍マインハルト卿の屋敷。


 二日前に、彼もまた、風の刃によってその命を絶たれていた。


「……ここも、ジェラール卿の時と、全く同じだ」

 ナシルが気配を探りながら、低い声で呟く。


 屋敷の中は、荒らされた形跡一つなく、ただ、主を失った静寂だけが、重く漂っている。


「敵は、物理的な痕跡を、ほとんど残さない。だが……」

 ファムは、するりと寝室の窓辺に近づくと、その指先で、窓枠に積もった埃を、そっとなぞった。


 そこには、まるで、子供の悪戯書きのように、しかし、見る者を嘲笑うかのような、一つのメッセージが残されていた。


『次の風は、最も強い「盾」を砕くだろう』


「……ちっ、ふざけた真似しやがって」

 ファムは、その挑戦状とも犯行予告とも取れるメッセージを、忌々しげに睨みつけた。


「盾」とは、何を意味するのか。


 特定の人物か、あるいは、都市か、それとも――。


「こいつ、遊んでやがる。俺たちを、試しているんだ。面白い。その風とやら、俺たちが、真っ二つに切り裂いてやるぜ」

 ファムの瞳に、獲物を見つけた獣の、冷たい光が宿った。


【北方・エルヴァン要塞近郊】


 地響きはない。鬨の声も破壊音もない。


 ただ、空気が、ビリビリと震えていた。


 バルカス率いる第一救援部隊が、決死の強行軍の末、吹雪の峠を越え、目にした光景。


 それは、戦いと呼ぶには、あまりにも静かで、そして、おぞましいものだった。


「……なんだ、あれは……」


 若い騎士の一人が、呆然と呟く。


 眼下に広がる平原を、黒鉄の軍勢が、微動だにせず、埋め尽くしている。


 その中心で、巨大な魔法破城兵器「終焉の槌」が、その先端に埋め込まれた巨大な魔石から、禍々しい紫黒の波動を、途切れることなく放ち続けていた。


 その波動が、エルヴァン要塞の城壁に、見えざる魔力の槌となって、降り注いでいる。


 ギシッ……ギシギシッ……!


 不落を誇ったエルヴァン要塞の城壁が、物理的な衝撃を受けていないにも関わらず、内側から、静かに崩壊しかけている。


 壁に込められた守護の術式が、その魔力の共振に耐えきれず、自壊しかけているのだ。


 石と石の隙間からは、不気味な紫の光が漏れ出し、壁そのものが、断末魔の悲鳴を上げているかのようだった。


「……これが、”不動”のグラズニールか」

 バルカスは、その唇を、血が滲むほど、強く噛み締めた。


 あの壁の内側で、グレイデンたちが、どれほどの地獄を耐え忍んでいるか。


 想像するだけで、腸が煮え繰り返る。

「……グレイデン、待っていろ。今、この老いぼれの、最後の力が、貴様を、この国を、救いに行くぞ」

 バルカスの瞳に、怒りと、そして、弟子への想いが、炎となって燃え上がった。


【ガルニア帝国・帝都近郊、旧地下水道】


 鼻を突く、汚泥の匂い。そして、それに混じる、甘ったるい、血の香り。


「……ここから、潜入する。この先は、帝都の中央区画、貴族街の地下に繋がっている。本来なら、警備兵が巡回しているはずだが、この混乱だ。手薄になっていることを祈るしかない」

 ヴァレンティンが、忌々しげに、しかし、今はもう、アレクシオスたちに指示を仰ぐしかないといった様子で、説明する。


 彼らがいたのは、帝都の城壁の外れにある、今はもう使われていない、古い地下水道の入り口だった。


 魔物が溢れる帝都の正門を突破するのは、自殺行為に等しい。


 ヴァレンティンの、帝国の人間しか知り得ない知識だけが、頼りだった。


「よし、行くぞ。リリアナ、照明を。樹、お前は俺の後ろだ。絶対に離れるな」

 アレクシオスの号令一下、一行は、暗く、湿った地下道へと、足を踏み入れた。


 だが、彼らの期待は、すぐに裏切られた。


 地下道は、既に、魔物の巣窟と化していた。


 壁には、粘液質の巣のようなものが無数に張り付き、暗闇の奥からは、複数の赤い光――魔物の目が、こちらを伺っている。


「……チッ、こっちまで来やがったか!」

 先頭を行くアレクシオスが、舌打ちすると同時に、暗闇から、蜘蛛のような多関節の脚を持つ、おぞましい魔物が、数体、飛び出してきた。


 キシャアアアアアッ!

 甲高い鳴き声と共に、鋭い爪が、アレクシオスへと襲いかかる。


 キンッ!


 アレクシオスは、それを、冷静に、王剣で弾き返した。


「俺だって、遊んでいたわけではない!リリアナ!」


「はいっ! 【光よ、彼の者を討て】!」

 リリアナの詠唱と共に、数条の光の矢が放たれ、魔物たちを正確に貫く。


 だが、それは、ほんの始まりに過ぎなかった。


「王様、後ろからも来るぞ!」

 樹の、恐怖に引きつった叫び声。


「くそっ、キリがない!」

 ヴァレンティンも、帝国の誇る魔導剣を抜き、背後の敵に応戦する。


 狭い地下道での、血生臭い、乱戦。


 数十分にも感じられる死闘の末、一行は、辛うじて魔物の群れを退け、地上へと続く梯子へとたどり着いた。


 マンホールの蓋を、ゆっくりと押し上げる。 


 彼らを迎えたのは、地獄だった。


 壮麗だったはずの白亜の街並みは、燃え盛る炎に焼かれ、おびただしい黒煙が、空を覆い尽くしている。


 逃げ惑う市民の、絶望的な悲鳴。


 そして、その市民を、楽しげに追いかける、おぞましい異形の魔物たち。


 アレクシオスは、その地獄絵図を、ただ、静かに見つめていた。


 そして、ゆっくりと、血に濡れた王剣を、握り直した。


「―――これより、我々は、この地獄を、浄化する」

 彼の瞳には、もはや胃痛に悩む、ただの元社畜の面影はない。


 絶望的な戦いを前に、民を憂う、若き「王」の顔がそこにはあった。


 三つの戦場で、三つの刃が、抜かれた。


 東方では、影が影を狩る、死の狩りが。


 北方では、魂と魂がぶつかり合う、絶望的な防衛戦が。


 そして、帝都では、知略と魔術が渦巻く、混沌の殲滅戦が。


 人類の、そして大陸の、最も長く、そして、最も過酷な一日が、今、始まろうとしていた。

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