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第九十八話:王の決断と三つの刃

 

 大広間は、恐怖という名の嵐に飲み込まれていた。


「帝都が燃えているだと!?」「東方の次は、我らではないのか!」「もはや終わりだ……」

 大陸の権力者たちが、為政者の仮面を剥がされ、ただの、怯える人間となって、右往左往している。


 その混沌の中心で、帝国の将軍ヴァレンティンは、血の気を失った顔で、ただ呆然と立ち尽くしていた。


 その、絶望的な不協和音を、ただ一つの声が、鋼の刃のように断ち切った。


「―――静粛にッ!!」


 アレクシオスの、地を揺るがすかのような一喝。


 それは、恐怖に支配された全ての者の鼓膜を打ち、その思考を、強制的に停止させた。


 若き王は、いつの間にか、議長席から作戦卓の前へと移動していた。


 その瞳には、恐怖も、動揺も、微塵も浮かんでいない。


 あるのは、この地獄の状況を、全て見据えた上で、なお燃え盛る、氷のように冷たい、怒りの炎だけだった。


「東方の暗殺は、連合の結束に楔を打ち込み、我らを疑心暗鬼にさせるための、心理的な揺さぶり。北方の膠着状態は、エルヴァンという一点に、我々の貴重な戦力を釘付けにするための、巨大な陽動。そして、この帝都のテロは、我らの思考を、完全に麻痺させるための、最後の毒だ! 全ては、我ら連合の主力を、三方面に引きずり出し、分断させ、そして、各個撃破するための、計算され尽くした策なのだ!」



 彼は、震える諸侯たちを前に、巨大な大陸地図を、その拳で、ドン、と叩いた。


「だが……だが、それでも私たちは戦わなくてはならない!我らの国のために、我らの仲間のために、我らの民のために……!!」


 ヴァレンティンは、その姿を、呆然と見つめていた。


 自らが、そして帝国が、失いかけていたもの。


 国家のプライドや、権力闘争の駆け引きではない、ただ、民を守るという、為政者としての、原初の、そして、絶対的な覚悟。


 それを、この小国の若き王が、今、目の前でその身をもって示している。


 彼は、震える足で、一歩、また一歩と、アレクシオスへと、進み出た。


 そして、次の瞬間。


 大陸の覇者、ガルニア帝国の将軍が、小国の王の前に、ゆっくりと、しかし、確かに、その膝を折った。


 騎士が、王に忠誠を誓う際の、最も丁重な臣下の礼と同じだった。


「どうか……どうか、我が帝国を、お救いいただきたい。この通りだ」


 その、衝撃的な光景に、会議室は、水を打ったように静まり返った。セレスティナも、ボルグも、息を呑んで、その光景を見守っている。


 アレクシオスは、その姿を、静かに見下ろした。そして、告げた。


「顔を上げよ、将軍。我々は、同盟国だ。友が苦しんでいる時に、手を差し伸べるのは、当然のこと」


 ヴァレンティンは、かたじけないと、一言。


 アレクシオスは、感傷に浸る間もなく、即座に、大陸の全権力者に、最後の決断を下した。


「これより、連合軍は三つの部隊として、それぞれの戦場へ向かう! リリアナ、記録を!」


「は、はいっ!」


「まず、東方! 敵は、神出鬼没の暗殺者、フェンリラ。この任には、通常の軍隊は不向きだ。隠密行動と特殊技能に特化した、少数精鋭で、敵の尻尾を掴み、その首を狩る!」

 アレクシオスの視線が、部屋の隅の影へと向けられる。


「ファム!」


「……ここに」

 音もなく、闇滅隊のリーダーが姿を現す。


「お前に、この任務の指揮を任せる。ヤシマの『霊刃衆』、ザルバードの『眼』、そして、お前の『影』の力。全てを結集し、東方の風を、必ずや止めろ。」

「へっ、面白え。任せときな、ボス。その、風だか嵐だか知らねえが、俺たちが、跡形もなく、切り刻んでやるぜ」

 ファムは、不敵に笑い、再び、影の中へと消えていった。


「オルテガ公爵!諸侯軍も我が部下のファムに全面の協力を要請する!」

 オルテガ公爵は、アレクシオスの顔を見据えて頷く。


「次に、北方! エルヴァン要塞の救援! 敵は、統率の取れた、鉄壁の軍勢、グラズニール。これには、力と、そして、何よりも、不屈の魂を持つ指揮官が必要だ!」

 アレクシオスの視線は、黙ってその言葉を聞いていた、老獅子へと注がれる。


「バルカス!」


「はっ!」


 老将軍は、力強く一歩前に進み出た。

「貴殿に、ロムグール騎士団の精鋭、そして、連合の有志からなる、救援部隊の指揮を命じる! 何としても、エルヴァンの息の根を繋ぎ止めよ! グレイデンが、貴殿を待っている!セレスティナ殿、シルヴァントからも軍勢を出していただきたい!!」


「御意! このバルカス、我が弟子の元へ、必ずや駆けつけてみせますぞ! あの鉄くずどもに、ロムグールの獅子の牙が、未だ錆びついておらぬことを、教えてやりますわ!」

 バルカスの、その力強い声に、会議室の外に集まっていたロムグールの騎士たちから、雄叫びが上がった。


「当然ですわ!精鋭を率いてサー・レオンに向かわせます!」

 セレスティナは、モルガドールの襲来の際には、力になれなかったため、今度こそ!と強くこぶしを握る。


 そして、最後に。


 アレクシオスは、最も困難な戦場である、帝都の地図を、その指で力強く叩いた。


「最後に、帝都の救援及び、四天王ヘカテリオンの討伐。この任務は、魔術戦、市街戦、そして、何よりも、敵の罠の裏をかく知略が求められる。―――この任は、私が、直接指揮を執る」

 その言葉に、リリアナが、息を呑んだ。


「陛下、それは、あまりにも危険です!」


「王が、最も困難な戦場に赴かずして、誰が、民に、希望を示せるというのだ」

 アレクシオスは、リリアナの言葉を、静かに、しかし、きっぱりと制した。


「リリアナ、貴女の魔法の力が、この作戦の鍵となる。同行を願う」 


「……陛下と、共にあるならば」

 リリアナは、覚悟を決めた顔で、頷いた。


「そして、ヴァレンティン将軍。貴公にも、同行をお願いする。帝都の地理と、軍の指揮系統を、最もよく知る人間として、な。」

「……承知、した」

 ヴァレンティンは、絞り出すような声で、そう答えるしかなかった。


 アレクシオスは、そこで、一度、言葉を切った。


 そして、部屋の隅で、ただ、呆然と、この、とてつもない会議の様子を見ていた、一人の少年に視線を向けた。


「―――勇者殿」


「……へ? お、俺?」


「貴殿にも、帝都へ、同行してもらう。貴殿にしか、できぬ役目がある」


 その言葉の、本当の意味を、その場の誰も、まだ、知る由もなかった。


「俺には、何にもできない。でも、俺も行くよ、王様」


 王の決断は、下された。


 その夜、王都は、夜を徹しての出撃準備に追われ、城全体が、巨大な兵舎のように、熱気を帯びていた。


 ◇


 そして、夜明け前。


 王都カドアテメの、三つの城門が、同時に、ゆっくりと開かれた。


 東の門からは、闇に溶け込むように、数人の影が、音もなく、駆け出していく。


 北の門からは、鋼の鎧を朝靄に濡らし、獅子の紋章旗を掲げた重装騎兵の一団が、厳粛な面持ちで、地響きを立てて進軍していく。


 そして、南西の正門からは、ロムグール、そして帝国の旗が入り混じる、少数ながら精鋭部隊が、静かに出立した。


 アレクシオスは、帝都へと向かう馬上で、振り返り、朝焼けに染まる王都の城壁を見つめた。


 城壁の上には、フィンと、ロザリア、そしてイデン宰相の姿が見える。


 彼らが、この国の留守を守るのだ。


(フィン、ロザリア、イデン……留守を、頼んだぞ)

 彼の、誰にも聞こえない呟きが、朝靄の中へと、静かに、消えていった。


 人類の、反撃の狼煙は、今、上がった。


 その光が、希望となるか、あるいは、最後の断末魔となるのか。

 それはまだ、誰にも、分からなかった。




本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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