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第九十七話:三重の絶望

 

 ロムグール王国の王城、その最も広大な謁見の間に、巨大な円卓が設えられていた。


 天井から吊り下げられた壮麗なシャンデリアの光が、磨き上げられたテーブルに、集った者たちの、硬い表情を映し出している。


 議長席に座る、若き王アレクシオス・フォン・ロムグール。


 その右手には、銀の狼の旗を背負う、シルヴァラント公国の公女セレスティナが、憂いを帯びながらも、彼を支えるように静かに座している。


 左手には、天秤の旗を掲げるヴァンドール商業都市同盟の代表、大商人ボルグ。


 その鷹のような目は、常にテーブルの上の誰かの真意と、自らの損得を計算している。


 テーブルの向こう側には、東方諸侯連合の代表たち。


 先の見えざる暗殺者の脅威に、その顔色は悪く、互いに不信の視線を交わし合っている。


 そして、その円卓の一角に、彼はいた。


 黄金の鷲の旗を誇らしげに掲げ、一人だけ、ふんぞり返るように椅子に深く腰掛けている男。


 ガルニア帝国の将軍、ヴァレンティン・フォン・シュタイナー。


 その傲岸不遜な態度は、この会議が、小国の王の呼びかけに応じ、わざわざ「来てやった」ものだという、帝国の意思表示そのものだった。


 魔王軍による、二つの、同時多発的な侵攻。


 その、人類史上、類を見ない危機を前に、大陸の権力者たちが、それぞれの思惑を胸に、この円卓に集結していた。


 部屋を満たすのは、重苦しい沈黙と、互いの腹を探り合うような、疑心暗鬼の空気。


 アレクシオスは、その場の全ての視線を一身に受け止め、静かに立ち上がった。


 その声は、若さに似合わぬ、重い響きを持っていた。


「―――これより、緊急大陸戦略会議を始める」


 彼の言葉を合図に、本当の戦いが幕を開けた。


「まず、この緊急招集に応じ、一堂に会した各国の代表者に、主催国として深く感謝する。状況は、諸君らも承知の通り、一刻の猶予もならん」

 アレクシオスは、まず、東方を指し示した。


「東方では、我が同盟の要人が、次々と、見えざる敵の刃に倒れている。犯人は、風を操る、神出鬼没の暗殺者。その狙いは、武器・防具の生産地である諸侯領と我々の補給線を断ち、連合内に恐怖と不和の種を蒔くことにある」

 東方諸侯の代表たちの顔が、恐怖に引きつる。


 次に、彼は、北を指差した。


「北方では、大陸の盾たるエルヴァン要塞が、今、まさに陥落の危機にある。敵は、『不動』の異名を持つ四天王が率いる、統率の取れた大軍勢。城壁の魔力構造そのものを内側から破壊するという、あまりにも冷徹な戦術で、我らの北壁は、刻一刻と、魔法師団による妨害は続いているが、その生命を削られている」

 円卓に、悲痛な呻き声が漏れる。


 二つの、あまりにも絶望的な凶報。会議室は、どよめきに包まれた。


「どうなっているのだ!」「連合は、何をしている!」「我らの故郷は、見捨てられるというのか!」

 東方諸侯の代表の一人が、恐怖と怒りに顔を歪ませて叫んだ。


 その混乱の中心で、機を得たとばかりに、ヴァレンティンが、ゆっくりと立ち上がった。その口元には、隠しようもない、嘲りの笑みが浮かんでいた。


「これが、貴殿の言う『連合』の成果か、アレクシオス王! 結局のところ、東の小競り合いと、北の田舎砦の話ではないか。そのような些事のために、大陸の覇者たる我が帝国までをも巻き込もうとは、片腹痛いわ」


「将軍! それはどういう意味だ!」

オルテガ公爵が、怒りに声を震わせる。


「言葉通りの意味だ、オルテガ公。そもそも、此度の危機は、ロムグールが聖都で余計な騒ぎを起こし、魔王を刺激したことに起因する。その責任は、まず、ロムグールが取るべきだ。自らの尻も拭えぬ小国が、大陸の危機を声高に叫ぶなど、笑止千万!」

 ヴァレンティンの、あまりにも傲慢な演説。


 だが、彼が、さらに言葉を続けようとした、まさにその瞬間だった。


 バタンッ!!


 会議室の、荘厳な両開きの扉が、許可もなく、内側から凄まじい勢いで開け放たれた。


 そこに立っていたのは、帝国の紋章を付けた、一人の伝令兵だった。


 彼の壮麗なはずの軍服は、泥と煤で汚れ、その顔は、血の気を失い蒼白になっている。


 彼は、儀礼も、周囲の目も、もはや気にする余裕すらないといった様子で、よろめきながら円卓へと駆け寄った。


 その、ただならぬ様子に、会議室の全ての人間が、息を呑んだ。


 伝令兵は、自らの主君である、ヴァレンティンの前に崩れ落ちるようにひざまずいた。


 その声は、恐怖と、絶望で、かすれていた。


「……しょ、将軍閣下……! き、緊急……緊急のご報告を……!」


「……なんだ、騒がしい!!今は、重要な会議の最中だ。後にしろ!!」

 ヴァレンティンは、自らの演説を邪魔されたことに、あからさまな不快感を示し、冷たく言い放った。


「し、しかし、閣下! これは、一刻を争う事態にございます!」


「ええい、黙れ! 帝国の兵士が、みっともなく取り乱すな!」

 ヴァレンティンが、その伝令兵を、足蹴にしようとした、その時。


 伝令兵は、最後の力を振り絞るように、叫んだ。


「―――帝都が……! 帝都が、炎上しております! 何者かによって、地下の魔力供給路がジャックされ、暴走! 溢れ出した魔力が、空間そのものを引き裂き、中央区に、魔力の『ゲート』が開かれました! ゲートからは、無数の魔物が……! 街は……街は、地獄と化しております!」


 第三の、絶望。


 それも、大陸の覇者、ガルニア帝国の、その心臓部が、今、まさに、燃え落ち魔物の巣と化しているという、信じがたい凶報。


 ヴァレンティンの、傲慢な仮面が、音を立てて、砕け散った。


 彼の顔から、血の気が、完全に引いていく。その瞳には、信じられないという驚愕と、故国を襲う悲劇への、純粋な恐怖だけが、浮かんでいた。


「帝都が……? 叔父上は、へ、陛下はご無事なのか?」


 彼の口から、初めて、弱々しい、うわごとのような声が漏れた。


 その声は、将軍としてではなく、ただ一人の、主君を案じる臣下としての、偽らざる心の叫びだった。


 会議室は、先ほどとは比較にならない、絶対的な静寂と、そして、戦慄に支配された。


 その、混沌を、アレクシオスの一喝が、断ち切った。


「―――静粛にッ!!」

 若き王の声が、地を揺るがすかのように、響き渡る。


「みっともないぞ、諸君! 敵は、我々の、その動揺と、内輪揉めをこそ、待っているのだ! 目を開け! これは、三つの悲劇などではない。我らを試す、たった一つの、巨大な『罠』だ!」

 彼は、震える諸侯たちを前に、巨大な大陸地図を、その拳で、ドン、と叩いた。


「敵の狙いは、連合の分断だ。そして、我々は、その罠に、乗るしかない。見捨てられる民が、そこにいる限りな」

 その声には、微塵の迷いもない。


「故に、私は決断した。連合の主力を、三つに分ける。そして、三つの戦線に、同時に、派遣する!」


 あまりにも、無謀な、しかし、王としての覚悟に満ちた、その決断。


 呆然とする諸侯たちの中で、セレスティナが、ボルグが、ハッと顔を上げた。


 この、絶望の淵で、唯一、前を見据え戦おうとしている、若き王の姿に。彼らは、人類の最後の希望の光を、確かに見ていた。


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