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第九十六話:帝都の囁き

 

 大陸最強国家、ガルニア帝国。


 その帝都は、まさに世界の中心と呼ぶにふさわしい、絶対的な繁栄を謳歌していた。


 磨き上げられた白亜の石畳の街道を、最新の魔導馬車が静々と行き交い、その両脇には、天を突くかのような壮麗な建築物が、寸分の隙もなく立ち並ぶ。


 街路を巡回する帝国騎士団の銀甲冑は、常に磨き上げられ、その一糸乱れぬ動きは、この国の揺るぎない秩序と力を無言で誇示していた。


 夜になれば、街中に張り巡らされた魔導灯が、帝都を真昼のごとく照らし出し、貴族たちの開く夜会からは、楽しげな音楽と笑い声が絶えることはない。


 行き交う人々の顔には、覇権国家の民としての自信と、未来への楽観が満ち溢れていた。


 この光の都が、悪夢に沈むことなど、誰一人として想像していなかった。


 だが、その、あまりにも強すぎる光は、必然的に、濃い影を生む。


 帝都の地下深く。


 古代に作られ、今や忘れ去られた水道網を利用して、その秘密のアジトは存在した。


 壁からは常に汚水が染み出し、鼻を突く黴と淀んだ空気の匂い。


 地上の華やかさとは完全に隔絶された、暗く、冷たい空間。


 その最深部に、黒曜石ギルドの支部があった。


 洞窟を無理やり拡張したような歪な広間。


壁には、光の女神ルミナリアを冒涜的に歪めたおぞましい壁画が描かれ、中央には、磨き上げられた巨大な黒曜石の祭壇が、不気味な光を鈍く反射している。


 その祭壇の前に置かれた、巨大な作戦卓。


その上に広げられた帝都の地下設計図を、”千呪”のヘカテリオンは、まるで芸術品でも眺めるかのように、うっとりと見つめていた。


「……美しい。実に、美しい。この、複雑に絡み合った魔力供給路マナ・パイプライン。人間の、愚かで、しかし、健気な叡智の結晶だ。血管のように都市の隅々まで魔力を送り、この光の都を維持している。これを、一瞬にして、絶望の奔流に変える。これ以上の芸術が、他にあるだろうか?」

 彼の周りでは、黒いローブを纏った十数名の魔術師たちが、黙々と、最後の準備を進めている。


彼らは、特殊な呪詛が刻み込まれた黒曜石の触媒を、設計図の、最も脆弱な結節点へと、寸分の狂いもなく配置していた。


その作業は、まるで神聖な儀式のように、静かに、そして厳粛に行われていた。


 やがて、アジトの入り口から、一人の男が、震える足取りで広間へと入ってきた。


上質な官僚服を着てはいるが、その顔は脂汗で濡れ、その目には抑えきれない恐怖と、そして、禁断の力に手を染めたことへの、歪んだ興奮が浮かんでいた。


 帝国の魔力管理庁に所属する、高位の役人。


彼は、ヘカテリオンの甘言と、ギルドがちらつかせた禁断の魔術知識に魅せられ、その魂を、故国ごと悪魔に売り渡したのだ。


 男は、ヘカテリオンの前に進み出ると、床に額をこすりつけるようにして、ひざまずいた。


「へ、ヘカテリオン様……! ご、ご命令通り、帝都の全魔力供給路を統括する、中央制御室の、最終安全装置セーフティ・ロックの解除コードを、入手いたしました……。こ、これさえあれば、いつでも……」

 役人の声は、恐怖と歓喜で上ずっていた。


「ああ、ご苦労だったね。君の働き、実に素晴らしかったよ」

 ヘカテリオンは、設計図から目を離さぬまま、その声だけは、甘く、慈愛に満ちた響きで、役人を労った。


「君の、その『勇気』ある行動がなければ、この、世界を浄化するための、偉大なる儀式は、決して完成しなかった。君こそが、新世界の礎となる、最初の英雄だ」

「は……ははっ! も、もったいなきお言葉! この身、この魂、全ては大導師様と、ヘカテリオン様のために!」

 役人の顔に、安堵と、自らが歴史を動かす一員となったのだという、歪んだ達成感の色が浮かんだ、まさにその瞬間。


 ザクリ、と。


 濡れた土を、鈍い刃で抉るような、嫌な音がした。


 役人は、信じられない、といった表情で、自らの胸を見下ろした。


 そこには、ヘカテリオンの影から伸びた、黒い刃が、音もなく、その心臓を、正確に貫いていた。


「……え……? な……ぜ……?」

 役人の口から、血の泡と共に、最後の言葉が漏れる。


 ヘカテリオンは、ようやく、ゆっくりと彼の方を振り返った。その顔には、先ほどまでの優しい笑みが、そのまま貼り付いている。


だが、その瞳だけが、蛇のように、冷たく、一切の感情を映していなかった。


「君の役目は、もう終わりだよ。裏切り者の魂は、穢れていて、美しくないからね」

 彼は、まるで床の埃でも払うかのように、その手をひらりと振った。


 影の刃が、すっと役人の身体から抜かれ、その亡骸は、声もなく、床に崩れ落ちた。


 ヘカテリオンは、その亡骸を一瞥もせず、ただ、設計図の上に、最後の、一際禍々しい気を放つ、黒曜石の駒を置いた。


それは、帝都の全ての魔力供給路が集まる、中央制御室を示す場所だった。


「さあ、始めようか。光の都の、断末魔のシンフォニーを」

 彼の、楽しげな呟きが、静かな地下聖堂に響き渡った。


 その言葉を合図とするかのように、帝都の地下深くに張り巡らされた魔力供給路の、数百箇所に仕掛けられた呪詛の触媒が、一斉に、おぞましい紫黒の光を放ち始めた。


 文明の光は、今、まさに、地獄の業火へと、その姿を変えようとしていた。




本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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