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第九十四話:東方の死風

7月16日 注目度ランキング1位ありがとうございます。

第三章開始です。

 

 聖都サンクトゥム・ルミナでの死闘から、数ヶ月の時が流れた。


 偽りの神が堕ちた地には、今、新たな秩序の息吹と、そして、まるで嵐の後のような、危うさをはらんだ静けさが訪れていた。


 ロムグール王国の王都カドアテメは、かつての停滞が嘘のように、復興の槌音と人々の活気で満ち溢れている。


 国王アレクシオス・フォン・ロムグールの指揮の下、対魔王連合の本部が置かれたこの街は、今や大陸の政治と経済の中心地としての様相を呈し始めていた。


「―――以上が、先月比の国庫歳入増加率と、ミレイユ平原における『太陽の実』の作付面積の推移だ。まあ、悪くない数字だが、まだ改善の余地はある。特に、旧貴族領からの税収システムには、未だに非効率な部分が多すぎる」


 国王執務室。若き天才補佐官、フィンは、目の下の隈を指でなぞりながらも、その口調には確かな自信が漲っていた。


 彼の立案した大胆な財政改革と、ロザリアがもたらした農業革命は、この国の景色を、そして民の顔つきを、確実に変えつつあった。


「素晴らしいわ、フィン殿。そのデータに基づけば、来季には、さらに多くの村へ食糧支援を拡大できそうです。ロザリアさんも、きっと喜びますわ」


 リリアナが、その報告に柔和な笑みで応じる。彼女もまた、連合の外交窓口として、休む間もなく各国との調整に奔走していた。


 その顔には疲労の色も浮かんでいたが、それ以上に、国が再生していく様を目の当たりにできる喜びに満ちている。


 アレクシオスは、その頼もしい仲間たちの姿に、王として、そして一人の元社畜として、深い安堵と、かすかな誇りを覚えていた。


 だが、彼の胃は、その束の間の平穏の中にあっても、鈍い痛みを訴えることをやめない。


「リリアナ、例の件、何か進展はあったか?」

 アレクシオスの問いに、リリアナは広げていた外交文書から顔を上げ、書庫から取り寄せた分厚い古文書へと視線を移した。


「はい、陛下。モルガドールの遺言にあった『四天王』の件、王家の書庫に眠る『アルカディア厄災記』をはじめとする古の記録を、改めて洗い直しております。ですが……」

 彼女は、憂いを帯びた表情で首を振る。 


「記述は、あまりにも断片的です。『”千呪”のヘカテリオン』、『”不動”のグラズニール』、そして『”疾風”のフェンリラ』。それらしき異名を持つ魔将が、かつて魔王に仕えていたという記述は確かに存在します。ですが、その姿や能力については、『千の呪いで国を滅ぼした』『山のように動かぬ巨人だった』『狼の如く疾く、風の刃で人を斬った』など、どれも伝説や伝承の域を出ないものばかり。彼らの正体に迫る、決定的な情報は……」


「こっちも似たようなもんだ」

 フィンが、リリアナの言葉を引き継ぐ。


「聖都やヴァンドールで捕らえたギルドの連中から情報を絞り出してるが、ほとんどが口を割らねえ。ただ、何人かが、拷問の最中に恐怖と共に漏らした言葉がある。『狼』…そして『風の刃』。だが、それが何を意味するのか。ただの暗号か、あるいは恐怖からくるうわ言か。まだ、点と点のままだ。線にはなっちゃいねえ」


 アレクシオスは、二人の報告に静かに頷いた。


(分かっている。敵は、そう簡単には尻尾を掴ませない。だが、今は、こうして地道に情報を集め、来るべき時に備えるしかない。この束の間の平穏が、いつまでも続くはずがないのだから)


 彼の脳裏には、聖都で対峙したヘカテリオンの、あの全てを見下すかのような冷たい笑みが、こびりついて離れなかった。


 その、危うい平穏を打ち破るように、練兵場からは、今日もまた、けたたましい絶叫が聞こえてきていた。


「だあああああっ! なんでだ! なんで、あのカカシの首に、当たらねえんだよ、このクソ剣がぁっ!」


 練兵場の中心で、田中樹は、汗と土埃にまみれながら、一体の訓練用の木偶人形を相手に、一人、悪戦苦闘していた。


 聖都での一件、そしてレオの死を経て、彼の心に、何かが変わったのは確かだった。


 以前のように訓練から逃げ出すことはなくなり、バルカスが課した地獄の基礎訓練を、文句を言いながらも、毎日、律儀にこなすようにはなっていた。


 だが、悲しいかな、その成果は、彼の剣技には、まだ何もも反映されていない。


 その剣筋は、素人がやみくもに棒を振り回しているのと、何ら変わりはなかった。


「腰が引けておる! 剣の軌道が、全く安定しておらん! 貴様は、この半年、一体何を学んだのだ、この大馬鹿者が!」

 傍らで、仁王立ちになって指導するバルカスの怒声が飛ぶ。


 もはや、この光景は、王城の日常となっていた。


 樹は、その罵声に、いつものように「うっせーな、ジジイ!」と悪態をつき返す。


 だが、その瞳の奥には、以前には決して見られなかった、焦りと、そして、どうしようもない無力感への苛立ちが、暗い炎のように燃えていた。


(分かってるよ、そんなこと! 俺だって、やりてえよ! レオみたいに……ううん、ライアスや、バルカスみたいに、ちゃんと、戦えるように……なりてえよ……!)

 だが、彼の身体は、その魂の叫びに、全く応えてはくれなかった。


 そんな、光と影が入り混じる、ロムグール王国の、ある日の午後。


 その平穏は、一本の、血のように赤い封蝋で封じられた魔法伝書によって、唐突に、そして、無慈悲に引き裂かれた。


 東方諸侯連合の主要都市、シルベリアからだった。

 もたらされた凶報は、対魔王連合の、そしてロムグール王国の中枢を震撼させた。


「―――ジェラール卿が、暗殺……されました」


 国王執務室。アレクシオスの前に立ったリリアナの声は、硬く、そして、か細く震えていた。


 ジェラール卿。


 対魔王連合の設立に、誰よりも尽力した、東方諸侯の重鎮の一人。


 穏健派として知られ、あまり表には出てこなかったが、常に各国の間を取り持ち、連合の結束のために奔走していた、アレクシオスにとっても数少ない、心から信頼できる人物だった。


「武器と防具の供給が滞るかもしれんな」

 フィンが、くそっ、と、机に拳を打ち付ける。


「……場所は?」


「それが……厳重な警備網が敷かれた、シルベリアの大使館。その、内側から鍵のかかった自室で……発見された、と」

 リリアナは、報告書を読み上げる声が、上ずるのを必死にこらえていた。


「……死因は、失血死。ですが、その傷が、あまりにも、不可解なのです。まるで、目に見えない、無数の鋭い刃で、内側からズタズタに切り刻まれたかのように……。部屋には、争った形跡も、侵入者の痕跡も残されていなかった、と。ただ……」


「ただ?」


「……現場に最初に駆けつけた衛兵の証言によれば、部屋の窓が、ほんのわずかに開いており、そこから、一陣の、鋭く、そして、冷たい『風』が、吹き込んできた、と……。それだけが、唯一の、不可解な点だった、とのことです」


 風。


 その、あまりにも頼りない手がかり。執務室を、重い沈黙が支配した。


 アレクシオスは、即断した。


「ファム、ナシル。―――聞こえているな」


 彼の、静かな呼びかけに、部屋の隅の、影が、ゆらりと揺らめいた。音もなく、闇滅隊の二人が、その姿を現す。


「……お呼びかい、ボス」


「ああ。お前たちにしか、頼めない仕事だ。直ちに、シルベリアへ飛べ。そして、この事件の、どんな些細な情報でもいい、一つ残らず、俺の元へ持ってこい。特に、『風』以外の痕跡をな」


「……了解。往復で数日、急げば三日もあれば、十分だ」

 ファムは、短く応えると、再び、影の中へと、その姿を溶け込ませた。


 ◇


 数日後、作戦司令室。


 闇滅隊は、その言葉通り、驚くべき速さで帰還した。


 彼らが持ち帰ったのは、ジェラール卿が、その死の間際に、最後の力を振り絞って、自らの手の内に固く握りしめていたという、一つの、小さな物証だった。


「……ジェラール卿が、最期に、その手に握りしめていたものだ」

 ファムが、革袋から慎重に取り出したのは、一本の、銀色に輝く、獣の体毛だった。


 その瞬間、司令室にいた全員の脳裏に、これまで集めてきた、断片的な情報が、稲妻のように結びついた。


「……待てよ」

 フィンが、目を見開いて叫んだ。


「ギルドの連中から引き出したキーワード…『狼』。そして、リリアナが調べてた古文書の記述…『狼の如く疾く、風の刃で人を斬った』という、『疾風』の魔将の伝説。まさか……」


「ええ……」

 リリアナもまた、戦慄に声を震わせた。


「風の暗殺術、そして、狼。二つの特徴が、完全に、一致します……」


 アレクシオスの脳裏で、スキル【絶対分析】が、三つの情報を、一つの、否定しようのない結論へと収束させていく。


 古文書の『伝説』。


 捕虜の『うわ言』。


 そして、今、目の前にある、動かぬ『物証』。


 点が、線となり、おぞましい一つの肖像を、描き出した。


 アレクシオスは、ゆっくりと顔を上げた。


 その瞳には、もはや推測の色はない。


 冷徹な、王としての確信だけがあった。


「……間違いない。これは、フェンリラの仕業だ」

 その、静かな断定。


 それは、また1人、伝説の存在が、ついに現実の脅威として、その牙を剥いたことを、その場にいた全員に、絶望的な確信と共に、理解させた。


 見えざる敵への恐怖が、さざ波のように、司令室に広がっていく。


 次なる風は、いつ、どこで、誰の命を、刈り取りに来るのか。


 アレクシオスは、壁の大陸地図を睨み据え、静かに、しかし、鋼のような決意を固めていた。


 この、あまりにも狡猾で、残忍な敵に、どう立ち向かうべきか、と。




本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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