幕間:帝国国境守備兵の雑談
ガルニア帝国と、ロムグール王国。
その二国を隔てる、広大な緩衝地帯。
そこに築かれた、帝国の、堅牢な国境要塞で、俺、クラウスは、十年以上も、変わらぬ景色を、眺め続けてきた。
凍てつくような夜風が、城壁の上を吹き抜ける。
俺は、焚火に手をかざしながら、隣で、自慢の槍を手入れしている新兵の生意気な横顔に、悪態をついた。
「……ちっ。今夜も、冷えるな」
「違いないですぜ、軍曹殿。ですが、この退屈な寒さも、もうすぐ終わりかもしれませんな」
新兵のルドルフが、ニヤリと、意地悪く笑う。
「なんでも、帝都では、そろそろ、あの貧乏な隣国を、完全に併合する計画が進んでいるとか。俺たちも、ようやく、あの、カブしか食ってねえような、田舎者どもを蹂躙できるってわけだ」
数年前までなら、俺も、その言葉に、頷いていただろう。
俺たち、帝国兵にとって、ロムグール王国など、いつでも、皇帝陛下の一声で、地図から消せる、取るに足らない、弱小国に過ぎなかった。
先代の王は、贅沢三昧の愚か者。
その騎士団は、腐敗した、貴族の遊び場。
それが、俺たちの、共通認識だった。
だが、今は、違う。
「……馬鹿を言え、小僧」
俺のその低い声に、ルドルフは、きょとんとした顔でこちらを見た。
「この二年で、全てが変わった。お前のような、最近配属されたばかりの若造には、分からんだろうがな」
焚火を囲んでいた、他の古参兵たちも、重々しく、頷いた。
「そうだ。あの国の、新しい王……アレクシオスとか言ったか。奴が即位して少し経ったころから、どうにも、様子がおかしい」
「ああ。うちの部隊の、斥候からの報告じゃ、ロムグール側の、国境警備兵の動きが、別人のように、規律正しくなったらしい。まるで、我々、帝国軍の動きを、研究しているかのようだ、と」
「それだけじゃねえ。あの、『聖勇者』だ」
その言葉に、ルドルフが、馬鹿にしたように、鼻を鳴らした。
「ああ、聞きましたよ。その、聖勇者とやらが、我らがヴァレンティン将軍閣下を、睨みつけただけで、将軍閣下が震え上がって、尻尾を巻いて逃げ帰った、などという、荒唐無稽な、おとぎ話をな。ロムグールの連中も、必死に、虚勢を張っているようですな」
「―――おとぎ話、だと?」
その時、俺たちの背後から、氷のように冷たい声が、響いた。
声の主は、先日の、聖都への巡礼団に、ヴァレンティン将軍の護衛として同行していた、部隊長殿だった。
彼は、聖都から帰還して以来、どこか、魂の抜け殻のようになっていた。
「……小僧。貴様は、見ていないから、そんなことが言えるのだ」
部隊長は、焚火の、揺らめく炎を見つめながら、遠い目で呟いた。
「あれは……勇者などではない。もっと、別の……我らの常識では、到底計ることのできない、何かだ。そして、それを平然と自らの『駒』として使いこなす、あの、ロムグールの若き王……」
彼は、そこで、言葉を切り、ぶるり、と、その屈強な身体を、一度だけ震わせた。
「……俺たちは、とんでもないものを、見誤っていたのかもしれん。奴らは、もはや我々が知っていた、あの、弱小なロムグール王国では、ない」
その、あまりにも真に迫った言葉に、ルドルフも、黙り込んだ。
俺は、焚火の向こう、闇に沈む、広大な平原を見つめた。その先には、ロムグール王国がある。
かつては、ただ、熟した果実のように、そこにあった、隣国。
だが、今は違う。
その闇の向こう側から、何か得体の知れない巨大な何かが、こちらを、静かに、そして、鋭く、見つめ返しているような、そんな底知れない不気味さがあった。
俺は、無意識に、槍を握る自らの手に力が入っていることに気づいた。
この、退屈な国境での、長い静寂がもうすぐ終わる。
だが、それは、俺たちが望んでいた形ではないのかもしれない。
そんな、嫌な予感が、この十年以上も変わらなかった国境の冷たい夜風と共に、俺の背筋を、駆け抜けていった。




