第九十一話:瓦礫の中の夜明け
閃光が晴れ、絶対的な静寂が、破壊された「至聖所」を支配した。
舞い上がる粉塵が、砕けたステンドグラスから差し込む朝の光に照らされ、キラキラと、不謹慎なほどに美しく漂っている。
「……はぁ……はぁ……」
ライアスは、折れた剣を杖代わりに、ゆっくりと、その身を起こした。
彼の全身は、無数の傷で覆われており、鎧は原型を留めていない。
彼は、その折れた剣の切っ先を、ただ無言で見つめ、そして、力なく、カラン、と音を立てて床に落とした。
「ライアス殿……」
サー・レオンが、心配そうに声をかけるが、ライアスは、力なく首を振るだけだった。
「……ちっ」
壁に寄りかかったファムが、肩の傷を押さえながら、震える手で愛用の短剣を握り直しているのに、ナシルは気づいた。
「ファム? 大丈夫か」
「……うるせえ。別に、なんでもねえよ」
彼女は、悪態をつきながらも、その視線は、一点を彷徨っていた。
スラムの路地裏で感じた、どんな死の匂いとも違う、絶対的な理不尽なまでの力の残滓。
それが、この部屋には、まだ満ちていた。
「……ヘルガ」
帝国の将軍ヴァレンティンは、その表情を凍りつかせたまま、腹心の部下に、冷たく短い命令を下した。
「任務内容を変更する。これより、我々の最優先事項は、生存と、今ここで起きた全ての事象に関する、正確な情報収集だ。皇帝陛下に直接報告する」
その時、外から、けたたましい警鐘の音と、人々の怒号が津波のように、この破壊された聖域へと押し寄せてきた。
「な、何事だ!? いったい、何が起こっておるのだ!」
純白の法衣に身を包んだ、複数人の、高位の聖職者たちが、数名の聖堂騎士に守られながら、この惨状を目の当たりにし、腰を抜かさんばかりに驚愕していた。
その中心には、教皇聖下の近習頭である、威厳のある老人が、恐怖と混乱に顔を歪ませながら、立っている。
「……おお、神よ! これは、いったい、何事ですかな!?」
近習頭は、一行の血と埃にまみれた姿と、その後ろに広がるおぞましい破壊の跡を、交互に見比べ震える声で言った。
「ロムグールの騎士殿! なぜ、貴方がたが、このような場所に……。そして、ディミトリ・ヴァレリウス枢機卿猊下は、どこにおられるのですかな!?」
その、あまりにも純粋な、そして、何も知らないが故の問い。
ライアスは、どう答えるべきか、言葉に詰まった。
その、ライアスの葛藤を察したかのように、リリアナが一歩前に進み出た。彼女は、近習頭に向かって、深く、そして、悲痛な面持ちで頭を下げた。
「……近習頭様。お伝えしなければならない、あまりにも、悲しい報せがございます」
彼女の声は、か細く、しかし、不思議な説得力を持っていた。
「我々は、ヴァレリウス枢機卿猊下のご招待を受け、この大聖堂を訪れました。ですが……そこで、我々は、見てしまったのです。枢機卿猊下が……あろうことか、禁じられた、古代の魔術儀式を行っておられるのを」
「な……なんですと!?」
聖職者たちの間に、衝撃が走る。
「我々は、騎士として、そして、女神を信じる者として、その冒涜的な行いを、必死に止めようといたしました。ですが、儀式の力は、あまりにも強大で……」
リリアナは、そこで言葉を切り、まるで耐えきれないかのように、その瞳に涙を浮かべた。
「……枢機卿猊下は、自らが呼び出した、闇の力に、飲み込まれ……。この惨状は、その力の暴走を我々が、かろうじて食い止めた結果なのでございます。……我々の力が及ばず、誠に申し訳ございません……」
それは嘘ではない。
だが、真実の全てでもない。
近習頭と、聖職者たちは、その、あまりにも衝撃的な告白に言葉を失い、ただ呆然と立ち尽くしていた。
「……我々は、この、恐るべき事態を、一刻も早く、我らが王の元へと報告せねばなりませぬ。後のことは……教皇聖下と、皆様に、お委ねいたします」
リリアナは、そう言って、再び深く頭を下げた。
一行は、呆然とする聖職者たちの脇を、静かに、すり抜けていく。
だが、その先に、帝国の将軍ヴァレンティンが、立ちはだかった。
「―――待たれよ」
彼の顔には、もはや焦りはない。
この裏の主を失った聖都の絶対的な混乱。
それは、彼にとって、帝国が介入するためのまたとない好機だった。
「この場の、全ての証拠……反逆者ヴァレリウスの亡骸も、そして、その『勇者』も、帝国の管理下に置かせてもらう。これは、もはや、ロムグール一国の問題ではない。大陸全体の、安全保障に関わる問題だ」
その、あまりにも身勝手な言葉に、ライアスは、もはや何の感情も浮かべなかった。ただ静かにその切っ先をヴァレンティンへと向けた。
「……面白い冗談だ、将軍殿」
その声は、氷のように、冷たかった。
「貴殿は、まだ、理解しておらんらしい。我々が、今、何と対峙しているのかを。……貴殿が、帝国の威光などという、ちっぽけな物差しで、この状況を測っているというのであれば、もはや、貴殿と語る言葉は、ない」
「何……?」
「道を開けろ。我々は、帰る。それを邪魔するというのであれば……」
ライアスの瞳が、燃えるような、静かな怒りの色を宿した。
「……先ほどの化け物と戦う前に、まず、貴殿から、ここで、斬り捨てるまでだ」
その、あまりにも純粋な、そして、死をも恐れぬ殺気に、ヴァレンティンは、思わず一歩後ずさっていた。
彼は悟った。
目の前の騎士は、もはや以前の彼ではない。本物の絶望を垣間見た者は、もう人間の作ったちっぽけな権力など恐れはしないのだと。
「…………好きにするがいい」
ヴァレンティンは、それだけを吐き捨てるように言うと道を開けた。
一行は気を失った樹と傷ついたリリアナを支えながら、崩壊した大聖堂を後にする。
彼らの背中に、ヴァレンティンの屈辱と、そして新たなより深い策謀の色を宿した視線が、突き刺さっていた。
聖都の、最後の戦いは、終わった。
だが、それは決して勝利ではなかった。
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