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第九十話:千呪の戯れ

 

「……なるほど。あれが、『勇者』か。実に、面白い。実に、興味深いサンプルだ。ぜひ、僕の実験室で、じっくりと、解剖してみたいものだね」


 銀髪の美青年――四天王”千呪”のヘカテリオンは、その、あまりにもおぞましい言葉を、まるで、珍しい蝶の標本について語るかのように、楽しげに、そして、優雅に口にした。


 その場の空気は、完全に、彼の存在に支配されていた。


 サー・レオンも、ヴァレンティンですら、その全身が、本能的な恐怖に、縫い付けられたように、動けない。


 それは、力の差が、あまりにも、絶対的すぎるからだった。


 蛇に睨まれた蛙。まさに、その言葉が、ふさわしい。


 だが、その死のような静寂を、最初に破ったのは、ロムグールの騎士だった。


 ライアスは震える膝を、その鋼のような意志の力で、無理やりねじ伏せた。


 彼は、折れた剣を拾い上げると、気を失った樹と、彼を庇うリリアナの前に、その傷ついた身体を、盾とするように立ちはだかった。


「……何者かは、知らん。だが、勇者殿にも、リリアナ殿にも、指一本、触れさせるものか」


 その騎士としての誇りに満ちた言葉に、ヘカテリオンは、初めてその冷たい瞳を、ライアスへと向けた。


 そして、くっくっくっ、と心底楽しそうに笑った。


「素晴らしい。実に、素晴らしい。その、絶望的な状況で、なお、己の役割を演じようとする、その、人間のなんと健気で、愚かなことか。だが、勘違いしてはいけないよ。君が今、立ち向かおうとしている相手が、誰なのか、理解しているのかい?」


 ヘカテリオンが、ふっと、指を鳴らす。


 それだけで、ライアスの全身に、山のような、見えざる圧力がのしかかった。


 鎧が、ミシミシと、悲鳴を上げる。膝が、砕けそうだ。


「では、教えてあげよう。我が名は、ヘカテリオン。偉大なる『あのお方』にお仕えする、四天王が一人。“千呪”のヘカテリオン。……さて、小さな騎士よ。それでもまだ、その錆びついた剣を、僕に向けるかね?」


 その、優雅な自己紹介は、絶対的な強者だけが持つ、残酷な響きを伴っていた。


 ヘカテリオンは、もはやライアスには興味を失ったかのように、その圧力を解くと、砕け散った祭壇の残骸へとゆっくりと歩み寄った。


 彼が、その瓦礫に、そっと手をかざすと、暴走したエネルギーの残滓が黒い霧となって彼の手の中に収束し、一つの禍々しい水晶へと形を変えていった。


「まあ、ヴァレリウスは、愚かだったが、役に立たないわけではなかった。この、上質な『負のエネルギー』は、我が主の、完全なるご覚醒のための、良い『糧』となるだろう。彼の壮大な勘違いと、君たちの必死の抵抗が、結果として、これほど面白いデータを生み出すとはね。特に、あの勇者の魂……混沌とした清浄さ。実に興味深い構造だ」


 彼は、その水晶を、愛おしげに眺めると、今度は、帝国の将軍ヴァレンティンへと、その視線を移した。


「そして、帝国の将軍殿。君は、この盤上で、自分が『プレイヤー』だと、そう、思っていたようだね? 残念だったね。君も、ただの、分かりやすい動きしかできない、退屈な『駒』の一つに過ぎないのだよ。この聖都の腐敗を利用し、教会の弱みを握り、帝国の影響力を拡大する…実に、人間らしい、浅はかで、予測しやすい筋書きだ」


「……なっ……」

 ヴァレンティンは完全な侮蔑を受けた。


 だが、彼は、反論の言葉を、一つも見つけ出すことができなかった。


 ヘカテリオンは、満足げにその光景を見渡すと、一行に向き直り、芝居がかった優雅なお辞儀をしてみせた。


「さて。僕の『お掃除』と、『データの回収』は、これで終わりだ。本当なら、ここで、君たちという、面白いサンプルを、全て、僕の研究室に持ち帰りたいところなのだけれど……」


 ヘカテリオンは、そこで、言葉を区切ると、心からの、純粋な、残酷な笑みを浮かべた。


「……それでは、あまりにも、つまらない。せっかく、面白い『変数ゆうしゃ』が、この盤上に現れたのだ。この物語が、この先、どのような、絶望の結末を迎えるのか。それを、特等席で、じっくりと、観察させてもらうとしよう」


 彼は、ファムたち闇滅隊を一瞥し、「影のネズミくんたちも、せいぜい、無駄死にしないように、頑張りたまえ」と、言い残した。


 そして、次の瞬間。


 彼は、まるで最初からそこに誰もいなかったかのように、すっと影の中へと溶けるように消え失せた。


 彼が去った後、儀式場には絶対的な静寂と、そしてこれまでとは比較にならない、深い絶望感だけが残された。


 自分たちは、勝ったはずだった。


 だがそれは、ただ巨大な敵の、その掌の上で踊らされていたに過ぎなかったのだ。


 そして、その敵は、自分たちのことなど、いつでも、指一本で消し去ることができるのだと。


 その、あまりにも残酷な事実を、彼らは、その身をもって思い知らされたのだった。

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