第八十七話:光と闇の相克
「器が意志を持つというのなら、その器ごと、喰らい尽くしてくれるわ! この、聖都の全ての力と共に!」
枢機卿ヴァレリウスの、狂気に満ちた絶叫が、崩壊を始めた大聖堂に響き渡る。
「う゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ!!」
彼の身体は、もはや人間のそれではない。祭壇の黒曜石と完全に融合し、床の魔法陣から、聖都に満ちる、暴走した光と闇のエネルギーを、無差別に、その身へと取り込み、巨大化していく。
その姿は、神々しくも、おぞましい、冒涜的なまでの異形の怪物。かつて聖職者であった男の面影は、どこにも残っていなかった。
「……なんだよ、あれ……」
黄金の聖域の中で、田中樹は、その、あまりにも現実離れした光景に、呆然と呟いた。
覚醒したばかりの力は、彼の体力を、そして精神力を、ごっそりと奪い去っていた。
今はもう、仲間を守るための『聖域』を維持するだけで、精一杯だった。
だが、その、彼が意識せずとも放ち続ける黄金の光の波紋は、儀式場の隅々へと、広がっていった。
光は、まず、ライアスとサー・レオンが死闘を繰り広げる、聖堂騎士たちへと届いた。
それまで、操り人形のように、ただ無感情に剣を振るっていた騎士たちの動きが、ピタリ、と止まる。
彼らの身体を覆っていた、禍々しい紫黒のオーラが、その聖なる光に触れた瞬間、まるで朝霧のように、掻き消えていったのだ。
「……なっ……? わ、私は、一体……何を……」
騎士団長が、自らの、血に濡れた剣を見下ろし、呆然と呟く。
その瞳に、初めて、正気の光が戻っていた。他の騎士たちもまた、次々とその場に膝をつき愕然としていた。
「……勇者殿の、お力か……」
ライアスは、剣を構えたまま、その奇跡的な光景に、息を呑んだ。
光の波は、さらに広がり、闇滅隊が戦う、異形の魔物の群れをも飲み込んでいく。
物理的な攻撃では、倒してもきりがなかった魔物たちが、その聖なる光を浴びた瞬間、まるで塩をかけられたナメクジのように、断末魔の悲鳴と共に、黒い塵と化して、次々と消滅していく。
「……へっ、ようやく、でけえ的ができて、やりやすいぜ!」
ファムは、目の前の敵が一掃されたのを確認すると、悪態をつきながらも、その視線を、戦場の中心、怪物と化したヴァレリウスへと向けた。
仲間たちを縛っていた枷は、全て、取り払われた。
ライアスとサー・レオン。
闇滅隊の四人。
そして、物陰から機を窺っていたヴァレンティン。
それぞれの戦いを終えた者たちが、儀式場の中心へと、集結していく。
「小賢しい虫けらどもが! 束になってかかってこようと、神たるこの私には、届かぬわ!」
ヴァレリウスが、その巨大な腕を、薙ぎ払うように振るった。
凄まじい風圧が、仲間たちを、いとも容易く吹き飛ばす。
「ぐあっ!」
「くそっ、硬え……!」
その時、二条の閃光が、怪物の両の眼を、正確に撃ち抜いた。
ライアスと、サー・レオンの、渾身の突き。
「効いたか!?」
だが、怪物は、怯むことなく、その眼窩から、新たな、おぞましい触手を伸ばし、二人を捕らえようとする。
「―――茶番は、そこまでだ」
冷たい、全てを見下すかのような声が、響いた。
帝国の将軍ヴァレンティンが、ついに、その本領を発揮する。
彼は、自らの剣に、おびただしい量の魔力を込め、それを、巨大な、黒き刃へと変貌させた。
「我が剣は、神をも斬り裂く。ただの紛い物が、いつまでも、良い気になるな」
ヴァレンティンの、黒き魔剣が、怪物の腕の一本を、深々と、斬り裂いた。
これまでとは比較にならない、確かな手応え。怪物が、初めて、苦痛の声を上げた。
その、全ての攻防が、黄金の聖域の中から、樹の目に、焼き付いていた。
(……ダメだ。みんな、傷ついて……。俺の力が、もっとあれば……)
彼は、必死に、力を振り絞ろうとする。だが、身体は、鉛のように重く、言うことを聞かない。
(くそっ……! 動けよ、俺の体! 俺が、やらなきゃ……!)
その時だった。
彼の背後から、優しく、そして、凛とした声が、聞こえた。
「……一人で、背負う必要は、ありませんのよ。イトゥキ様」
樹が振り返ると、そこには、仲間たちの治療によって、かろうじて意識を取り戻した、リリアナが、彼に、微笑みかけていた。
「貴方は、もう、一人では、ありません」
彼女は、その、ほとんど残っていない魔力を、樹の背中へと、そっと、注ぎ込んだ。
それは、戦闘の役には、ほとんど立たない、微弱な力。
だが、その、温かい光が、樹の、折れかけていた心を、再び、奮い立たせた。
(……そうだ。俺は、一人じゃ、ない)
樹は、ゆっくりと、立ち上がった。
そして、自らの『聖域』を、解除した。
「……イトゥキ様!?」
「……もう、守られるだけじゃ、ダメなんだ」
樹は、怪物と化したヴァレリウスを、まっすぐに見据えた。
その瞳には、もはや、恐怖の色はない。
あるのは、仲間と共に、この絶望的な状況を、打ち破るという、確かな、そして、力強い、決意だけだった。
「ライアスさん! レオンさん! ファム! みんな!」
彼は、その、戦場で、初めて、仲間たちの名を、呼んだ。
「―――俺に、力を貸してくれ!」
その声は、まだ、少し、震えていたかもしれない。
だが、その場にいた、全ての仲間たちの心に、確かに、届いていた。
聖都の、最後の戦いが、今、新たな局面を、迎えようとしていた。




