第八十六話:勇者の叫び「俺が守る!」
儀式場の中心で、光と闇が、世界そのものを引き裂かんばかりに、激しく衝突していた。
黒曜石の祭壇から、反転した負のエネルギーが、影の鎖を通じて、田中樹の魂へと、無理やり注ぎ込まれる。
彼の身体から、その意思とは無関係に溢れ出した黄金の聖なる光が、それに激しく反発する。
その、二つの巨大な力の奔流の奔流の中心で、樹の意識は、恐怖と、肉体を内側から焼かれるような激痛によって、途切れかけていた。
(痛い、痛い、痛い! なんだよこれ! 死ぬ、マジで死ぬ!)
だが、その、薄れゆく意識の片隅で、彼は、見た。
壁際に吹き飛ばされ、血を流しながらも、自分を案じて、必死に身を起こそうとしている、リリアナの姿を。
堕ちた同胞たちの剣を受けながら、それでも、一歩でも前へと進もうと、歯を食いしばるライアスと、サー・レオンの姿を。
無限に湧き出す魔物を相手に、傷だらけになりながらも、決して背中を見せない、ファムたちの姿を。
そして、脳裏をよぎるのは、雪原に横たわっていた、レオの、あまりにも安らかな死に顔。
(またか)
(また、俺のせいで)
(俺が、弱くて、何もできなくて、ただ怯えてるだけの、役立たずだから)
(また、誰かが、俺のために、傷ついて……)
「―――ふざけんじゃ、ねえぞ……ッ!!」
祭壇の黒曜石に、その魂ごと吸い上げられようとしていた樹の身体から、初めて、彼の明確な『意志』を持った力が、迸った。
(―――もう、やだ)
(もう、誰も、死なせるか!)
「やめろぉぉぉぉぉおおおおおおおっっ!!」
樹の叫びは、もはや恐怖の悲鳴ではない。
仲間を、守りたいと願う、魂からの、ただ一つの、純粋な祈りだった。
「俺が……! 俺が、守るッ!!」
その言葉が、引き金だった。
彼の魂の奥深くに眠っていた、女神ですら存在を予期しなかった、伝説級の力が、その真の形で覚醒した。
スキル【誰かの為の力】、完全覚醒。
樹の身体から溢れ出していた、制御不能な黄金の光の奔流が、その性質を一変させる。
破壊と混沌のエネルギーが、彼の「守る」という、ただ一つの意志の元に、収束していく。
光は、もはや奔流ではない。それは、絶対的な守護の意志を宿した、神々しい『聖域』となって、樹の周囲に、黄金の光のドームを形成したのだ。
スキル【守護の聖域】、顕現。
ヴァレリウスが放っていた闇の奔流は、その黄金の光の壁に触れた瞬間、悲鳴を上げる間もなく、霧散した。
祭壇から伸びていた影の鎖もまた、聖なる光に焼かれ、次々と砕け散っていく。
「なっ……馬鹿な!? なぜだ!?」
ヴァレリウスが、信じられないといった表情で、絶叫する。
「力が……暴走するのではなく、収束しているだと!? あの小僧が、この儀式の力を、制御しているというのか!? ありえん! 穢れを知らぬだけの、空っぽの器だったはずだ! 器が、意志を持つなど、ありえん!!」
黄金の光のドームは、さらにその範囲を広げ、意識を失いかけて倒れているリリアナを、優しく、その内側へと包み込んだ。
その光に触れたリリアナの身体から、おぞましい闇の呪詛が、浄化されていくのが見えた。
「……ああ……イトゥキ、様……」
リリアナは、薄れゆく意識の中で、その、あまりにも温かく、そして、あまりにも力強い光に、涙を流した。
その、戦場の中心で起きた、あまりにも常軌を逸した現象に、分断されていた仲間たちも、気づき始めていた。
「……なんだ、あの光は……」
堕ちた騎士団長を打ち破ったライアスが、呆然と、その黄金のドームを見つめる。
「……へっ。あの馬鹿、ようやく、やりやがったか」
召喚陣を破壊し終えたファムが、悪態をつきながらも、その口元に、ほんのわずかな笑みを浮かべていた。
「……これが、勇者……。我らの常識を超えた、理そのもの……」
帝国の将軍ヴァレンティンは、その光景を、畏怖と、そして、これまで以上に強い、独占欲に満ちた瞳で、凝視していた。
だが、ヴァレリウスは、まだ諦めてはいなかった。
自らの計画が、根底から覆されようとしている。その事実は、彼の狂気を、さらに、次の段階へと引き上げた。
「……良いだろう。ならば、もはや、小細工は不要!」
彼は、自らの胸に突き立てていた『黒い石』の原石を、さらに深く、己の心臓へとねじ込んだ。
「器が意志を持つというのなら、その器ごと、喰らい尽くしてくれるわ! この、聖都の全ての力と共に!」
ヴァレリウスの身体が、おぞましい悲鳴を上げながら、変貌を始める。
彼の肉体は、祭壇の黒曜石と融合し、この聖都に満ちる、暴走した、光と闇のエネルギーを、無差別に、その身へと取り込み始めたのだ。
黄金の聖域の中で、樹は、膝をつき、荒い息を繰り返していた。
(……なんだよ、これ……。俺の、力……? でも、すげー、疲れた……)
彼は、自らの、光り輝く手を見つめ、まだ、何が起きたのか、完全に理解できずにいた。
だが、目の前で、かつて慈愛の聖職者であった男が、神をも恐れぬ、おぞましい異形の怪物へと、その姿を変えていくのを、彼は、ただ、見ていることしかできなかった。




