第八十三話:分断される仲間たち・前編
「至聖所」に、枢機卿ヴァレリウスの狂信的な宣言が響き渡る。
それと同時に、床に描かれた魔法陣が、それぞれ異なる輝きを放ち、アレクシオスの最も信頼する仲間たちを、無慈悲に分断した。
「おのれ、枢機卿!」
ライアスとサー・レオンの前には、聖堂騎士団の精鋭たちが、その瞳から一切の光を失い、まるで操り人形のように剣を構えて立ちはだかった。
その中心にいるのは、詰所で一行を案内した、あの厳格な騎士団長。
だが、その顔には、もはや騎士としての誇りはなく、ただ、主への盲目的な信仰だけが浮かんでいた。
「大導師ヴァレリウス様に、栄光あれ。異を唱える者は、全て、神の敵と見なす」
「正気を失ったか! 貴様ら、女神への誓いを忘れたか!」
ライアスが、怒りに声を震わせる。
サー・レオンもまた、信じられないといった表情で、目の前の光景を見つめていた。
昨日まで、聖都を守っていたはずの騎士たちが、今は、刃を向けてくる。
「目を覚ましてください! あなた方は、騙されている!」
だが、言葉は届かない。
騎士団長は、静かに剣を構え、突撃の号令を下した。
ライアスの剣が、騎士団長の重い一撃を、火花を散らして受け止める。
サー・レオンもまた、二人の騎士を同時に相手取り、その銀の剣を、流麗に、しかし、悲壮な決意を込めて振るった。
騎士と騎士の、誇りと信念を賭けた、あまりにも哀しい死闘が、儀式場の一角で、静かに、そして激しく始まった。
彼らは、リリアナと樹の元へ駆けつけたくとも、あまりにも手強い同胞たちに、その足を完全に止められていた。
一方、闇滅隊の四人が分断された区画では、影そのものが、蠢いていた。
床や壁の闇から、ギルドが生み出したのであろう、おぞましい異形の魔物たちが、次から次へと、音もなく姿を現す。
蜘蛛のような多関節の脚を持つ獣、霧のように実体のない影、そのどれもが、明確な殺意を持って、四人に襲いかかってきた。
「へっ、ようやく、派手なパーティーの始まりかよ!」
ファムが、二本の短剣を抜き放ち、不敵に笑う。
彼女は、影の獣の、予測不能な動きを、まるで踊るかのように、紙一重でかわしていく。
「ナシル、位置を教えろ!」
「三体、天井だ! ハヤテ、お前の真上!」
ナシルの『真実の鏡』が、闇に潜む敵の気配を正確に映し出す。
「―――遅い!」
ハヤテの霊刃が、閃光のように走り、天井に張り付いていた三体の魔物を、一刀のもとに切り裂いた。
だが、その背後から、別の魔物が、音もなく、彼の首を狙う。
その、死角からの奇襲を、シズマのクナイが、寸分の狂いもなく弾き返した。
「……油断するな」
「分かってる!」
闇滅隊の四人は、それぞれが、己の役割を完璧に果たしていた。
ナシルが敵を見つけ、ファムが撹乱し、ハヤテとシズマが、確実に息の根を止める。
だが、魔物たちは床の魔法陣から、無限に湧き出してくる。
彼らもまた、この場に、釘付けにされていた。
そして、帝国の将軍ヴァレンティン。
彼の前には、古代の魔術で動く、数体の巨大な石像兵が立ちはだかっていた。
彼は、眉一つ動かさず、その圧倒的な力と技量でガーディアンの攻撃をいなすように受け流している。
だが、彼の本当の狙いは、目の前の敵ではなかった。
(……面白い。枢機卿の狙いは、あの勇者の魂か。そして、あの黒曜石の祭壇…。あれこそが、この儀式の、そして、この聖都の力の『核』に違いない)
彼の、冷徹な目が、儀式場の中心、ヴァレリウスと、祭壇に引きずられていく樹の姿を、冷静に分析していた。
(この混乱に乗じ、あの祭壇を、あるいは、その力の源泉となる『何か』を、我が帝国の手に収めることができれば……。ロムグールも、教会も、全てが、我が足元にひれ伏すことになる)
彼は、傍らで戦う、腹心の部下ヘルガに、誰にも聞こえぬ声で、短く命じた。
「ガーディアンは、お前が引き受けろ。私は、漁夫の利を頂きに行く」
ヴァレンティンは、自らの戦線を放棄し、祭壇へと静かに動き出そうとしていた。
その、全ての混乱の中心。
リリアナは、ただ一人、ヴァレリウスの、圧倒的な魔力の前に、立っていた。
「イトゥキ様!」
彼女は、必死に防御魔法を張るが、ヴァレリウスが放つ、凝縮された闇の魔術が、その障壁をいとも容易く打ち砕いていく。
彼女の魔力は、先の潜入と、度重なる戦闘で、すでに大きく消耗していた。
「無駄ですよ、リリアナ殿。貴女の、その教科書通りの綺麗な魔法では、この神の領域に触れた私には、届きません」
ヴァレリウスは、嘲笑う。
影の鎖は、ついに、田中樹の身体を、黒曜石の祭壇の、その麓まで引きずり寄せた。
「うわあああああ!? な、なんだよこれ! やめろ! 俺の服が汚れんだろ!」
樹は、恐怖に顔を引きつらせ、必死に抵抗するが、その力は、あまりにも無力だった。
彼は、自らの死を覚悟した。
ヴァレリウスは、その、怯える子羊のような勇者を見下ろし、満足げに、その両腕を、天へと掲げた。
その顔は、もはや、聖職者のものではない。
自らが神となることを信じて疑わない、狂信者の、歪んだ歓喜に満ちていた。
「さあ、始めましょうか! 新たなる世界を創るための、最後の聖餐を!」
祭壇が、おびただしい数の魂の悲鳴のような音を立てて、激しく脈動を始める。
樹の身体から、その意思とは無関係に、黄金の聖なるエネルギーが、無理やり、吸い上げられていく。
「あああああああああああああっっ!!」
樹の、苦痛に満ちた絶叫が、混沌の戦場に、響き渡った。
その声は、分断され、それぞれの死線で戦う、仲間たちの耳にも、確かに届いていた。




