2-10 何のために剣を振る3
タケルが八竜と戦っているころ、別の場所でもまた戦いが激化していた。
「門を守れ! 突破されれば崩されるぞ!」
「押し込め! ここを抜ければ一気に崩せるぞ!」
それぞれの司令官が檄を飛ばし、兵士たちがそれに答えて守勢と攻勢を強める。
モズドワルドたちが立てこもる屋敷は、戦いを想定したものではない。そもそも、王都にある屋敷というのは貴族としての権威を象徴したり政務を行うための場所であり、戦うためのものではない。そのため、塀は突貫工事で補強され、正面門も持ちこまれた木材を利用してガチガチに固められていた。
宰相側の兵士たちは、なんとか塀や門を突破しようと攻撃を繰り返し、レンディエラ領の兵士たちがそれを妨害するために矢を射かけ槍を突き出す。
正面からぶつかるほどの死者は出ていないが、それでもお互いの部隊には少なくないけが人が発生していた。
だがやはりただの屋敷でしかない。限界はすぐに訪れる。
「壊れたぞ!」
「木材を! 穴を塞げ!」
塀の一部が倒壊し、そこから兵士たちがなだれ込んで来ようとする。
領主兵たちは慌てて板を使って押し返そうとするが、なだれ込んでくる勢いを止めることはできなかった。
庭へと侵入した兵士たちが斬りかかる。それを受けて、領主軍の指揮官が指示を出す。
「屋敷まで撤退だ! 防衛線を引き直すぞ!」
「やらせるな! そのまま一気に押し込め!」
「チッ、仕方がないがあれを使うぞ! 準備は出来ているな!」
「いつでも行けます!」
「目標はない! 目の前の敵か塀の外へとばらまけ! 投擲開始!」
撤退しながら、兵士たちは指揮官の合図によって腰に下げていた布袋を投擲する。
じゃらりと金属の擦れる音と共に、重そうな放物線を描き布袋が王国兵目掛けて飛来した。
兵士たちはただの投擲武器だと判断し、各々の判断で避けたり剣で弾いたりする。そして瞬間、時間が止まったかのように王国兵たちの動きが止まった。
「な、なにをしている! 攻め込め!」
「し、しかし隊長!」
「金が……」
「ペス金貨が降ってきた……」
周りの兵士たちに呟きに、指揮官も憎々しげに投擲されたその袋を見る。
地面に落ちて破れた袋からは、金貨がはっきりとこぼれ出していた。もし今領主兵が投げた袋が全て金貨だったとすれば、それだけで優に一千万ペスは超える金額が庭や塀の外にばらまかれたことになる。
王国兵も人間だ。洗脳もされておらず、ただ軍人という立場で戦っているに過ぎない。そんな彼らの前に大量の金貨が投擲されればどうなるか。
「や、やった!」
一人の兵士が欲に負け袋を掴む。それを皮切りに、堰を斬ったかのように王国兵たちは我先にと散らばった金貨を取り始める。
本来の戦場ならばあり得ない光景だろう。
だがここは王都であり、相手は屋敷の中へと撤退していく領主兵。王国兵にはそれが危険な存在には思えなかったのだ。
「クソッ! 一気に押し込めば全てを奪えたものを!」
指揮官はそう言うが、その奪ったものは兵士個人に入る保証などどこにもない。国庫に入ってしまうか、はたまた宰相とその側近、そしてギリギリで指揮官までに分配されることなど目に見えている。
ならば今、自分たちで懐に収めてしまうのが一番いいと判断するのも当然だ。
指揮官はその光景を苦々しく思いながらも、上官命令を使い近くで金貨の袋を拾っていた男から、その重い袋をひったくるのだった。
王国兵たちが庭で宝探しをする間に、領主兵たちは館への撤退を終え防衛線の引き直しが完了する。
そんな光景を見ていたリュネは、どこかあきれたようにため息を吐いた。
「これは……王国兵たちも鍛え直さないとダメかしら?」
敵の目の前で金貨を探し、武器を手放して庭に四つん這いになっている兵たちの姿は、肩を落とすには十分だろう。
その横ではモズドワルドが首を横に振る。
「流石にこんな特殊な状況はなかなかありますまい。気にする必要もないでしょう」
「けど戦争で金をばら撒けば逃げられるなんて知ったら、敵国もやるんじゃないかしら?」
「規模が違いますよ。一部隊を足止めするのにあの魔石を売って金貨二千枚使いました。一軍を足止めするにはどれほど必要だと思いますか?」
「それもそうね……」
逃げるために国庫を圧迫される。その上、あらかじめ兵士たちに金貨の詰まった袋を渡しておかなければならないのだ。兵士と言えどどれだけ勝手に使われるか分かったものではない。。
現実的な問題として、戦争では使えない作戦だったことに少しだけホッとしながらも、状況が状況だけにリュネは気を引き締め直す。
「これで少しは時間が稼げたけど、いよいよ後がなくなってきたわね」
「一応館を燃やされないように色々と工夫はしてありますが、どこまで持ちますかな」
「それまでにタケルがやってくれることを期待しましょうか」
「そうですな」
のんびりと話してはいるが、もう彼らに逃げ道はない。すでに館は包囲され、金貨の回収を終えた兵士たちの攻撃が少しずつ再開している。
防衛線を引き直したおかげでまだもうしばらく持ちそうだが、あまり悠長に構えてもいられない状況だ。
「ちなみに、さっきみたいな裏技的な作戦は他にもあるの?」
「ほぼネタ切れですな。館内にいくつか罠を仕掛けていますが気休めでしょう」
「そう」
さすがにそれを聞くと不安も浮かぶ。
どこか落ち着かない様子でもじもじとしていると、その様子をモズドワルドが気づいた。
「お手洗いなら部屋を出てすぐ右にありますぞ? メイドに案内させましょうか?」
「ち、違うわよ!」
でも余裕があるうちに行っといたほうがいいわよね。そう言い訳をして、リュネはメイドと共にトイレに立つのだった。
◇
緊張のせいか切れが悪い。そんな感想を抱きつつリュネはトイレから出る。
「待たせたわね」
すると正面で待っていたメイドが金色を残して消えた。
「ぐっ……」
「えっ!?」
直後背後から聞こえてきたくぐもった声に驚き振り返ると、黒ずくめの男が倒れている。その横には先ほどのメイド。
先ほどまで金髪だった髪は深緑を思わせる緑色に変わっており、その手には血の付いたナイフが握られていた。
リュネの目に残っていた金色は、そのメイドのカツラだった。
だがそれ以上に驚くべきことがある。
「イザベラ……なの?」
その顔にリュネは見覚えがあった。当然だ。つい先日まで王宮でよく顔を合わせていた仲だからだ。
八竜騎士、神速のイザベラ。短剣を得意武器とし、八竜の中でも最も早く敵の懐へ飛び込み、短剣の一撃で敵を屠る王国最強の短剣使い。
「お久しぶりです。ロンネフェルト様」
イザベラは今しがた殺した黒ずくめなど気にした様子もなく、その場で膝を突き静かに家臣の礼をとる。
「ど、どうして、いや、どうやって、え、でもイザベラは国を出たって聞いて」
混乱するリュネは自分の言葉を整理できず、ただ思ったことを呟く。
イザベラは宰相が実権を握り始めてから王国を出た八竜の一人だった。
「見限られたと……見捨てられたと思ってた」
リュネの瞳から涙がこぼれ出す。
八竜の中でも特に仲が良かったのが、同姓でもあったイザベラである。そんな彼女が国を出たと聞かされた時、どれほど深く落ち込んだことか。
「申し訳ありません。あのままでは私たちも宰相の洗脳を受けることになるところでしたので、城を出るしか方法が無かったのです。その後も宰相の監視が厳しく、なかなか隙を見て抜けることができませんでした」
「そう……そうだったの……じゃあもしかしてほかの八竜も?」
「はい。我々三人は別々に動きながらも、なんとか機会を窺っていたのです。そしてリュネ様がレンディエラ領から王都に移送されるという情報を聞き、レンディエラ領主の館のメイドにもぐりこみました。他の二人は私の分の監視も含め、この機会に宰相の手のものを一掃するように動いています」
「あなたたちがまだ私たちを見限っていないと分かって凄く嬉しいわ。そしてごめんなさい、私たちが不甲斐ないせいでこんなことになってしまって」
「起きてしまったことは仕方がありません。それにロンネフェルト様はしっかりと立ち上がってくださいました。兵を集め、交渉を行い、そして今こうして宰相に立ち向かっている。その行動こそが大切なのです。あとは私たちにお任せください。必ずや宰相の首を」
「ちょ、ちょっと待って! イザベラはここで私の護衛をお願いしたいの!」
立ち上がり、王城へと向かおうとするイザベラを、リュネは慌てて止める。
「しかしそれでは戦力が……ロンネフェルト様が雇った傭兵も強いと聞いていますが、相手は八竜を含めた九人ですよ?」
「そうかもしれない。けど、タケルはできると言ったわ。部下の言葉を信じるのも上の者の勤めでしょ?」
「ですが……」
イザベラは悩んだ。リュネの言葉も確かにそうだが、それで確実性を欠く行動に出てもいいものだろうかと。
すでに屋敷に忍び込んでいた暗殺部隊はリュネがトイレに入っている間に掃除してある。あとは外の部隊だが、館から出る際に一当てすればすぐに無力化できるだろう。
その時点で、ここに待機する理由はなくなるのだ。できることならば宰相に対して私怨もあるため
、自らの手で首をはねてやりたいという気持ちもあった。
「イザベラが強いことは分かっているわ。あなたが戦力として非常に優秀なことも。だけどここはお願い、私に従って」
「――承知しました。八竜イザベラは、ロンネフェルト様の護衛に当たります」
「ありがとう」
リュネが顔をほころばせる。
その瞬間、王都全体を震わせるほどの爆発と、強烈な畏怖にも似た気配が二人の体を突き抜けた。
「なっ!?」
「うぐっ」
あまりの畏怖にリュネはその場で腰を抜かし、イザベラも震える手でナイフを握る。
そして窓の外を見れば、王城の一角から煙が上り、断続して衝撃波が城を破壊していく。
イザベラは、持ち前のその目の良さで爆発と衝撃波中にある小さな異物を捉えていた。
「あれは……人なのですか?」
空を駆け、恐ろしいほどの気配を纏う二人の人物が、王都の空で剣を交えていたのである。
◇
大広間には八人が倒れていた。
内五人はすでに息絶え、残りの三人ももはや立ち上がることはできないほどに傷ついている。
そんな八人の中央で、まるで自分が最強だと誇示せんばかりに悠然と佇むのは刀を肩に担いだタケルだった。
二人になった八竜にタケルを止めることなどできるはずもなく、瞬く間に叩きのめされてしまった。それは戦いとは呼べないほどに一方的なもので、彼らが自らの実力を疑いたくなるほどの力の差でもあった。
「くっ」
「大人しくしとけ。そうすりゃ死なずに済むさ」
「我ら八竜をここまで一方的に……これがイズモの傭兵の本当の力だと言うのか。化け物どもめ」
「だとよ」
「ふん、狭い世界で悦に浸っていた連中だ。所詮はこの程度だろう。そもそも最初から期待などしていない。城を出た三人はまだ見込みがあったがな」
バッサリと切り捨てるシンゼンの言葉に、エレストはうなだれそのまま意識を失った。
「さて、邪魔者はいなくなった」
「そうだな」
お互いに向き合い目を合わせる。
ただそれだけなのに、タケルは自らの意識が研ぎ澄まされていくのを感じた。
調子がいい時に何度か感じたことがある感覚だ。心が静まり、体から余計な力が抜けていく。
自然体。しかし隙など一分もない、戦うための立ち姿がそこにはあった。
「感じるか。己が洗練されていくのを」
「あんたもか」
「うむ。この感じ。今日は間違いなく自分の限界以上の力が出せると分かる」
「同感だな。俺もだ」
「ではそう言うことなのだろう」
「お互いの神が試練と認めたってわけか」
「では始めようか。我々の試練を」
神威の試練。神に力を与えられ、それ故に苦しい試練を与えられる。
運命すら歪め、自らの前に敵を生み出すその試練が、お互いの存在を試練足りえる存在と認識した。
故にお互いを高めあい、限界を超えた世界を見せる。
「「神威! 纏わせ!」」
両者の神威が肉体という枷から外れ、王都を震わせるほどの畏怖を放つ。
次の瞬間、ぶつかり合う二者から生み出された衝撃が、大広間の天井を貫通し、空へと昇った。




