2-2 奴隷区の娘
宿へと戻ってきたリュネは、分かりやすいほど不機嫌だった。
今も頬を膨らませたまま紅茶を片手にクッキーをかじっている。
「どうして勝てないのよ!」
「運とか言ってるからだろ」
「ギャンブルなんてどれも運でしょ!」
「運だけじゃないぞ。相手の思考、場の状況、癖、流れ、カードなら枚数やレースみたいなのなら動物の状況、調べられることはいくらでもある。そいつらを計算したうえで、最後に残った確率を運に託すんだ。最初から勝ちか負けかの二分の一なんて言ってるやつは良いカモにされるだけだ」
「んがぁぁああああ!」
タケルの正論にリュネが叫び、そのまま椅子ごと背後へと倒れる。
ドタン!と大きな音がして、慌ててスタッフたちが部屋の扉を叩いた。ニーナが何でもないと対応し、床で暴れるリュネをタケルが持ち上げてベッドへと放り込む。
「こんなんで明日の会議大丈夫なのか?」
「リュネ様はギャンブルは下手ですけど、王族としての教育はちゃんと受けていますから」
「だといいんだけどな」
一通りベッドで暴れた後、疲れたのかすやすやと眠り始めるリュネにため息が出る。
後はニーナが面倒を見てくれるということで、タケルは少し町を見て回ることにした。
宿を出て緩やかな坂道を下っていく。
相変わらず袴姿のタケルは目立つが、それを気にする様子もなく適当な商店や屋台の様子を物色する。
陳列された商品は豊富で種類も多い。一般の区画は比較的裕福なのが分かる。
そのまま坂を下っていくと、徐々にその風景が変わってきた。
建物の汚れが目立つようになり、平屋も多くなる。歩いている人の服も、古着や補修の後が目立つようになった。
ここら辺になると商品も少なくなり、質も悪い。だが、まだ一般的な農村よりは良さそうな雰囲気だ。
その先は町の門となっており、門の前には左右に続く道がある。
道はぐるっと崖を迂回して、崖下へと続いているようだ。
そちらへと歩いていくと、途中兵士に止められる。
「おい、ここから先は貧民街だ。迂闊に立ち寄るのは危険だぞ」
「おう、分かってるから大丈夫だ。こっちも一応護衛で来てるからな。一通り町の状態は把握しておきたいんだわ」
「そう言うことか、なら大丈夫だと思うが、まあ気を付けろよ。貧民街の連中は手癖が悪いからな」
「あんがと。そういやぁ、その奥に別の区画があるんだよな?」
「借金奴隷の区画か? まあ区画というよりも吹き溜まりみたいなもんだけどな。まともな家なんてもんはないし、この時間じゃ人もいないと思うけどな」
「人がいない?」
「みんな仕事に連れてかれてるんだよ。奴隷だから強制労働だけどな」
「ああ、なるほどな」
借金奴隷として集団行動させられているんだろう。
となると、奥まで行くのは意味がないかと考え、否定する。何かあった際に逃げ込むのはそう言った普通人が来ない場所だ。そのあたりを把握しておくことは大事だと考え、向かうことにした。
道沿いに進み坂を下る。時々階段もあり、急速に崖を降りていった。
「ここが貧民街か」
最後の長い階段を下り切ったところで、俺は眼下に広がる街並みを一望する。
一言で言えば汚い。道路はまともな舗装などなく、建物は木造で素人づくりの歪んだ物ばかり。目につく人は、道端に座り込み降りてきたタケルを睨みつけるように見ていた。
そして背後から急速に迫る気配を感じて一歩横へとずれる。
すると子供が慌てた様子で駆け抜け、建物の影へと隠れてしまった。手の動きからしてタケルの刀を狙っていたことが分かる。
「確かに手癖は悪そうだな」
兵士に言われたことがすぐに起きたと苦笑しつつ貧民街を歩いていく。
痩せた人が疲れた足取りで歩き、物乞いの姿も多い。
あまり長居したくはない場所だ。
そして当然、そういうところにはそういうところを締める連中というのがいるものだ。
「見ない顔だな」
「金目の物を置いていけ、それで見逃してやる」
「迷い込んだか? 運の尽きだな」
建物の影からぞろぞろと、男たちが手に角材や折れた剣などを持って現れる。
身なりの良いタケルの姿は、彼らからすれば格好の獲物だろう。
だがタケルからすれば彼らは、ただの雑魚である。
「まあ観光中なのは間違いないな。迷い込んだわけじゃねぇけど。掛かってきな。遊んでやるよ」
刀は抜かない。こんなところで彼ら程度を殺すのは容易いが、むやみやたらと殺すことに意味はない。
タケルの挑発にとって殴りかかってきた男の鳩尾へと拳を入れる。一撃で気絶した男を突き飛ばし、一人を巻き込んで倒す。
後方から来た二人に振り向きざま足を振るい、一人の顎を打ち抜き、さらにもう一人には顔面へと足裏を押し付け突き飛ばす。
「舐めるなよ!」
「この野郎が!」
武器を持った二人が襲い掛かってきた。
だがただ持って振っているだけ。型も何もない攻撃がタケルに当たるはずもなく、一歩下がるだけで簡単に躱せる。
さらに相手の手に手刀を入れ、武器を奪い取る。
「角材なら死なないだろ」
振り下ろした角材が男の肩を打ち、もう一人の首裏を叩く。
十人以上いた暴漢たちは、瞬く間に地面へと倒れ伏した。
「ま、不良ならこんなもんか」
角材を放り捨て、再び道を奥へと進んでいく。
先ほどの騒ぎで、通りにいた人たちは皆隠れてしまったのか、人っ子一人いなくなってしまった。
寂れた上に人のいない街並みは、廃村を思わせる。
裏通りにも適当に入ってみたが、表通りとさほど変わらない印象だ。道も雑然としており、適当に歩いていると道に迷ってしまうかもしれない。
一度表通りまで戻り、さらに奥へと向かった。
「ここが境界ってことか」
そこにあったのは木造の壁。二メートルほどの板打ちの壁だが、確実に外部との関係を遮断するために作られたものだとわかる。
壁の上には脱走の防止のためか返しが作られている。
どこかから入れる場所はないかと壁に沿って歩いていくと、明らかに周りとは作りの違うしっかりとした建物が現れた。その横には壁に扉が作られており、そこが境界の出入り口だとわかる。
建物の中には複数の人の気配があり、なにやら適当な会話をしているようだ。
奴隷区の管理棟のようなものだろうと考え、タケルはその扉を叩いた。
「あんた誰だ」
少しすると一人の男が出てくる。男はタケルの姿を見ると分かりやすく顔をしかめた。
「上の町に来てるとあるお偉いさんの護衛だ。念のために町の確認をしてるんだが、ここの奥に入ることは可能か?」
「こんなところまで確認か、雇われとはいえ真面目なもんだ。俺たちとは大違いだな」
「あんたらも雇われ?」
「金貸しどものな。ここの奴隷の監視係だよ。中に入るのは自由だ。ちょっと待ってろ、出るときの確認用の札を持ってくる」
中に入るのは自由。出るには奴隷と区別をつけるために札が必要になるようだ。
男から割札のようなものを受け取り、袖へとしまう。
「無くすなよ。取られるのもダメだ。それがなきゃ、俺たちはあんたの顔を覚えていても外に出せなくなっちまうからな」
「了解した」
注意に頷いてからタケルは奴隷区への扉を潜った。
そこにあったのは大量のテント。家などは一つもなく、ただ身長ほどの高さのテントがずらっと並んでいるだけの光景だった。
ただ寝るだけ。他の時間は全て労働に充てられる借金奴隷にはこれで十分ということだろう。
だが奥の方にはすこしだけ建物の姿も見える。丁度崖の下、博都の真下に当たる部分だ。
ほかに人の気配もないので、そのままテントの間をすり抜けて建物まで向かう。
外から気配を伺うと、何人かの気配を感じた。そのうちの数人は気配を隠しているのか感じられるものが小さい。
感覚としては主とその護衛といった感じだろうか。時には威圧するために気配を強く出すこともあるが、基本的に側に控える護衛は気配を消して主にたいして負担を強いないものだ。
護衛付きとなると、ここにいる人物は相応の存在ということになる。奴隷区にもかかわらずだ。元締めのような存在かもしれないと思いつつ、タケルは屋敷のドアをノックした。
何度かノックするが返事はなく、ドアノブに手を掛けてみると鍵が開いている。
「さて、どうしたもんかね」
一通り場所を調べることは出来たのでこのまま帰ることもできるのだが、扉一枚挟んだ先そこから隠しようもないほどの殺気を感じるのだ。
帰ろうと振り返った瞬間にも刺されそうな感じである。
「とりあえずこっちに敵意はないんだけどな」
わざと扉の向こうの相手へ聞こえる声で言ってみるも変化はない。
仕方ないと諦め、タケルは帰る振りをして一歩二歩と扉から離れていく。
と、予想通り勢いよく扉が開け放たれ、剣を持った男が飛び出してきた。
「なっ!?」
「はい残念」
男はタケルが背を向けていないことに目を見開いている。その間に一歩踏み込み、男の鳩尾に掌底を叩きこんだ。
崩れ落ちる男を受け止め、開いた扉の奥を見る。
そこにいるのはすでに剣を抜いた兵士たちの姿。
「さてさて、どういうことなんだろうねぇ」
奴隷区にいる町の兵士。明らかに場違いな組み合わせだ。
「貴様、宰相の手のものか」
「ここを知られた以上、生きて返すわけにはいかない」
「おっと、意外な名前が出てきたな。宰相の裏事情を知ってる連中か?」
「やはりそうか。もはや言葉は不要! 死ね!」
斬りかかってくる男たちの剣を躱しつつ、タケルは屋敷の中へと踏み入る。
「言葉は大切だと思うぜ? 意外と面白いことが分かるかもよ?」
「くっ、強い」
「だが囲めば」
「せめて領主様を逃すまでは!」
「さらに新情報ゲット。ちょっと予断ない状況っぽいかな? んじゃ、早めに沈めて情報聞かせてもらおうか」
タケルが刀に手を掛け、鞘の上下を反転させる。
峰打ちで一気に終わらせる。そう考え刀を抜こうとした瞬間、屋敷の上から声が響いた。
「止めなさい!」
「お嬢様! 出てきてはいけません!」
「お嬢様?」
見上げると、階段の踊り場にドレスを纏った少女がいた。身長はリュネと同じぐらい。となると十代前半かと当たりをつける。
「その方は私たちの敵ではありません! 剣を収めて!」
「なっ」
「お、事情を知ってるっぽい人かな?」
タケルは柄から手を放し、構えを解く。念のためすぐに動けるよう警戒だけは解かないが、戦闘の意思を消したことで兵士たちの手も止まった。
「あんたは?」
「私はシルビア・レンディエラ。領主モズドワルド・フォン・レンディエラの娘です」
自らを領主の娘と名乗ったその少女は踊り場から降りてくるとタケルの前に立つ。
そして――
「ロンネフェルト姫のお付きの方、どうか私たちを助けてください」
タケルに向かって深々と頭を下げるのだった。
しばらく週一更新になりますが、よろしくお願いいたします。




