2-1 切り立つ賭博の町
「見えてきたわよ!」
直前まで、何もない道に飽き飽きしていたリュネが突然テンションを上げる。
ウトウトとしていたニーナは飛び起き、タケルは視線を外へと向けた。
そこにあったのは巨大な切り立った崖とそれを囲むように作られた大きな街並み。
森を抜けた先に忽然と現れたのは、不思議な形の町だった。
「凄いな。崖の上に城がある」
三百メートルはあろうかという巨大な崖は片面はゆっくりと坂を描いているものの、もう片方はやや抉れた状態だ。その上に立つ城は、今にも足場が崩れてしまいそうな不安を煽っている。
「あれが博都の中心ね! 最初にあの城が作られて、その周囲にじょじょに町が作られて行ったのよ」
「それで崖を囲むように出来てるのか」
よくあんな崖の下に家を作ろうと思ったなとタケルは感心する。いつ落石や崩落が起きるかもわからない場所でのんびり寝られるかと自問する。
「俺はあの下には住みたくないな」
「普通の人は住みませんよ。あそこに住むのは、あそこ以外に行き場のない人たちですから」
「行き場のない?」
ニーナの説明にタケルは首をかしげる。
確かに引っ越しは費用も掛かるし大仕事だ。引っ越し先で仕事が見つかるかも分からないのだからリスクは伴う。だが、命の安全を考えればリスクを背負うだけの危険が崖下住宅にはあるはずだ。
「あそこに住んでいるのは借金を背負った人たちです。町で借金を返すまで外に出ることは許されていないんですよ」
「はぁ!? 借金持ちがあんなにいるのか!?」
タケルは驚いてもう一度崖下を見る。そこは一大住宅地かと思わせるほど建物が並んでいるのだ。だが言われてよく見れば、確かに家はみすぼらしい掘っ立て小屋のようなものばかりで、一部の家は傾いたり崩れたりもしている。
貧民街と言えるような雰囲気がそこにはあった。
「あそこにいる借金持ちのほとんどが、博都で借金を作った人たちだそうです。終わりが見えなくなって、多額の借金を金貸しからしてしまったのだとか」
「ああ、博打の魅力に飲まれた連中なのか」
そしてふと視線がリュネの方を向いた。ニーナも同様にリュネを見ている。
リュネは博都の城を見ながら、今度こそは勝つと意気込んでいる。その姿はまるで――
「身近にもいそうだな」
「気を付けないと。タケルさんの魔石は貴重な資金ですから」
「ん? なにどうしたの二人とも」
「いえ、なんでもありませんよ。町が見えたということは、後三十分ほどですね」
「とりあえずついたら領主に挨拶ね。宿は向こうが用意してくれると思うけど、色々済むまで博打はお預けかなぁ」
「交渉はリュネ様が頼りなんですからお願いしますよ」
「分かってるわよ。そのあたりはきっちりやってあげるから大船に乗ったつもりでいなさい!」
そう言いながらも、視線がしっかりと博都に固定されたリュネを見て、タケルとニーナはもう一度大きなため息を吐くのだった。
◇
崖を大きく迂回し、なだらかな斜面を登って行けば町へと入る。
領主の館はそんな斜面にできた町の中腹に存在した。
大きな洋館が立ち並ぶ一角の中でもひときわ存在感を放つその屋敷は、ここが賭博の町であることを示すかのように、門の横に立つ銅像の手にもトランプが握られている。
リュネ達は馬車から降り貴賓室へと案内される。そこにはすでに男が待っていた。
男はリュネ達が入室すると即座に近づき、リュネの前へと膝を付く。
「ようこそおいで下さいました。私がレンディエラ領領主、モズドワルド・フォン・レンディエラでございます。本来ならば私から窺わなければならないものを、申し訳ありません」
そして自己紹介の後に、リュネの手の甲にキスをした。
「良いのよ、そっちの言い分も理解できるしね。それに私たちも博都には来たかったもの」
「今宵は簡単ではありますが宴の用意をしております。宿もこの町最高のものをご用意させていただきましたので、ごゆるりとお寛ぎください」
「ありがと」
「では申し訳ありませんが、私はまだ仕事が残っておりますので失礼いたします。何か必要なことがございましたら、側付きにお申し付けください」
「町のこともあるし大変ね。私たちは気にしないでいいから、しっかり働いて来なさい」
「ありがとうございます」
モズドワルドの言葉に合わせて周囲の数人のメイドたちが頭を下げる。彼女たちが全員リュネに付けられた側付きだ。
モズドワルドが部屋をあとにすると、メイドの一人がそそそっと寄ってくる。
「宿の準備はすでにできておりますが、直接向かわれますか? 日もまだ高いですので、どこかご希望があればそちらに向かいますが」
「なら博都に行くわよ! ちょっと遊んで英気を養うわ!」
「承知しました」
領主の館を出て再び馬車へと乗り込む。そこでタケルは素直な感想をつぶやいた。
「なんつうか普通のおっさんだったな」
「領主なんてあんなものでしょ」
「いや、ここ賭博の町なんだろ? だから相当儲けてんだろうし、もっと宝石とかギラギラさせてるもんを想像してたからさ」
「確かに博都の領主と言われるとそう言うイメージを思い浮かべる方は多いですね。けど実際のところ、収入としては他の領主よりも少し多いぐらい何ですよ」
「そうなのか?」
ニーナの説明に首をかしげる。
イズモの賭博場ではかなりの儲けが出ていたと聞いている。その管理を行っていた人物は、先ほど言ったイメージにピッタリの人物だった。
全身に宝飾品を身に纏い、入れ歯が金色に輝いていたのをタケルはよく覚えている。
「博都は国営なのよ。その売上金の八割は国庫に入るわ。残りの二割が領主の物になるけど、博都の維持費や犯罪者対策でだいたい消えているみたいね」
「ああ、あんだけ借金持ちがいれば犯罪も増えるか」
「博打が好きな人には荒くれ者も多いですからね」
一攫千金を夢見る者たちの中には当然ハンターや傭兵などの戦闘を生業にした者たちもいる。彼らは家業である程度稼ぐと、その金を全てつぎ込み夢を見るのだ。そして全てを無くし暴れる。そんな者たちを取り押さえるために、博都には専用の警備隊があるぐらいであった。
「まあ、モズドワルドさんが博打好きなのには間違いないみたいですけどね。そうでなければこんな面倒な領地を治めようとは思いませんよ。モズドワルドさん自身も時間があれば博都で遊んでいるそうですし」
「なるほどなぁ」
そんなことを話しているうちに、馬車は崖の頂上へと到着した。
目の前にそびえるのは巨大な城門。そこを超えて中に入ると、雰囲気が変わった。
それまではどこか住宅地のような落ち着いた雰囲気のあった街並みから一転、空気が軽く浮ついた雰囲気に満たされる。
リュネもその空気に感化されてか、ソワソワとしている。
賭博場独特の雰囲気が建物の外まで漂っているのだ。
「何度来てもこの雰囲気にはなれませんね」
ニーナもタケルと同じように雰囲気の変化に気付いているのか、リュネの姿を見ながら苦笑している。
そして馬車が城の正面へと到着する。ドアマンが馬車のドアを開けるのをまって、タケルが最初に降りて周囲を確かめる。
どうやらVIP専用の入り口のようで、一般人の姿はない。兵士たちが周囲を警備しており、執事服の姿が何人も見える。
リュネ達もドアマンに手を添えられて降りてくる。
「さあタケル、私の活躍をとくと見なさい!」
「はいはい、楽しみにさせてもらうよ。そうだ、武器はこのままでもいいのか?」
「私の護衛だからね。さすがに一般の客は危険物の持ち込みが禁止だけど」
「そりゃ助かる」
誰かに愛刀を預けるのはなるべくしたくなかったタケルとしては、武器の持ち込み許可は助かる物だった。
腰にある刀を一撫でして、先を急ぐリュネの後に続く。
場内に入ると、大音量の音楽が聞こえてくる。それと同時に、人々の悲喜こもごもな声も。
音楽は場内の隅で行われている生演奏だ。それに負けない歓声は勝者の喜びか敗者の嘆きか。
リュネ達が入ったフロアはビップ専用のようで、一般客とは分けられている。ロフトのようになっており、手すりの下に一般客の姿を見ることが出来た。
ゲームはカードゲームを主に、ルーレットやダイス系、変わりどころではマウスレースなどもあるようだ。
「リュネは何をやるんだ?」
「もちろんカードよ! 賭博の華はカードなのよ!」
「そりゃまた」
負けやすそうなものを。その言葉は飲み込んでおいた。
リュネはさっそくニーナに交換させたチップを手にテーブルへと付く。すぐにディーラーがカードを配り始めた。
周囲には他の客の姿もなく、兵士の目も光っている。この場であればあまり警戒する必要はなさそうだと判断し、ニーナの元へと向かう。
「ニーナは何かやらないのか?」
「そうですね。私はレースを見てこようかと。調子が良ければ少し賭けてみてもいいかもしれませんね」
「レース、あのマウスのか」
レース系は人気の賭け事なのか、マウスレースのコースの周囲には多くの客が集まっていた。
ここからならば、レースを一望できる。近くに専用のスタッフもいるので、ここから賭けをすることも可能なようだ。
「なら俺もそれにしてみるかな」
「では一緒に見てみましょう」
賭けの募集が終わり、レースがスタートする。マウスの入った籠の蓋が開くと、飛び出したマウスが一斉にコースを走り出しゴールを目指す。少し変わっているのは、コースが迷路状になっていることだろうか。ただの速さを競うものではなく、マウスの賢さか運の良さを賭けにするようだ。
最初のレースは三番のマウスが、二回目は二番のマウスが勝った。
レースの終了後には、どのマウスに賭けたかを示す番号の紙が宙を舞う。それがゴールしたマウスをほめるような紙吹雪にも見えて面白い。
「どうですか、そろそろ賭けてみますか?」
「そうだな。ニーナはどれに賭けるんだ?」
「それを言っては面白くありませんし、私たちでも勝負しましょう。そうですね、勝ったら相手の言うことを何でも一つ聞くということで」
「ほほう、随分と自信がおありのようで」
ニーナは怪しげな笑みを浮かべながら提案してきた。
いつものニーナからは想像もできない大胆な賭けの内容に、タケルも笑みを深める。
「マウスレースは私得意なんです。姫様の負けを多少取り戻したのもこれなんですよ」
「それでその自信か。だが勝負を挑んだ相手が悪かったな。神威の前には全てが無力!」
「それはズルですよ! 神威は禁止です」
「ハハハ、分かってるって」
神威で視力を強化すれば、マウス一匹一匹の状態まで確認できる。それをすればどのマウスが勝つかは大体予想が出来てしまうが、さすがにタケルも自重した。
お互いにどれに賭けたかを知らせずにスタッフにチップを渡し番号札を貰う。
「さて、どうなるかな?」
「頑張ってください!」
そして第三レースがスタートした。マウスたちが一斉に飛び出し迷路を進んでいく。
二人は手すりから身を乗り出して自分の買った番号のマウスを視線で追う。
そして――
「ゴール! 勝ったのは五番のマウスです!」
「やった!」
「やりぃ」
「えっ?」
「ん?」
五番のマウスが真っ先にゴールへと飛び込んだ瞬間、二人は同時に声を上げた。
「五番でしたか?」
「そっちもか」
「なら引き分けですね」
「仕方ねぇか」
なかなかこういう賭けも面白い。次はどれに賭けようかとタケルが考えていると、後ろから腰を叩かれた。
振り返れば頬を膨らましたリュネの姿。
「姫様、どうかしましたか?」
「ニーナ、チップちょうだい」
「え、もしかしてもう?」
「すっからかんよ! うわーん! 今日こそ勝てると思ったのに!!」
負けに負けを重ね、けっこうな量を持っていたはずのチップを空にしたリュネが二人に追加をねだるのだった。




