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7分遅れの街で(後編)

 その日がどんな日であったのか、まったく記憶にない。ただ、都会の辺境に位置する大学のそのまた辺境の空間を占有している音楽系サークルのボックスに、たまたま同居した二人が、腹減りましたね、それならいい店に連れて行ってやろう、という会話の一致をみて、赤いレビンの助手席に腰を据えたことだけが、二十五年後の脳細胞の片隅に警察署の光の届かない倉庫のロッカーの棚に取り置かれた忘れ物の宝物のように留め置かれていた。


 赤い長い毛脚の絨毯を気にもとめず楚々と進む優雅な貴婦人がごとく、フロントガラスと黒いダッシュボードで構築されている眼前の舞台ステージを横切る女性の姿に先輩が目を細める。


「こっちはアクセルを緩めてブレーキを踏むだけやろ。ほんで、またアクセルを踏んだらええねん。足動かすんは、たったの5センチや」


 5センチやで、をもう一度、甲高い濁声だみごえが繰り返した。


「歩道を渡るほうは、なんぼ足を動かさなあかん思うねん。やから俺はな、歩道に人がおったら、絶対に止まんねん」


 誇らしげに一気に言い切られた言葉を装飾するように、ただでさえ細い目がさらに細められた。ふわり、と女性が頭を下げた。糸のようにすぼめられた目尻から伸びた深い皺は一層、その数と深さを増しはしたが、険しさよりも、むしろ内から滲みでる優しさを存分に含んでいた。


 その先輩と二人だけで行動をともにしたのは、これ一度切り。結局、何を食べたのかすら覚えてはいない。歩道の横断者を見守った紳士は、この後、しばらくして遠い国立大学の医学部に転属した。噂では幼い頃からの医師になる夢を捨てきれず、再度受験し直して難関を突破したのだという。


 話は再び駅前に戻る。


 横断歩道を走りくるジーンズの男。こちらも渡りはじめる。軽自動車は相変わらずジリジリと前進してくるが、それに構うことなく、演者のごとく悠然と泰然と白と黒のステージを歩む。ジーンズの男とすれ違った。そういえば、あの真っ赤なレビンはマニュアルシフトだった。ギアとクラッチの操作が不要となった分、「5センチ」よりもさらに少ない動作のはずの金鼠カラーの軽自動車の主に一瞥いちべつをくれて、紳士たれ、そんな言葉を胸の内に響かせながら対岸にたどり着いた。そして、西方の空を見上げ、遠い九州の地に旅立った紳士へと思いをせた。


 

 五月の空には、 細い雲が幾筋も刻まれていた。

 7分遅れの街を、先輩紳士の優しさが包んでいるようだった。


(完)

なんだか、尻すぼみ感が否めませんが…。

あらすじにも書かせていただきましたが、

電車に乗ろうとしたら7分遅れ。

それじゃ、この間に一作品書こう、と思い立ちました。

けれど、スマホでの入力って進まな~い。

手間取っている内に電車が来て、書けたのは数行程度。

くやしーので、続きを入力したのですが、

スマホの電池が切れて、すべて消えて…

なんだか、もったいないので打ち直し、今に至っています。


そして、

当方も基本的には、横断歩道では停車しています。

そう、紳士なのです。できるだけ、ね…

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