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エメラルド・シティ 闇にきらめく宝石の街  作者: 赤井"CRUX"錠之介


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その後の物語・笑う犬の役目(後)

 我輩は犬である。名前はロバーツという。

 孤児院は今、昼寝の時間なのだ。陽は高く昇っており、子供たちはみな眠りについている。広い庭はがらんとしており、とても静かだ。

 我輩は、空を見上げた。今日はいい天気だ。日射しがとても暖かく、辺り一帯は平和な匂いに満ちている。したがって眠くてたまらない。午後からの仕事に向け、我輩もしっかり眠っておくとしようか。




「兄貴! 兄貴!」


 せっかくの昼寝の時間なのに、邪魔してくる不届き者がいる。誰であるかは見なくても分かる。アメデオだ。


「兄貴、大変だよ! 寝てる場合じゃないよ!」


「いったい何事だ、アメデオ?」


 体を起こし、尋ねる我輩。この犬は図体は大きいのに、今一つ落ち着きがない。困ったものだ。

 だが次の言葉を聞いた瞬間、我輩は愕然となった。


「アスナって娘が、独りで山に入って行っちゃったんだよ!」


 きゃんきゃん吠えるアメデオ。我輩は慌てて起き上がった。


「何だと? なぜ独りで行かせた!?」


「止めようとしたんだよ! でも、ぼくが近づくと逃げちゃうんだ!」


 きゃんきゃん鳴くアメデオ。そうなのだ……アスナは、アメデオを今も恐れている。アメデオも、もう少しソフトな接し方をすればいいのに。

 いや、そんなことを言っている場合ではない。山には、猪や狼が出る。もっと厄介な人外の者が出る可能性もある。独りでいたら、確実に餌食になってしまうのだ。


「アメデオ、我輩が山に行ってアスナを探す。お前はマルコを連れて、後から来てくれ。万が一の場合、我輩が遠吠えで知らせるからな」


「わかった!」




 山に入ると、我輩は慎重にアスナを探す。山の中は様々な匂いに溢れており、今の我輩では探すのが難しい。

 だが、それでも見つけなくてはならないのだ。山の中は危険に満ちており、今のアスナでは対処しきれまい。取り返しのつかない事態になる前に、必ずアスナを見つけてやる。

 そして、安全に連れ帰るのだ。




 微かな匂いをたどり山の中を探し続けた結果、ようやくアスナの残り香を嗅ぎ付けた。我輩は、慎重に歩いていく。


 アスナは、小川のほとりにいた。どうやら、水に住む魚や小動物を眺めているらしい。我輩はホッとした。暗くなる前に見つけられて、本当に良かったのだ。

 そんなことを思いながら、我輩はわう、と吠える。すると、アスナは振り向いた。

 その顔に、笑みが浮かぶ。嬉しくてたまらない、といった様子だ。


「ロバーツさんなの……おいで、ロバーツさん」


 そう言って、アスナは手招きする。しかし、我輩は困っていた。さて、どうやってアスナを連れ戻せばよいのだろうか。

 仕方ない。とりあえずは、飽きるまでここに居させよう。無理に帰らせようとすれば、アスナの機嫌を損ねる可能性が高い。

 我輩は近づいて行き、アスナの顔を見上げる。アスナはにこにこしながら、我輩の頭を撫でた。


「ロバーツさんは、本当に可愛いの」


 アスナの手からは、親愛の情が伝わってくる。この娘は、優しい心の持ち主なのだ。争いごとを好まない、穏やかな性格である。

 その反面、気の弱い部分も目立つ。他の子たちに無理やり玩具を取られ、何も言えずうつむいてしまうことも少なくない。独りで行動することが多いのも、自分を主張することが苦手だからだろう。

 生きていくうえで、闘いを避けて通ることは出来ない。アスナには優しさはあるが、勇気がないのだ。自分の大切なものを踏みにじろうとする不届き者には、全身全霊をもって立ち向かう……そんな強さを、身に付けて欲しいものである。


 その時、我輩の鼻に妙な匂いが飛び込んできた。直後、一瞬にして全身の毛が逆立つ……。


 これは、狼の匂いだ!


 我輩は、アスナのズボンのすそを咥えた。懸命に引っ張る。一刻も早く、アスナを逃がさなくてはならない。我輩が狼の匂いに気づいたということは、狼も我輩とアスナに気づいたということなのだ。

 狼から見れば、小さな老犬の我輩と幼い子供のアスナ……どちらも、狩るのに手頃な獲物でしかない。

 焦りながらも、懸命にアスナを引っ張る我輩。だが、アスナを動かすことは出来なかった。


「ロバーツさん、引っ張っちゃ駄目なの」


 アスナは笑いながら、我輩の頭を軽く叩く。我輩が遊びたくてちょっかいを出している、そう思っているらしい。


 このままでは、アスナは狼に食われてしまう!


 我輩は上を向いた。次の瞬間、大きく長く吠える。腹の底から声を絞り出しての遠吠えだ。こうなっては、アメデオたちを呼ぶしかない。

 すると、アスナはビクリとなった。


「ロ、ロバーツさん? どうしたの?」


 だが我輩は、もう一度吠えた。一刻も早く、アメデオに来てもらわなくては――


「やかましい」


 そう言いながら、のっそり出て来たのは……一匹の若い狼だった。黒い毛に覆われた体は、我輩より遥かに大きい。さらに牙も爪も鋭いのだ。

 我輩には、勝ち目はない。


 だが、我輩は低い姿勢で構えた。低く唸りながら、アスナの前に出る。

 すると、狼は嘲笑した。


「おい爺さん、さっさと消えろ。てめえみたいな爺さんは、食っても美味くねえんだ」


「そうか。だったら、後ろの人間と一緒に消えるとしよう。構わないな?」


 我輩は、微かな期待を込めて尋ねた。もしかしたら、見逃してくれるかもしれない……という、淡い願望だ。

 しかし、狼は歯を剥き出した。


「駄目だ。俺はな、人間の肉が大好きなんだよ。特に、子供の肉の味はたまんねえぜ……さっさと子供を置いて消えろ。でねえと、てめえも噛み殺すぞ」


 言いながら、狼は我輩を睨む。間違いない……こいつは、人間の肉の味を知ってしまったのだ。一度、人間を食べることを覚えたら、もう始末に負えない。

 早く逃げろ……心の中で言いながら、我輩はアスナを見た。だが、アスナは尻餅を着きガタガタ震えている。恐怖のあまり、動けないのだ。

 こうなっては仕方ない。今のアスナを守れるのは、我輩しかいないのだ。


「アスナ逃げろ!」


 我輩は叫びながら突進した。口を開け、狼の足に食らいつく――


「痛えじゃねえか! 離しやがれ!」


 喚く声と同時に、我輩の背中に何かが突き刺さる。狼の牙だ。

 それは凄まじい痛みだ。我輩は、思わず悲鳴を上げそうになった。

 だが、悲鳴を上げてはいけない。悲鳴を出せば、我輩の牙が外れてしまう。

 アスナだけは、なにがなんでも守るのだ。

 我輩の、命に換えても。


「クソが! 離せえ!」


 狼は吠え、我輩の首に噛みついた。我慢できず、悲鳴を上げる我輩。次の瞬間、我輩は振り回され、叩きつけられた。

 全身に走る激痛。大量の血が流れているのも分かる。我輩は、そのまま気を失いそうになった。

 だが、我輩はふらつきながらも立ち上がる。必死で意識を保ちながら、狼を睨み付けた。

 まだだ。


「てめえ、まだやる気か! いい加減にしろ、このジジイ!」


 狼は歯を剥き出し、我輩に怒鳴り付ける。

 悔しいが、今の我輩には言い返す気力がない。目も霞んでいる。

 それでも、我輩は進む。目の前の狼は、恐ろしく強い相手だ。老犬の我輩に勝ち目はない。

 しかし、我輩の役目は勝つことではない。

 アスナを守ることだ。

 この役目だけは、命に換えても果たす。


「このジジイ! そんなに死にてえなら、てめえから先に殺してやる!」


 吠えると同時に、狼は飛びかかって来た。我輩の首筋に噛みつき、激しく振り回す――


 もう、我輩は痛みすら感じていない。

 意識が薄れていく。


 その時、妙な叫び声が聞こえてきた。直後、狼の牙が離れる。

 いったい何事だろう……我輩は、目を開ける。すると、ぼやけた視界に予想外の光景が飛び込んできたのだ。


「ロバーヅざんを……いじめるなあぁ!」


 泣き叫びながら、狼に石を投げている者がいる。

 それは、アスナだった……涙で顔をくしゃくしゃにしながら、石を拾って狼に投げつけているのだ。あの、ひ弱なアスナが狼に闘いを挑んでいるとは。

 馬鹿者、なぜ逃げないのだ……我輩はどうにか起き上がる。


 まだだ。

 まだ、終われない!


 アメデオは、必ず助けに来てくれる。それまでは、我輩がアスナを守る。

 我輩は、狼の足に噛みついた。さらに、アスナは泣きながらも石を投げ続ける――

 さすがの狼も、我々の攻撃に怯んでいた。どちらを先に攻撃すればいいのか分からず戸惑っているのだ。

 その時、ようやく助っ人が現れた。


 遠くから、わんわんと吠える声が聞こえる……アメデオだ。

 さらに、凄まじい速さで飛び込んできた者がいる。マルコだった。マルコは狼の首を掴み、一瞬でへし折ってしまった――

 さすがはマルコだ。あの恐ろしい狼を、一撃で倒してしまうとは。

 安堵する我輩。だが、そこまでだった。ついに限界が訪れたのだ。

 我輩の体から、力が抜ける。次の瞬間、暗闇に覆われていた。




 もう、何も見えない。

 だが、かすかに声が聞こえる。匂いも感じる……。


「あにぎぃ!」


 アメデオが、きゃんきゃん吠える声だ。

 出会った頃は、小さくやんちゃな仔犬だったのに……ずいぶんと逞しくなったな。

 後のことは頼んだぞ。

 皆の心を、癒してあげてくれ。


「ロバーツ……お前は、大した奴だ」


 マルコ、か。

 お前は、恐ろしい顔をしている。しかし誰よりも強く、誰よりも優しい男だ。

 我輩は、お前の美しさを知っている。虐げられし者の痛みを知っているお前の心は、宝石のようにきらめいていることを。

 いつかは皆が、お前の心の美しさを知ってくれるはずだ。

 ユリやケイ、そして子供たちのことを頼んだぞ。

 これからも、孤児院を守る最強の戦士でいてくれ。

 我輩は、マットの次にお前が好きだ。


「ロバーヅざあん……じんじゃやだあ……」


 アスナ……。

 泣かないでくれ。

 我輩は、本当に嬉しかったぞ。最期に、お前の勇敢に闘う姿が見られたのだから。

 忘れるな……生きることは、闘いなのだ。

 これからの人生において、困難な出来事がお前を待っている。

 だが、恐れずに立ち向かっていけ。

 お前ならやれる。

 あの恐ろしい狼に立ち向かっていけたお前なら、必ずやれる。

 いつの日か、幸せを掴むんだ。

 アスナよ。

 本当にありがとう。

 お前のお陰で、我輩は笑って死んで逝ける。


 そして、マット。

 先に、あの世で待っているからな。

 あの世に来たお前を、誰よりも早く出迎えるのだ。それが、我輩の新たな役目である――







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