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エメラルド・シティ 闇にきらめく宝石の街  作者: 赤井"CRUX"錠之介


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その後の物語・笑う犬の役目(前)

 以前に書いた短編に、加筆修正したものです。



 我輩は犬である。名前をロバーツという。

 我輩の現在の住居は、孤児院なる場所である。親のない人間の子供たちが、数多く住んでいるのだ。子供たちは、とても元気なのである。庭のあちこちを楽しそうに走り回り、友と遊ぶ姿は見ていて微笑ましい。

 その孤児院で、我輩は番犬を生業としている……と言いたいところだが、近頃は目が悪くなってきた。体も昔のようには動かない。我輩も既に十二歳、老犬と言っていい年齢である。番犬の役割を充分に果たせている、とは言いがたい。

 かつては子供たちと共に野山を駆け回り、楽しく遊んだものだが……今では、歩き回るのですら億劫になってきた。体の節々も痛む。我輩が天に召される日も、そう遠くないのかもしれない。

 昔、狼の群れに襲われ死んでしまった父母、それに兄弟たちよ。我輩も、もうじきそちらに逝くことになりそうだ……そんなことを思いながら、我輩はうたた寝を始めた。




「兄貴! 兄貴!」


 うとうとしていた我輩の耳に飛び込んできたのは、アメデオの吠える声だ。

 アメデオとは、雑種族の白い犬である。ミニチュア・ブルドッグ族の我輩より、体も二回りほど大きく力も強い。その上、足も早く持久力もある……年齢も、まだ二歳である。活力あふれる壮年の犬なのだ。

 今では、このアメデオこそが番犬の役割を担っている。我輩より、ずっと頼もしい……切ない話ではあるが。


「いったい何事が起きたのだ、アメデオ?」


 我輩が尋ねると、アメデオはいかにも嬉しそうに、尻尾を振りながら答える。


「兄貴! マルコが猪を捕まえてきたよ! 今夜のご飯は、猪のスープだよ! とっても美味しいよ!」


 ハイテンションな様子で、わんわん吠えるアメデオ……ちなみにマルコとは、孤児院を守る人間の戦士である。誰よりも強いが、誰よりも優しい大人の男だ。子供たちからの信頼も厚く、ジョニーと共に孤児院の平和を守っている。

 しかし、猪の匂いを嗅ぎ付けられなかったとは。今までなら、アメデオに教えられる前に鼻が伝えてくれたはずなのに。

 これも、衰えなのか。


「そうか。それは楽しみだな」


 切ない思いを隠し言葉を返した我輩を見て、アメデオは不思議そうに首を傾げた。


「兄貴、近ごろ元気ないよ。どしたの? お腹でも痛いの?」


「いや、何でもない。ただ眠いだけだよ」


 苦笑しながら、我輩は答える。そう、疲れを知らぬ成犬のアメデオは……我輩の体の状態など知らないし、また知る必要がない。

 アメデオには、アメデオの仕事がある。元気な子供たちの遊び相手を務め、危険が迫れば皆に知らせるという極めて大切な任務が。これは、今の我輩には出来ないことだ。

 だから、我輩などに構うな。我輩は、もはや死に逝く老兵なのだから。

 そんな暇があるなら、子供たちと遊んでやれ。子供たちには、お前が必要なのだ。


「うん、分かった! じゃあ、起きたら一緒に猪スープ食べようね!」


 そう言うと、アメデオはわんわん吠えながら子供たちの方に走って行った。子供たちは歓声を上げ、アメデオを迎える。

 我輩は寝そべりながら、子供たちと楽しそうに遊ぶアメデオを、薄目を開けて眺めていた。

 出会った時は、我輩よりも小さな仔犬だったアメデオ。きゃんきゃん鳴きながら、いつも我輩にじゃれついて来たものだ。

 小さなアメデオに、我輩は様々なことを教えた。犬社会のルール、人間との暮らし方、番犬としての心得などなど。

 やんちゃな仔犬だったアメデオ。それが、随分と逞しく成長したものだ。今や、我輩など比較にならないほど大きく強い。子供たちも、動きの遅くなった我輩よりもアメデオの方を好いている。

 我輩と遊びたがる子供など、今では一人もいなくなってしまった。寂しいが、これも仕方のないことなのだろう。むしろ、アメデオの成長を喜ぶべきなのだ。

 もう、我輩のここでの役目は終わった。老犬は、ただ去り行くのみ。

 あとのことは任せたぞ、アメデオ。




「兄貴! ちょっと兄貴ってば! 起きてよお!」


 うとうとしていた我輩。だが、心地よいまどろみを邪魔する者がいる。言うまでもなくアメデオだ。何があったのだろうか。我輩は目を開けた。


「どうしたアメデオ。猪のスープが出来たのか?」


「違うんだよ兄貴! 助けて欲しいんだってば! 呑気に寝てる場合じゃないんだよお!」


 切羽詰まったようなアメデオの言葉に、我輩は首を捻った。助けて欲しい、とはどういうことだろうか。今のアメデオに、我輩の助けなど必要ないはずだが。


「わかったわかった……だから、耳元で騒ぐな。いったい何事が起きたのだ?」

「あの、最近入ったアスナって娘だよ!」


「アスナ? あいつがどうかしたのか?」


「あの子、ぼくが近寄ると怖がって逃げちゃうんだよ! 兄貴じゃなきゃ駄目みたいなんだよ!」


 弱りきった顔で、きゃんきゃん吠えるアメデオ……我輩は思わず苦笑した。

 アスナとは、二日ほど前から孤児院にて生活している人間の娘だ。まだ幼く引っ込み思案なアスナは、体が大きく常にハイテンションな態度でわんわん吠えるアメデオを敬遠しているのである。

 もっとも、当のアメデオは……なぜ自分が恐れられているのか、今ひとつ理解していないようなのだ。単純に、自分は嫌われてしまったと思っているらしい。

 本当に、仕方のない奴である。


 我輩はゆっくり起き上がった。まだ眠気が残り、頭がぼんやりしている。

 眠気を覚ますため頭を振った後、我輩は地面の匂いを嗅いだ。アスナの匂いを確かめながら、慎重に歩いて行く。近頃では、鼻も若い時ほど利かなくなってきた。それでも、アスナの現在地くらいなら割り出せるはずだ。

 匂いを辿り、庭をゆっくりと歩いて行く我輩。遊んでいる他の子供たちを避けつつ、アスナを探した。


 やがて、アスナは見つかった。広い庭の隅っこにて、一人でしゃがみこんでいる。どうやら、地面を蠢く虫たちを見ているらしい。彼女の髪は短く、一見すると男の子のようだ。瞳は大きく、溢れんばかりの好奇心に満ちている。

 この少女は、他の人間と遊んだり話をするのは苦手のようなのだ。昨日も庭の隅に陣取り、一人で遊んでいるのを見た記憶がある。

 しかしアメデオは、アスナをみんなと遊ばせようと、ちょっかいを出していた。だが彼女はアメデオを恐れ、すぐに部屋に逃げ帰ってしまったのだ。アスナの目には、アメデオは猛獣のごとく恐ろしい存在に映ったのだろうか。

 アメデオには、悪気はない。むしろ、子供たちの世話に一生懸命に取り組んでいる。その熱意は素晴らしいものだ。

 しかし、まだまだ経験が足りないのも確かである。ここには、様々な性格の子供が来る。中には、心に深い傷を負った者もいるだろう。そんな各々の性格に応じた対応をする、これも大事なのだ。

 アスナのような子供は、今は無理に他の子供たちと遊ばせる必要はない……少しずつ、環境に慣らしていくことだ。その段階を踏むことこそ重要である。




 そっとアスナに近づいて行く我輩。だがアスナは気づかず、じっと虫の動きを見つめている。その瞳は、きらきら輝いていた。蠢く虫たちの姿は、彼女にとって興味深いものらしい。

 我輩は軽く、わう、と吠えてみた。すると、アスナはこちらを向いた。

 その途端、アスナの表情がパッと明るくなる。


「ロバーツさんなの……おいで、ロバーツさん」


 笑みを浮かべ、手招きするアスナ。我輩のことは知っているらしい。院内の誰かから聞いたのだろうか。

 それにしても、ロバーツさんとは……我輩も約十二年、犬として生きてきた。その間に、様々な呼ばれ方もしてきた。だが、ロバーツさんと呼ばれたのは初めてである。本当に、変わった子だ。

 そんなことを思いながら、我輩は少しずつ近づいて行く。いきなり近づいて行っては、驚かれるかもしれないのだ。まずは、少しずつ距離を詰めていく……この距離感も、子供たちと付き合う上では大切である。

 すると、アスナの手が伸びてきた。我輩の頭を、そっと撫でる。ぎこちない動きではあるが、その手からは暖かいものが伝わってきた。我輩を見る目は、親愛の情に満ちていた。


「ロバーツさんは、本当に可愛いの……」


 そう言いながら、今度は我輩の背中を撫でるアスナ。どうやら、我輩を友として認めてくれたらしい。

 ならば、我輩も親愛の情を示さなくてはなるまい。舌を出し、アスナの顔をペロッと舐めてみる。すると、アスナはくすぐったそうな顔をした。


「あたしの名前は、アスナなの。よろしくなの」


 そう言って、アスナはニッコリと笑った。人間に自己紹介をされたのも初めてだが……その笑顔につられて、我輩も笑っていた。人間たちの中には知らない者もいるようだが、我々犬族も、人間と同じように笑うのだ。

 我輩とアスナは、お互いを見つめ合った。そして、ニコニコと笑い合う……我輩は、久しぶりに幸せを感じていた。まだ我輩にも、人間を笑顔にできる力があったのだ。アメデオには、アメデオの役目がある。だが、我輩にも我輩の役目がある。

 年老い、弱く小さな犬である我輩。だが、そんな我輩がそばにいることにより、笑顔になる人間がいる。そうなのだ……人を笑顔に変えること、それが今の我輩の役目なのである。そう、我輩は笑う犬なのだ。誰かが笑えば、我輩も笑う。


「おいみんな! ご飯が出来たのである!」


 不意に、大きな声が聞こえてきた。子供たちの世話係をしている、マリアの声だ。すると、アスナは立ち上がった。


「ロバーツさん、ご飯の時間なの。一緒にご飯食べるの」


 そう言うと、食堂に向かいトコトコ歩き出した。その後を、のんびりと付いて行く我輩。

 どうやら我輩には、まだやるべき仕事が残っているらしい。仕方ない。もう少しだけ、頑張って生きてみるとしようか。

 アスナが、我輩を必要としてくれている間だけでも……。








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