彼の選択・後編
その日、ジェシーは仕事を休んだ。
そして、もう一度エメラルド・シティに渡った。今日のために、以前から様々な準備をしていたのだ。自分の失われた記憶を辿るために……そして、全てに決着をつけるために。
ガイドブック片手に、ジェシーは大通りを歩いていた。まずは、バー『ボディプレス』に行ってみるつもりだ。ママのアンドレは、エメラルド・シティでも屈指の情報通らしい。ひょっとしたら、自分のことを知っているかもしれない……少なくとも、何らかの情報を知っているのではないだろうか。
だが突然、妙な男たちに腕を掴まれた。抵抗する間もなく、路地裏へと引きずりこまれる……。
いきなり突き飛ばされ、地面に這いつくばるジェシー……怯えた表情で、彼は地面を這って逃げようとする。しかし、大男に首根っこを掴まれて軽々と持ち上げられた。
「な、何ですかあなたたちは!」
必死でもがきながら、叫ぶジェシー……すると、スーツ姿の男が進み出た。黒い安物のスーツとネクタイ、さらにワイシャツには食べ物の染みらしきものが付いた奇妙な男だ。男は天然パーマの頭をポリポリ掻きながら、奇妙な目でじっとジェシーを見ている。
そして、ジェシーも息を呑んだ。目の前にいる男には確実に見覚えがある。こいつの名は、確か……。
「あ、あんたは……」
そうだ……。
奴の名はジュドーで、オレはジェシー……。
名前が似ていて紛らわしい、そんな会話をした覚えがある。
だから、オレは別の名前を名乗った……。
待てよ。
じゃあ、オレはギャングだったのか?
エメラルド・シティで、オレはこいつとギャングをやっていたのか?
「いいか、一つ覚えておけ……ここはな、お前の来る場所じゃねえ。とっとと大陸に帰れ。そして、二度と顔を見せるな。でないと、お前を殺す」
天然パーマの男は、そう言った……次の瞬間、大男がジェシーの体を地面に下ろす。
「ま、待ってくれ! オレは昔、ここで何をしていたんだ!?」
立ち去ろうとする男たちに、必死に叫ぶジェシー……すると、天然パーマの男が振り返った。
「そんなこと、今のお前は知らなくていいんだよ……さっさと大陸に帰れ。お前には、お前の生活があるだろう。待ってくれる人もいる……こんな場所に来る必要はないんだ」
男の口調は、どこか悲しげだった……ジェシーは立ち上がった。
「あ、あんた……ジュドーだろ? オレはギャングだったのか? 教えてくれよ――」
その瞬間、背後から何者かの腕が首に巻きついてくる……褐色の肌をした者の腕だ。ジェシーは一瞬にして意識を刈り取られた。
気がつくと、ジェシーは宿屋にいた。いや、宿屋と呼べるような場所ではない……高級ホテルの一室だ。一晩で、ジェシーの月収分くらいは軽く吹き飛んでしまいそうである。
そして、電話の横にはメモが残されていた。
(さっさと帰れ。知らない方が幸せなこともあるんだよ、バカ)
その妙に軽い文体のメモを見ながら、ジェシーはどうすべきか思案していた。自分は、このエメラルド・シティで犯罪行為に加担していた……それは間違いない。
では、何をしていたのだろうか。
これ以上、ろくでもない過去を知って何になるというのだ?
オレにはエミーがいる。生活もある。
それだけで、充分ではないのか?
そんなことを考えながら、ジェシーはテレビを点けた。そのとたん、聞こえてきた銃声……アクション映画が放送されている。ジェシーは苦笑した。こんな映画を観ている場合ではないのだ。ジェシーはリモコンを向けたが――
(撃て! あいつを撃つんだ!)
テレビから聞こえてきた声。そのセリフを聞いた瞬間、ジェシーは愕然となった……その言葉には、確かに聞き覚えがあるのだ。そして、頭の中に響く言葉――
(ボーイ! 聞こえるか! 裏切り者のギャリソンの頭を吹っ飛ばしてやれ! あとは指を動かすだけだ! ボーイ! 撃て!)
何だよ、これ……。
ボーイって、誰だよ?
ジェシーは凄まじい頭痛に襲われた。頭が割れるように痛む……そして頭の中では、また別の言葉が聞こえてきた……。
(ボーイ! 下ではガロードが暴れてる! お前の大嫌いなガロードが、お前の仇を討つために戦ってるんだ! お前、あいつに全部持ってかれていいのか!)
頭の中で響いている声は、間違いなくジュドーのものだ。さっき聞いた声とぴったり一致する。
だが、言っている内容は……殺人を指しているとしか思えない。自分は人を殺したというのか?
人の命を奪っておきながら、のうのうと生きていたというのか……。
翌日、ジェシーはホテルを出た。何者かが、一泊分の料金は払ってくれていたらしい。間違いなく、あのジュドーという男の仕業だろう。となると、自分の行動は見張られている可能性もある。
今日のところは、引き上げるのが無難か……ジェシーはそう思いながら、歩き始めた。すると――
突然のけたたましいエンジン音……ジェシーが振り返ると、あちこちに鉄板のような物をくっつけた奇怪な車が、猛スピードで走って来た。そして、ジェシーの横に止まる……。
運転席から、にゅっと顔を出した者は……モヒカン刈りの不健康そうな顔をした男だった。
「乗っていきな」
男はそう言った。これもまた、ジュドーの差し金だろうか……ジェシーはタクシーに乗り込む。
タクシーは先ほどの爆走が嘘のように、のんびりしたスピードで走り出した。
だが、タクシーは奇妙な場所で停まる。それと同時に、ドライバーは言った。
「ここで降りな。お前を待ってる人がいる」
「え? どういうことだ――」
「いいから降りな。お前は、ここにいる男たちに借りがあるんだよ。せめて、顔だけでも出してやれ」
ジェシーの方を見ようともせず、ドライバーは淡々とした口調で語る。ジェシーは戸惑いながらも、タクシーから降りる。
しかし、ふと気づいたことがあった。
「なあ、あんた……オレを知ってるのか?」
ジェシーは、ドライバーに尋ねる。すると、ドライバーは首を振った。
「知ってるよ……だが言えねえな。そいつは、お前が自分で探し出さなきゃいけねえんだ。もし、記憶が戻らなかったとしたら……本当のお前は、ここには戻りたくないってことなんだろうよ。さっさと行って、用を済ませてこい。終わったら、門まで送ってやる」
ジェシーは、巨大な塀に囲まれた建築物の前に立っていた。コンクリート製の塀は薄汚れた灰色で、かなり古びてはいる。しかし、まだまだ役目を果たせるだけの頑丈さは維持していそうだ。鉄の扉は赤茶けており、錆び付いていることが一目でわかる。しかし、こちらもまだ頑丈そうで、壊すのは難しいのではないかと思われる。ジェシーは首を傾げ、どうしたものかと思案した。
その時、タクシーのクラクションが鳴る。いや、これはクラクションなのだろうか? 警報器のアラームのような、耳障りな音なのだ。ジェシーは思わず耳をふさいだ。
ややあって、扉が開く。
「おいおいトラビス……もちっと静かな音にしてくれよ。戦争でも起きたのかと思ったぜ」
迷惑そうな表情で出てきたのは、軍用のコートを着た軽薄そうな男だった。中肉中背で、しまりのない顔つきをしている。
だが、ジェシーはこの男に見覚えがあった。
「あ、あんたは……」
呆然とした表情で、呟くジェシー……彼の頭に浮かんだ言葉――
(オレだって、最初からお前なんか信用してない。お前だけじゃないぜ、ガロのことも、お前に言われる前から信じてない。はっきり言うなら、オレは誰も信じてはいない。だがな……オレたちは、こんな腐った街にいるんだ。この世の地獄に、な。だから仲間が欲しいんだろうが。地獄の道連れ、ってヤツがな)
ジェシーは頭を振った。目の前にいる男にも見覚えがある。しかし、思い出すことは出来ない……。
すると男は近づき、ジェシーの腕を掴む。
「ようジェシー……オレはギース・ムーンだ。ちょっとこっちに来い。お前がどんな選択をしようと、それはお前の自由だよ。しかし、こいつらにだけは会っておけ」
そこは、不思議な場所だった。大小さまざまな石碑が設置されている。石碑の数は、二十は下らないだろう。石碑の周りには、色とりどりの花が植えられ、綺麗に咲き乱れている。
「ここは、エメラルド・シティの墓地だ。そこの墓石を見ろ……お前にとって、大切な人間が眠っている。せめて、別れの挨拶だけでもしてやれ」
ギースはそう言うと、中央にあるひときわ大きな墓を指差す。
そこには……二つの黒く大きな墓石が、仲良く並んで設置されていた。さらに、二つの墓石を繋げるかのような形で、一枚の大きな石板が設置されている。さらに墓石の脇には、古くてボロボロになった小さなゴリラのぬいぐるみが、一つずつ置かれている。
ジェシーは墓石の前に立つと、石板に刻まれた文字を目で追い始めた。
(ジョーガンとバリンボー、ここに眠る。彼らは魔神のような強い肉体と、天使のような美しい心を持ち、出会った全ての人間を幸せにした。彼らは友人たちが危機に陥った時、自らの命を差し出して友人たちを助けた。彼らこそが真の勇者であり、ヒーローなのだ。我々は語り継がねばならない、彼らの勇気を。そして、彼らの海よりも深い愛を。この汚れた街に降り立った二人の天使よ、今はやすらかに眠れ)
「ジョーガン……バリンボー……」
ジェシーは思わず、そう呟いていた。その名前には聞き覚えがある。そう……自分は確かに、その二人と仲間だったのだ。しかも、それだけではない。
ジェシーの頭に甦る、様々な記憶。ジュドー、ガロード、ルルシー、ジョーガンとバリンボー、そして……。
「お前は……キーク・キャラダインじゃねえか……」
ジェシーはギースを見つめ、呆然とした表情で呟く……だが、ギースは首を振った。
「違う……キーク・キャラダインは死んだ。今のオレは……ギース・ムーンだ。わかったなら、今日のところはさっさと帰れ。大陸に帰って、今後どうするかよく考えろ、ボーイ。出来ることなら、お前さんとは……エメラルド・シティでは会いたくないがな」
ジェシーは、ようやく全てを思い出した。
余命数年と宣告された恩人に金を送るため、エメラルド・シティでドラッグの売人をしていたこと。
ジュドーと知り合い、名前が似ていて紛らわしい……その理由から、クリスタル・ボーイと名乗るようになったこと。
ジョーガンやバリンボーと出会い、そして引き取り、実の弟のように面倒を見たこと。
キーク・キャラダインに雇われ、ガロードやルルシーらと共に殺し屋を始めたこと。
そして……ギャリソンたちに拉致されそうになり、自決のため毒薬を飲んだこと。
だがジェシーは、この先どうすればいいのかわからなかった。
自分には、大陸での生活がある。本名のジェシー・ビングマンとして、人生を歩んでいるのだ。
今さら、クリスタル・ボーイに戻る必要があるのだろうか。
クリスタル・ボーイに戻り、エメラルド・シティでドラッグの売人として生きる……そんな人生は嫌だ。
恩人だったハイゼンベルクは、既にこの世を去っている。ならば、自分には大金を作る必要はない。
何より、自分には待っていてくれる人がいる。
しかし……。
ジェシーは、ギースから聞いてしまった。
自分が昏睡状態に陥った後、エメラルド・シティで何が起きたのかを……。
双子の兄弟、ジョーガンとバリンボーはジェシーを助けるために命を捨てた。
ジェシーと喧嘩の絶えなかったガロードは……意識を失ったジェシーを助け出した後、双子の仇を討つため自ら吸血鬼となった。
そしてキークは……エージェントの地位を捨て、右手を失い、墓守りのギース・ムーンとして生きている……。
それらは自分が原因ではない。しかし、自分は無関係ではないのだ……そう、自分にも責任の一端はあるのだ。
なのに……それら全てを放り出して、何事も無かったかのように生きるというのか?
オレは一体、どうすればいいのだ……。




