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エメラルド・シティ 闇にきらめく宝石の街  作者: 赤井"CRUX"錠之介


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彼の選択・前編

 ジェシー・ビングマンの生活は、ごく平凡なものだった。

 朝になるとむっくり起きて、電車に揺られて会社に行く。そして夕方の五時になると仕事を終え、彼女のエミーが待つ家に真っ直ぐ帰る。ギャンブルはやらない、酒は付き合いだけ、風俗にも行かない……ジェシーはほぼ毎日、その生活サイクルを繰り返していた。

 平凡で、やや退屈ではあるが……ジェシーは今の生活に幸せを感じていた。しかし、そんな彼にも気がかりなことがある。

 過去、八年分の記憶がないことだった……。


 二年前、ジェシーは病院で目覚めた。医者から聞いた話によると、化学薬品工場の事故に巻き込まれ……意識不明のまま病院に担ぎこまれてきたのだ。そして三年もの間、昏睡状態であった……しかし、奇跡的に意識を取り戻したのだという。

 だが医者の説明は、ジェシーには今一つピンとこなかった。もっとも、それ以前の問題として……彼にはやらなければならないことがあった。

 リハビリのためのトレーニングである。

 昏睡状態の三年間……それは、ジェシーの肉体を著しく衰弱させていた。歩行さえ困難なほどに。それからしばらくの間、ジェシーは病院でトレーニングに励むこととなった。

 そして……熱心にトレーニングに励んだ結果、ジェシーは日常生活に支障なく動けるようにはなった。

 しかし、次に問題となったのは……ジェシーには、以前の記憶が断片的にしか残っていないことだ。彼は身分証を持っていた。また幼い頃の記憶は、おぼろげではあるが残っている。しかし……約五年分の記憶がすっぽり抜け落ちていたのだ。


「脳には、異常は見られない……君の記憶が戻らないのは、何らかの理由があるのかもしれないね……思い出したくない何かの記憶を封印しているのもしれないね。あるいは、薬品の影響かもしれないが……」


 医者はそう言っていた。だが、ジェシーには全く理解できない。思い出したくない記憶……そんなものがあるのだろうか。仮にあるとしたら、それは一体なんなのだろう。

 いずれにしても……ジェシーの両親は既に他界していた。まだ会社勤めをしているうちに、亡くなっていたらしい。兄弟もいないし、親戚とも連絡が取れない。完全に天涯孤独の身である。そんなジェシーにとっては、失われた記憶を取り戻すよりも優先すべきことがあった。

 生活の安定である。


 やがてジェシーは、入院していた時に担当だった看護婦のエミーと付き合うようになった。そして同棲し、すぐに小さな町工場に就職した。給料はさほど高くない。しかし、エミーと共働きの身であるジェシーが慎ましく暮らしていくには問題ない。何より、過去の経歴についてうるさくない点がありがたかった。

 ジェシーは、今の生活に順応していった。しかし、自身の過去について調べることも忘れていない。ジェシーは暇を見つけては、記憶の断片を元にあちこち行って調べてみた。

 その結果、自分は若い頃は素行の良くない少年であった……ことが判明した。しかし大学を出た後、会社に就職している。

 だが、その会社を僅か二年で退社していたのだ。その後は消息不明となっている。

 ジェシーにはわからなかった。不良少年だった時代の記憶はかすかに残っている。だが、そこから大学に進学した……というのが、まず理解できない。中学の時の成績は最悪だった。高校にいたっては……ギャングの養成所のような場所である。

 実際、ジェシーも休日に行ってみたのだ……母校であるエイブラム高校を。しかし、校門の前には注射器が落ちていたし、道端では薬莢を発見した。もうじき取り壊しになる、という噂すら聞く。進学率に至っては、宝くじに当たる可能性と同じくらいだという。

 そんな場所から、自分は大学に進学したのだ。さらに留年することなく卒業した上、ちゃんと就職もした……かすかなものではあるが、記憶は残っている。卒業した記録と、進学した記録……及び就職した記録も、書類としてちゃんと残っているのだ。

 だが自分は、その会社をいきなり辞めていた。その後、何をしていたのかは不明だ。

 そして五年後、自分は意識不明の状態で病院に担ぎこまれる。化学薬品工場での事故に巻き込まれて、という理由だったらしいが……全く覚えがない。

 さらに、自らの過去を調べていくうち判明したのだが……ジェシーが昏睡状態にあった時、多額の入院費を匿名で払い続けていた人物がいたのだ。その人物の正体も気になるし、礼を言わなくてはならない。ジェシーは時間の許す限り調べた。

 だが、結局は謎のままだった。自分の人生には、五年の空白期間がある。その間、自分は何をしていたのだろう……。

 安定した生活を全て捨て去り、親戚とも縁を切り……自分にそこまでさせたものは、いったい何だったのだ?


 そんなある日、ジェシーは仕事中に急に工場長に呼び出された。

「よう、ビングマン! 調子はどうだい!」

 工場長のダニエルは、ノリの軽い男だった……ジェシーは愛想笑いを浮かべて応じる。

「まあまあですね……ところで、何かあったのでしょうか?」

 ジェシーが尋ねると、ダニエルは顔をしかめ、いかにも残念そうな表情をしてみせる。

「実はな、エメラルド・シティへの日帰り旅行券が当たったんだよ……ところがだ、オレはその日に彼女とのデートが控えてる。オレの彼女は、エメラルド・シティなんか行きたくないと言ってるし、そもそも旅行券は一人分しかない。そこで……ずっと真面目に働いてくれてる、お前にあげようかと思ってな」

「エメラルド・シティ、ですか……」

 ジェシーは内心、困惑していた。自分には、やらなくてはならないことが山積みなのだ。空白の五年間……それに関する情報が何一つ掴めていない。それなのに、呑気に旅行などしたくはない。

 だが、断ると角が立つのも確かだ。しかも、ダニエルは面倒見のいい男ではあるが……同時に面倒くさい部分もある。自分の好意を無視されたりすると、ねちねち攻撃してきたりするタイプの男だ。

 仕方ない。旅行券を誰かに売るか、あるいは行ったふりだけしておこう。


「ありがとうございます。いやあ、行ってみたかったんですよね、エメラルド・シティに……」

 愛想笑いを浮かべ、頭を下げるジェシー。もちろん、エメラルド・シティなどに何の興味もない。人間のクズが行く場所……ジェシーはエメラルド・シティをそう捉えている。無法都市だか何だか知らないが、軍隊でも送り込んで、焼け野原に変えてしまえばいいのだ。まともな人間にとっては、百害あって一利なし……そんな場所に好んで行きたがる者など、ロクな人間ではない。


 しかし、ダニエルの意見は違うらしい。彼は満面の笑みを浮かべた。

「そうか! 行ってくれるか! いやあ、お前が喜んでくれて嬉しいよ! ところでだ、行くんだったら頼みがあるんだけどな……ちょっとこっちに来い」

 そう言うと、ダニエルはジェシーの腕を掴んだ。そして半ば強引に、ひとけのない場所まで引っ張って行く。

「あのな……お前に頼みがあるんだよ。向こうに行ったら、買っといて欲しい物がある」

「……あの、法に触れるような物なら、お断りしますよ」

 そう言うと、ジェシーは会釈し立ち去ろうとする。しかし、ダニエルの手が伸びてきた。ジェシーの肩を掴む。

「勘違いすんな馬鹿……オレは向こうで売ってる、詳しい地図付きのガイドブックが欲しいんだよ。あそこは店の入れ替わりが激しいからな……頼んだぜ」

「はあ……わかりました」

 ジェシーは頷いた。これも付き合いのうちだ。仕方ない……どうせ日帰りなのだし、さっさと行って、ガイドブックだけ手に入れるとしよう。

 そして、ガイドブックを手に入れたら……さっさと引き上げるのだ。あんな場所には、一分たりとも居たくない。




 そして、ジェシーはエメラルド・シティにやって来た。しかし――

「どういうことだ……」

 呆然とした表情で、ジェシーは呟いていた。

 目の前には、『ジュドー&マリア』なる食堂がある……無法都市には似つかわしくない、庶民的な雰囲気だ。しかし、料理の味は保証付きである。値段の方も良心的だ。さらに、治安の方も問題ない。何せ、エメラルド・シティでもトップクラスのギャングが仕切っている店なのだ……少なくとも、最新版のガイドブックにはそう書かれている。

 だが、ジェシーが驚いた理由はそんなことではない……この食堂には、何故か見覚えがあるのだ。


 ジェシーは立ち止まったまま、じっと食堂を見つめる。この場所を見たのは、今日が初めてではない。看板の文字、入り口のデザイン、さらには壁についた傷跡まで……自分は何故か知っているのだ。


 何故だ?

 オレは何故、この場所に見覚えがある?


 食堂の前でジェシーは立ち止まったまま、必死で記憶を探る。この店をいつ、どこで見たのか……。

 いや……どこで、という疑問には答えが出ている。自分は、このエメラルド・シティに居たのだ。

 この、退廃と混沌が支配する街に……。


 翌日、ジェシーはいつも通り仕事に行った。そしてダニエルにガイドブックを手渡す。

「おお! ありがとうな! ところでお前、どこで遊んだんだ?」

 いかにも嬉しそうに、ダニエルは尋ねてきた。ジェシーは苦笑する。

「いやあ、それが……何処で遊べばいいのかわからなくて……」

「何だよ! しょうがねえ奴だなあ! 遊ぶ場所なら腐るほどあんのに、もったいない……」

 そう言いながら、ダニエルはジェシーの耳元に顔を寄せる。

「大きな声じゃあ言えねえが、オレはエメラルド・シティに行ったらな、まずはクリスタルだよ。あそこじゃ、クリスタルは合法だしな。クリスタルを買って、次に女を買う。そして部屋で、その両方を同時に楽しむ。こいつはな、本当に最高だぜ……」

「はあ、そうですか……」

 愛想笑いを浮かべて、ジェシーは返事をする。だが内心では、目の前の男の愚かさに辟易していた。いい年齢であるのに、悪さ自慢とは……。

 だが、この愚かな男に聞かなくてはならないことがある。

「あの……すみません、エメラルド・シティに旅行に行けるようになったのは、いつ頃からですか?」

 ジェシーが尋ねると、ダニエルは眉間にしわを寄せた。

「え……いつ頃だったかな……確か、二年くらい前からかな」

「二年前、ですか……じゃあ、その前はどうでした? オレみたいな一般人が、旅行に行くのは可能だったんですか?」

 さらにジェシーが尋ねると、ダニエルは首を傾げながら口を開く。

「ああ、そりゃ無理だな……当時はいろいろ厳しかったんだよ。手続きが大変だったんだぜ。もっとも、ギャングや異能力者は平気で出入りしていたみたいだけどな」

「そうですか……」




 仕事が終わり、ジェシーは真っ直ぐ家に帰る。結局、ダニエルはあまり役に立たなかった。だが、自分がエメラルド・シティに居たのは間違いない。


 オレは、犯罪者だったのか?


 そんな思いが頭を掠める……かつての自分は、不良少年であったらしい。だが……更生して進学し、さらには就職もした。そんな自分が、何故エメラルド・シティに?


「ただいま」

 家に戻ると、ジェシーは声をかけた。ナースのエミーは、今日は夜勤だと言っていたが……まだ残っているのだろうか。

「あ、おかえり」

 奥から声が返ってきた。わざわざ待っていてくれたのだろうか……ジェシーは思わず微笑んだ。

 そして、ふと思った。自分の過去に、わざわざ手間暇をかけて思い出すほどの値打ちがあるのだろうか……。

 少なくとも、今は幸せなのだ。エミーがそばに居てくれる、それで充分ではないのか?


 エミーが出勤した後、ジェシーはテレビを観ながら色々と考えていた。もう、この辺で手を引くべきなのかもしれない。

 しかし――


(おーっと! エリック兄弟の凄まじいツープラトン攻撃! さすが双子だけあって、ぴったり息の合った攻撃ですねマサさん!)

(ええ……彼らのツープラトン攻撃は一級品ですね。他のタッグチームには真似できませんよ)


 テレビの画面に映し出されているものは、プロレスだ……ジェシーはリモコンを手に固まっていた。もともと、プロレスに興味があるわけではない。リモコンを手にあちこちの番組を観ていたら、たまたま映し出されたのだ。

 だが、リングの上で闘う双子の姿は……ジェシーの記憶に強烈に訴えかけてくるものがあった。


(ボス、ガロードと遊んできます)

(遊んできます)


 こんな言葉が、脳裏に甦る。そして次に、自分の前でニコニコしながら頭を下げる大男の双子の映像が浮かび上がる。

 ジェシーの頭は混乱した……テレビ画面で暴れている双子のプロレスラーとは、まるで違う双子の顔が脳裏に浮かんでいるのだ。

 筋肉隆々とした、それでいて人の良さそうな双子の顔が……。







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