旅立ちの日・前編
エメラルド・シティの観光ルートは、今日もにぎわっていた。様々な人間がここを訪れる。この街に漂う危険な香りに惹き付けられる者、この街でのみ味わえる娯楽に夢中になっている者、この街を自身のビジネスに利用しようとする者たちまでいる。
そんな者たちに混じり、デビッドは歩いていた。人混みの中を、小さな体で滑るように動き移動するデビッド。周りの観光客を素早い動きですり抜けて、どんどん追い抜いていく。その移動速度は異様な速さである。やがて彼は、目当ての場所に辿り着いた。
ゴドーの店である。
「やあ、いらっしゃい……おやおや、君は……どうかしたのかい?」
店に入って行ったデビッドに対し、ニコニコしながら話しかけてくる男がいた……デビッドは拍子抜けしながらも、一応は尋ねてみる。
「あ、あんたがバーニーなの?」
「うん、そうだよ」
ニコニコしながら、即答したバーニー……デビッドは頭を抱えそうになった。噂によれば、バーニーはゴドーの店で十年近く店番を務めているらしい。この腐敗と暴力の支配している街、エメラルド・シティで十年近く生き抜いてきた店番なのである。デビッドは漠然と、厳つい人相の乱暴そうではあるが、頼りがいのありそうな雰囲気の男……そんな者を連想していたのだ。
しかし今、デビッドの目に映っているのは……人の良さそうな笑みを浮かべた優男だった。体は細く、髪は金色で肌は白い。聞いた話では、確か三十を過ぎているはずだが、幼さの残る顔立ちは十代後半と言っても通用するだろう。若い女にはモテるかもしれない優しそうな顔をしているが……頼りがいというか、今一つ信頼性に欠けるような気はする。
だが仕方ない。デビッドはためらいながらも、口を開いた。
「あ、あんたに頼みたいことがあるんだけど」
「え……オレなんかで、お役に立てるかどうかはわからないけど、困ったことがあるなら試しに言ってみてよ。やってみるから」
「う、うーん……」
デビッドは、すぐに言葉が出なかった。正直、バーニーは見た目だけでなく、その態度や醸し出している雰囲気もまた頼りない。ニコニコしながらデビッドを見ているその表情は……はっきり言って、何も考えていなさそうだ。少なくとも、デビッドの目にはそう映る。
しかし、今は彼以外に頼れる人間がいないのだ。デビッドはためらいながらも口を開いた。
「じゃ、じゃあ……あんたに頼むことにするよ」
「わかった! オレに任せなよ!」
そう言うと、バーニーはカウンターから出てきた。
「じゃあ、まずは何をしたいんだい?」
店の外に出ると、バーニーはニコニコしながら尋ねる。デビッドは少し考えたが、こう答えた。
「悪いんだけど、ちょっと付いて来てくれないかな……」
そう言って、デビッドはさっさと歩き出す。バーニーは慌てて、その後に続いた。
歩き続けるデビッド。その速度は異様に速い。バーニーはもともと肉体派ではないし、最近はすっかり運動不足だ。若いデビッドの体力には圧倒されてしまう……付いて行くのがやっとである。
しかも、デビッドに連れられて到着したのは……。
公園の跡地だった。
「え、ここ? ここで何をしたいの?」
すっとんきょうな声で尋ねるバーニー……すると、デビッドはもじもじしながら答える。
「あのさ……バックドロップってやっていい?」
「え、えええ!? バックドロップ!? バックドロップって、あのバックドロップだよね!?」
「うん、バックドロップ……なんだけど……駄目かな……」
はにかみながら、デビッドは言う。バーニーは慌てた。
「い、いや……何でバックドロップなの!?」
バーニーは大げさな身振り手振りを交えて叫んだ……すると、デビッドは困ったような表情になり下を向く。拒絶された、と思ったのだろうか。
そんなデビッドの顔を見て、バーニーはためらうような表情を見せたが……。
やがて何かを決意したように、力強く頷いた。
「そうか……わかった! オレでよければ、バックドロップかけてみなよ! ただし、あそこの草むらで……優しくしてね……」
そして一分後……バーニーは、草むらの上で大の字になり倒れていた。そして浮浪者たちが遠くから、不思議そうな目でこちらを見ている。
「バーニー……大丈夫かい……」
心配そうに覗きこむデビッド。バーニーは後頭部をさすりながら、どうにか立ち上がった。
「いてててて……あ、凄く痛いけど大丈夫だよ。次は何するの?」
バーニーは、無理やり笑顔を作りながら尋ねる。すると今度は――
「じゃ、じゃあ次は……スーパー・ボールを……」
「スーパー・ボール? うーん……スーパー・ボールは、道具がいっぱい必要だからな……」
バーニーは考えた。スーパー・ボールとは、フットボールとベースボールを合体させたような、大陸では大人気の格闘球技である。フットボールのようなプロテクターを身に着け、ベースボールのようなルールでプレイする。ただし、タックルしたり殴る蹴るのような技でランナーをブロックするのが許される、非常に過激なルールなのであるが……。
「やっぱり無理かな……」
落ち込むデビッドの顔を見て……バーニーは決断した。
とにかく、やれるだけやってみようと。
「わかった! デビッド、いったん店に戻ろう!」
「え? 戻るの?」
「ああ。店には、バットとボールくらいはあったはずだよ。持って来よう!」
そう言いながら、バーニーはニッコリ微笑んだ。
しかし……。
「ちょっとバーニー! あんた、店ほっぽらかして何処をほっつき歩いてたんだい!」
店に入って行ったバーニーを、いきなり怒鳴りつける声……クリスである。くわえタバコで銃身を切り詰めたショットガンを抱えた、タフそうな表情の金髪女性だ。クリスはバーニーに対し、今にも殴りかかって行きそうな様子だ。獰猛な表情でバーニーを睨み付けている……。
「え、ああクリス……まあ、ちょっと色々あってね。これからまた、ちょっと出かけて来るから店番よろしくね」
バーニーはクリスの剣幕など意に介さず、そう言ってのけた。そして後ろで唖然としているデビッドと、今にも爆発しそうな表情で体を震わせているクリスを尻目にカウンターに入って行く。
「ちょっとバーニー! なに一人で訳わかんないこと言ってるんだい!」
怒鳴りつけるクリス。しかしバーニーは聞き流し、バットとボールを取り出した。
「あったよ。さあ、行こうか」
バーニーはニコニコしながら、店を出て行く。後ろからは、クリスのわめくような声が聞こえてきているが、バーニーは気にせず歩いていく……。
「バーニー……大丈夫なのかい……」
デビッドが心配そうな表情で尋ねると、バーニーはニコニコしながら頷いた。
「うん大丈夫だよ。あとでブン殴られるけど」
二人は公園の跡地に戻って来た。
「ねえデビッド、君は打つ方をやりたいの? それとも投げる方をやりたい? どっちが好き?」
バーニーが尋ねると、デビッドは少し考えるような素振りを見せる。
そして――
「じゃあ、バッターやりたい」
「じゃあ、いくよ……オレが投げるから、君は打つ。もし君が打てたら、あそこの木まで走る。オレはボールを取って、君をブロックする。君がオレのブロックをかわして木にタッチできれば……君の勝ちだ。わかったね」
少し離れた場所から、バーニーが声をかける。するとデビッドが頷き、バットを構えた。
バーニーは両腕を大きく振りかぶり、ボールを投げる。しかし、バーニーの投げたボールには……スピードも重さもなかった。デビッドはバットを振り、あっさりと打ってのける。
デビッドの打ったボールは、バーニーの足元にころころと転がって来た。バーニーは素早く拾い上げ、大木まで走る。
一方、デビッドは全速力で走った。そのデビッドをブロックすべく、前に立ちはだかるバーニー……しかし、デビッドは全体重をかけて突っ込んで行った。
次の瞬間、強烈なタックルをまともに食らい、吹っ飛んでいくバーニー……そしてデビッドは大木にタッチしてみせた。
一方のバーニーは、仰向けに倒れたまま起き上がろうとしない。
「バーニー……大丈夫かい……」
心配そうに駆け寄るデビッド。バーニーは後頭部をさすりながら、どうにか立ち上がった。
「いてててて……凄いタックルだな……バッティングはいまいちだけど、タックルは凄かったよ」
「え、本当に?」
「ああ、オレはお世辞は言わないから」
そう言って、微笑むバーニー……すると、一人の老人が近づいて来た。エメラルド・シティの浮浪者たちのリーダー、タン・フー・ルーである。
「バーニー……お前、何をやっている?」
タンは訝しげな表情で尋ねてきた。それに対し、バーニーはあやふやな笑顔を向ける。
「あ、ああ……まあ、色々あってね。オレのことは気にしなくていいから」
そう言って、バーニーはデビッドの方を向いた。デビッドの顔に、一瞬ではあるが複雑な表情が浮かぶ……。
しかし、一人で歩き始めた。そして公園から出て行く。バーニーは慌ててバットとボールを拾い上げ、後を追って行った。
「あいつ……何をしておるのじゃ……相変わらずおかしな奴じゃのう……」
去って行くバーニーの後ろ姿を見ながら、不思議そうな表情で呟くタン。首を傾げながらも、仲間の浮浪者たちの方へと戻って行った。
「デビッド! デビッドってば! ちょっと待ってよ! スーパー・ボールはもういいのかい?」
だいぶ先を歩いていたデビッドに追い付き、肩を掴んで止めるバーニー。デビッドは体は小さいが、体力はかなりのものだ。ただでさえ運動不足でひ弱なバーニーでは、とても太刀打ちできない……。
「しかし、オレの分のバットはいらなかったなあ。いや、そんなことより……ねえデビッド、次は何をするんだい? したいことがあるなら、何でも言ってよ……オレが協力するからさ――」
「もう……いいよ……」
答えたデビッドの表情は暗かった。先ほどバットを振り、バーニーをタックルで吹っ飛ばした先ほどまでの楽しそうな笑顔は、綺麗さっぱり消え失せている。
「ええ!? 一体どうしたっていうんだい!?」
驚いた表情で、バーニーは叫んだ。しかし、デビッドは頭を振る。
「もう……いいよ……これ以上……あんたに迷惑はかけられない……ありがとう……」
そう言うと、デビッドは立ち去ろうとした。しかし、バーニーがその腕を掴んで引き止める。
「オレのことは気にしなくていいよ。ここまで来た以上、最後まで協力させてよ……オレに出来ることなら、何でもするからさ」
そう言うと、バーニーは微笑んだ。
「あ、ありがとう……」
やがて二人は、街外れのバラックが立ち並ぶ一帯にやって来た。この辺りになると、ほとんどの観光客は近寄ろうとしない。たまに頭の悪い若者たちが怖いもの見たさで侵入してくるケースもあるが……大抵の場合、大陸ではまずお目にかかれないような、不気味な表情をした男たちの威嚇の視線に耐えきれず、逃げていくのがオチだ。
その視線に負けじと進んでいく者も、ごくまれにいたりするが……ほぼ間違いなく、行方不明者として処理されることとなる。
そんな中に、バーニーとデビッドは入って行った。
「デビッド、ここで何をしたいんだい?」
バーニーが尋ねると、デビッドは迷うような素振りを見せたが……。
ややあって、意を決した表情になる。
「オレの……父ちゃんと母ちゃんがこの近所に住んでるんだ……父ちゃんと母ちゃんに……最期のお別れを言いたい」
「それは……いくらオレでも出来ない。それだけは無理なんだよ……」
バーニーはそう言って、憐れみのこもった目でデビッドを見つめる。
「君はもう死んでるんだ。他の人の目には、君の姿は見えないんだから……」




