野獣の変化 3
翌日、ギブソンは一人で観光ルートを歩いていた。マルコとアメデオは家に残している。
観光客を避けながら、ギブソンはゆっくり歩き、あちこちを見て回っていた。実に様々な店が、軒先を連ねている。どこもかしこも、怪しげな雰囲気を醸し出しているが。『ドラッグストア』という看板を掲げた店――確実に大陸では違法となるドラッグであろうが――があるかと思うと、『生きた人間が撃てます!』などと看板に書かれた射撃場もある。そして電柱には、バトルリングのポスターが張られていた。バトルリングとは、金網の中に設置されたリングに二人の男――女の場合もある――を閉じ込め、どちらかが死ぬまで闘わせる格闘技……いや、殺し合いだ。その死闘を観客に見せる。同時に賭けも行われており、観客はどちらか好きな方に賭ける。そして両者の死闘を安全な観客席で、ビールなどを飲みながら眺めるのだ。
しかも最近では、特別なルールの試合が行われることもある。火器などで武装した人間が、人外と闘う特別試合も組まれるのだ。その場合は地下に設置された、防弾ガラスに覆われた特殊なリングに移動するのだが……観光客には大人気のスポットである。
この大通りをもう少し進むと、巨大な売春地帯であるレッドラインに辿り着くのだ。もっとも、ギブソンは足を踏み入れたことはないが。レッドラインは、ロッチナ率いる『マーティアル』が仕切っているという話だ。噂によると、レッドラインの売春婦たちの元締めの女はロッチナの情婦……いや、内妻とも言えるほどの間柄なのだという。この中には、ありとあらゆるタイプの女が揃っており、男に極上の一夜を過ごさせてくれる。ただし、妙な真似をしたらただでは済まない。
もっとも、ギブソンにはそんなことは関係ないが。ギブソンとしては、これ以上の交友関係の広がりを望んではいない。ただでさえ、ジュドーたちとギース……そして、モニカたちの三すくみの真っ只中にいるのだから。この上、さらなる厄介事を抱え込みたくはないのだ。
それに、今は女を買いたい気分でもない。ギブソンがなぜ観光ルートを散策しているのかと言えば、いずれは商売を……と考えているからだ。いつかはマルコにも、堅気の仕事をしてほしい。そのためには、マルコにも出来そうな仕事を探さなくてはならない。マルコは力が強く、動きも素早いし、頭も悪くない。いや、むしろ学習の呑み込みは早い方なのではないだろうか。自分の欲目なのかもしれないが。
いずれにしても、マルコに出来ることは幾らでもある。だが、問題は別にある……ギブソンがそんなことを考えながら歩いていると――
「暇か?」
不意に、背後から聞こえてきた声……ギブソンは嫌な予感を覚えつつも、ゆっくり振り返る。
そこにいたのは、黒いレインコートを着た者だった。中肉中背、フードを目深に被っているため顔は見えないが、声から察するに男であろう。聞き覚えのある男の声。
そう、この声は……
「あんた、ギースさんじゃないですか……こんな所で何やってるんです?」
ギブソンが尋ねると、ギースは顔をこちらに寄せてきた。
「声が大きい……ちょっと付いて来てくれ」
ギースはそう言うと、ギブソンの返事も聞かずに歩き出す……ギブソンは首を傾げながらも、後を付いて行った。
ギースは観光ルートから離れ、裏通りに入って行った。僅か十メートルほど離れただけなのに、辺りの様相は一変している。廃材で造り上げた小屋やテントなどが並び、昔ながらの無法地帯の風景が色濃く残っている。もっとも、他の地区に比べればまだマシなのだが。
だが、ギースはお構い無しだ。手近にある掘っ立て小屋の中にずかずか入って行く。ギブソンも後から入って行った。
ギースは床にしゃがみこむと、ギブソンの腕を掴んだ。そして、しゃがむように促す。ギブソンは戸惑いながらも、ギースの隣にしゃがみこんだ。
「ギブソン……実は今、非常に面倒なことになっている。お前たちの助けを借りたい。ただし、これは危険な仕事だ……下手をするとジュドーたちをも敵に回すことになるかもしれない。無理にとは言わんが――」
「無理ですね。オレとマルコを、そんな面倒なことに巻き込まないでください。じゃあ失礼します」
そう言い放ち、ギブソンは立ち上がった。そういう二つの組織板挟みのような展開は御免だ。ギブソンは向きを変えて歩き出す。
だが――
「マルコの母親が今どこで何をしているか、オレは知っているが……お前は知りたくないのか?」
すると、ギブソンの動きが止まった。そして、ゆっくりと振り返る……ギースの表情は、フードに隠れて見えない。
「あんた……汚いぞ……あんたがそんな奴だとは思わなかったぜ……」
「何とでも言え……やるのかやらねえのか、どっちだい?」
ギースの声は、ひどく乾いていた。ギブソンは憎々しげな表情でギースを見つめながら、ゆっくりと言葉を吐き出す。
「わかったよ。やりゃあいいんだろうが。何やるんだよ? オレにジュドーを殺せとでも言いたいのか?」
毒づくギブソン。ギースを殴り倒したい衝動を必死でこらえていた。先ほどギースに向かい、汚い、と言ったが……こんなのは取り引きとしては、よくある話だ。人質をとっているわけでもない。仕事の見返りとして情報を与える……まだ良心的な方である。
しかし、マルコを利用されるような遣り口が不快であることに代わりはない。ギースは他のギャング連中とは違う……と思っていただけに、なおさらだ。
「フッ……いや、そんなことはしなくていい。ジュドーが死んだら、この街は面倒なことになる。奴はエメラルド・シティに必要な男さ。それよりも、やって欲しいのは……ある連中を殺してもらいたいんだよ」
「そんなの、あんたが手下を使って殺ればいいじゃねえか……」
「そうはいかないんだ。オレは今から、大陸に渡るんだよ……仲間を二人連れてな。いろいろ面倒なんだよ、その二人を連れて行くのは。だから、オレたちの居ない間……お前ら二人に殺ってもらいたいんだよ、ある連中をな。お前らの仕業だと、バレないように殺ってくれ」
「そいつらを殺ったのがオレたちだとバレると……どうなるんだ?」
「バレたら、お前らは虎の会を敵に回すことになるだろうな。何せ、その標的は虎の会に所属する殺し屋だからよ」
「何だよ、そりゃあ……」
ギブソンは天を仰いだ。よりによって、殺し屋を始末するとは……非常に面倒な話だ。しかも虎の会に所属しているとなると、競りの時に一度や二度は顔を合わせたことがあるはず。
つまり、向こうは自分の顔を知っているのだ。そうなると、万が一にも仕留め損なったら……今度は自分とマルコの名前が、競りに出ることとなる……。
「ったく、面倒な話を持ってきやがって……てめえを今、殺してやりたいよ。一つ聞きたいんだが、何だって殺し屋を始末しなきゃならねえんだ?」
ギブソンは乱暴な口調で尋ねる。ギースに対し今の今まで抱いていた敬意は、もはや綺麗さっぱり消えていた。
「ああ……少々厄介なことになっててな。ある大物が、ある人を殺すために虎の会に依頼した。ところが、別の大物はその人を殺させたくない。そこで、オレに依頼が来たんだよ……暗殺を止めろ、と。ところが、オレは虎の会の連中からは睨まれてる。オレが口を出そうもんなら、確実に揉めることになるだろうな。下手すると、虎の会の中でも血の気の多いのが……トチ狂った真似をする、かもしれない」
ギースは言葉を止めた。そして、もう一度あたりを見回す。
一息ついた後、言葉を続けた。
「オレは……奴らとの戦争は望まない。そこでだ、オレは殺しを依頼した大物と話し合い、依頼を取り下げさせる。ボディーガードを二人連れてな。場合によっては、ボディーガードに暴れてもらうことになるかもしれん。そして、お前たちには……その殺しを引き受けた連中を殺してもらいたい」
「まあ、話はわかったよ……だが、何で殺し屋を殺さなきゃならないんだ? 要は、その誰かが助かりゃいいわけだろ? だったら、オレたちがガードすればいいだけじゃねえか」
ギブソンが尋ねると、ギースは苦笑しながら口を開いた。
「それがな、その誰かには既にボディーガードを付けているんだよ。それに、こっちの成果も見せる必要もあるしな。命を狙っていた殺し屋は始末した、という……さらに言うとだ、お前らがガードしてどうすんだ? お前らが虎の会を裏切ったことがバレバレじゃねえか」
「……別に裏切ったわけじゃねえ」
不貞腐れたような口調で言うギブソン。しかし彼は、ギースの意見がもっともであることを認めている。裏の世界に限らず、どこの業界であっても成果のアピールは必要だ。特に今回の場合など、大陸に渡ってからの交渉の際……確実に有利な材料となるだろう。
「わかったよ……で、どいつを殺るんだ?」
ギブソンが言うと、ギースは数枚の写真と書類を取り出した。そして、ギブソンに手渡す。
「こいつらだ……三日以内に頼むぜ。あっ、もちろん金も払うぜ」
ギブソンが家に戻ると、マルコは一人で絵本を読んでいた。その横では、アメデオがぴったりと寄り添い眠っている。マルコを信頼しきっているのだろう。その二人……いや一人と一匹の様子は、見ていて思わず笑みがこぼれてしまいそうになる……。
その時、ギブソンの頭に閃くものがあった。
「なあマルコ……お前、本は好きか?」
ギブソンの言葉を聞き、マルコは頷く。
「うん。好き」
「そうか……じゃあ今度、別の本も買ってきてやるからな」
「え……わかった!」
マルコの表情は、パッと明るくなった。すると、眠っていたアメデオが目を覚まし、マルコを見上げた。そして、きゃん、と鳴く。マルコは嬉しそうに、アメデオの頭を撫でた。
「マルコ、仕事が入った。急ぎの仕事だ。三日以内に片付ける。だから、アメデオはしばらく預けるぞ。いいな?」
ギブソンがそう言うと、マルコの表情は曇った。だが、自分を納得させるかのように頷く。
「うん、わかった……」
「じゃあ、今から預けに行こう」
ギブソンの言葉に、マルコは困ったような表情を浮かべた。
「え、今?」
「そうだ、今からだ……お前も来い。アメデオを預かってくれるように、丁寧にお願いするんだ」
「ケ、ケイ……あの、アメデオをよろしく……アメデオはチーズと牛乳が好きだから……」
「わかった。任せて」
しどろもどろになりながら言葉を発するマルコ。その横では、嬉しそうにロバーツにじゃれつくアメデオ……そしてケイは、双子の姉のユリやモニカ、そしてロバーツと共に、孤児院の入り口に来ていた。
丸太で作られた塀に囲まれた孤児院は、入り口に『モニカの家』と書かれた表札らしき物が打ち付けられている。中からは、子供たちのはしゃぐ声が聞こえていた。それに混じり、若い女や惚けた男の声も聞こえてくる。
「みんな! 次はビリーを捕まえるである!」
「待ってくれよ……またオレかい……」
この前に会った、マリアとビリーが子供たちと遊んでいるのだろう。ギブソンは思わず微笑んでいた。モニカとケイも苦笑している。だが、ユリだけは笑っていない。どこか陰のある瞳で、フードを被り顔を見せないマルコを凝視している。
「マルコ……アメデオは責任を持って預かるよ。安心しな」
モニカの言葉は、優しさに満ちたものだった。マルコも嬉しそうに頷く。
だが、それまで黙っていたユリが口を開いた。
「ちょっと、あんた……人に頼み事するのに顔も見せないって……どういうことだい?」
「え……」
マルコは思わぬ言葉に口ごもり、下を向く……同時に、ギブソンの目付きが変わった。怒りの表情で言葉を返そうとした途端――
「ユリ……あんたは黙ってな」
モニカの静かな、それでいて有無を言わさぬ一言……ユリは不貞腐れたような顔で、プイッと孤児院に入ってしまった。
「ったく、あの娘は……気にすんじゃないよ、マルコ。アメデオのことは、あたしたちに任せな。それとギブソン……くれぐれも気を付けるんだよ」
そう言って、ギブソンを見つめるモニカ。全てを見通しているかのような言葉に、ギブソンは苦笑した。
「わかりました……まあ、何とか無事に終われるようにやってみます」




