警官たちの日常・後編
レイモンドとディーンは、黙ったままパトカーを走らせていた。観光ルートと違い、裏通りでは滅多に人と会わない。だが、明らかにあちこちで人の気配はしている。また、廃材でこしらえたような小屋やテントがあるかと思うと、コンクリート製の集合住宅があったり、鉄板で覆われた屋敷もあったりする。統一感の全くない街並みだ。
いや、一つだけ共通する部分がある。その通りは、混沌の空気に満ちていた。何もかもを呑み込み共存させてしまいそうな、そんな不思議なものを感じさせる場所だった。
「さて、そろそろ飯でも食うか。新人、ちょっとここで待ってろ」
そう言うと、レイモンドは車を停めた。この辺りをパトロールする際は、必ずどちらかが車に残ることになっている。レイモンドは車から降りようとして、ちらりとディーンを見た。ディーンは未だに浮かない顔だ。
レイモンドは何も言わず、車を降りて歩き出す。どうやら、あのディーンという若者は長続きしそうにない。今日で辞表を出すのではないか……もっとも、一度ここに落ちてきてしまった者は、辞めるにも一苦労なのだが。
そんなことを考えながら、レイモンドは一軒の屋台に向かい歩いて行く。そこには、肉と野菜を挟んだサンドイッチのようなものが並べられている。それを作っているのは、髪の短い小柄な男であった。
ステファンである。
「おいステファン……今日も儲かってるのか?」
レイモンドはわざとらしい大声を出す。ここでの彼の演じる役割……それは、賄賂をせびる悪徳警官だ。
「だ、旦那……そんなことないですよ。こんな屋台やってて、儲かるはずないじゃないですか……」
ステファンもまた、哀れな声を出す。
「本当か? じゃあ、ちょいと確認させてもらうぜ」
言いながら、レイモンドはずかずか屋台の裏側に入っていく。そしてステファンのそばに立ち、耳元に顔を近づけていく。端から見れば、哀れな男を脅して賄賂をせびっている悪徳警官の図だ。
しかし、そこで交わされている言葉の中身は――
「ステファン……標的はどうしてる?」
「いつも通りですぜ。奴ら、なかなか用心深いですよ……」
「そうか。イーゲンとダイアンに伝えろ。今夜、奴らを殺る」
「ええ!? こ、今夜ですか!?」
「声が大きいぞ……俺にちょっと考えがある。そいつが上手くいかなかったら、ギブソンたちに助っ人を頼むことにする」
「じょ、冗談じゃ――」
「声がデカいと言ってるのがわからねえのか? とにかく、あの二人に伝えておけ。今夜、奴らを殺る」
「悪さはしてないようだなステファン! 真面目に働けよ!」
乱暴な口調で言い放ち、パトカーに戻って来たレイモンド。その手には、屋台に並べられていたサンドイッチが二つ。
パトカーに乗り込むと、レイモンドはディーンにサンドイッチを差し出した。
「俺のおごりだ。新人、食っとけ」
「……いらないです」
ディーンは不貞腐れたような口調で答えた。顔には、露骨に不快そうな表情が浮かんでいる。レイモンドは苦笑した。
「おい新人……そんな顔をするなよ。ここはな、エメラルド・シティなんだよ……ここには、ここのやり方がある。これから少しずつ、それを学んでいけ」
「学ぶこと? いったい何があるって言うんです? 犯罪を見て見ぬふり、そして市民から賄賂をせびる……それが警官の仕事だってことをですか?」
皮肉たっぷりの口調で尋ねるディーン。しかし、レイモンドは表情一つ変えない。
「その通りだよ。ようやく理解してもらえたな」
パトカーを走らせるレイモンド。ディーンは黙ったままだ。
しかし、車内の空気は一瞬にして変わった。
「レイモンドさん! あれ見てください!」
ディーンの興奮した声……レイモンドがそちらを見ると、数人のギャングらしき者たちが一人の男に対し、殴る蹴るの暴行を加えている。この街では、よく見かける光景だ。
「ああ……あれはバーター・ファミリーの連中だな。ほっとけ」
「そ、そんな! あいつ死んじゃいますよ!」
だが、レイモンドはその叫びを無視してパトカーを走らせる。パトカーは、あっという間にリンチの現場を通りすぎていった。
「あ、あなたは……何を考えてるんですか……」
呆然とした表情で呟くディーン。すると、レイモンドは車を止めた。
「なあ新人……大切なことを教えてやる。このエメラルド・シティではな、オレたちはただの部品の一つなんだよ。街が上手く機能するための、な。バーター・ファミリーはちゃんとした組織だよ。エメラルド・シティの三分の一を仕切る……そこの連中が、誰かを痛めつけるとなると、そこには、ちゃんとした理由があるはずだ。それをオレたちがいちいち止めてたら、この街の流れを妨げることになる」
「……この街は、本当に腐り果ててますね」
吐き捨てるように言ったディーン。その表情は歪んでいた。
「新人……お前、本気でこの街を変えたいのか?」
パトカーを運転しながら、不意に尋ねるレイモンド……すると、ディーンはこちらを睨んだ。
「当たり前じゃないですか! オレはこんなの納得できませんよ――」
「じゃあ、後でオレに付いて来い。このエメラルド・シティを変える方法……それを教えてやる」
「……」
そして夜の十時過ぎ。
レイモンドとディーンは、二人して路上を歩いていた。今は人外の蠢く時間帯である。外に出ているのは、物好きな観光客くらいなものだ。
あるいは何らかの事情により、人外と殺り合ってでも果たさなければならない用事があるか。
「レイモンドさん……どこに行くんです?」
ディーンは震える声で尋ねた。二人は辺りを窺いながら、建物の壁に沿って慎重に歩いている。時おり、得体の知れない者とすれ違うこともあった。
「いいから、黙って付いて来い。この光景もエメラルド・シティの現実だ。よく見ておけ」
言葉そのものはキツいが、レイモンドの口調は優しいものだった。ディーンは震えながらも、レイモンドの後を付いて行く。
やがてレイモンドは立ち止まった。十メートルほど先には、巨大な倉庫らしきものがある。
レイモンドは物陰に潜み、辺りを見回した。人外らしき者が遠くを歩いているのが見える。だが、この近辺にはいないようだ。人外たちにも好みの場所があるらしい。レイモンドは振り返った。
「ディーン……オレの掴んだ情報によると、あの古い倉庫で、ギャング共が集まってクリスタルの取り引きをしてやがるんだよ」
「は、はい」
「しかしだ、今のオレたちには逮捕できない……そもそも、ギャング共は警察内部とがっちり繋がってる。クリスタル程度で逮捕したところで、すぐに釈放されるのがオチだがな」
「そんな……」
ディーンの声には悔しさが滲んでいた……レイモンドの顔に笑みが浮かぶ。
「そこで、だ……お前に相談がある。オレたちで、ここにいるギャングを皆殺しにしないか?」
「え……」
そう言ったきり、絶句するディーン……レイモンドの顔ををまじまじと見つめる。
「なあディーン……ギャングは、この街のゴミだ。ゴミは掃除していく、それは当然のことだろう。だが、ここの警察は腐っている。今のオレたちに出来ることは、せいぜい観光客の道案内くらいだ。だから、オレは本来の警察の役割を果たす。まずは、ここにいるギャング共を皆殺しだ。そうすれば、少なくともここのギャングが他の人間に害を及ぼすのは防げる」
「そんな……」
「ディーン、無理にとは言わない。決めるのはお前だ。お前がやらないと言うなら、速やかに引き上げる。オレ一人じゃあ無理だからな。ただ、今やらなかったら……明日には、大量のクリスタルが街に出回ることになる」
「……」
ディーンは黙ったまま下を向いた。悩んでいるのが手に取るようにわかる……レイモンドは辺りを見回した。
「早くしろ。うかうかしてると、人外に襲われるぞ。決めるのはお前だ」
レイモンドの言葉を聞き、ディーンは顔を上げた。そして口を開く。
「やりましょう。少しずつでも、この街を変えていきます」
「警察だ! 動くな!」
叫びながら、拳銃を構えて飛び込んで行ったディーン。防弾ベストを着用しているとはいえ、こうした撃ち合いになるかもしれない現場は初めてだ。緊張で全身を震わせながら、ディーンはギャングたちの姿を確認する。全部で二十人ほどか。ほぼ全員が自動小銃や拳銃などで武装し、いきなり乱入してきた自分を睨み付けている。
(お前が正面から乗り込んで、注意を引き付けろ。その隙に、オレと仲間たちが背後から奇襲をかけ、皆殺しにする)
レイモンドの言葉が脳裡に浮かぶ。仲間とは何者なのか、ディーンにはわからない。もし仮に、レイモンドが来なかったら……自分は確実に殺される。
だが、レイモンドはきっと来る。自分はレイモンドを信じる。
「何だてめえ……警官に用はねえんだ。さっさと失せろ」
ギャングたちは凄み、ディーンを取り囲むように動く。しかし――
渇いた音が響き渡った。次の瞬間、バタリと倒れる音……ギャングの一人が後頭部から血を流し、うつ伏せに倒れた。
ギャングたちは、一斉に向きを変える。
倉庫の窓から、ライフルの銃口がギャングたちの方を向いている。
次の瞬間、ギャングたちは動く。一斉に銃を構え、トリガーを引く。窓でライフルを構えている何者か……それと、ディーンめがけて。
ディーンは、あっという間に蜂の巣のようにされた……防弾ベストでも防ぎきれないほどの銃弾を受け、ディーンは倒れる。痛みすら感じる間もなく、何が起きていたのか把握する間もなく即死した。
だが、ライフルの持ち主は身を隠したらしい。ギャングたちは銃を構えつつ、襲撃者の攻撃に備える。
しかし、今度は手榴弾だ……窓から投げ入れられた手榴弾が転がり――
そして爆発した。
あまりの事態に、ギャングたちは冷静さを失いわめきちらす……だが、もう一つの手榴弾が放り込まれ、彼らをさらなる混乱に追い込む。パニックに陥ったギャングたちは、ディーンの死体を踏んづけながら出口に殺到する――
しかし、扉は開かない。何者かによって、固く閉ざされている……恐怖心の虜となったギャングたちは、怒号を発しながら扉を開けようとする。
その時、窓からライフルの銃口が突き出される。
ライフルから放たれる銃弾は、ギャングたちの命を確実に奪っていった。
「さてと、上手くいったみたいだな……」
扉が開き、入ってきたのはレイモンドだった。死体と化したディーンには、一瞥をくれただけだった。続いてライフルを抱えたイーゲン、さらにダイアンが入って行く。彼ら三人は、手近な死体を蹴飛ばしながら倉庫内を回っていく。
すると、隅の方で倒れていたはずの男がいきなり立ち上がった――
「おい人間……よくも取り引きをぶち壊してくれたなあ……悪いが死んでもらうぜ」
言うと同時に、男の犬歯が伸び始めた。手には獣の鉤爪のような物が生え、その瞳は紅く光っている。
男は獣のような声を上げると、凄まじい勢いで襲いかかって行く――
しかし、ダイアンが前に立ちふさがった。手には長く太い針のような物が握られている。
ダイアンは鉤爪の一撃をかわし、首に針を打ち込む……だが、男は平然としている。
「オレにそんなものが効くか!」
吠えながら、男は鉤爪を振り上げた。
だが次の瞬間、男はその姿勢のまま硬直した。顔には奇妙な表情が浮かんでいる――
「う、な、何だこれ……う、うわああああ!」
男は立ったまま、激しく痙攣し始めた……だが、それはほんの数秒の間だった。一瞬の後、男は灰の固まりと化す。
そして崩れ去った。
「人外用に編み出した、ダイアン式鍼術……オレの針で殺せない奴はいないんだよ」
灰の固まりに向かい、ダイアンは言い放った。冷静な表情は変わらず、息も乱れていない。
「さすがダイアンだな……しかし参ったね。今時のギャングは、人外と手を組むのかよ」
ライフルを担いだイーゲンが、呆れたような表情で言った。
「まあ、下手な用心棒を雇うよりは、人外の方が頼りになるのは確かだよな」
レイモンドはそう答えた後、携帯電話を取り出す。そして耳に当てた。
「ま、後の始末はオレに任せときな……あ、もしもし……大変ですよ!」
翌日、レイモンドはトランク署長に呼び出された。
「レイモンド……状況から見て、ディーン・ケインがギャングと撃ち合ったとしか思えん。それで処理するが……本当に、ここまでバカな奴だとはな。全くもって予想外だ」
「ええ、本当ですよね……まあ、本人も満足だったんじゃないですか? 悪人と撃ち合い、正義の味方として死ねたんですから」
「今度からは不真面目でもいいから、もう少し柔軟性のある奴をよこしてもらいたいものだな」
トランク署長はぶつくさ言いながら、書類にサインしている。
レイモンドは頭を下げ、自分のデスクに戻った。今日もまた、いつもと同じ一日が始まる。昨日は、一人の愚か者と大勢の悪党が死んだ。自分がなぜ殺されなくてはいけなかったのか、そして自分は誰に殺されたのか……それすら知らぬまま、一瞬にして死んだ。いとも簡単に、実にあっけなく。
そして、この街は何も変わらない。皆、いつもと同じように生活していく。
そう、エメラルド・シティは昔と変わることなく存在していく……汚れた街として。
これからも、ずっと。
警官たちの日常《完》




