野獣の思い 4
「それからだよ、オレとマルコが組むようになったのは……だが結局、大陸にはいられなくなっちまった。そして、エメラルド・シティに流れ着いたって訳さ」
ギブソンは語り終えると、マルコの方をちらりと見た。マルコは照れたような表情を浮かべながら、ケイと話している。
「なるほどな……だが、何のためにオレにそんな話をしたんだ? 可哀想なマルコに同情してくれとでも言いたいのか?」
ジョニーが尋ねると、ギブソンは首を振った。
「いや、そういうワケじゃねえよ……ただ、あんたの言ってるマットって男なら、マルコを上手く導けたんじゃないかと思ってな」
「マット、か……」
ジョニーはしみじみとした表情で言った。すると彼の言葉に反応したのか、ロバーツがとことこ歩いて来る。何か言いたげな表情でジョニーを見上げた。
ジョニーは、その厳つい顔に優しげな笑みを浮かべてロバーツを見つめる。
「ロバーツ……お前、どう思う? マットなら、マルコを導けたのかな?」
ジョニーがそう言うと、ロバーツは、わう、と吠えた。ギブソンも思わず微笑む。
そして思った。マルコにアメデオが居てくれて本当に良かった、と……アメデオとの出会いが、マルコの心を豊かにしてくれた。さらには、アメデオの存在がきっかけでロバーツと出会い、ケイと出会えた。
縁とは、不思議なものだ……。
「ギブソン……オレはお前らとは何の関係もない。お前らがどうなろうが、オレの知ったことじゃねえ。だがな、一つだけ言っておく……オレには、マルコが人間に思える。顔はともかく、あいつの中身は人間だと思うぜ。あいつを人間に変えたのは、お前だ。お前と出会わなかったら、マルコはどうなってた? マルコにしてみれば、お前は恩人だろうさ。だから、お前の言うことを聞くんだろうが……オレは、お前らがどんな生活をしてきたかは知らねえ。だが、お前はよくやったと思う――」
「さあ、出来たわよ……あらアンタたち、ずいぶんと仲良くなったみたいじゃない。ちょっとギブソン、アンタ男が好きだったの?」
無遠慮な声と同時に、アンドレが両手に皿を持ち、巨体を揺るがせて厨房から出てきた。ジョニーは、露骨に嫌そうな表情を浮かべて顔を背ける。一方、ロバーツははち切れんばかりの勢いで尻尾を振っている。皿に乗っているハンバーグステーキが目当てなのだろう。ギブソンも目を丸くした。
「姐さんの手料理って、ハンバーグですか……似合わないですね――」
「ああ? だったらアタシにはどんな料理が似合うってんだよコノ野郎……」
凄みのある声とともに、アンドレの岩のような厳つい顔が迫ってくる。
「いや、姐さん近いですよ……姐さんにしては意外だな、と思いまして……そのギャップで男を落とすんですね」
ギブソンは愛想笑いを浮かべながら、さりげなく顔を遠ざける。アンドレはギブソンをひと睨みすると、マルコとケイの前に皿を置いた。
「さあ、アンドレ姐さんお手製のハンバーグよ……いっぱい食べなさい」
猫なで声で話すアンドレ……どうやらマルコは、アンドレに気に入られたらしい。アイシャドーの色を誉めてもらえたのが、よほど嬉しかったらしい。
そしてロバーツとアメデオは、とことこと二人のそばに行く。おこぼれを貰おう、という魂胆なのだろう……ギブソンは並んで歩く二匹の愛らしさに、思わず微笑んでいた。
だが、自分たちの分が来ないことに気付き、アンドレに声をかける。
「あの……すみません。オレたちの分は……」
「あのね、アタシは気に入った若いコにしか手料理は出さないの。アンタたちは……ちょっと年くいすぎてるわね」
「えー……そりゃ無いでしょうが。ジョニーならともかく、オレまだ二十六ですよ――」
「ちょっとアンタ……黙ってアレ見なさい」
アンドレの言葉を聞き、ギブソンはマルコたちの方を向く。つられてジョニーもそちらを向いた。
マルコが、ケイの座っている席のすぐ後ろに立っていた。マルコは後ろから、ケイの両手首に優しく手を添えている。
そして、ナイフを持っているケイの右手を、マルコの手がリードする。マルコが手を動かすと、ケイの手に握られたナイフがハンバーグを切り分けていく。
次にマルコの左手が動いた。フォークを握っているケイの左手をリードしていく。肉片にフォークを突き刺し、慎重に口まで運んでいく。
ケイが慎重に口を閉じ、マルコがフォークを持った手をカウンターに置く……次の瞬間、ケイの顔に満面の笑みが浮かんだ。
「美味しい……すっごく美味しいよ! マルコ!」
「美味しいのか……よかった」
マルコも嬉しそうに答える。すると、足元でしゃがんでいるロバーツまでもが嬉しそうに微笑んだ……ように見えた。
「おいギブソン……あれはお前が教えたのか?」
ジョニーが尋ねる。だが、ギブソンは首を横に振った。
「いや、教えてない……そもそも、マルコはナイフとフォークの使い方なんか知らないはずだ……」
そう、ギブソンはそんなものは教えていないのだ。まさか例の母親か、はたまた見せ物小屋の連中が、ナイフとフォークの使い方を教えたとでも言うのだろうか。
いや、そんなはずはないのだ。奴らはマルコを人間扱いしていなかった。そんな連中が、ナイフとフォークの使い方など教えるはずがない。
だが、ギブソンは思い出した。自分があげた絵本だ……絵本には、勇者が喋る馬とともにナイフとフォークで食事をするシーンがあった。王様の前で食事をするために、喋る馬の指導で勇者がナイフとフォークの練習をする場面が……。
「絵本だよ……マルコの奴、絵本で勉強したんだ。いつの間に……」
ギブソンはしみじみとした口調で語りながら、二人の様子を見守る。マルコは真剣な表情で、ケイの口元にフォークを運んでいる。
「あのコたち、いいわねえ初々しくて……アタシにも、あんな時代があったのよね。手を握っただけでドキドキしちゃう時代……ホントに懐かしいわ……」
アンドレの声を聞き、ギブソンは顔を見上げた。アンドレは厳つい顔に、優しげな笑みを浮かべている……一体、この大巨人の若かりし頃はどんな感じだったのだろう。ギブソンはアンドレの女学生姿を想像したが、あまりのおぞましさに震え上がった……。
「ちょっと……今、何か変なこと考えてたんじゃなくて?」
声と同時に近づいてくるアンドレの顔……ギブソンは慌てて目を逸らした。この大巨人は、妙に鋭い部分を持っているらしい。女の勘……いや、オネエの勘とでも言うのだろうか。すると、黙りこんでいたジョニーが口を開いた。
「ギブソン……お前に一つ、話しておかなきゃならないことがある」
そして、ジョニーは語り始めた。
大陸にあるクメン国には、未だに数百年前からの伝統が色濃く残っている部分がある。
王家剣術指南役のヒロム・カンジェルマンもまた、伝統と因習からは逃れられずにいた。カンジェルマンは伝統に従い、山に籠り剣の修行に励んでいたのだ。
そして、一夜の宿を山奥のツヤマ村に求める。
長老の老人は渋い顔をしていたが、王家剣術指南役の頼みを断ることは出来なかった。カンジェルマンはツヤマ村に一晩泊まることとなったのである。
だが、それはカンジェルマンにとっても、ツヤマ村の村人にとっても、最悪の結果をもたらした。
夜中、カンジェルマンは不気味な気配を感じた。目を覚ますと同時に飛び起き、剣を片手に外に出る。
すると、村の中央にある広場に村人たちが集結していた。みな松明を掲げ、じっと一点を見据えている。しかも、よく見ると片手に石を持っているのだ。
明らかに異様な風景である。カンジェルマンは村人たちをかき分けて進む。しかし、村人たちの中心にいたものは――
双子の少女であった。瓜二つの顔をして、背丈もほぼ同じ……まだ幼い二人の少女が、全裸で村人たちの前に立っていたのだ。
「貴様ら! いったい何をする気だ!?」
カンジェルマンは怒鳴りつけ、剣を片手に少女たちのそばに行く。明らかに、尋常ではない何かが起きようとしている。その犠牲となるのは、この少女たちであろう……。
しかし――
「あなたのような……よそ者には関係ない話じゃ。さっさと帰って寝なされ」
長老の声は落ち着いていた。だが、深い哀しみも帯びている……その態度にカンジェルマンは怒りを感じた。憤怒の形相で詰め寄っていく。
「帰れだと? こんなものを見逃せるか!」
カンジェルマンの鍛え上げられた肉体から発せられる闘気は凄まじいものだった……だが、長老は怯まない。平然とした表情で、静かに口を開いた。
「この村の伝統なのじゃ。双子は呪われておる。十歳になるまでに、どちらかが死ねば見逃すが……両方とも生きて十歳を迎えた時は、石打ちの刑に処さねばならない……でないと、いつかはこの村に破滅をもたらすと言われておる。これは伝統の儀式なのじゃ……カンジェルマン殿、何も見なかったことにして、宿に帰ってくれんか」
「嫌だと言ったら?」
「あなたには死んでもらうことになる」
長老がそう言うと、同時に村の男たちが石を捨て、棒や農機具などを手に取った。
「これは村にとって、大事な儀式……カンジェルマン殿、いくらあなたでも、この人数を相手にしては……仮に我ら全員を討ち果たしたとしても、あなたはその後どうなるか……あなたは王家剣術指南役。あなたも損得はおわかりになるであろう?」
「……」
カンジェルマンは下を向いた。
怯えたわけではない。彼は剣術修行の一環として、様々な修羅場を潜り抜けてきた。
儀式という言葉が、彼の心に響いたのだ。
儀式なのか。
伝統と因習……
私も伝統と因習に生きてきた身ではないか。
端から見れば、非常識な儀式を幾つもこなしたではないか……
馬鹿馬鹿しいと否定するのは簡単だ。
しかし、ここで生きる人々にとっては、計り知れない意味をもつのだ。
部外者である私に、立ち入る権利があるのか?
彼らの伝統の儀式を邪魔する権利が、よそ者の私にあるのだろうか……
だが次の瞬間――
「お願いです! ケイは……妹は助けてあげてください! 殺すなら、私だけにして!」
悲痛な……あまりにも悲痛な叫び。
カンジェルマンは、見えない力に動かされるように、顔をそちらに向けた。
少女が、決死の直訴をしている。
死への恐怖に全身を震わせ、怯え、顔を涙と鼻水とでグシャグシャにしながらも……妹を守るために死への恐怖に屈せず、自らの命を差し出そうとしている。
こんな少女が……。
自らの命と引き換えに、妹を救おうというのか。
大の男ですら、死を前にすれば惨めに命乞いをするというのに……
カンジェルマンの心は決まった。彼は上着を脱ぎ、少女に優しく掛けた。さらにシャツを脱ぎ、もう片方の少女にも渡す。
するとカンジェルマンの鍛えぬかれた、逞しい上半身が露になる。狂気に近い空気に支配されていた村人たちも、わずかながら動揺しているようだ。
カンジェルマンは長老の方を見た。
「長老よ……あなたは何も感じないのか? この幼子の必死の訴えを聞いて……こんな年端もゆかぬ小さな体で、妹を守るために雄々しく死に逝こうとする、この幼子を見て、何も思わないというのか?」
だが長老は首を振る。
「カンジェルマン殿……それを許せば、これまで村のために死んでいった他の双子に申し訳がたたない。これは掟じゃ。伝統なのじゃよ。この村に生まれた者の運命じゃ……カンジェルマン殿、おとなしく引き下がってもらえぬか……」
「長老……無理だ。この幼子の命がけの訴えを、私は聞いた。聞いてしまった以上、見て見ぬ振りはできない。どうしても、と言うのなら――」
カンジェルマンは、自らの半身とも言える愛刀を抜いた。何人もの血を吸った両刃の長剣だ……。
「貴様ら全員、死んでもらう」
その夜、村の男たちが三十二人死んだ。
女子供は逃げ去り、カンジェルマンの評価は一夜にして暴落したのだ。王家剣術指南役から、大量殺人鬼に――
だが、カンジェルマンに後悔はなかった。彼は双子を連れ、エメラルド・シティに渡った。
「じゃあ、ユリとケイが……」
ギブソンには、それだけしか言えなかった。クメン国にあるツヤマ村……そこで一夜にして三十二人が惨殺された事件は、ギブソンも知っている。だが伝わってきた話は、狂った殺人鬼の凶行……という話だったのだ。
「いや、まだ話は終わりじゃねえ。マットは……そのカンジェルマンの親友だったんだよ。カンジェルマンはエメラルド・シティに渡って来たが、虎の会の殺し屋に消された。カンジェルマンの後を追って来たマットはそれを知って……一時は酒浸りだったらしい。しかし双子と出会った。そして、オレやビリーやモニカとも出会った。そしてオレたちを守るため、マットは死んだ……」
ジョニーはいったん言葉を止め、二人の方に視線を移す。マルコはケイに寄り添い、ゆっくりナイフとフォークを動かして食べさせている。ケイの顔には、嬉しそうな表情が浮かんでいる……。
「ケイのあんな表情、久しぶりに見たよ。なあギブソン……ケイもな、これまでの人生で見たくもねえ物をいっぱい見てきたんだ。オレは、ケイに幸せになって欲しい。だから……マルコと付き合うことに、反対はしないが賛成もできねえ。それは忘れるな」
ジョニーはちらりと腕時計を見る。そして立ち上がった。
「そろそろ時間だ……ケイを孤児院に送っていくよ。ギブソン、それにマルコ……今日は楽しかったよ。続きはまた今度だ」
帰り道、ギブソンとマルコは並んで歩いていた。アメデオははしゃぎ過ぎて疲れたのか、マルコの腕の中でおとなしくしている。マルコの表情は、フードに隠れて見えない。
大切なものは目に見えない、と言ったのは誰だったろうか……ケイだけが、マルコを本当に理解できるのかもしれない。マルコの内面の優しさを。
だとしたら、もはや人殺しを続ける理由はないのではないか?
ケイなら、今のマルコを愛してくれるかもしれないのだ。
もしケイが、今のままのマルコを愛してくれたのなら……。
マルコには、顔を変える必要はなくなる。さらに、母親への殺意も消してくれるかもしれない。
そうなったなら、マルコは充分に幸せなのではないのか?
野獣の思い《完》




