野獣の思い 3
「あら……アンタがマルコね。アタシはアンドレよ。よろしく……ね」
そう言うと、アンドレは岩石のような厳つい顔に笑みを浮かべ、ウインクして見せる。けばけばしい化粧に黒いドレス姿の女装巨人は、マルコの顔を間近で見ているというのに、表情一つ変えていない。眉一つ動かさずに、真っ直ぐ見つめている。ギブソンは改めて感心した。やはりアンドレは大物だ。ジュドーが一目置くのもわかる気がする。
一行は今、バー『ボディプレス』に来ている。店はまだ空いている時間帯だ。事実、客は自分たちの他には一人もいない。ギブソンたちはカウンター席に座った。すると、さっそく声をかけてきたアンドレ……ギブソンは不安だったが、問題はなさそうだ。
しかし、ギブソンは大事なことを忘れていた。
マルコは純粋過ぎる男なのだ。
アンドレの顔をじっと見つめるマルコ。そして口を開く。ギブソンはようやく気づいた……マルコはとんでもないことを口走るのではないか、ということに。慌てて近寄り、口をふさごうとするが遅かった。マルコの口からは、既に言葉が発せられていた。
しかし――
「綺麗だ」
「ええ!? 嘘だろ!? どこがだよ!?」
マルコの言葉は意外なものだった。ギブソンは思わず、疑問の言葉を投げ掛けていた。直後にアンドレの険しい視線を感じ、慌てて下を向く……。
だが、マルコは平然とした表情で、アンドレの顔を指差す。正確には、けばけばしく塗りたくられたアイシャドーを……。
「凄く綺麗な色だ。花の色に似てる……いつか見た、花の色にそっくりだ」
マルコがそう言うと、アンドレの表情がみるみるうちに変わる……岩石のような顔が歪み、恐ろしい表情で微笑んだ。
「マルコ、人を指差すのは失礼なのよ。やっちゃ駄目……でも可愛いこと言うじゃないのよ、この子は。アンタとは大違いね……」
そう言いながら、アンドレはギブソンに冷たい視線を向ける。まるで太古の怪物の、人間を石像に変えてしまう魔眼……それにも似た視線を向けられ、ギブソンはヘラヘラ笑いながら視線を逸らした。
しかし、第二の伏兵の存在をギブソンは忘れていたのだ……。
「え……声は男だよ? マルコ、そこにいるのは男じゃないの?」
ケイの不思議そうな声。ギブソンはひきつった顔でジョニーに助けを求める視線を向ける……だがジョニーは、我関せずという表情である。足元にいるロバーツとアメデオをあやしているだけだ。ギブソンは恐る恐るアンドレを見る。
しかし、アンドレは意外と冷静だった。
「お嬢ちゃん……世の中には、色んな人がいるの。覚えておきなさい」
アンドレの落ち着いた静かな声に、何かを感じたのだろうか……ケイは不思議そうな顔をしながらも黙りこんだ。
「で、アンタたち何食べるの? 今日はギブソンおじさんのおごりよ……好きなもの食べなさい。ねえマルコ、アンタは何食べたいの?」
アンドレに聞かれ、マルコは口ごもる。
「え、ええと牛乳」
「……マルコ、牛乳は飲み物でしょ。アンタが今までで食べた中で、一番美味しかったのは何よ?」
「う、ううう……サ、サンズが作った黄色くて甘いのが美味しかった……」
言葉に詰まりながらも、どうにか答えるマルコ……すると、アンドレの矛先はギブソンに向いた。
「ちょっとアンタ……この子が何を言ってるのか説明して」
「え、ええと……ああ、パンケーキだよ。サンズが持たせてくれたんだ」
ギブソンが答えると、アンドレは顔をしかめた。
「何よそれ……パンケーキなんて、大陸のバカ女が食べるものじゃない……わかった。アタシがアンタたちに相応しい料理を作ってあげる。待ってなさい」
そう言うと、アンドレは二メートルを優に超える巨体を揺らしながら、厨房に消えて行った。
「やれやれ、大巨人がやっと消えてくれたよ……ところでジョニー、ロバーツは変わった犬だな」
ギブソンはジョニーの方を向く。ジョニーはずっと下を向いていたが、彼の言葉を聞いて顔を上げた。
「元々こいつは、マットの飼ってた犬だった……マットが死んでから双子が引き取り、そして今じゃ孤児院の大切な一員だよ」
マット、という言葉を聞いたとたん、それまで下顎を床に着けて伏せていたロバーツが顔を上げた。何か切なげな表情で、じっと二人を見ている。
ジョニーも、じっとロバーツを見つめた。厳つい顔に似合わぬ優しい表情をしている。
「初めて会った時……ロバーツはオレに立ち向かってきた。飼い主のマットを守るためにな。こいつは、勇気と賢さを兼ね備えた犬だ……凄いよ」
「なあジョニー……そのマットって奴は、大した男だったみたいだな」
ギブソンが言うと、ジョニーは黙ったまま、じっとロバーツを見つめた。その瞳には、深い愛情……そして哀しみがある。
ややあって、真剣な表情で語り始めた。
「さっきも言った通り、オレは……マットに負けた。殴ろうが蹴ろうが立ち上がり、オレの前に立ちふさがったのさ。ユリとケイ、そしてロバーツを守るためにな」
そこまで言うと、ジョニーはケイの方に視線を移した。ケイは、マルコと何やら楽しそうに話している。マルコはどうやら聞き上手のようだ。さっきと同じく、ケイが一方的に喋り、マルコが相づちを打ちながら言葉を返すといった雰囲気である。マルコは思ったよりも空気を読む力があるようだ。アンドレに対する言葉も、ひょっとしたらマルコなりに計算したものなのかもしれない。
「あんな男は初めて見たよ……オレは心の底から、マットに勝ちたいと思った。上手く言えないんだが……暴力ではなく、人間として勝ちたいと思ったんだ。殺すのは簡単だったよ。しかし、オレは悟ったんだ。こいつを殺したら、オレの負けだってな」
ジョニーの声には、尊敬の念が込もっているのが感じられた。マットという男に対する、心からの尊敬の念が……。
ギブソンはふと、たまらない気持ちになった。マットという男の大きさは、今聞いただけでも相当なものだ。最凶の強化人間であるジョニーすら、敗北を認めるほどの男。
そんな男なら、自分よりも相応しいのではないだろうか。
マルコの父親の代わりには……。
「そのマットって奴に、会ってみたかったな……」
ギブソンは呟くような言葉を発した。そして、ちらりとマルコを見る。マルコは相変わらず、真面目な顔でケイの話を聞いている。
「マルコは、力は強いし動きも素早い。ただ、まだ子供なんだよ……」
・・・
あれは、一年ほど前のことだった……。
ギブソンは、妻のシェリーと子供のダニーを事故で喪った。
そして心から離れない哀しみを抱えたまま、車で荒野を爆走していた。車は盗難車である。それだけではない。金が無くなると、ギブソンは空き巣や強盗などをして稼いでいたのだ。僅かな額の金を手に入れるために銃を乱射した。逃げる際には車に火を点けたり、時には手榴弾を投げつけたりしたのだ。
結果、ギブソンは指名手配犯となっていた。だがギブソンにとって、そんなことはどうでも良かった。
むしろ、早く誰かに殺して欲しかったのだ。
その日もギブソンは、車で荒野を走っていた。
ふと、妙な物が目に入った。大型のキャンピングカーだ。しかし、遠目から見てもボロボロに朽ち果てており、とても動くようには見えない。
ギブソンは近くに車を止め、近づいて見た。あちこち錆びてボロボロになっており、タイヤはパンクしている。ドアは外れて開きっぱなしだが、雨露は凌げそうだ。今夜の宿にするか……などと考え、ギブソンは慎重に中を覗きこんだ。
だが、中から聞こえてきたのは……野獣の咆哮のような声。ギブソンは慌てて拳銃を抜き、構える。
だが――
「お、お前……何者だよ……」
ギブソンは驚きのあまり、途方に暮れたような声を洩らしていた……。
そこに居る者は、一応は人間の形をしている……頭があり、手は二本で足も二本。二本の足で立っており、ギブソンをじっと睨みちけている。
だが、その顔は見たこともないほど醜かった。小さく不気味な形の目、平べったく巨大な鼻、大きな口……ライオンや虎に代表される、猫科の大型肉食獣のような顔つきをしていたのだ。しかも、ツギハギのような傷痕まで付いている。
その野獣は、もう一度吠えた――
「グルナ! ゴロズゾ! グッヂマウゾ!」
ギブソンは拳銃を構えながら、その場に立ち尽くしていた。荒野に住み着いた人外か、あるいは逃げ出した異能力者か……普通なら、こんな得体の知れない者など放っておいたことだろう。あるいは、拳銃で即座に射殺したか。
だが、ギブソンはその声を聞いた時に、妙なものを感じた。声自体は潰れており、酷く聞き取りづらい……並みの人間では、何を言っているのかわからなかっただろう。
しかし、ギブソンは底辺を這いずり回るようにして生きてきた男だった。彼の生き延びてこられた要因の一つが、耳が良かったことである。ギブソンには、目の前の野獣が何を言っているのか理解できた。
さらに、その声や喋る言葉がどこか幼いことにも……。
「おい、落ち着け……オレは何もしない」
言いながら、ギブソンは野獣を上から下まで眺める……その時、相手の左手が腹を押さえていることに気づいた。
そして、床に血だまりが出来ていることにも。
「お前、怪我してるんじゃないのか?」
ギブソンが尋ねると、相手の表情が微妙に変わった……ような気がした。
「ウ、ウルザイ! オレ、ヅヨイ! オレ、マゲナイ! オマエニマゲナイ! ダレニモマゲナイ! オマエゴロズ! ゴロジデヤル! ガガッデゴイ!」
奇怪な言葉でわめき散らす野獣……さすがのギブソンも、聞き取るのには苦労した。
しかし、わめき終えると同時に野獣は片膝をついてしまった……荒い息遣いで、こちらを睨んでいる。少なくとも、ギブソンには睨んでいるように見えた。
ギブソンは仕方なく、いったんキャンピングカーから離れて車に戻る。そして、どうしたものか考えた。あんな者と関わり合っても、自分は何も得をしない。下手をすると、自分に襲いかかって来るかもしれないのだ。
しかし……。
気がつくとギブソンは、車にあったパンとチーズの入った袋を手にしていた。さらに水の入った水筒を持ち、再びキャンピングカーの中に入っていった。
すると、再び野獣は吠え出す。
「オマエゴロズ! ゼッダイゴロズ! ゴッヂゴイ! ゴロジデヤル!」
「おい……落ち着けよ。お前、言葉わかるよな? オレは何もしない。腹は減ってないのかよ? これ、食べないか? 美味いぞ」
言いながら、ギブソンはパンを小さくちぎり、野獣の方に投げた。
さらに、自分でもパンの欠片を口に入れた。いかにも美味しそうに咀嚼し、呑み込んでみせる。
そして言った。
「美味いぞ……食べてみろよ」
すると、野獣の態度にも変化が生じた……こちらを警戒しながらも、右手でパンの欠片を拾い上げる。
そして口に運んだ。
「美味いだろ?」
微笑みながら、語りかけるギブソン。野獣は片膝をつき、左手で腹を押さえた姿勢でじっとギブソンを見ている。
ギブソンは、今度はチーズを投げてみた。
警戒しながらも、拾い上げて食べる野獣。相変わらず低い声で唸っている。
だが、両者を包む空気は確実に変化していた。ギブソンは微笑みながら、パンとチーズを食べる。そして水筒の水を飲む。
一方、野獣の唸り声は徐々に小さくなっていく。ギブソンの放り投げるパンとチーズを拾い、口に運んでいる。
やがて、ギブソンは尋ねた。
「お前、名前は?」
「マ、マルコ……」
「マルコか……オレの名はギブソンだ。よろしくなマルコ」
「ギ、ギブソン……ギブソン……」




