願いの代償・後編
カイトはいつも通り、子供たちを引き連れて廃墟に戻った。一応、獲物は持っている。今日はこれで誤魔化そう。そして夜のうちに、みんなを連れてZ地区に逃げる。危険ではあるが仕方ない。これでようやく、バクストンたちから解放されるのだ。奴らに怯えて暮らす日々は、本当に悲惨なものだった……。
いや、今までも怯える生活だったことには変わりない。しかし捕まえてきた獲物や、稼いできた金まで奪われるようなことはなかった。それが今では、一方的に搾取されている。しかも、奴らの暴力に怯えなくてはならない。最近では幼い子供たちの顔からも、笑顔が消えてしまった。
しかし、やっと平和が戻るのだ……。
住みかに戻って来たカイトと子供たち。
しかし、カイトは違和感を覚えた。バクストンたちは、陽が暮れる時間帯になると廃墟の前にたむろしていたはずだ。そしてニヤニヤしながら、獲ってきた物をチェックする……それが今日は一人もいない。
カイトは不安になり、慌てて廃墟の中に駆け込む。
だが……そこには悪夢のような光景が待っていた。
虚ろな目で横たわっているクリス……一糸まとわぬ姿だ。しかも、彼女の顔には殴られた痕があった。唇は切れ、瞼は腫れ上がっている。その上、部屋には独特の濃い匂いが充満している……。
そして、幼い子供たちが周りで泣いていた。
「クリス! お前、何されたんだ!」
カイトは気も狂わんばかりの勢いで駆け寄る。
すると、クリスの虚ろな瞳がこちらを向いた。
次の瞬間、怯えきった表情で叫ぶ。
「来ないで!」
「バクストン……あれは誰がやったんだ……」
すぐさまバクストンの部屋に乗り込んだカイト。しかし――
「おいカイト、お前は誰に向かって、んな口聞いてんだ?」
バクストンには全く悪びれる様子がない。平然とした顔で、カイトと向き合っている。
しかし、カイトも今回は引けなかった。
「約束したろうが! 女には手を――」
言い終える前に、バクストンの拳が炸裂した。吹っ飛ばされるカイト。あまりの痛みに意識が朦朧とする中、バクストンの声が聞こえた。
「オレは今まで、カイトを甘やかし過ぎてたみたいだな。お前ら、痛めつけてやれ。ただし殺すな」
その言葉の後、カイトを襲ったのは激しい暴力の嵐だった――
カイトの意識は、闇に沈んでいった。
どのくらいの時間が経ったのか……カイトが意識を取り戻すと、いつの間にか寝かされていた。周りには不安そうな顔の子供たちがいる。
「お、お前ら……」
カイトは霞む頭を押さえ、起き上がろうとする。だが、その瞬間……全身に激痛が走った。カイトは耐えきれず、再び横たわる。
すると、すすり泣きの声が聞こえてきた。すすり泣きは徐々に伝染していき……やがて、全員が泣き出した。
「おい……お前らどうしたんだ?」
カイトが尋ねると、子供の一人が嗚咽を洩らしながら喋り始めた。
「グリズ……姉ぢゃん……じんだっで……ぐびづっで……じんだっで……もう……嫌だ……ごんなの……嫌だ……」
カイトは立ち上がった。その途端、全身を駆け巡る激痛……だが、カイトは堪えた。
そして、少しずつ歩き始める。
「どごいぐの……」
子供の一人が、泣きながら尋ねる。だが、カイトは答えなかった。
カイトはエメラルド・シティを歩いた。歩き続けた挙げ句、以前ギース・ムーンに言われた場所にたどり着く。ギースはあちこちに顔が利く……という噂を聞いたことがあった。頼めるのはギースしかいない。
そして……カイトは今、巨大な塀に囲まれた建築物の前に立っていた。コンクリート製の塀は灰色で、古びてはいるがまだまだ役目を果たせるだけの頑丈さは維持していそうだ。鉄の扉は赤茶けており、錆び付いていることが一目でわかる。しかし、こちらもまだ頑丈そうで、壊すのは難しいのではないかと思われる。
カイトは扉を叩き、叫んだ。
「ギースさん! あんたに話がある!」
ややあって、きしむような音が鳴り、扉が開いた。ギースの軽薄そうな顔がにゅっと突き出てきて、こちらを見る。
「よう、カイト……おいおい、ずいぶん酷い面だな。バクストンたちにやられたのか――」
だが、カイトはその言葉を聞いていなかった。ギースの顔を見たと同時に、意識が薄れていき……。
しばらくして、カイトは意識を取り戻した。周りを見ると、コンクリートに覆われた地下室のようだ。上には電球が付いており、部屋は明るい。そして、紫の髪の少女がこちらを見ている。
「あなた、気がついたのですね。では、ギースを呼んで来るのです」
そう言うと、少女は部屋から出ていった。カイトは辺りを見渡した。灰色の殺風景な部屋である。電気も通っている……一体どういう場所なのだろう。
その時、ギースが入ってきた。相変わらず、軽薄そうな笑みを浮かべている。
「来ると同時に気絶とは、せわしない奴だな……で、何の用だ?」
「実は……」
カイトは顔を歪めながらも、これまでのいきさつを話し始めた。
「話はわかった。で、カイト……お前はオレにどうして欲しいんだ?」
尋ねるギース。カイトは唇を震わせながら口を開いた。
「銃を売ってくれ」
「銃?」
「そうだ。銃を売ってくれ……マシンガンみたいなのを。奴らを全員、殺してやる……」
言った後、カイトはこぼれ落ちる涙を拭おうともせずにギースを見つめた。あたかも、ギースが仇であるかのような目付きで……だが、ギースはその視線を平然と受け止める。
「金はあるのか?」
「い、一万くらいならある……」
「却下だ。それじゃ拳銃すら売れない。それに……仮にマシンガンを手に入れても、お前じゃ奴らを殺せない。返り討ちに遭うのがオチだ」
「バ、バカにするな!」
カイトは怒鳴り付け、立ち上がる。だが、脇腹に痛みが走り崩れ落ちた。
「カイト……今、お前に出来る選択は二つだ。一つはこのまま戻り、奴らに殺されないように奴隷として生きる。もう一つは、どこかに逃げる。そうすれば、お前一人は自由になれる。どちらか選べ」
「どっちも嫌だ!」
カイトは叫び、そして痛みに耐えながらも立ち上がる。
「もういい……あんたには頼まない。オレは死んでも構わない……バクストンだけは殺す」
「無理だ。お前じゃ絶対に勝てない。自殺するようなもんだ。止めとけ」
「もう死んでもいい! ジムとクリスが死んだんだぞ! オレのせいで死んだんだ! オレ一人おめおめと生き延びるのは嫌だ!」
「カイト、お前が死んで奴らが生き延びたら、残された子供たちはどうなる? さらに酷い目に遭うかもしれないぞ」
「……何で……何でオレはこんなに弱いんだ……クソ! 奴らの仇も討てないのかよ!」
カイトはその場に崩れ落ちた。泣きながら、地面に拳を叩きつける。拳の皮が裂け、血が流れる……。
「本当に死ぬ覚悟があるのか?」
尋ねるギース。カイトは顔を上げた。
「あるに決まってるだろうが……」
「じゃあ、お前は人間を辞める覚悟はあるか? 人間を辞めれば、奴らに勝てるかもしれないぜ」
言葉そのものは意味不明だ。しかし、ギースの表情は真剣そのものだった……その射抜くような目で見つめられ、カイトは思わず目を逸らした。
「どういう意味――」
「意味なんかどうでもいい……どうするんだ? 決めるのはお前だ」
陽が沈み、夜の帳が降りようとしている時……カイトは住みかにしていた廃墟に戻った。
廃墟の前では、バクストンの子分たちがたむろしていたが、カイトの姿を見たとたんにニヤリと笑う。
「カイト、やっと帰って来たのか。お前が遅いから、また一人死んじまったぞ」
「誰が死んだんだ?」
カイトは冷静な表情で尋ねる。男たちは顔を見合わせた。
「何て名前だったかな、あいつ……」
「ああ、知らねえなあ」
男たちは首をかしげる。カイトはゆっくりと近づいて行った。
「じゃあ、三人だな……三人に死んで詫びろ」
言葉と同時に、カイトが腕を振る――
男たちの喉が、パックリと開いた。
そして、血が吹き出す……。
「カイト……カイトなの……」
隠れて見ていた子供たちが、恐る恐る声をかける。だが、カイトの目を見たとたん、ぎょっとして立ち止まる。
夜の闇が辺りを包もうとしている中、カイトの瞳は紅く光っていた……。
「何だ何だ……妙な匂いがすると思ったら、カイトだったのか」
大声とともに、現れたのはバクストンと子分たちだった。だが、子分たちはカイトのただならぬ様子を見たとたん、表情が一気に変わる。
「バクストンさん……何ですかあいつ……」
男の一人が、後退りしながら尋ねる。だが、バクストンは不気味な笑みを浮かべた。
「あれはな……人間辞めちまったんだよ。見ろよ、あの紅く光る目……吸血鬼だよ」
バクストンは恐れる様子もなく答える。すると、男たちの間に動揺が広がり始めた。
「あんたのせいだ……あんたがジムに手を出したから――」
一人の男が、呆然とした表情で呟いた……だが、言い終えることは出来なかった。
バクストンはその男の首を掴み、一瞬でねじ切ってしまったからだ。
周囲にいた男たちは、慌てて飛び退く。今や、はっきりとした恐怖に支配されていた……その恐怖の源は、二匹の怪物にあった。
「てめえも人間じゃないって訳か……ジムもクリスも自殺したのを幸いとばかり、てめえが食っちまったんだな」
カイトがそう言うと、バクストンは嬉しそうな顔になる。
「ああ。やっぱり、人間の味は格別だからよ……我慢できなかったぜ。なあ、オレたちゃ同類みたいなもんだぜ。人外同士、仲良くしようじゃねえか……提案だが、こいつら半分こしねえか? 子供の味は最高だぜ――」
「断る」
そう答えると同時に、カイトの犬歯が鋭く伸びていった。指からは野獣の鉤爪のような物が生える。さらに、瞳の紅い光はより一層増していった……。
「そうかい、どうしても殺り合わなきゃ気が済まねえって訳か。いいだろう。この際、全員食ってやる」
言いながら、バクストンは周囲を見回す。
次の瞬間、バクストンの体は変化し始めた。体が大きくなり、衣服は裂けて地に落ちた。全身は長く濃い体毛に覆われ、顔の形は獣へと変わっていく……。
やがて、バクストンは変貌を遂げた。巨大な熊の姿へと。
取り巻きだったはずの男たちは、慌てて逃げ出していく。だが、子供たちは逃げなかった。遠くから、じっと二匹の怪物を見つめていた。
やがて、変身を終えた熊は吠えた……そしてカイトめがけ突進していく――
熊は巨大な前足を振り下ろす。だが、カイトは素早い動きでかわした。さらに避けた瞬間、カウンターでの鉤爪での一撃を食らわす……人間離れした腕力から繰り出される一撃は、しかし熊には何のダメージも与えていなかった。
熊は吠え、そして前足を振り回す。リーチにおいては熊の方が圧倒的に上だ。カイトは防戦一方である。少々の手傷を負わせても、すぐに傷はふさがってしまう――
「カイト! 頑張れ!」
子供たちの声……カイトは舌打ちした。彼らは、まだ逃げていなかったのだ。
「お前ら! さっさと逃げろ!」
怒鳴るカイト。だが、その瞬間に地面を這う攻撃……カイトは足を掬われ、もんどり打って倒れた。ずっと上からの攻撃を避けることに集中し、足元への警戒が薄れていたのだ。
そして、倒れたカイトめがけて降り下ろされる前足――
「グオオ!」
思わずうめき声を上げるカイト。並みの人間なら、その一撃で骨も内臓も潰されていただろう。吸血鬼と化したカイトですら、動けなくなるほどのダメージだった。
熊は容赦せず、さらに一撃……凄まじい衝撃で大地が震える。カイトは苦痛で顔を歪めるが、受けたダメージのため起き上がれない……。
だが、その時――
「みんな! カイトを助けろ!」
「この化け物があ!」
「カイトから離れろ!」
叫び声とともに、子供たちは一斉に動いた。弓や銛や石など、ありとあらゆる武器を使い、子供たちは巨大な魔獣めがけ攻撃を始めたのだ……。
もちろん、子供たちの攻撃は熊に何のダメージも与えていない。傷を負っても瞬時に治るのだ。しかし、熊を苛立たせるのには充分だった。自分よりも遥かに小さく弱い生物であるはずの者が、自分に刃向かっているのだ。
熊は吠え、そして子供たちに向き直る。しかし、子供たちは怯まなかった。狩りに参加しない女の子たちまでもが、石や包丁などを手に身構えているのだ。全員の瞳に、意思の力があった。逃げ出したいという恐怖を感じながらも、それを必死で乗り越え、立ち向かっていこうとしている強い意思があった。
その力を前に、熊はわずかに怯んだような素振りすら見せる……。
だが次の瞬間、熊は吠えた。子供たちを皆殺しにすべく立ち上がる。
その隙をカイトは見逃さなかった。起き上がると同時に、稲妻のような速さで熊の背中をよじ登り、首筋に牙を打ち込む。牙からは猛毒が注入され、同時に熊の生命力を吸い取っていく……。
熊は吠えながら、カイトを振り落とそうともがき、体を震わせる。しかし、カイトは離れない。さらに、その鉤爪が喉を切り裂いていく。そして切り裂くと同時に、指を傷口にめり込ませて広げていく。熊の再生能力を上回るほどの速さで傷口をえぐり、切り裂き――
やがて熊の首が、ねじ切られて転がった……。
「やった! 勝ったぞ!」
「カイトが勝った!」
「強いぞカイト!」
子供たちは口々に叫びながら、カイトのそばに寄って行こうとする。
しかし――
「来るんじゃねえ」
カイトの冷たい声が響き、子供たちの動きが止まった。困惑した表情でカイトを見る。
「いいか、お前ら……お前らとは今日でお別れだ。新しいリーダーは……トム、お前に任せる。トム、みんなを頼んだぞ」
そう言うと、カイトは子供たちに背を向けて立ち去ろうとする。
だが、その背中に子供たちの声が投げ掛けられた……。
「待ってよカイト!」
「何でだよう!?」
「行かないでくれよ!」
すると、カイトは立ち止まった。しかし、振り向くことなく喋り始める。
「今の見たろ……オレは人間じゃないんだ。化け物なんだよ。お前らとは一緒に暮らせないんだ。わかったら、さっさと帰れ。夜は寝る時間だ――」
「んなもん関係ねえだろうが!」
カイトの言葉を遮り、震えるような声が響いた。トムの声だ……。
「化け物だろうが何だろうが関係ねえ! オレたちのリーダーは……カイトだけだ!」
「ぞうだよ……」
「いがないでえ……」
「がいどぉ……」
トムの心からの叫び、そして幼い子供たちの泣き叫ぶ声……カイトの決意は揺らぎ始めた。今まで通り、子供たちと暮らしたいという思いが胸の中で膨れ上がっていく……。
だが――
「このバカ野郎が! いつまでもオレに甘えてんじゃねえ! オレだって……こんなの嫌なんだよ! オレだって……お前たちと……ずっと……」
怒鳴り付けるカイト。だが必死で、その後の言葉を呑み込む。そう、許されないことなのだ。吸血鬼と化した自分が子供たちと暮らしたら、いつか子供たちは……。
だから、弱音を吐いてはいけない。
最後まで、リーダーとしての役目を果たす。
「お前らはもう、オレが居なくても大丈夫だ。お前らは強いよ……こんな化け物に立ち向かっていけたんだからな。みんな、本当に強くなった。オレは嬉しいよ……」
カイトは言葉を止めた。こみ上げてくるものを必死で堪える。
人間を辞めたはずなのに……。
化け物に変わったはずなのに……。
涙が止められない。今にもこぼれてしまいそうだ……。
だが、もう行かなくてはならない。自分のためにも……そして子供たちのためにも。
それが、自分の選んだ道なのだから。
「今まで、オレみたいな情けないリーダーに付いて来てくれて……本当にありがとう。もう会うこともないだろうが、元気でな」
その様子を、遠くから見つめていた者たちがいた。
「ギース、何でオレに任せなかったんだ? オレなら、あんな奴ら一分あれば皆殺しに出来た……」
鋭い目付きの大柄な若者が、哀しげな表情でギースに尋ねる。
「ガロ、これはカイトの問題だ。カイトが自分で解決すべきなんだよ。それにな、どんな願いであれ、代償は必要だ。ただ……残酷な話ではあったが、残された子供たちは自信を付けたはずだ。自分たちは戦える、という自信をな」
「だからと言って、カイトを吸血鬼に変えるのはやり過ぎだ――」
「ガロード、あなたにそのことを責める資格はないのです。カイトは、あなたと同じことをしただけなのです」
紫色の髪の少女の口調は静かなものだった。しかし、その言葉に秘められた感情は無視できない……ガロードは下を向き、黙りこんだ。
ギースは去り行くカイトの後ろ姿を見つめたまま、言葉を続ける。
「まあ確かに、オレのやったことは間違っていたかもしれないな。それに……いずれカイトにも、後悔する日が来るかもしれん。その時は、オレが奴にとどめを刺すよ」
願いの代償《完》




