野獣の密談 3
「こうして勇者は悪いドラゴンをやっつけて、お姫さまと結婚して幸せになりましたとさ。めでたし、めでたし」
ギブソンは絵本を読み終えた。そして、マルコの反応を見る。マルコは真剣な顔つきで、最後のページの絵を見つめている。そこには……倒れているドラゴンの前で、勇者とお姫さまが幸せそうな表情で見つめ合っている様子が描かれていた。
そんなマルコの様子を見ていたら、ギブソンの顔にも笑みが浮かんでいた。マルコには、同じ絵本を毎日読んであげているはずなのだが……飽きないのだろうか。
いや、あいつもそうだったな……。
ダニー……。
「なあギブソン、オレも……いつか……結婚出来るのかな?」
不意にマルコが顔を上げ、もじもじした様子で尋ねてきた。
「え……結婚?」
ギブソンは口ごもる。どう答えていいのかわからなかった。マルコの結婚……正直、想像もつかない話である。そもそも、マルコの顔を治せるかどうかもわからないのだ。ギブソンは外科医ではないし、医学の知識もない……マルコの顔は、手術で治せるものなのだろうか? 治せるとしても、どの程度まで? 仮に完璧に治せるとしても、そこまでの腕を持つ外科医をどうやって探す?
しかも、マルコは大陸のお尋ね者な上、まともな身分もないのだ。手術をするとなると……一般人向けの病院で行う、というわけにはいかない。闇で行わなくてはならないのだ。莫大な額の金が必要となるだろう……。
さらに、顔を変えた後は新しい身分証も必要なのだ……。
「ギブソン、どうしたんだよ?」
マルコの心配そうな声。ギブソンは我に返った。そして、優しく微笑む。
「ああ……大丈夫だよ。お前は大陸に戻り、顔を治すんだ。その絵本の勇者よりも、ずっとカッコいい顔にしてもらえる。そして、人間として生まれ変わるんだ……生まれ変われば、結婚だって出来る。可愛い女と結婚して、幸せな家庭を築けるんだ」
「そ、そうなのか! わかった!」
マルコは嬉しそうな表情で言葉を返す。その時、ギブソンはマルコの変化に改めて気づかされた。最近、マルコの表情は豊かになってきている。喜怒哀楽が、見ているこちらにもはっきり分かるようになってきた。滑舌も出会った頃に比べると、だいぶ良くなってきている。自分と会話を重ねたおかげだろうか。
いや……マルコはもともと素直で飲み込みの早い少年である。ただ、周りに彼を導く者がいなかっただけなのだ。
そんなギブソンの思いをよそに……マルコはまたしても、絵本を開いて読み始めた。また最初のページから、じっくりと読んでいる……いや、ただ絵を眺めているだけなのかもしれないが。
ギブソンはさらに、マルコの過去について思いを巡らせた。マルコは今まで、絵本すら読んでもらえなかったようなのだ。幼い時は、実の母親に殴られ蹴られ罵られた記憶しかないらしい……。
マルコは母親について語る時、静かではあるが憎しみのこもった口調になる。自分をさんざん虐待した挙げ句、見世物小屋に叩き売った母親に対する怨念は凄まじいものだ。母親への復讐……それもまた、マルコの生きる目的の一つなのである。
実の母親への復讐……冷静に考えてみれば、痛ましい話だ。普通の状況ならば説得し、断念させるべきなのであろう。それが、良識ある大人の対応なのだろう……。
しかし……ギブソンにはマルコを止める気など、さらさら無い。マルコは自分には想像もつかないような虐待を、実の母親から受け続けてきたのだ。この世でたった一人の肉親。子供にとって、親は神にも等しい存在だろう。そんな絶対的な存在から受けてきた虐待……正直、ギブソンも母親の仕打ちには不快な思いを感じている。殺意に近い憎しみさえ感じているくらいだ……目の前にその母親が現れたなら、ギブソンは何のためらいもなく殴り倒すだろう。
ギブソンは大陸に戻ったなら、マルコの母親探しを手伝うつもりだ。見つけた母親をどうしようが、ギブソンには止める気はなかった。最後まで、マルコの好きなようにさせる……ギブソンはそれを見届けるだけだ。
マルコの母親には、自らの犯した罪に対する報いを受けてもらおう。少なくとも、マルコには好きなようにする権利くらいはあるはずだ。
午後八時。ギブソンは食堂『ジュドー&マリア』の二階にある事務所にいた。ジュドーは忙しいらしく、まだ来ていない。ギブソンはソファーに腰掛け、一人でジュドーを待つ。
ここに来るたびに思うことだが、この店はエメラルド・シティの約三分の一を仕切るギャング組織の実質的なボス、とまで言われている男の根城にしては規模が小さい。この事務所もまた、余計な物が一切置かれていない。部屋の造りは至ってシンプルだ。ギャングという人種は、基本的に見栄を張るものなはずだが……ジュドーには当てはまらないらしい。
そんなジュドーという男にとって、この食堂は特別な意味を持っているようなのだ。何か思い出でもあるのだろうか……。
もっとも、ギブソンにとってどうでもいい話ではあるが。
「待たせたな、ギブソン……実はな、面倒なことになっちまったんだ。お前たちでないと出来ない仕事かもしれん。期限は三日だ。しかし金は弾む。どうする? やってくれるか?」
現れたと同時に、慌ただしい様子でまくしたてるジュドー。妙に落ち着きがない。しかも、いつも付き従っている大男と黒髪の女のコンビがいないのだ……一人である。
その様子を見たギブソンは眉をひそめる。一体、何があったのだろう? ジュドーらしからぬ態度だ。しかも、三日という期限……これも気になる。尋常ではない短さだ。
だが――
「わかりました。引き受けましょう」
答えるギブソン。そう、自分たちには金が必要なのだ。どんなに厄介な仕事だろうと、こなしていくしかない。なりふり構ってなどいられないのだ。まして、ジュドー直々の指名である……引き受けないわけにはいかない。
「そうか……ありがたい。標的はこいつだ。よろしく頼む」
ブライアン・ジェネシス、二十五歳。異能力者であり、大陸から逃亡してエメラルド・シティに住み着いた。性格は極めて凶暴、おまけにクリスタル中毒である。エメラルド・シティにおいても、それなりに有名になっていた。もちろん、悪名ではあるが。
実のところ……一月ほど前、虎の会の競りに標的として名前が出ていた。そして、他の殺し屋のチームが三百万で競り落としてたのだ。本当なら、その殺し屋のチームが既に仕留めているはずだった。しかし、その殺し屋チームは返り討ちに遭い全滅させられたのだという……。
「三日以内に殺れ。もちろん、今回は急な話だ……仕損じたとしても仕方ない。ただし、今回は前金は無しだ。仕留めた場合のみ、五百万払う」
言いながら、ジュドーは写真を渡す。
ギブソンは写真を受け取り、じっくりと見つめる。若いチンピラに有りがちな、凶暴そうな風貌。二十五歳といえば、ギブソンとほぼ同じ年代だが……潜ってきた修羅場の数は雲泥の差があるだろう。言うまでもなくギブソンが雲の方だ。写真を見る限り、顔つきからも甘さが感じられる。大したことはないだろう。
だが、そうなると疑問が生じる。
「こんな奴が、虎の会の殺し屋を返り討ちにしたんですか……いったい、どんな能力を持ってるんです?」
尋ねるギブソン。そうなのだ……虎の会の殺し屋は、みな一筋縄ではいかない連中だ。腕の立つ強者揃いだと聞いている。異能力者は確かに手強い。だが、いくら人知を超えた異常な能力の持ち主といえど、殺し合いに関して言えば……しょせんは素人なのだ。
素人が機関銃やバズーカ砲を持っていたとしても、使いこなせなければ何の役にも立たない。戦いの場では、ほとんどの異能力者は経験豊富な殺し屋には勝てない、はずなのだ。
しかしブライアンという男は、虎の会の殺し屋チームを返り討ちにしたという……これは詳しく聞いておく必要がある。
「ああ、ブライアンは手強いんだよ……奴は異常に素早い上、壁に垂直にへばりついて登ることができるらしい。しかも、猛毒の使い手だって話だ。吸血鬼みたいに、毒を注入する牙を持っているらしい。おまけにヤク中ときてる……異常に凶暴になってるらしいぞ」
「蜘蛛みたいな野郎ですね……しかもヤク中ですか。それはかなりタチ悪いですね……」
ギブソンは言葉を止めて考えた。どうやら、肉弾戦が得意なタイプであるらしい。肉弾戦ならばマルコの敵ではないだろうが、猛毒使いというのが気になる。マルコの体にも害になるのだろうか……。
「どうするんだ? やめておくか? やめるなら、他の奴に回すが……」
ジュドーの声。ギブソンは首を振る。大したことはない。仮に肉弾戦が危険ならば、銃で撃ち殺せばいいだけだ。あるいは爆弾で吹っ飛ばすか、石でも投げるか……不死身の化け物でもない限り、殺す手段はいくらでもある。
「大丈夫です……やりますよ。オレとマルコの敵じゃないですね。三日以内に必ず殺ってやります。それで……ブライアンは今どこにいるんです?」
「ガン地区の古い倉庫跡にいるぞ。今は浮浪者たちに見張らせている。今後もし奴が移動するようなら、すぐに知らせる」
「わかりました。では、直ちに取りかかります」
ギブソンはそう言うと、向きを変えて出て行こうとしたが――
「あ……つかぬことを聞きますが、治安警察と虎の会の関係はどうなってるんですか?」
「治安警察だと? まあ、上の連中と極めて緩やかな繋がりはある……その程度の関係だよ。なあ、何でそんなことを聞く?」
逆に聞き返すジュドー。その目には、疑念の色が浮かんでいる……ギブソンは答えに迷った。あの時、見たものを告げるべきかどうか……だが、それはほんの一瞬だった。
「いえ、大したことはないんです……ちょっと疑問に思っただけです。じゃあ、失礼します」
帰る道すがら、ギブソンは自分のヘマについて考えていた。あまりにも急な仕事、そして五百万という報酬に少し判断力が乱されてしまったらしい。あんなことは聞くべきではなかった……自分は今のところ、虎の会の関係者が警官と話していたのを見ただけなのである。確かに、ただならぬ雰囲気ではあったが……まだ何もわかっていないのである。はっきりしていない情報をベラベラ口にするのは愚か者だ。ましてや、ジュドーのような大物の前では……発言に気を付けなくてはならない。
さらに、あの警官と話していたステファンという男……奴はどう見ても大物ではない。だが、競売会場での態度の大きさや周りの人間の反応を見るに、それなりの影響力を持つ者なのだろう。そんな人間の陰口を叩くような真似は……今、この段階では慎むべきだ。
ギブソンには、ちゃんとした身分がない。自らのギブソンという名前すら、本名であるかどうかも疑わしいのだ。内乱の影響で焼け野原と化した村で生まれ、それ以来ずっと裏街道を歩いてきた。その間、肝に銘じていたことがある。軽薄な人間を演じている時でも……軽はずみなことを口走るのだけは避ける。口は災いの元だ。ちょっとした軽口が元で殺し合いになったケースを、これまで何度も見てきたのだ……。
しかし、先ほどの治安警察の話は明らかに「軽はずみなこと」だろう。ジュドーのように頭の切れる大物が、自分の不用意な発言をどう判断したのか? 聞き流してくれれば良いのだが……。
そこまで考えたが、ギブソンは頭を振って気持ちを切り替える。起きてしまったことをうじうじと後悔しても仕方ない。今はまず、そのブライアン・ジェネシスとやらを片付けるのが先だ。ひょっとしたら、今回は飛び道具……それも重火器の出番なのかもしれないのだ。ひとまず、帰ってから作戦を練るとしよう。




