第二十二話 元令嬢の名前はイレーヌさん
「イレーヌは毛玉様を見つけて報奨金をもらえたら、何に使うんだい?」
ミーヤは洗濯場のすみに置かれた長椅子で、厚手のタオルにくるまって横になっていた。時折り浅くなる眠りの中で、下女たちの洗濯作業のジャブジャブという水音とお喋りの声が聞こえてくる。
(毛玉様って……わたしのこと⁈)
毛玉に『様』づけ。敬称が違和感を通り過ぎていて笑ってしまう。
「弟を何とか上級学校に進ませてあげたくて。とても頭の良い子なんです」
農家の娘さんの質問に、元令嬢が答えた。『イレーヌ』というのは元令嬢の名前だ。ミーヤは、知ってはいたが何となく気恥ずかしくて、まだ呼んだことがない。
ちなみに農家の娘さんの名は『エレン』。乾物屋のおかみさんのことは、みんな『おかみさん』か『お母さん』と呼んでいる。
「へえ、良い姉ちゃんだねぇ! あたしは小麦の自動刈り入れ機が欲しいね! うちの馬、年寄りだからもう無理させたくないんだ」
農家の娘さん、エレンが言った。もうすぐ実りの秋。刈り入れの季節がやって来る。
「あたしは初孫の顔を見に行きたいねぇ。この前、そろそろ歩くって手紙が来てさ。育児疲れの娘をのんびりさせてやりたいし」
おかみさんの長女は、海の向こうの離れた街へと嫁いでいる。庶民にとっての船旅は、気楽なものでも安いものでもない。
『妹に秋祭りの晴れ着を買ってやりたい』
『膝の悪い父親を、良い医者に診てもらいたい』
『雨漏りのする実家の屋根を張り替えてあげたい』
みんな次々と、キラキラした希望を口にする。洗濯下女の給料は生活する細々とした出費で、あっという間に消えていってしまう。
毛玉にかけられた報奨金は、そんな彼女たちに夢を見せてくれた。いわゆる『あぶく銭』だ。普段は後回しにしてしまっていること、届かないと諦めていたことが、洗濯液の中のシャボンの泡のように次々に湧いてくる。
ミーヤはじわりと切なくなった。
ミーヤには、何も思い付かなかったのだ。
みんながみんな嬉しそうに『自分以外の誰かのために』と優しい希望を口にする。それは普段の生活に余裕がないという現れなのだが、それでもミーヤは羨まずにはいられなかった。
ミーヤには何もない。
気がついたら毛玉だった。ずっと生き抜くことで精一杯だった。人間のミーヤも、毛玉のミーヤも、どちらもはぐれのひとりぼっち。同種の一匹もいない。
紛れ込んでしまった異世界、育成ゲームのようなシステム……人間と毛玉を行ったり来たりする中途半端な生活。
例え金貨五枚が手に入ったとしても。
ミーヤがそのお金で笑顔にしてあげたい家族は、この世界にはいない。
(へーかは、ほうしょうきん、払う側だし……)
ようやく想い浮かべたのは、ヒューゴの顔だった。毛玉にとっては『契約者』。強い縁を感じる。
だが人間のミーヤにとっては、どこか遠い人だ。大きな手で頭を撫でてくれた。身分の低い、オドオドとした下女にも優しくしてくれた雲の上の人。不機嫌そうな眉間の皺さえ、ミーヤには眩しくて直視出来なかった。
(それに……。へーかが喜ぶことって何だろう……)
ヒューゴを笑顔にするには、金貨五枚では不足だろう。何しろ国のトップである皇帝陛下。彼にとってのお金は、買い物をするためのものではなく、人や物を動かすための資金だ。
「あっ……!」
ヒューゴを笑顔にする。そして、洗濯下女たちみんなの、ささやかな夢を叶える。
ミーヤは、その二つを簡単に実現する手段を持っている。
「あらミーヤ、起きたの? 気分はどう?」
イレーヌが優しく微笑みながら、水仕事で冷たくなった手をミーヤの額に当てた。冷たくて、とても気持ちが良い。
エレンがカップに水を入れて渡してくれた。続けて、手荷物から小さな黄色い果物を取り出してポンと投げ寄越す。
「風邪の時は、すっぱい果物が良いんだ。皮ごと食べなよ!」
「わたくし、庭で薬草を育てているの。風邪に効く薬効成分のものもあるわよ」
みんなの優しさが身に沁みる。自分がみんなにとっての『一番』でないことは、何となくわかっている。それでも差し出される手があることが、ミーヤは嬉しかった。
(わたし……メンテナンスが終わったら、みんなに捕獲されよう!)
こういうの、なんていうんだっけ? と、妹尾美弥時代の国語知識を探る。四文字熟語とか、ことわざとか、そういう言い回しだ。
(みんなが得をするの……! たしか、漁師さんが関係あった!)
どうやら『漁夫の利』を思い浮かべているようだ。ミーヤ、それは違うぞ。強いて言うならば『一挙両得』が一番しっくり来る。
洗濯部屋のみんなが金貨を手に入れて、ミーヤは速やかにヒューゴのもとへと帰れる。恐らく、自惚れではなくヒューゴも毛玉が戻れば喜んでくれるだろう。
密かに心に決めて、エレンから受け取った果物をパクリと丸ごと口に入れる。思い切って噛み締めたその黄色い果実は、唇が痺れるくらいに酸っぱかった。
「ミーヤ、そのシュランの実は、具合が悪い時ほど酸っぱく感じるんだよ。今日はイレーヌの家にでも、泊めてもらったらどうだい?」
顔を顰めてうべぇっと舌を出すミーヤに、イレーヌがうんうんと頷いてくれた。
「没落貴族のお屋敷にご招待するわ! ふふふ! けっこう悪くないのよ?」
イレーヌのブラックジョークに、みんなが顔を引き攣らせたけれど、エレンだけは『今度みんなで肝試ししよーぜ!』とゲラゲラと笑った。
洞窟でひとり、またあの夜を過ごすのは正直言って嫌だった。それに、貴族のお屋敷にも興味がある。ミーヤはぺこりとお辞儀をして、イレーヌの家でお世話になることにした。




