第十四話 毛玉生活 by ヒューゴとお城の人々
「ミーヤ、おはよう。おいで」
ヒューゴは朝起きると、まずミーヤを呼ぶ。
夜着のボタンを開いてお腹をポンポンと叩くと、ミーヤはチョンチョンと跳ねて来てスポッと収まる。パタパタと飛んで来ることもあり、ヒューゴはどちらも甲乙付け難く良いものだと思っている。
ヒューゴはこの、芸とも呼べないミーヤとのやり取りに殊更に執心していた。
何者かを呼び、その相手が近寄って来るのは戦場で何度も経験したことだ。もっとも、呼ぶセリフは『死にたい奴から掛かって来るが良い!』であり、続く動作は斬り捨てるのみだった。
残心の構えを取るヒューゴの胸には、殺伐とした虚しさがあるばかり。その後味の悪さは、戦場をあとにしても長くヒューゴの中に居残っていた。
だがミーヤを呼んで、チョンチョンと寄って来るのを見ると、擽ったいような嬉しさが込み上げて来る。
ミーヤが収まった懐はポカポカと温もり、柔らかい毛並みに触れると、泣き出したいような気持ちになる。
(まるで、傷口に蜂蜜を塗った時のようだ……)
ヒューゴは戦場で薬の足りない時に、ふと思いついて蜂蜜を使ってみたことがある。蜂蜜には殺菌作用があると聞いていたので、悪くはないだろうと考えたのだ。
蜂蜜は、傷口に甘く沁み込んだ。傷は肩にあった。当然、味覚など感じる筈もない。
だが傷口は確かに、甘やかにチリチリと疼くように痛んだ。
(なぜ、こうも離れがたいと思うのか……)
眉ひとつ動かすことなく、数えきれないくらいの人間を斬り捨てて来た。そんな自分が、簡単に握り潰せる程の小さな命を懐に入れ、恐る恐る撫でたりしている。
ヒューゴはミーヤを見ていると、蜂蜜に似た甘やかな何かが、じんわりと染み出して来るのを感じた。
妹尾美弥の生きていた世の中ならば『それは幸せホルモンと呼ばれる“セロトニン”や、愛情をつかさどる“オキシトシン”という脳内伝達物質だよ』と教えてくれる人がいたかも知れない。
だがこの世界では、まだまだ未知の分野だ。ヒューゴは慣れない感覚に戸惑うばかりだった。
(俺にそんな資格が、ありはしないだろうに……)
ヒューゴは敵兵に帰る家があることや、大切な人が待っていることから必死で目を逸らして戦っていた。そんなことを考えてしまったら、戦争など出来なくなる。
自分が立ち止まってしまっては、後ろにいる部下たちを守れない。戦えない民の住む自国を、蹂躙されることになる。
ヒューゴは眉間に深く皺を刻み、唇を引き結んで剣を握り続けた。力を入れていなければ、情けなく歪んでしまいそうだったから。
戦争が終結して既に一年が過ぎたが、そういう意味では未だヒューゴは戦場から解放されずにいたのだ。
そこに現れたのが、ミーヤという蜂蜜だ。傷口に甘く沁み込み、チリチリと刺激する。ヒューゴは縋るようにミーヤとのやり取りに夢中になった。
これを『依存』や『執着』と呼んでは、余りにヒューゴが哀れでならない。
* * *
ミーヤが城に慣れて来た三日目くらいから、ヒューゴは誰憚ることなく、ミーヤを連れ歩くようになった。
『うちの毛玉見て!』と言わんばかりに、シャツの第三ボタンまでを外して、見事な胸筋と頭に花を生やした謎毛玉を見せつけて歩く。
『皇帝陛下が……乱れたお姿で……』
『あの、ポヤポヤした毛玉……生き物?』
城の誰もが困惑した。
慌てた侍従たちに『皇帝の品位』を持ち出して窘められて、ヒューゴは渋々とミーヤを胸のポケットへと移動させた。
女中や事務官、警護の騎士たちは、ヒューゴが謎の毛玉をシャツのポケットに入れたまま歩いているのに出会うと、皆一様に立ち止まって二度見した。
ユラユラと頭の花を揺らす小さく地味な毛玉と、冷酷皇帝は余りにも掛け離れた存在に思えたからだ。
噂では、人を斬る時にしか笑わないとまで言われている御方だ。これまでは『移動など無駄な時間だ』とばかりに、凄い勢いで廊下を闊歩していた。
そのヒューゴが、シャツの膨らみ(ミーヤが入っている場所)をポンポンと優しく叩き、あまつさえ『腹は減っておらぬか? 傷口は痛まぬか?』などと声を掛けながら、ゆっくりと歩いているのだ。
ヒューゴの口元が、わずかに上向いているのに気づいた女官の中には、目をゴシゴシと擦って俯いてしまう者までいる始末だ。
俯いた彼女らは首元までを赤くして足速に去ってゆく。そうして人目のない場所まで行くと『なにあの色気……ヤバイ……腰が砕ける……』『陛下の囁きバリトンボイス、鳥肌立つ……』『大きな手で優しくポンポン……毛玉になりたい……』などと呟く。
無愛想なヒューゴの微笑は本人の自覚があるものではなく、だからこそ毛穴から漏れるように匂い立つフェロモンの効果は甚大だった。
何も感じないのはミーヤだけだ。なぜなら子供だから。そして毛玉だから。
ミーヤの存在は、城の住人全ての関心を集めた。
『皇帝陛下が小動物を愛でているらしい』
噂は城中を……いや、城下町や貴族街まで届き、光の速さで駆け巡った。
その噂を聞き、ペットの毛玉という思わぬ場所から綻んだヒューゴの隙を、逃さぬ女豹が群がった。
独裁とも取れる、帝国唯一にして最高権力者。真冬の月のような冴えた容姿や、鍛え上げられたしなやかな身体は男性としての魅力に満ちている。こうなってみると『冷酷』と評されていた無口で愛想のない様子すらも、クールで魅力的に思えて来る。
こんな優良物件は、他のどこを探しても見つからないだろう。
ミーヤの存在は、見る者に『血も涙もない冷酷皇帝は、心を許した者には意外と情が深いのではないか?』という考えを抱かせた。そして彼女たちは自分にこそ、その資格があるとばかりに、ヒューゴに纏わりついた。
『あんな見窄らしい毛玉ですら優しくしてもらえるならば、自分にチャンスがない筈がない』
そんな想いが透けて見える彼女たちを、ヒューゴは一刀両断した。塩対応どころの話ではない。虫ケラを見るような蔑んだ目で見下ろして言った。
「私に用があるならば、文書にして提出しろ。許可なく私に触れることは謀意と断ずる。私は貴様らのように遊んでいる訳ではない。執務中だ。即刻、出てゆけ!」
取りつく島がないとは、正にこのことだろう。場違いに着飾った女性たちは潮が引くように遠ざかり、二度と現れることはなかった。
だが、それが第一波だとすると、第二波があった。
第二波は、ヒューゴの指示通りに文書で届いた。家門として皇帝と紐付きたいと考えた者たちが、尻込みする娘を説き伏せて山のような釣書と絵姿を送り付けて来たのだ。
これにはヒューゴも辟易した。
ヒューゴは女性に興味がないわけではない。だが皇太子として家族の情を知らずに育ち、多感な少年期から五年もの間、戦場で人を斬り続けたのだ。
未だに愛や情など、その意味すらもよくわからないでいる。
そんなヒューゴがミーヤにだけは心を動かされた。この世界が本当に育成ゲームであるならば、ミーヤの役割は、きっとここにあるに違いない。
結局、第二波として届いた見合いの申し込み書は『保留』とラベルの付けられた箱に入れられて、その後ヒューゴが再び手を伸ばすことはなかった。
そして訪れた第三波。
それは動物を飼っている、飼い主たちの波だった。
意外にも、ヒューゴはこの波に乗った。
「陛下、うちの猫もお腹を叩いて呼ぶと飛びついて来るんですよ!」
「なんだと? こんなに賢いのはうちのミーヤだけだとばかり思っていたのに」
「うちの犬は棒を投げると、飛びついて受け取りますよ」
「ほほう、それは見物であるな」
「うちのリスは、私の頭に乗るのが好きで、いつも登って来るんです」
「それは愛らしいな。今度連れて来て見せてくれ」
身分や職業の垣根を越えて、ただお互いの飼っている動物の自慢話をし合う。ヒューゴは軽く普段の八倍は饒舌になった。
普段は眼光鋭く強者オーラ全開のヒューゴが、たわいもない動物の話に花を咲かせる様を、ヒューゴの部下たちは信じられない物を見るような目で見た。
だが、当の飼い主たちはそんな光景には慣れていた。コワモテの傭兵も、気難しいご隠居も……冷酷皇帝陛下でさえ、『うちの子』の前ではデレるのは当たり前という認識なのだ。
「ミーヤちゃんの頭のお花、うちの庭にも咲いてますよ。貧乏花とか呼ばれてますけど、可愛い花ですよね」
そんな風に声をかけてもらうと、ヒューゴは今まで感じたことがない程に満ち足りた気持ちになった。
「ああ……。ミーヤの名前はあの花から貰ったのだ。今度、私の紋章をあの花に変えてもらおうと思っているのだ」
皇帝の紋章とは、国家が正式に発行する書類に押印される玉璽にも用いられるものだ。雑草で良いのだろうか?
「あの花は、正式には“ミーアリーヤ”という名で……」
ヒューゴがミーヤの正式名称を口にした瞬間、突然自身の身体が眩いばかりの白い光に包まれた。
それは、ちょうどミーヤがヒューゴの寝室で、ヒューゴのフルネームを高級メモ用紙に書き記したのと、全く同じタイミングだった。
同時にお互いの正式名称を使い、同時に同じ光に包まれた。
どうやら周りにいた人々には、その光は見えていないようだ。ヒューゴと、ミーヤのみに見える光……。
それが何を意味しているのか。
そして、ミーヤの身には、何が起きているのか。
さてさて、どうなりますやら……。




