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ソサリア魔導冒険譚  作者: 星乃紅茶
【第四部】 《歴史の宝珠 編》
99/223

7章 真実を見るもの 4-19

「――リューナ!」


 トルテが声を張りあげた。


「ハイラプラスさんたちは南東の方角、上空にいます! あたしたちの目にももう見えてくるはずですッ」


 体をぴたりと寄り添わせるほどに近くにいても、通常の声では吹きすさぶ風に阻まれて届かないのだ。


「この風、なんだか変だよな! 少し後方に戻るようにスマイリーに伝えてくれ! これがおっさんたちの言ってた『烈風結界』かもしれない――」


 リューナはトルテに言ったつもりだったが、言葉と同時にスマイリーが後方に退いた。ある地点を越えると、怖ろしいほどに渦巻いていた風はフッというため息を残してリューナたちの周囲から離れた。


「そっか……『月狼王』は俺たちの言葉がわかるんだったっけ」


 すまない忘れてた、とスマイリーに向けて声に出してつぶやきながらリューナは遥か下方の地面を見た。


 先ほど突入したときには気づかなかったが、まるで地面に線を引いたかのように吹き払われ風に浸食され続けた岩が、剥き出しの大地と、その外側に広がる通常の荒涼とした大地とを分けているのだった。


 月明かりの大地を透かし見るように目をすがめ、リューナは周囲をぐるりと見渡した。


「やっぱりここは自然の領域じゃないな。この手前で合流となると――」


「リューナ、スマイリーが上を見ろって」


 言葉を切ったリューナはトルテの指差す先をたどり、上を見た。爬虫類を思わせる胴と尾、蝙蝠とも鳥ともつかぬ翼、夜目にも鮮やかな鱗の輝き。上空にいくつも舞う美しくも怖ろしい威厳のある影は……。


「うわぉ。――すっげぇ!」


 喉から思わず歓声があがってしまう。リューナは真なるドラゴンを間近に見たのはこれが初めてだった。


 ぶわっ、という風が吹きつけ、燃えるように赤い灼熱の光沢の鱗を持つドラゴンが一体、目の前に舞い降りた。スマイリーよりもさらにでかい。


 そのドラゴンの口が僅かに開いた。めくれるように強固な皮膚が動き、敵であれば油断ならない見事な牙がずらりと見えた。


「お褒めに預かり、ありがとう」


 牙の間から人語が聞こえた。覚えのある、からかう様な気取った響きだ。


「このドラゴンはダルバトリエだ」


 ハイラプラスの声が聞こえ、ドラゴンの背から銀の髪の青年がふわりと地面に降りてきた。かなりの高さなので、落下を軽減する魔法を使っているようだ。


「こんなに近くに待ち合わせてしまって、相手からは見つかりませんか?」


 トルテの問いかけにハイラプラスは肩をそびやかし、事も無げに答えた。


「もう見つかっていますよ。我々は隠れはしない――宣戦布告は堂々と行われるべきですからね」


 グオオオオオオォォオ!!!


 同意するように、ドラゴンの姿をした王が猛々しく吼えた。その声は周囲を取り囲む環状山脈に反響し、長い尾を引いて一帯を揺るがせた。


「そうだ――ハイラプラスのおっさん、ディアンたちはまだなのか?」


「この反対側にいるのを見ましたよ。地表からでは空気が乱れて見えませんが、さきほど上空でエルフ族の『光矢』の合図があがったのを確認済みです」


 そのとき、空気が変わった。鼓膜がおかしくなるような気圧の変化が安定し、ゴウゴウという風の音も消えた。


 リューナたちのすぐ傍らを吹き荒んでいた『烈風結界』が解かれたのである。


「ふふん……。ドゥルガーは『封印』の魔導士です。これがやつからの宣戦布告への返事なのでしょう」


「ハイラプラスよ――正面、来るぞ!」


 ダルバトリエが翼を広げ、巨体を持ち上げた。後足で立ち上がるようにして首を伸ばし、遥か前方に向かってゴウと炎を吐いた。 


 『烈風結界』が消え、魔法陣と中央の『穴』まで遮るものがなくなった場所が炎で照らされる。リューナたちにも敵の姿が見えた。ざっと見ても二百はいるだろう、飛翔族の軍隊だ。


「敵の数は約二百、こちらはドラゴンに化身した竜人族三十、エルフ族の戦士百――まぁ、数は向こうが上ですが、戦力の質でいえばこちらが遥かに上ですねぇ」


「悠長に構えている場合かよ、おっさん!」


 リューナは右手に、自分の長剣と同じ姿の『魔導の剣』を出現させた。『物質生成クリエイト』である。続けて『倍力インクリーズパワー』と『倍速ヘイスト』を自分に向けて行使する。


 相手は黒い衣を纏って黒い翼を持つ飛翔族の兵士たちだ。魔法陣の外周に沿うように配置されていたが、烈風が無くなった今、空に次々と舞い上がっていた。


 まるで鷹が滑空するときの翼のような陣形を取ってドラゴンたちへ向かって突っ込んでいく。


 ダルバトリエが高く鋭い唸り声を上げ、自分も空に舞い上がった。翼のあおりを受けたトルテが尻餅をつく。


 王の唸り声は合図だったようだ。ドラゴンたちはさっと半円状に広がり、各々の距離を置いて整列した。そして一斉に炎や蒸気を敵に吐きかけたのである。


 相手にとっては予想外の到達距離だったのか、全面に出ていた飛翔族の兵士が燃え上がり、嫌な煙を引きながら次々と地面に墜落した。


 それはリューナたちの目の前だった。


「あぁっ!」


 トルテが悲鳴を上げて目を逸らす。リューナは瞳に力を込め、目を逸らせる事なく戦況を見守った。


 だが、奇妙なことに――。


「む、何だ!?」


 地面に落ちて絶命したはずの兵士たちが、ギクシャクと立ち上がったのだ。そして虚ろな眼窩で地面にいるリューナたちを見つけ、兵士の一体が腕を振り上げた。その手には槍が握られている。


 その兵士の動きが次々と伝染し、地面に叩きつけられたはずの敵たちが無機質な動きで立ち上がり、一斉に向かってきたのである。


「――む!」


 ハイラプラスの腕が素早く上がり、その長身と同じ大きさの魔法陣が体の前に展開される。


 ズドン!


 重い衝撃とともに、リューナが切り結ぼうと構えた剣の手前で何体もの兵士が吹き飛ばされた。スマイリーが噛み付こうとしていた敵も飛ばされ、『月狼王』の牙が空振りに終わる。


 ハイラプラスから一拍遅れて、トルテが自分たち三人に『防護プロテクション』と『力の壁(フォースウォール)』を行使した。


 夜目にも美しく輝く魔導特有の緑と青、そして白の輝きが治まると……目の前の大地に点々と敵の兵士の体が転がっていた。魔物でも妖獣でもない、同胞たちの死――リューナの胸がずきりと重くなる。


 だが――。


「り、リューナ! あのひとたち普通じゃありませんッ」


 トルテが悲鳴のような声をあげ、リューナの腕に手をかけた。目の前の光景を同じように見ていたリューナの首筋の毛もザワリと逆立った。


 倒れ伏したはずの死体が、あらぬ方向に腕を、首を折り曲げたままの状態で、槍を構えて突っ込んでくるではないか。スマイリーが鋭い爪のついた前足を横にいだが、ぼろ雑巾のようになってもなお立ち上がってくるのである。


「な、なんだ……こいつら!」


「クッ――なるほど、何ということですかドゥルガーめ……ちたものだ……!」


 ハイラプラスが嫌悪の表情で吐き捨てるように言った。リューナはトルテを後方にかばい、剣を構えた。ハイラプラスも左手に剣を出現させている。


 上空でも激しい戦いが繰り広げられていた。


 翼を焼き切られなかった飛翔族の兵士は、自身がどんな状態であっても飛べさえすればドラゴンに突っ込んでいくのだ。小回りが利きにくい巨体を持つドラゴンの何体かは、手痛い反撃を食らっている。なにせ相手は数が多い。一体のドラゴンが複数の相手をしているのだ。


 そんな混乱の中、ひときわ赤く輝くドラゴンが燃える彗星のように戦場を飛び回っていた。皆を叱咤激励しながら敵を焼き、牙や鉤爪で次々とほふっている。


 だが、ドラゴンたちが善戦すればするほど、リューナ、トルテ、ハイラプラスの周囲に、不気味な動きをする敵の数が増え続けるのであった。


「トルテは俺の傍から離れるなッ!」


 大声で言いながら、リューナは長剣を風車のように回した。眼前に迫る敵の槍を弾き、胴を切り裂く。トルテを挟むように背中合わせになったハイラプラスが、魔導の技で敵を弾き飛ばしつつ剣を振るっていた。


「倒れてもすぐに起き上がってくる敵が相手じゃあ、あんまりもたないぞ!」


 リューナの言葉に、ハイラプラスが良く響く声で応えた。


「この者たちには秘術がかけられています。太古の禁断の魔法――『死霊使い(ネクロマンサー)』の技ですよ」


「それって『不死怪物制御アンデッドコントロール』のことなんじゃねぇのかっ!?」


 剣で槍を弾き、がら空きになった相手の胴を力いっぱい蹴りつけながら、リューナが訊いた。


「全く異なるものですよ。この者たちはもともと死んではいない。生きながらにして『死霊』をその身に封じられたのです」


 ハイラプラスの言葉に、トルテが息を呑むのが聞こえた。


「ドゥルガーは『封印』の魔導士だと言っていたな……チキショウ!」


「生きているひとをにえに『死霊』を『封印』したのですかっ……!」


 リューナは自分の耳を疑った――普段怒ることのないトルテが、本気で怒っている。だが、リューナも同じ気持ちだった。こんなこと、血の通ったやつのやることじゃねぇだろ!


 しばらくは持ちこたえたが、周囲を二十体以上の『死霊』を内に宿した兵たちに囲まれてしまう。


「きりがねェ!」


 リューナが鋭く舌打ちし、ハイラプラスが目をすがめたとき。


 ザンザンザンッ、ザンザンッ!!


 リューナたちの周囲に光の矢が突き刺さった。白くあたたかい光を宿した、人の背丈ほどの長さがある矢だった。


「リューナ、トルテ!」


「……ディアン!」


 横から駆けつけてきたのは、ディアンとフェリア、そしてエルフ族の兵たちだった。兵たちは全員、長くしなやかな乳白色の弓を携えている。


「フェリア殿、助かりました。『聖なる矢(ホーリーアロー)』を使える部隊で良かったです」


「遅くなってすみません。反対側に居たものですから。――まったくダルバトリエは行動の開始が早すぎです。文字通り尻に火がついているようですわね」


 フェリアは空を見上げ、炎の尾を引く紅蓮のドラゴンを眺めながら一言付け加えた。


「まあ――美しく勇猛果敢ですけれど」


「それが聞こえたら彼は狂喜乱舞してますます調子に乗りますゆえ、ここだけの感想ということで」


 ハイラプラスが言い、手の中の剣を消してニッと笑った。周囲の敵は矢に貫かれて倒れ伏しているが、矢を逃れた敵はすぐにまた起き上がってそうな様子だ。ぴくぴくと動き、すでに手を地面に突っ張っている者もいる。


「ここは我らに任せて、早く元凶を断ってしまいなさい。エルフ族の気高き精神は、呪われ惑いし哀れな存在には、決して屈しませぬゆえ」


「――僕も一緒に行きます!」


 進み出たディアンに、ハイラプラスは頷いた。


「呪いの元凶を――『死霊使い(ネクロマンサー)』の魔法そのものを封じ込めなければ、事態は収まりません。期待していますよ、ディアン」


 そして次に視線を向けられたリューナとトルテは、言葉を待たずに勢いよく頷いてみせた。トルテが、自分の傍に控えている幻獣に向かって声を掛けた。


「行きましょう、スマイリー」


 呼ばれた『月狼王』が唸り、見事な毛並みの胴をぶるっと振るった。そして前足を折るように屈み、「乗れ」とばかりに背を低くする。


「ありがとう。――さ、あのふたりをとっちめに行きましょう!」


「おう!」


「はいっ」


 リューナはトルテを抱きかかえ、跳躍した。自前の翼でふわりと舞い上がったディアンと、空中を滑るように登ってきたハイラプラス、計四人が背に乗ったことを確認して、スマイリーは立ち上がった。ダンッと水平に大地を蹴り、大量の敵を跳び越え、一気に魔法陣の傍まで詰め寄る。


 そこには、ふたつの人影が立ちはだかるように待っていた。


「――邪魔はさせぬよ、ハイラプラス!」


 右のオレンジの瞳と、左の漆黒の瞳を、ギラリと狂気に取り憑かれたかのように輝かせながら、ドゥルガーが言い放った。


 リューナが、ハイラプラスが、ディアンが『月狼王』の背から飛び降りる。


 ディアンがキッとドゥルガーを見据えて口を開いた。


「兵士とて、大切な我が民。忠誠心を、命を、あのように踏みにじるとは――こんな冒涜は許さないぞ、ドゥルガー!」


「ほほぉう。これはこれは、力なき王よ。私にそのようなふてぶてしい暴言を吐けるまでに成長していたとは、全くもって驚きですなぁ」


 ドゥルガーは背筋を伸ばしたまま見下ろすような姿勢で、飛翔族の少年王と対峙した。


「もしかして、私の『魔封呪』とそなたの『封印術』、どちらが強いのか勝負する気なのかね?」


「そうだ! 僕がおまえを止めてやるッ!」


 ディアンが叫ぶように声を叩きつけた。


 その横で、リューナは一度は消していた『魔導の剣』を再び出現させ、油断なく構えている。スマイリーはトルテを背に乗せたままだ。『月狼王』は喉の奥で鋭い唸り声を発し、地面を前足で引っ掻いている。


「フン、別次元の哀れな獣め――おまえの相手は別にあるぞ!」


 ドゥルガーの背後に立っていたザルバスが叫び、両腕を空中に滑らせた。ぐるり、と回すように大きく動かし、地面に叩きつけるように一気に振り下ろす。一瞬で巨大な魔法陣が足元に描かれ、黄色と赤色の光に強く輝いた。


「『ゲート』の魔法、召喚魔法です!」


 トルテの張りつめた声が響く。


 その円の中心から、何かがズルリ……、と這い出してきた。そいつは正体を見極められるより早く、『月狼王』の背に乗っていた少女目掛けて突っ込んでいった!


「させるかッ!」


 リューナは素早く剣を突き出した。眼前を通り過ぎる太い胴にざっくりと突き刺さる。毒々しい縞模様に彩られた長い胴、鋭い牙と先が割れた舌――それは巨大な蛇だった。


 ジャアアアァァァッ!


 手前で縫い止められ、勢いのままに胴を斬り裂かれて少女まで届かなかった相手は、怒りに満ちた叫びを轟かせながら首をめぐらせ、剣を突き立てている少年の姿を見据えた。


 そしてかっぱりと顎を開き、丸呑みにしようと獲物に襲い掛かる。食いつかれる直前、リューナは素早く身を転がして逃れ、回転を利用して起き上がり、瞬時に体勢を整えた。蛇は地面に突っ込み、怒りに任せてジャアジャアとうるさく鳴いた。


「リューナ!」


「ほれ、余所見をしている場合ではないぞ!」


 ドゥルガーが言うと同時に腕を突き出し、あっと思う間もなくディアンの体が後方に吹き飛んだ。


「ディアン!」


 リューナは叫び、ドゥルガーまでの十数歩の距離を一気に詰めた。そしてドゥルガーの頭上に剣を振り下ろす。


 ドゥルガーはニヤリと笑いながら体を捻り、その斬撃を易々とかわした。リューナの剣は地面を叩いたが、そのまま腕に力を込めて強引に剣を撥ね上げた。その一撃はドゥルガーの顎をかすめ過ぎた。


「太刀筋は悪くない。だが荒削りだ」


 ドゥルガーはわらいながら腕をするすると伸ばした。リューナの体が、まるで見えない腕に突き飛ばされたかのように空中に跳ね上げられる。


「――ぐッ!」


 地面に激突する前に身を捻り、リューナは受身を取った。呼吸は詰まり全身を激しい痛みが駆け抜けたが、骨は折らずに済んだ。


「リューナ!」


 落ちた場所は、ディアンの傍だった。ディアンは腕をリューナに向けて差し伸ばし『治癒ヒーリング』の魔法を行使しようとしたが――。


「うッ、あああぁぁぁっ!」


 赤い稲妻のような禍々しい光がディアンの体を絡め取った。


 倒れていたリューナが何とか顔を上げて敵に目を向けると、ドゥルガーが禍々しい赤に染まる魔法陣を具現化していた。


「ディアンよ……おまえももう必要ない――命の灯火を吹き消してやろう。おまえの父親のようになッ!」


「――やめろぉぉッ!」


 リューナの瞳に碧い炎が燃えた。痛む腕や脚を顧みずに跳ね起き、剣を構えて黒い翼の男に向け、駆け出した。


 だが、リューナの剣が到達するより早く、男に襲いかかった影があった。



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