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ソサリア魔導冒険譚  作者: 星乃紅茶
【第四部】 《歴史の宝珠 編》
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6章 黄昏のはじまり 4-16

 ゴウゴウと唸りを上げ、地表にある全てを吹き払おうとしているかのような突風のなか、ふたつの人影が微動だにせずに立っていた。


 眼下にある『穴』を静かに見据えているのだ。


 それは『穴』としか呼べない存在だった。地面に穿うがたれた、何処まで続いているのか測り知ることもできない常闇とこやみの空間。


 ひとりは白い翼に黒い羽が混じっている飛翔族の男。もうひとりは同じ飛翔族の男だが、髪も翼も衣服も全てが漆黒の色で統一されていた。ただひとつ違うのは、肌の色を別にすれば、その瞳だった。明るいオレンジ色の瞳である。ただし、片目――右の瞳だけが。もう一方は闇色だ。


 吹き荒れる風の只中にあっても目に見えない障壁がふたりを包み込んでいるかのように、ふたりの翼も髪も、衣服の裾すら揺れることはなかった。


「何かが衝突した後なんですかね、これは」


 白い翼の男が言い、黒装束の男のほうが忌々しげに舌を鳴らした。


「そうではない。見てわからぬか――これは世界の『へそ』……この次元が作られた時に僅かに残った狭間なのだよ、ザルバス」


 ザルバスと呼ばれたほうは、慌てて膝を落としてその場にうずくまった。


「わたしには、貴方様のように聡明な頭脳と瞳があるわけではないので――」


「瞳のことは、今後一切口にするなッ!」


 声を荒げた主君に、ザルバスは喉の奥で「ヒッ」と短い悲鳴を上げた。もうこれ以上は要らぬことを言うまいと口をしっかり閉ざし、ひれ伏したまま下唇を噛みしめた。


 あのルエインとかいう人間族の女が『時』を知る書を手に入れ損なったことで、主君の機嫌は最低最悪のラインに下がったままだ。


 最初にディアン王を逃がしたときよりももっとずっと悪いに違いない。あのときにも生きた心地がしなかったが、今回は――二千年に一度しか巡ってこない『時』に関することなのだ。


 命に代えても失敗するわけにはいかなかった。だが、失敗せず主君の願いが成就したあかつきにも、彼の生命の営みは一旦終わるのだが……。


「だが我が主君ドゥルガー様は、私を復活させてくれると約束してくださったのだ。だから憂えることなどない、ただ主君の望むように動けばいい。そうすれば事は進み、全てがあるべき場所に落ち着くのだ」


 ザルバスは伏したまま胸に手を当て、声に出さずにつぶやき続けた……。





「ハイラプラスさんを怒らせてしまいました……」


 トルテはしゅんとしてスマイリーの傍らに座り、ビロードのように艶やかな毛皮に頬を寄せてつぶやいた。


 大広間で待機したまま、静かにまどろみはじめたスマイリーの巨体の腹の部分の毛は、ふわふわとして柔らかそうだった。


「ん? 怒っていた?」


 そのつぶやきが耳に入ったリューナは立ち上がり、幼なじみの少女に歩み寄ろうとした。


 眠っていたかにみえたスマイリーが素早く片目を開いてリューナを睨みつけ、グルルゥ、と威嚇するように喉の奥で低く唸った。


 リューナは獣に目配せしながら「シッ、頼むよ」と小声でなだめつつ、トルテの傍まで行き、その横に腰を下ろした。


「怒っていたようには見えなかったぞ。さっきもありがとうって言っていたと思うが」


 トルテは首をゆるゆると横に振り、物憂げな表情で口を開いた。


「あたし、みんなに迷惑かけてばかり……。でもあのふたりをどうしても放っておけなくて。好きな人に嘘をつくって、どんな気持ちなんだろう……。リューナに『先に行ってて』って言ったとき、とても胸が痛かった。剣を突き立てられたときより痛かった……そういうことなのかな」


 トルテの目から、透明な雫が音もなく流れ、頬を伝って小さなおとがいから手の甲に落ちた。


 リューナは思わずその手を握り、自分の手で包み込んだ。


「……リューナ」


 トルテはリューナに倒れこむように体を寄せ、その肩に自分の額をくっつけるようにして嗚咽を洩らした。こんなに打ちのめされた様子のトルテをリューナが見たのは、はじめてだった。


 ――ひとの上に立つ者は、いつも堂々として自信たっぷりに振舞っていなくちゃならないんだ。そう言って半ば自嘲気味に笑っていた国王クルーガーの姿が、唐突にリューナの脳裏に浮かんだ。


「たとえ迷っていようとも、心で泣いていようとも……か」


 リューナは、トルテのことをよく知っていたつもりだった。誰よりも率先してこいつの気持ちに気づいてやれる、だって幼なじみなんだから、と自負していた。けれど今、そうではなかったのだと気づかされた。


 トルテは良かれと思ってした自分の行動を悔やんでいる。精一杯考えて行動した結果が、ここまで裏目に出たのだから。


 リューナはトルテの手をそっと離し、両腕を彼女の体に回した。互いの体の温もりを感じる。抱きしめた肩がいつもより細く頼りなく、しゃくりあげる喉も腕も震えていた。


 王宮のお姫様……か。リューナは声に出さずにつぶやき、トルテを抱きしめる腕に力を込めた。


「リューナ……あのね」


 トルテが囁くような声で言いながら体を起こし、間近からリューナの瞳を見つめて唇を震わせ、微笑みの形にして言った。


「……いつも傍にいてくれて、ありがとう」


 思いがけない言葉に、静かだったリューナの心臓がバクンと跳ねた。


 立ち上がったトルテは、大広間の入り口付近に目を向けた。スマイリーはすでにその方向に鼻を突き出し、ふんふんと匂いを嗅いでいる。


 そこに背の高さがばらばらな三人の姿があるのに、リューナはようやく気づいた。


「――えー、うぉっほん、お待たせしました」


 わざとらしい咳払いとともに、さきほどの本を手にしたハイラプラス、そしてディアン、ダルバトリエが大広間に入ってきた。


 ディアンは心なしか元気がないようだったが、リューナと目が合うとすぐに微笑んでみせた。


「三人で老院に事情を話に行ったら、予想よりは簡単に封印を解く許しをくれたよ」


 ディアンが微笑みながら、竜人族の王に目を向けた。ダルバトリエの大きな手には、ハイラプラスが持っているのと同じような本があった。


「本来飛翔族には優れた『封印』の魔導士が多いと聞いたことはあったが、いやはやここまでのものとは思わなんだぞ」


 感服したようなダルバトリエの言葉に、ディアンが照れたように頬を染めた。


「ありがとうございます。『封印』の力なんて、なかなか役に立つ機会がないものですから……でも、そう言っていただけると嬉しいです」


「老院の者だけでは封印の解除に半日程かかるところに参加していただいて、一時間もかからなかったんですから十分たいしたものですよ」


 ハイラプラスが言ったので、ディアンはますます赤くなって肩を縮こまらせた。


「人間族と竜人族の本を合わせてひとつの章、飛翔族と魔人族でひとつ、エルフ族でひとつ――全ての章は同じひとつの事象について綴ってあるんですよ。つまり各々五つの種族の本を合わせることで真の一冊の書物になるというわけです」


 語りながらハイラプラスは広間の中央に並べられているテーブルに歩み寄った。手で促されて全員が集まる。外はすでに夕暮れになっていて、大きなクリスタルガラスが壁一面にはめ込まれた大広間を、透明なオレンジ色の光が満たしていた。


 ハイラプラスは、手にしていた本をテーブルに置いた。


「我々が今手にしている本ふたつ――つまり、人間族と竜人族の本を合わせることで」


 ダルバトリエも、自分が手にしていた本をテーブルの上に置いた。


「――ひとつの内容がわかるのです」


 ハイラプラスの手が動いた。テーブルの上に並べられた2冊の本を重ね、聞き慣れない言葉を唱える。『真言語トゥルーワーズ』なのだが、意味が聞き取れなかった。一見意味を成さない合言葉のようなものなのかもしれない。


 本が揺らぎ、ぼやけた。


 リューナは思わず目をこすった。トルテもディアンも同じようにまばたきしている。すぐに本は明瞭に見えるようになったが、驚くべきことにそれは一冊の本になっていた。


「すごい、こんな秘密が!」


 ディアンが声を上げた。彼は王という、本来知っておくべき立場にあったはずだが、この書については何も聞かされていなかったのだろう。


 厚みを増した本を、ハイラプラスの指が突いた。パタン、と小気味良い音を立てて本が開いた。


 ページの上に光ったのは立体魔法陣だ。だが――あまりに変わった魔法陣だった。天空にある惑星のような丸い球がゆっくりと回っている。


「時計ですよ」


 ハイラプラスが言葉短く説明した。ツィッ、と手を空中に滑らせると、ページがめくられる。


 記号だか文字のようなものが記された細かな文章だった。


「これは『きょく』という事象についての記述です。この二冊に記された内容は、この世の終わりを決するとされるタイミングについての記述なのです」


「きょく……」


 リューナとトルテは、その言葉が発せられたときにちいさく息を呑んでいた。


 それは、ふたりが生まれる前、世界を文字通り震撼せしめた事件の記憶を呼び戻す言葉だった。幸いにもふたりは話でしか聞いていない。だが、それを体験したおとなたちにとっては……。


「およそ二千年周期で訪れる、この世界を構成する次元の揺らぎの波が最大になる瞬間のことですよね」


 トルテが言った。ハイラプラスは静かに未来から来た少女と、傍らに立つ少年を見つめた。


「君たちは、次の『きょく』を乗り切った世代なのですね」


「はい。――でもあたしたちの世代ではありません、両親たちが『神の召喚(サモンゴッド)』を阻止したのです」


「なるほど……」


 ハイラプラスは目を閉じ、額に指を当てた。そして目を開き、その場にいる皆の顔をゆっくりと見回した。


「おそらく、それと同じか、もっと怖ろしい災いが引き起こされるでしょう。ドゥルガーたちの持つ『終末の書』には、引き金となる『場所』が載っているのです。この書が手に入らなかったので、正確なタイミングが判らなくても、おそらく現地で待つつもりなのだと思います」


「僕たちにできることはないのですか? 打つ手はないのでしょうか!」


 ディアンが叫ぶように問うた。それに応えたのはダルバトリエだった。


「――民を誘導し、避難させることくらいはできる、かもな」


 ハイラプラスは竜人族の王を横目で見つめた。


「らしくない言い方ですね、ダルバトリエ。世界が壊れて消滅してしまっては、どこへ逃げても同じだとあなたも理解しているでしょうに」


 その言葉に、背の高い竜人の男は赤い瞳をギラリと輝かせ、精悍な顔にニヤリと不敵な笑みを浮かべた。


「もちろんだ。然るべき手を打った後には、俺が自ら出陣しようぞ。あやつらの翼をもぎ取り、不相応な野望をぶっ潰してやるわい」


 その言葉に、同じように翼を持つディアンが思わずびくりと背を震わせた。それに気づいたダルバトリエが、おまえのことではないわ、とばかりに笑いながらディアンの肩にズシリと手を置いた。


「やれやれ。私たちのほうでは、その『時』がわかっても『場所』がわからないのですよ」


 あきれたようにハイラプラスがため息をついた。


「それはおまえの役目だろうが。その叡智の全てを懸けて、何とかして『場所』を割り出すのだ」


 ダルバトリエが言い、ハイラプラスもまた不敵な微笑みを口の端に浮かべてみせた。


「なんだかおっかねぇ、おっさんたちだな」


 言いながらもリューナは安堵したように息を吐いた。傍らのトルテに顔を向けて笑いかける。


「俺たちの居た世界は、壊れてないんだ。だから、この時代を全力で守っても時間の流れは変わらないんじゃないかなと思うんだ」


「――はいっ。そうですね」


 トルテはホッとした表情で力強く頷いた。そして、リューナの手をそっと握ってきたのだった。


「守り通したら、一緒に帰ろうな」


 リューナは想いを込めて、細い手をぎゅっと握った。ディアンが目を逸らしながらもこちらをチラチラと窺っていることに、このときには気づかなかった。





「――やはり魔人族の持っていた書は奪われているとのことでした」


 ハイラプラスが部屋に戻ってくるなりそう言った。部屋に詰めていた全員が呻き、落胆した表情になる。


 ここはメロニア王宮の王の執務室だ。とはいえ、隠し部屋のひとつである。錬金術士ダルバトリエの研究室、といったほうが良いのかもしれない。


 モニターと呼ばれるパネルが壁の一面を埋め、魔法陣がそこかしこにきらめき浮かび上がっていた。そこに映し出されているのは、主にミッドファルース大陸の各エリアの地図、そして魔導行使による力場の変化と干渉の膨大な記録だった。


 彼らは今、全力を挙げて『場所』を探しているのである。


 その『場所』を示す書の片割れでも手に入れば、特定も早くなるのだがと思い、魔人族が所有していた書を求めたのだが、すでに敵に奪われてしまったという報告が届いたというわけだ。


「まぁ、予想はしてましたけどね。相手が場所を特定したのですから、当然ふたつの書を手に入れているというわけで」


 ハイラプラスだけが落胆の表情を見せずに肩をすくめていた。


「エルフ族の王フェリア殿にも連絡してきました。今あちらで最後の書の封印を解いている頃でしょう」


「んな悠長に構えている場合かよ。もう時間がないんだぞ、おっさん」


 リューナもトルテとともにモニターを覗きこんで操作しながら、奥のテーブルの上で開かれたままの『終末の書・時の章』にちらりと目をやった。


 『時』の書が表示している『きょく』のタイミングまで、あと二日なのだ――。



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