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ソサリア魔導冒険譚  作者: 星乃紅茶
【第四部】 《歴史の宝珠 編》
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4章 タラティオヌの飛翔王 4-12

 回廊を駆け抜けるリューナが、夜空で展開される戦いを見上げていたのはそこまでだった。


 駆け込んだ先の通廊は、壁も天井も透き通った素材ではない。白く硬質な素材で造られ、優美な曲線で統一されたデザインになっている。客人たちのための部屋が並ぶ一角だ。リューナやディアンもここに並んでいる部屋を与えられていた。


「トルテ!」


 リューナは廊下を走った。


 ディアンも遅れじと懸命に足を前に運んでいたが、リューナの人間離れした健脚にはどうしても離されがちになってしまう。だが、幸いにも目指す部屋は遠くなかった。


 扉のひとつの前で急制動をかけ、リューナはあまり乱れてもいない呼吸を整えた。息を切らしているディアンに、まだ十数歩離れている位置で留まるように手をあげて制する。


 リューナは扉に向き直った。ごくりと唾を呑み、こぶしを握りしめる。


 ダンダンダンダン!


「トルテー! 起きて、開けてくれ!」


 リューナは力任せに扉を叩いた。そのとき、リューナは首筋がちりちりとする感覚に気づき、手を止めて天井を振り仰いだ。


「なんだ?」


 ゴガアァァンッ! 一瞬後、耳をつんざく轟音とともに天井が大きくえぐれた。烈風と圧力が叩きつけられ、リューナは咄嗟に腕を上げて頭部をかばう。


「なっ!?」


「おそらく、『隕石落下メテオストライク』です!」


 駆け寄ってくる軽い足音と同時に、ディアンの叫び声が聞こえた。


 周囲に破壊された王宮の屋根と壁の瓦礫がばらばらと降ってくる。美しく洗練されていた光景は、一瞬で悲惨なものに変えられた。


「トルテ!」


 壊されたのは廊下だけではない。目の前の部屋の天井も一緒に半分がた失われている。リューナは床を蹴って跳躍し、部屋の扉を乗り越えた。


 部屋の奥がベッドルームになっているはずだ。瓦礫が散乱する部屋の光景に、トルテの安否が心配になる。奥の部屋は――無事なのだろうか。いくらあいつの寝起きが悪いといっても、ここまでじゃないぞ。


 そのとき頭上でまた爆音がして、リューナは弾かれたように顔を上げた。


 そこでは、ハイラプラスが戦っていた。二十人以上の翼のある兵士を相手にしながら、天空から落とされる炎弾に魔法をぶつけ、被害を最小限にするべく撃ち落としているのだ。


 だが、ハイラプラスは独りだ。右手で魔導行使の印を結び空中に滑らせるように動かしつつ、左手に展開した魔法陣で兵士たちの攻撃を受け流している。その動きは無駄がなく見事なものだが、相手の数が多すぎる。撃ち落し損じた隕石が、またひとつ王宮の屋根を破壊した。


 王宮のあちこちに、複数の兵士が舞い降りてくる。


 リューナは部屋の床に降り立ち、すぐに奥のベッドルームに向かった。


 シンプルだが洗練されたインテリアだった室内は見る影もなく、足もとはひっくり返された家具や砕け散ったクリスタルガラス、天井や壁から崩れ落ちた瓦礫でいっぱいだった。


 寝室の扉は開け放たれており――というか内側から吹き飛ばされており、半ば外れかかってた。天空からの衝撃にしては奇妙だ。


 ベッドの上では、ぼぅっとした寝ぼけまなこのトルテが半身を起こしている。――トルテは無事だ!


 だが、部屋にいたのはトルテだけではなかった。


「この女、妙な力を持っていやがる!」


 抜け落ちた天井から舞い降りてきた兵士がふたり、ベッドの上のトルテに罵声を浴びせながら、剣を振り上げていたところだった。明るい夜空に剣の刀身が光るのがリューナの瞳に映る。


 ――リューナは床を蹴った。


 トルテは寝起きが悪い。部屋に侵入した兵士に、乱暴に腕を引っ張られたところを、不可視の魔力の放出で相手を吹き飛ばしてしまったのだろう。扉の件も、ベッドの周囲に瓦礫がないのもそれで説明がつく。


 壁に、床に強く叩きつけられ、兵士たちは逆上したのだろう。


 目を擦るトルテの細い腕に、金属で擦れたような赤い痕がついている。手甲による傷に違いない。


 二歩目の床を蹴ってトルテのもとに向かうリューナの目に、それらのことが、まるでスローモーションのようにはっきりと見て取れた。


 リューナの右手が輝いた。魔導特有の光と、一瞬で具現化された長い影。


 焦点の合ったトルテの目が、振り下ろされる剣と兵士と殺気に、大きく見開かれる。唇が開き、間に合わないはずの悲鳴を上げようとした瞬間。


 ガキン!!


 リューナは間に合った。トルテと兵士の間に飛び込み、少女の頭上まで僅かだった刀身を受け止めたのだ。


「リューナ!」


 悲鳴を呑み込んだトルテが目の前の少年の名を呼び、その手に出現している不思議な光沢の長剣を見つめた。


「うわぁあぁぁッ!」


 リューナは喉奥から叫び声を上げて魔導の長剣を強引に振り抜き、剣を相手の体ごと後方へ弾き飛ばした。返す剣でもうひとりの兵士も壁まで吹き飛ばす。


 ふたりの兵士はそれぞれ壁に叩きつけられ、ガクリと首を垂れた。その背には、奇妙な方向に曲げられた飛翔族の翼があった。


「……トルテ、大丈夫か」


 リューナは震えるトルテを胸に抱えこむように抱き寄せた。


「う、うん。びっくり……しました」


 ガリッという、何かの破片を踏んだ音にリューナが振り返ると、ディアンが立っていた。表情の抜け落ちているような目で、震えるトルテ、そして壁際で昏倒している兵士たちを見る。その瞳が揺れ、次いで怒りの色が爆発した。


「なんで――こんなことをッ!」


 ディアンは背中の翼をバッと広げた。


「ディアン、何を!?」


 リューナの声は彼に届かなかった。ディアンは跳び上がるように空高く舞い上がっていたのだ。ぐんぐんと上昇していく友人の背を凝視するリューナたちに、戸口から声が掛けられる。


「あなたたち! 無事で良かった。早くこっちへ、広い場所へ出て!」


 ルエインだ。髪は結われておらず背に流されたままだが、いつもと同じ、体にぴたりと合ったインナーとスーツを着ている。


 有無を言わさない口調に感じるものがあり、リューナはトルテを抱きかかえた。ルエインとともに走り出す。


「ったく、老院を説得するのに時間がかかっちゃったわ。人にばっかり面倒を押し付けて」


 ルエインが愚痴をぶつぶつとつぶやいている。彼女は不平そうに口元を歪めていたが、確かな足どりで廊下を走り、広いバルコニーへ出た。


 彼女はそこにいた五人ほどの兵士を、即座に行使した攻撃魔法で打ち倒した。死んではいないだろう。体の自由と意識を奪われて昏倒したようだ。


 リューナは夜空を見上げた。


 上空では、目の前に現れた飛翔王の姿に、数十個目の魔法陣を具現化させたばかりのザルバスの目が驚きに見開かれていた。


 彼は少年王の憤怒の表情を一度も見たことがなかったのだ。赤い瞳が燃え上がり、怒りが大き過ぎたが為に極限まで強められた魔力が王者の風格を身に纏わせている。気圧されたように、ザルバスの手の先に広がっていた魔法陣が音を立てて消失する。


「このような暴力行為……今すぐ止めろ!!」


 噛みしめた奥歯から唸るように声をあげ、ディアンは背すじを伸ばして翼を羽ばたかせた。上空にあった兵士たちをぐるりと眺め渡した。少年のものとは思えないほどの、よく通る声だ。


「突然に平穏な都市を襲う卑劣な行為、ひとりに多勢で襲い掛かる愚劣な姿勢……。どれをとっても、勇ましく誇り高い飛翔族の戦士たちのやることとは思えない。――ここにいる全ての我が兵よ、恥を知れ! いますぐに退くのだ!」


 ディアンの言葉に、攻撃を続けていたタラティオヌの直属兵たちの動きが止まる。


「……ふむ。良い意味で予想を裏切られますね」


 ハイラプラスは魔導の光をまとったまま空中で静止した。その顔に一瞬、微笑みのようなものが浮かぶ。


 ザルバスとディアンは向き合った。


「ザルバス。あなたは一体何をやっているんだ。父に忠誠を誓ったはずのあなたが、何故父の言葉を裏切る。他の自治都市への侵攻は禁じているはずだ」


「形だけの統治体制などもはや意味を成さぬ。これから世界そのものが破壊され、再構成されるのだから」


「なに……? どういう意味なんだ」


 ザルバスは答えなかった。口元を歪め、伸ばした腕をディアンに向ける。


「そなたのお父上は、時世を選べたなら賢王として崇められたのだろうが、この腐った王国ではただの飾り物でしかなかった。そして今、必要なのは飾り物ではない」


 その手に、赤い光が閃いた。


「――そなたもそうだ!」


「なッ!?」


 赤い光は剣呑な輝きを帯び、一瞬で魔法陣を描いた。撃ち出される魔法は、しかしその前に飛び出してきた影に阻まれたのだ。


 リューナが、右手に作り上げた傘のようなもので魔法を受け止めた。


 ズドンッ! 腹の底に響くような凄まじい衝撃が吹き荒れ、ザルバスとリューナは正反対の方向に弾き飛ばされた。


 だが、リューナの体はディアンにぶつかる前にその目の前で停止し、すぐに体勢を立て直した。


「ディアン!」


 リューナは振り返り、戸惑う友人の腕を掴んだ。


「リューナ! 一体何を――」


 ディアンは身をよじったが、リューナの真剣な眼差しに気づいて抗うのを止めた。彼の行動に何か理由があると感じたのだ。


「さあ、行きますよ」


 いつの間にか傍に来ていたハイラプラスとともに、三人はルエインとトルテの待つバルコニーへ降り立った。


 リューナを魔導の力で空中に飛ばしていたトルテが、腕を下ろしてホッと息をつく。


 三人が合流すると同時に、ルエインは空中に腕を滑らせるように動かして軽くステップを踏んだ。五人を囲むように、床に魔法陣が展開される。


「む!」


 背後の部下に衝突し、ふらついていたザルバスがその魔導の光に気づくが、もはやどうすることもできなかった。魔法陣の光に照らされたハイラプラスの顔を睨みつけると、相手のハイラプラスもザルバスを見返した。鋭い目でザルバスを見上げつつ、口元に微笑を浮かべている。


「クソッ!」


 五人の姿が魔導の光とともに掻き消えた。――これで、ミドガルズオルムの王宮を襲う口実が無くなってしまったのは、彼にもわかった。


 ザルバスは手を乱暴に振り、撤退の命令を下した。





 その光景を見ていた者がいた。


 上空、ザルバスの背後だ。実は、ハイラプラスが真に見上げていた視線の先である。


 飛翔族の実権を握る、陰の王とも呼べるべき彼は、満足そうににんまりと笑った。全てが彼の思惑通りだからだ。ハイラプラスの行動も彼の想定内である。


 想定外だったのは、あのふたりの存在だけ――黒髪の少年と、金色の髪の少女。見たこともない魔力マナの流れを体の内に持つふたり。


「……さて、ザルバスには矢面に立っててもらおう」


 ミドガルズオルムの老院は、明日タラティオヌへの遺憾の意を伝えてくるのだろう。攻撃されたから王の身の安全を確保するため避難させたのだ、と続くはず。王は誘拐されたのではなく、歓待されていたのだから、ミドガルズオルムの言い分のほうが通されるはず。


 ザルバスの謀反によってディアン陛下の命を狙ったという結論になり、今すぐには全面戦争にはなるまい。罪はザルバス独りが被る。老院はどこも保守的で平和主義――事なかれ主義なのだから。


 彼にとっては、たとえ全面戦争になっても最終的に行き着く結果にたいした違いはないし、むしろ楽しみが増えるところだったのだが。


 とりあえず――邪魔な存在はミッドファルースから出て行ったのだ。


 それが彼の狙いだから、彼は満足だった。


 彼は『遠視マジックアイ』の魔導の技を行使していた右目を手で覆った。緑の光が闇の中に消える。次に手を離したときには、元の色――夜空にあってもなお明るいオレンジ色に戻っていた。左右で瞳の色が違っている。


 闇色の髪と漆黒の外套マントひるがえし、黒い翼を羽ばたかせて彼はその場を去った。


 己が目的のために、彼には向かわねばならぬ場所があるのだ。



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