3章 建国祭にて 4-9
リューナ、トルテ、ディアンの三人がいる場所は、中央通りと呼ばれる広い道路に面した低い建物の屋上だ。
賑やかな演奏が聞こえ、魔導の花火がパンパンと鳴る音が立て続けに響く。
「まあ、パレードだわ」
通りを覗きこんだトルテが声をあげ、リューナとディアンも建物の端に駆け寄った。
きらきらとした紙吹雪のようなものを宙に撒きながら、二階建ての家ほどもある祭りの山車が十ほど一列に並んで近づいてくる。
「これが見たかったんだ。ほら、幻獣だよ」
「幻獣?」
リューナは目を細めるようにして、こちらに近づいてくる山車を見た。ひとつめは花や緑で飾り付けられており、建国三千二百年祭であることを示す言葉が飾りとともに記されている。ふたつめから五つめまでは、上のステージで踊り子たちが軽やかに舞っていた。
六つめから八つめまでの山車は連結され、魔法で作られたひとつの檻を運んでいた。その立体結界魔法の檻のなかに捕らわれているのは、一体の巨大な幻獣だった。
まるで狼のような体躯だが、大きさは常軌を逸している。赤みがかった闇色の毛並みは美しく、一対の眼は月光のような色、尾はたっぷりとして先は徐々に白く色を変えていた。幻精界から召喚したというのならば、いったいどれほどの魔法陣を描けば実行できるというのだろう。
「あれは……?」
「『月狼王』だよ。僕、大好きなんだ。しなやかで美しい最上位種、『月狼』族の長なんだ」
その幻獣の様子を見つめていたトルテは、瞳を揺らした。
「まあ……。あれでは可哀想です」
「檻の結界、ぎりぎりの大きさしかない。見世物として窮屈な思いをさせて、ひどいな」
リューナとトルテは、同じ思いを抱いていたようだ。隣のディアンも「あぁ……」とひとつ頷き、言った。
「確かにそうだね。苦しんでいるみたいだ……僕と同じなんだ」
リューナはその言葉が心に引っかかった。ディアンに向き直って尋ねようとしたが、ふと視界の隅に入った光景に気づいて、その言葉を呑み込んだ。代わりに緊迫した声を喉から吐き出す。
「あれは――おい、『月狼王』の結界のそばのやつ、ディアンを追っていた奴らのひとりじゃないかッ?」
「えっ!?」
トルテとディアンも、リューナの視線を追ってすぐに気づいた。先程の飛翔族の兵士がひとり、山車を取り囲むようにガードしている警備兵たちの列に紛れ込んだのである。
「あのひと、魔導士ですね。自分の存在を周囲に警戒されないような魔法を使っているみたいです」
「近衛兵の隊長は、隠蔽に優れた魔導の力を持っているんだ」
トルテとディアンの言葉に、リューナは表情を引きしめた。幻獣の檻にこっそり近づいて、あいつは何をしようというんだ――?
パン、と何かが弾けたような音がした。まるで『光球』が消滅してしまうときのような音だ。それは決して的外れな感想でもなかったらしい。
――『月狼王』の檻である魔法の結界の輝きが、跡形もなく消滅したのである。
すさまじい咆哮が、大通りに轟き渡った。
ダン! 山車を蹴りつけ、怒りの気配を纏った幻獣が空中に跳んだ。周囲から一斉に悲鳴があがる。建物の屋上にいるリューナたちの目の前を、しなやかな獣の体躯が風のように通り過ぎた。一瞬遅れて、ゴウと周囲の空気が渦を巻く。
「すごい威圧感だな」
さすがは幻獣の最上位種だ。十リールはある体躯がひと跳びすると、通りひとつ分をゆうに飛び越えてしまう。逃げ遅れた人々を蹴散らしながら、『月狼王』はさらに人の多いほうへ向かっていった。通りの行き着く先は、ゼロ番街中央広場、屋外ステージのある場所だ。
あちこちで、『月狼王』を取り押さえようと警備兵たちが『足止め』や『麻痺』などの魔法を放っているが、効果はないようだ。
「いけません! リューナ、早くあの子を止めないと!」
トルテが緊迫した声で叫んだ。中央広場ではさまざまな催しが開かれているのだろう。大勢のひとで溢れている。
「わかっている!」
リューナはいつものように背中に手を回し、愛用の長剣がないことに気づく。
「クソッ。剣は現代に置いてきたんだ! ナイフもねえし!」
苛立たしげに舌打ちしたが、リューナは即座に次の行動に移った。トルテにディアンを任せ、外壁を伝うように地面まで降り、すぐに駆け出す。全速力で走るくらいで呼吸は乱れない。
走りながら魔術を詠唱し、リューナは自分に対して『倍速』と『倍力』の魔法を行使した。
前方では、屋外ステージに躍り上がった『月狼王』を捕らえようと、警備兵がバラバラと近づいているのが見える。だが、前足に一掃されてすぐに叩き落されている。
「兵といっても名ばかりじねぇか」
リューナは風のように大通りの人ごみを駆け抜け、ステージの端に跳び上がった。その場に、警備兵が弾き飛ばされたときに転がった剣があるのを見ていたからだ。
『月狼王』から目を離さないまま、落ちていた片手剣をつま先で弾き上げるようにして拾いあげる。剣全体のバランスは良いが刃はなまくらに近い。重さばかりで、まるで飾り物だ。
びゅびゅっと軽く振り回し、リューナは剣を構えた。素早く『武器魔法強化』をかける。
『月狼王』は地の底から響くような唸り声を発した。
「おまえら! この広場周辺から市民を避難させろ! 怪我のないように気を配りつつだ。暴動にならないよう、落ち着いて誘導しろ!」
周囲の警備兵達に向かって大声を張り上げる。混乱している状況下では、毅然とした態度で為すべきことへ導く指導者が必要なのだ。
この騒ぎのなかで幻獣やリューナが暴れたら、間違いなく犠牲が出るだろう。ガラではないが、ソサリアの国王を思い出しながら声に抑揚をつけて周囲に次々と指示を飛ばした。
「ちえっ、この時代には、まとめるやつが誰もいないのかよ!」
口の中で愚痴を言う。いるにはいたが、さっさと逃げ出した、とかじゃあるまいな。
周囲にそれらしき人物がいるのか、リューナがちらりと視線を向けたときだ。
ガゥッ!
『月狼王』が目の前に立つリューナに噛みついてきた。バシン! と怖ろしい速度で閉じた牙をかわし、リューナはニヤリと笑った。
「そら、こっちだ! こい!」
挑発しながら、ステージの上から降ろさないよう気を配りつつ、巧妙に幻獣の向きを誘導する。広場から市民が避難し終わる時間を稼ぐためだ。
「でかいステージで助かったぜ」
とはいえ、この巨大な幻獣をどうするか。勝てる自信はあるのだが、本気で戦えば大乱闘になりそうだ。広場の周囲に立つ高層建築の建物も、無事では済まないかもしれない。ゼロ番街区、と名前がついているのだから、きっと政治的にも重要な建物に違いない。それなのに、警備が手薄すぎることに文句を言いたかった。
リューナの挑発でいいように踊らされている『月狼王』が、何かに気づいたかのように首を後方に向けた。
「む」
そこには、子どもがいた――親とはぐれてしまったのだろうか。ステージへ続く階段に、ぽつんと座っていたのだ。子どもは『月狼王』の気を引いたことに気づいて、「ヒッ」とばかりに恐怖に頬を引きつらせて目を見開いた。
獣は這うように跳躍した。リューナと子どもは、獣を挟んで反対側だ。
間に合うか――? リューナは猛然とダッシュした。だが、牙のほうが数瞬早そうだとわかる。
「チクショウ!!」
だが、『月狼王』の牙が閉じる前に、子どもの体を空中へすくい上げた影があった。
目を上げると、そこには両腕に子どもを抱えたディアンの姿があった。その背中には美しい、大きな白い翼が広がっている。
「ナイスだ、ディアン!」
リューナは剣を逆手に『月狼王』に突っ込んだ。足を斬り、相手の動きを封じるつもりで。
「待ってリューナ、傷つけないで!」
その言葉と同時に、『月狼王』の四本の足の下に四つの魔法陣が具現化された。トルテの行使する『足止め』だ。
グアアアウ!
苛立った『月狼王』が激しく体を震わせた。リューナは、向かってくる牙を跳躍してかわし、顎が届かない位置へ降り立った。
「トルテ! 策はあるのか?」
ステージの下にトルテが立っている。両腕を真横に伸ばし、魔法効果を継続させていた。
『月狼王』の体全体に足元から魔力の鎖が絡み広がっていくのを、リューナは見た。――こんな魔法、あったか?
思わずトルテに視線を向けると、トルテが魔法に集中したまま口だけを動かして答えた。
「今教えていただいた複合魔法です。あの子の全身の自由を奪っているのです」
「え、今?」
リューナは周囲に視線を向けた。その瞬間、どこからか発生した煙にステージ全体が包み込まれる。
空中のディアンが驚いて高度を下げ、視界が閉ざされる前に慌ててリューナの傍に降りてきた。子どもは泣きながら、ステージ上から走り去っていった。
煙は、特に匂いもなく害もなさそうだった。煙幕、といったところか。
「おやおや、老院は私の警告を無視したようですね。幻獣を捕らえて見世物にするなどという思いあがりを」
煙の切れ目、リューナたちからのみ見える位置に、背すじを伸ばして立つ銀髪の男がいた。オレンジ色の瞳を細め、口元だけを微笑ませている。
「ハイラプラスのおっさん!」
「おっさん、は聞き捨てなりませんが、まぁいいでしょう。トルテちゃん!」
「はい」
「この幻獣に名前をつけてあげてくれますか。あなたの実力ならお友だちになれるはずですよ。ただし、急いだほうがいいです」
「はい」
トルテは『月狼王』に向き直り、真っ直ぐに両腕を伸ばした。
「あなたの名前は『スマイリー』。あたしとお友だちになってくれますか?」
リューナはその光景を見守っていた。『月狼王』の巨大な牙口は、トルテの体をひと噛みで食い千切れそうだ。手元の剣の柄を、無意識に持ち直していた。
だが、地獄の底から響いてくるような幻獣の唸り声は、急速に失せていった。『月狼王』は頭を垂れ、尻尾を下げた。
「目立たないように、小さくしてあげてください」
ハイラプラスの声に、トルテはすぐに反応した。『小型化』の魔法陣が具現化される。一度見た魔導の技を、完璧に再現したのだろう。
トルテの記憶力はすげぇよな……。
ステージ上から煙が晴れたときには、周囲の騒動も完全に収まっていた。
「うふふっ。可愛いです」
トルテが嬉しそうに笑っている。見ると、『月狼王』は手のひら二枚分ほどの大きさになり、トルテの肩上に乗っている。トルテは指を近づけ、ミニチュアのようになった幻獣の喉を撫でてやっていた。
「大丈夫か、ディアン」
リューナが差し伸べた手を握り、床に座り込んでいたディアンが立ち上がった。
「うん、君は?」
「俺も大丈夫だ。おまえ、結構根性あるな。見直したぜ」
にかっとリューナが笑うと、ディアンもにっこりと微笑んだ。
「君はすごく強いね。もしかして、君が新しい人間族の王なのかい?」
「ええっ?」
ディアンの言葉に、リューナは驚いて声をあげた。
「魔導の力、そして判断力、行動力。どれをとっても王に相応しいと思うけど」
「あぁ、それはいい考えですねぇ」
のんびりした賛同の声に振り返ると、ハイラプラスがにこにこ笑いながら立っていた。
「どうですか、リューナ。私たちの王になっていただけたら、私もお役御免で嬉しいのですが」
「おっさん! どこまで本気なんだよ!?」
「まあ、リューナが王子さまに」
トルテが微笑んで胸の前で手を組み合わせた。幼い頃に絵本の前で交わした約束のことを、トルテは思い出しているのだ。
「それとはまた違うと思うが」
リューナは半眼のまま手をひらひらと振り、次いで頭を抱えた。
煙はすっかり晴れ、屋外ステージの周囲には逃げ出していた市民や警備兵たちが戻り、集まりつつあった。
ワアアアァァァァ!
怒涛のように響き渡った歓声に、ハイラプラスはにっこり微笑み、ディアンはリューナに握手を求めてきた。握り返すリューナの横で、トルテが嬉しそうに微笑んでいる。
騒ぎを収めた、人間族の若者と飛翔族の王。ふたりの背後には、今まで常に亡き人間族の国王を陰ながら支えてきたと噂される、政治的にも名高い魔導研究の権威の姿――ひとびとは期待を込めた眼差しでそれらの光景を見守っていた。
「なんだか、妙なことになってきたぞ……」
リューナは笑顔を引きつらせながら、口の中でつぶやいた。
そんな光景を目にして歯噛みしていた人物が、ふたりいた。
ひとりは『月狼王』を解き放った飛翔族の近衛兵隊長だ。
「くそっ! 混乱の中で魔導の軌跡を追えばディアン様を捕らえられると思ったのだが――失敗だ」
そしてもうひとりは、見失ったふたりを捜し回っていたルエインだった。
「あああ! ハイラプラス様……あんな目立つところに何故いらっしゃるんですかあぁぁ! それに、あのふたりもあんなところに。何だか妙なことになっているような……」
どちらも『遠視』の魔導の技を使っているので、広場からは離れていた。片方は広場からさらに遠ざかる方向に、そしてもう片方は広場に向けて歩き出したのである。




