3章 建国祭にて 4-7
「装置は同じものです。間違いないでしょう?」
リューナを奥の部屋に案内しながら、ハイラプラスは言った。
「あ、その後ろのもの、気をつけてくださいね」
部屋は広いはずなのに、移動できる範囲は狭い。リューナはあちこちに積み上げられたものを引っくり返さないよう、海に棲息するカニのように横歩きをしていた。せめて通路を確保できるよう、片づけたほうがいいんじゃないかと思ってしまう。
だが、口煩そうな助手が手を出さないのだから、雑多にみえる散らかりようにも、整然とした別の意味もあるのかもしれないと思い直す。つまり、これでも定位置に、然るべき場所にあるのだというような。リューナの部屋も、そうなのだから。
「完成までどのくらいかかるんだ?」
実物を間近で目にしたリューナの問いに、ハイラプラスは装置の一点を指差した。できあがっているほうの装置では、球体状の下半分は様々な部品やらで埋まっていた部分だが、こちらにはまだスペースに余裕がある印象だ。
「ここに必要な魔晶石がないのです。後日受け取りに行こうかと思っていたのですよ」
「受け取りに?」
「すでに発注済みなのです。その時には、良かったらご一緒しましょうか」
リューナはソファーのある部屋の中央に目をやった。こちらで話している間に、トルテはすぅすぅと寝息を立てはじめたのだ。
トルテの寝つきはすごいものだなぁと、リューナはいつも思ってしまう。
「時間的には、今はもう夜遅いですよ。窓がありませんからわかりにくいですがね。食事をご一緒したら、君も休むといいですよ。彼女がここにいるのだから、食事はルエインに運んでこさせましょう」
「助手さんも大変だなぁ」
思わずつぶやいたリューナに、ハイラプラスは意味ありげな視線を向けた。
「そりゃあ、私がここにいるのはルエインしか知らないのですから。他の者を部屋に入れる訳にはいきませんからね」
リューナが片方の眉を上げる。彼の問い掛けるような視線にも動じず、ハイラプラスは静かに微笑んで立っているだけだった。
眠るトルテに付き添っていたら、いつの間にかリューナも眠っていたようだ。ソファーに座ったままだったが、肩には毛布が掛けられていた。
「やあ、おはよう。朝食でもご一緒にいかがですか?」
その声に驚いてしまい、リューナは歯噛みした。相変わらず気配が読めない魔導士だ。『時間』の力を持つ研究者と文献には書いてあったが、ひょっとすると戦う経験も積んでいて、かなりの実力の持ち主なんじゃないかと疑ってしまう。
確実にいえることは、只者ではないということだ。
「本日は建国三千二百年を記念したお祭りが開かれる日です。見学に行ってきてみては」
「おまつり……?」
トルテが目を開いた。上体を起こし、目を擦りながら首を巡らせる。
「おはようございます、リューナ。おはようございます、ハイラプラスさん」
「おはよう、トルテちゃん」
ハイラプラスは、相変わらずのにこにこ顔だ。部屋の奥のパネルを操作しながら、手元のノートに何かを書き付けていた。図解と同じ絵がパネルに描かれている。描かれている絵は不思議なことに、刻一刻と変化しているようだ。
リューナの熱心な視線に気づいたのか、パネルが見えるように体を移動させながら振り向いた。
「これはモニターですよ。あなたたちが乗ってきた装置のほう、チェックしていますが故障はなさそうですね。今のうちに魔力を充填しておきましょう。帰る為に必要でしょうから」
「あ、ああ。ありがとう」
リューナはぎこちなく礼を言った。
ハイラプラスは首を傾げた。銀色の肩下まである髪が、さらりと流れる。髪が長いのに違和感がないのは、中性的な整った顔のせいだろうか。
「あなたたちは知的探究心でここへ来たのでしょう? 切羽詰った目的も感じませんでしたし、単に好奇心だけでもどこまでも突き進んでいける私と、似ている人間という気がしますから」
にこりと微笑んで見つめてきた。
「どういう意味でだろう」
思わず半眼になるリューナだったが。
知的探究心には変わりないが、滅亡した原因を探りに来たとはいえない。とはいえ、何しに来たかと言われれば、そう、単に好奇心だといえる。
そこまで考えて、リューナは今更ながらにハッとなった。どうして自分たちはこの時代に飛んだのだろう?
しかし、さっき言ってた建国三千二百年祭があるということは、やはり王国末期といえる。ならこの時代でいいのだろうか。というか、滅亡を見学に来たことになる……?
あまりにもひどい話に思えてきて、落ち込んでしまう――ただ俺たちは原因を知りたかっただけなのだ。だが、もし目の前でそんな光景が展開されたら? 傍観して好奇心が満足するのか?
それほどの覚悟が必要だったということなのか?
――リューナの頭のなかはぐるぐると回った。
トルテが、苦悩するリューナを心配そうに見つめていた。視線に気づいたリューナは額を押さえていた手を下ろし、取り繕うように口の端を上げて笑ってみせた。
「さっき祭りを見学してみればと言っていたが、外に出て心配ないのか? それから『魔導認証コード』がないけど、問題ないのだろうか」
「コードは必要ありませんよ。それ相応の実力の持ち主なのは嘘ではありませんし、同じ立場の要人たちと出会ったときのために、身分証代わりにルエインが同行しますから」
背後の扉から「なッ!?」という声が上がる。振り向くと助手兼何でも屋の女性が立っていた。またノックをしなかったらしい。
「お願いします。それとも、私が出掛けましょうか?」
「い、いえっ! 私が行きます!」
即答だった。ルエインは、ふぅ、とため息をついてリューナとトルテを見た。
「行くなら、着替えたほうがいいわ。シャワーもあるから案内するわ。その服だと、なんとなく違和感があるし」
そう言って、ルエインはふたりを部屋の奥に案内した。棚の切れ目の部分が扉になっており、そこには広いシャワー室や洗面室、トイレその他生活に必要な設備が揃っていた。
「シャワーはふたつあるでしょ、仕切りもあるから、安心して浴びてね」
ルエインはそう言い置くと部屋を出て行った。
残されたふたりは顔を見合わせ、シャワー室をのぞいた。操作パネルがあり、手を触れると表面に文字が浮かび上がる。
「湯、これで出るのか?」
リューナは手を伸ばしてパネルの表記文字に触れた。ザーッと上から湯をかぶったリューナが、前髪とシャツから水をポタポタ垂らしながら背後のトルテを振り返る。
「みたいですね」
トルテが目をまるくしたまま、短く答えた。
快適な技術を堪能したふたりは、ほかほかと体から湯気を立ちのぼらせていた。湯を浴びおわった後に別の文字に触れると、体の水分を飛ばしてくれる機能もあった。実に便利だ。
だが、タオルがないのに気づく。
「どうしましょう」
そう言いながら仕切りの向こうのトルテが出てくる気配を感じ、リューナは慌てて声を上げた。
「ち、ちょっと待て!」
「あー、お待たせ。いま着ているものを参考にして、てきとうに見繕ってみたんだけど」
声がしたと同時に入り口側の扉が開いた。
「あんた、やっぱノックするクセつけたほうがいいぜ……!」
リューナは恨めしげにルエインを睨みつけたのだった。
「トルテちゃんって細身に見えるのに、案外出るところはしっかり出ているのね、意外だわ。それに、細い腰は羨ましいわぁ~。もっときゅっと絞ったワンピースが良かったかしらね~」
「あ、あんまりさわらないでください。くすぐったいです」
一足先に着替えたリューナと、装置の充填接続を終えたハイラプラスがソファーに座って待っていると、続き部屋からそんな声が聞こえていた。
落ち着かない様子で座っているリューナを、ハイラプラスがにこにこ笑いながら眺めていた。
「彼女は幼なじみなんですか?」
「なんでそう思うんだよ」
「なんとなく。見ていて察しがつきます」
仏頂面のリューナが年上の男に視線を向けたとき、トルテとルエインが戻ってきた。
思わず、リューナはぽかんとしてトルテを眺めた。
トルテの髪型はすっきりとまとめたツインテールであまり変わらないが、髪留めが可愛らしいものになっていた。体にピッタリとした淡い色のインナーに、さらっとした材の桜色のワンピースは、洗練されているシンプルさが、かえってトルテの繊細さと、少女と女性との中間にある可愛らしさを引き立てていた。
「トルテ、シンプルなほうが似合うなぁ」
見慣れないからだろうか、ドレスより新鮮にみえる。
「胸、このまま育っていけば、将来かなりのボディになるわよ~」
ルエインが保証していた。
トルテが履いていたブーツは、可愛らしい紐で編まれた赤いサンダルに変わっていた。ほっそりした足によく似合っている。
リューナは黒のズボンにインナー、瞳の色と合わせた薄手のシャツだ。あまり印象は変わっていないと自分では思う。インナーとは、体を覆うピッタリとした半袖、もしくは七分丈の上下のセットのことだ。着てみてわかったが、軽く、外気温から身を守る機能があるようだった。実に快適に過ごせるすぐれものである。
明らかに、古代魔法王国のほうが文明が進んでいる。
ちなみに、ベルトの短剣は鞘ごと外されてしまった。思わず愚痴ってしまうリューナだ。
「剣がないと不安なんだが……」
「お料理に使うんじゃなかったら、街中でこんな刃物持って歩いていると補導されちゃうわよ、青少年」
かがみこんでグィッと顔を近づけてくるジト目のお姉さんに、リューナは体を仰け反らせた。
「あぁ、では、いいことをお教えしましょうか。剣を実体化させる魔導の技があるので」
ハイラプラスが事も無げにそう言って、リューナを手招きした。
「ちょっと待てよ、俺は魔導士じゃねぇぞ。昨日からずっと勘違いされている気がしたんだが、魔術師だ」
「まじゅつし?」
傍のルエインが首を捻った。
「魔導士と同じ魔法を、魔法語の詠唱や魔道具の力で実現させる技術の魔法使いのことだ」
「ルーン?」
またもルエインの聞き返し。
「そういえば、リューナ。あたしたちの今のこの会話は、魔法語ではありませんね?」
トルテが鋭い指摘をした。
そう、この世界に着いてからはずっと、僅かな言葉の抑揚の引っ掛かりはあるが、自分たちの時代とあまり変わらない大陸共通語で会話が成り立っていたのだ。魔法語は魔法王国では一般的な言語といわれていたはずだが、実際はそうではなかったということになる。
「そういえば、そうだな……」
「もともと、残されている文献や表記されていた文字から、使われていた言語だと思われていたのかもしれませんね」
トルテは柔軟な思考の持ち主だ。そういわれてみれば、そうといえるかもしれない。だとしたら、いままでまことしやかに事実として習っていた歴史の知識を修正しなければならない。
「あっはは。史実が新たに発見されれば、それまでの通説が覆されるのはよくあることですよ。歴史を学問として向き合っていれば、よくあることです」
ハイラプラスが容赦なく笑った。あっけらかんとして、いやみはまるでなかったが。
「それからリューナ。あなたの持つ力は、間違いなく魔導の力だと断言できますよ」
「たとえ薄まっていても、血は血――リューナの祖先には、魔導士だったひとがいるのかもしれませんね」
トルテが胸の上で手を組んで、オレンジ色の瞳を輝かせていた。
「リューナが魔導士の仲間だったら、とっても嬉しいです、あたし」
「無邪気だなぁ、トルテは」
あきれたように肩を落とすリューナに、ハイラプラスは笑いかけた。
「祭りから帰ってきたら、魔導の力の行使の方法を詳しくレクチャーいたしましょう。トルテちゃんにも、複合魔法についてお教えしましょうか。あなたでしたら私と同じように、きっと遣えると思いますよ」
「まあ、ありがとうございます。楽しみです」
トルテが両手のひらをぽんと打ち合わせて喜んだ。
リューナは信じられない思いで、自分の手のひらを見つめていた。
「……俺が、魔導士……?」
「さぁさ、祭りが終わっちゃいますよ。行きましょう!」
話はお終いとばかりに、勢いよくルエインが立ち上がった。いつの間にか、髪はきれいに編みこまれ、白衣はふわりとしたチュニックとスカートに変わっている。唇には色がついていた。
結構乗り気じゃんか、とリューナはあきれた顔になり、年上の女性を見つめたのだった。
リューナたちがいたガンダルアルスという建物は、周囲の高層建造物と比べると低かったが、広い敷地にどっしりと建った立派な建物だった。
「ここは裁判所の建物なのよ、じ・つ・は」
建物の裏口から出て、細い通路を大通りに向かって歩きながら、ルエインがふたりにこっそり囁いた。
「もしかして、ハイラプラスさんは追われているんですか?」
「あ、あら。ばれちゃってた?」
「ええ、とっても露骨でした、ルエインさんが」
あっさりと言ったトルテに、ルエインはがくっと首をうなだれた。
「まぁね~。そうなんだけど、他言は無用で、ね?」
「もちろんです」
トルテはにっこり微笑んだ。
「先生本人にその自覚がなくてね~、おかげで部下たちは振り回されっぱなしなのよ。今だってひとりで大丈夫なのかしらと心配だけど、どうせ私がいても先生は聞く耳もたないしね~……」
これ幸いと愚痴をこぼすルエインに、トルテが「えぇえ、そうなんですか。それは大変ですね」といちいち頷いているものだから、ますます止まらない。
「秘密なんじゃないのかよ」
と突っ込みたい気分だが、トルテの手前やめておく。第一、助手であるルエインが普通に顔も隠さず出歩いているのだから、秘密も何もないか、と思い直した。それに、コードなしの三人は、人混みのなかでも相当目立ちそうな予感がしていた。
「心配ないわ、隠蔽のための魔法を張りまくってあるから。私から離れなければまず問題なし」
まるでリューナの心を見透かしたかのように、ルエインが声を掛けてきた。
「コードがないってことは、あんたも正真正銘の魔導士だよな。まさか『透視』の力の魔導士かよっ」
リューナの問いには「うふふふ」という流し目と笑いで答えられてしまった。
広い通りに出ると、そこは祭りらしい賑わいの只中にあった。昼前の時間だ。家族連れも多く、世界にこんなにたくさん人間がいるのかと目が丸くなってしまう。隣を見ると、トルテの目も口もまんまるに開いていた。たぶん、今のリューナも同じ表情をしているのだろうと思う。
王都はもちろん、ミディアルの商業通りでもここまでは多くない。ごちゃっとして息苦しさを感じないのは、建物ひとつひとつが大きく、通りがおそろしく広いからに過ぎない。
「この十番街区で驚いていちゃだめよ~? これから案内する七番街区は、もっともっと人が多いから。今日は休日だし、混んでいると思うけど、はぐれないようにだけ注意してね!」
ルエインは片目をぱちんと閉じてみせ、ふたりに言い聞かせた。
リューナとトルテはうんうんと首を何度も縦に振った。この人の多さを見せられては、素直に力いっぱい頷いてしまう。
トルテが周囲に目を向けたまま、リューナの手をまさぐってきた。人の多さに圧倒されているのだろう。その珍しく不安そうな表情に気づき、リューナはその手をしっかりと握り、目が合った彼女に笑いかけた。
「いい土産話ができそうだな、トルテ」
「う、うん、そうだね」
そして、歩き出したルエインの背中をふたりで追いかけた。




