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ソサリア魔導冒険譚  作者: 星乃紅茶
【第四部】 《歴史の宝珠 編》
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2章 時のヴェールを越えて 4-6

「今のこの時間では、この装置が作られる前ってことなのか」


 リューナは、映し出された幻影だという可能性を、頭の中で切り捨てることになった。作られる前なのだとしたら、記録されているわけないだろう、というのが根拠なのだが……では、本当に過去に来てしまったのだということになる。そちらのほうが忌々(ゆゆ)しき事態のような気がする。


 しかも……この宝珠を作った本人だって?


「とりあえず、ここでは何ですね。ちょっと理由がありまして、わたしもこの場所にあまり長く居るわけにはいかないのです」


 ハイラプラスは振り返り、リューナとトルテに微笑みかけた。


「どうでしょうか。お嬢さんにも休息が必要です。この装置もこのままではただのガラクタ同然ですから。わたしの『秘密基地』にご招待しましょう」


「秘密基地?」


 リューナは思わず訊き返した。笑うべきか迷うところだった。敵意はなさそうだが、どこか掴みどころのない印象は完全に信頼することをためらわせる。


 だが、ここが本当に過去の世界であるとしたら――事態を把握できるまで自分たちだけで動き回るのはあまりにリスクが大きすぎる。トルテのこともあるし、装置も動かせないとなると、たとえ罠だとしても断る理由はなさそうだ。


「いいだろう。あんたの話を聞かせてもらいたい」


 ただし妙なまねはすんなよ、という威嚇を込めて、目の前の男をぐっと睨みつける。相手はにこにこ笑ったまま、さっさと装置に向き直ってしまった。


「このままでは移動に困りそうですから小さくしていきましょう」


 手を伸ばし、座席の背面に取り付けられたパネルに指を触れた。その部分だけがわずかに発光する。浮き出たものは『真言語トゥルーワーズ』のようだ。


「実行せよ」


 装置に触れたままハイラプラスが声を出した。大きな装置が揺らいだように見えて、一瞬、目が見当識を失った。目眩に似た感覚に抗おうとして思わず目を閉じ、開くと、そこに装置はなかった。代わりに、ハイラプラスの広げた手の上に不透明なオレンジ色の球体が乗っている。


「まさか……それが?」


 ふたりの驚きようを目にして、ハイラプラスは苦笑した。


「『小型化ダウンサイジング』の魔法ですよ。複合魔法のひとつですが、どうやら君たちの時代には伝え残されてはいないみたいですね」


 そう言ったあと、球体を手にしていないほうの手を掲げた。三人の周囲に、瞬時に立体魔法陣が展開される。


 直後、塔の屋上には誰もいなくなった。


 床面いっぱいに描かれた魔法陣が静かに輝き、流れてきた雲が覆い隠す――。





 転移した先にも、魔法陣があった。


 天井は低いが、広さは十分にある部屋だ。周囲の壁を埋めている棚には分厚い本が詰め込まれ、床には細々とした細工物のような得体のしれないものを山盛りにしたたくさんの箱でいっぱいだった。唯一平らなままの壁の一部には、『歴史の宝珠』にも取り付けてあったようなパネルが並んでいる。ただし、この部屋の物は数リール(メートル)もある大きなものだ。


 部屋全体はごちゃっとしていたが、中央の空間だけはすっきりと整えられており、若草色をした不思議な材質のソファーがみっつと、質の良い木製のセンターテーブルが置かれている。


 ハイラプラスはパネルの前に歩み寄り、その前にしつえてある作業台の上に小さくなった『歴史の宝珠』を置いた。


「あの大きさになると、確かに宝珠だな……」


 妙なことに納得してしまうリューナだった。


「まあ、好きに座ってください」


 ハイラプラスはそう言って、不思議な材質でできたソファーのひとつを手で撫でた。同時に何事かをつぶやくと、そのソファーの背もたれは後ろに少し倒れて足を乗せる部分がせりあがり、なんとも心地よさそうな簡易ベッドに変わった。


「お嬢さんはこちらへ寝かせてあげなさい」


 頷いたリューナはトルテをそのベッドに降ろし、楽な姿勢になるように手を貸した。


「なんか、部屋全体の雰囲気と、この真ん中の椅子とテーブルだけは合っていない気がするな」


 リューナが思わず本音を洩らすと、ハイラプラスが笑った。


「助手の趣味なんですよ、この椅子とテーブルは。殺風景すぎるからって怒られましてね。でも、これで役に立ったのだから意味がありましたね」


「ありがとうございます」


 トルテが横になったまま、微笑んで礼を言った。


「おそらく、装置の魔力を充填するためにお嬢さんの魔力を使ったのですね。まったく無茶なことを」


 ハイラプラスは、穏やかな顔を厳しい表情に変え、ふたりに視線を向けてきた。


「起動時の魔力、そして稼動時の魔力。ふたつの作業を一気にひとりの魔力で補ったのでしょう?」


「か、稼動時って……」


 リューナとトルテは顔を見合わせた。トルテが口を開いた。


「あの装置がすぐに動くことを知らなかったんです。おそらく、あたしが座っていた側に魔力を流し込む場所がありましたから、知らず知らず魔力をあたしから装置に移動させてしまったのかもしれません」


「それでトルテの魔力が……!」


 気づかなかった自分に腹が立ったリューナは、こぶしをぐっと握りしめた。


「ごめんな、トルテ。俺が気づけばそんな負担をかけ――」


「ううん。動かしてしまったのはあたしですから。リューナは悪くありません」


 慌ててその言葉を遮ったトルテは、首だけを動かして、傍についているリューナを見上げた。


 ふたりを眺めていたハイラプラスが目を細めて厳しい表情を和らげたとき、片隅のドアがバンッ! と勢いよく開かれた。


「先生!」


「ドアを開けるときにはノックくらいしたらいかがです、ルエイン」


「ノックの意味なんてないじゃないですか! 先生は研究に夢中になっているときには、返事もしない、気づきもしないんですから。それとも何ですか! 返事があるまで黙ってドアの外に待ちぼうけで立ったまま待っていろとおっしゃるわけですか」


 唇を尖らせるようにして、ドアを開けた女性は一気にそこまでまくしたてた。そうしてようやく、部屋にはハイラプラスだけではなく、ふたりの客人がいることに気づいたらしい。


「えっ、はれっ? 先生これはいったい」


 動転したように叫んだ女性に、ハイラプラスは全く動じなかった。ゆったりとソファーに座り、組んだ指に顎を乗せて口元を微笑ませたまま、悪戯いたずらっぽい眼差しを女性に向けた。


「いいんですよ、彼らは私が招いたのです。良かったらお茶を淹れてくれませんか、ルエイン。君のスペシャルブレンドで」


「え、あ、は、はい」


 ルエインと呼ばれた女性は戸惑い気味に頷いた。リューナより少し年上の、濃い金色の髪をひとつにまとめた女性だ。耳の前とうなじにまとめきれなかった髪の毛が垂れていたが、それが返って良い意味のアクセントになっている。体にピッタリとしたスーツに、白い服をはおっていた。


「でも、このかたたちは信頼できる相手なのですか? 先生は今の状況を理解されていないように見受けられますが」


「どうしても調べておきたいことがあったのですよ。あ、それとすまないのだけれど、私の行動ログを消しておいていただけませんか」


 ハイラプラスの言葉を聞いた女性は、「むむ」と眉をしかめた。


「先生は気軽におっしゃいますけどね、監視システムの魔法陣にアクセスしてログを消すのは、とてもとても手間がかかるんですよ。何重にもトラップが張り巡らせてありますし、もしわたしが失敗してシステムに取り込まれてしまったら、どう責任を取ってくれるつもりですか」


「問題ないです。君が失敗するはずがありません」


 きっぱりと強い口調でハイラプラスが答え、ルエインは絶句した。


「それに、たとえそれが起こったとしても、君はわたしが必ず救い出しますよ――たとえ全世界のシステムを破壊することになったとしてもね」


 にこっと笑ってハイラプラスが続けた。


 ルエインの顔がさっと赤く染まる。無言でくるりと背を向け、彼女は部屋から出て行った。


「だ、大丈夫なんですか。ケンカ、ではないですよね?」


 すさまじい一部始終を見せられたトルテは、目をまんまるにしていた。


 リューナも目を開きっぱなしだったので、まぶたを押さえて軽くマッサージをした。


「とんでもない。良い上司と部下ですよ」


 ハイラプラスが裏表のない微笑を浮かべる。その顔をみて、いちいち反応していたら疲れるだけだから気にしないほうがいいな、とリューナは心に留めておくことにした。


「それで、あんたが『歴史の宝珠』を作っているという話だが――」


 さっそくリューナは話を切り出した。


「本当なのか? 時間を越えて移動する装置を、何故作ろうと思ったんだ。それにコードとか言っていたのは何のことだ?」


「やれやれ、若い人はせっかちですね。まずは順に説明させていただけませんか。お茶はもう少し時間がかかりますから、その間に、ね」


 ハイラプラスは口元から笑みを消した。


「まず、この状況から説明しておきましょう。先ほどの場所は、トリストラーニャエリア百八十七番街区、第一の塔です。この場所はミッドファルースエリア十番街区、ガンダルアルスの塔内部フロア八になります。時代は、そうですねぇ、王国の建国から数えると今年で三千二百年になりますか」


 これで伝わると良いのですけれど、とハイラプラスは肩をすくめた。


「あたしたちは」


 トルテが言いかけたが、ハイラプラスが手を挙げてそれを制した。


「未来のことは知らなくても良いと思っていますから。すでにいろいろ情報は頂きましたし、これ以上聞くつもりもありません」


「情報って、『歴史の宝珠』のことか」


「のちに伝わっている名前が、それなのですか。ちょっとセンスがありませんけれど」


 ハイラプラスは苦笑して話を続けた。


「作っているものは、もう最終段階です。後世まで残っているなんて光栄ですよ。こうしてあなたたちに逢えたのですから。私が作っているほうは、あとでお見せしましょう」


 ハイラプラスはゆっくりと微笑み、ソファーに背を預けた。


 すぐに、コンコンとちょっと力の込められたようなノックが聞こえた。部屋の主の「どうぞ」という声に、扉が開かれる。先ほどの女性が、トレーを手に戻ってきたのだ。トレーにはカップが四つ載っていた。


「自然の香草のお茶です。ルエイン自慢のブレンドですから、疲れもきれいに取れると思いますよ」


「ありがとうございます」


 トルテが微笑んだ。リューナも感謝の意味で軽く頭を下げた。


 テーブルにカップを並べた女性は、トルテとリューナにはにこやかな笑顔を向け、ハイラプラスには上目遣いの睨むような視線を向けた。


「先生、くれぐれも気をつけてくださいね。ゼロ番街区では先生を探し回っているとか、今朝から妙な動きがあるんです。もしかしたらドゥルガーが」


「わかったわかった。気をつけますよ。あの男のことも、あとから確認させましょう。さて、と――どこまで話しましたか」


 ハイラプラスはリューナたちに向き直った。立ったままのリューナとルエインに向け、座るようにと手を振って、おもむろに口を開いた。


「あなたたちの目線から、この時代のことを説明しておきましょう。文明の名は『グローヴァー』、主に魔導という技術によって支えられている、全世界を統治している王国です。王国といっても、ひとりの王ではなく、五つの種族から選ばれた五人の王が共同統治を行っています」


 そこで言葉を切り、香草茶をひと口飲んだ。カップの中で揺れている水面を見つめながら、ハイラプラスは言葉を続けた。


「小さな権力争いはありますが、大きな戦争は一度として起こっていません。建国以来、ずぅっとです」


 ルエインは不思議そうな顔をしていたが、口を挟まなかった。なぜそんなわかりきったことを説明しているのか、と疑問に思っているのが表情にありありと表れていたが。


「魔導の力と技術でいろいろ便利なもので溢れていますが、真に魔導の技を自分自身で行使できる者は多くはありません。一般的な市民は、その技術を使うことはできても、同じ現象を作り出すことができないのです」


 リューナとトルテがわずかに首を傾げているのを見て、ハイラプラスはカップを置いて立ち上がった。すっと手を掲げると、部屋の照明が落ちた。窓がない部屋の中は一瞬にして闇に沈んでしまった。


「明かりが欲しいとき、どうしますか?」


 ハイラプラスが言い終わらないうちに、リューナの手のひらに光の球が浮き上がり、部屋のなかを照らし出した。『光球ライトボール』という、光属性の初歩的な魔法だ。


「そう、明かりを作り出せばよいのです」


 ハイラプラスは微笑んで頷いていた。ルエインはまじまじと、光の球に照らされている男の子の顔を見つめている。


「あなた、よく見るとコードがないのね。でも――」


 その言葉に、リューナが反応した。


「ここに来る前にもコードがどうとか言っていたな。いったい何のことなんだ」


「あなたね、ガキんちょのくせに、おとなに口を利くときの態度ってものがあるでしょうが」


 ルエインの表情が変わった。目の端がつりあがっている。


「まあまあ、あなたも他人のことはいえませんから。そのへんで」


 火に油を注ぐようなことを言ったが、たぶんハイラプラスはなだめようとしたのだろうとリューナは思った。


「魔導を自ら操れない者には『魔導識別コード』というものが体に付与エンチャントされています。わたしたち――いわゆる統治する側の者たちが視ることができる番号なのですが、それは同時に身分証としての役割がありまして」


 ハイラプラスがもう一度手を掲げた。部屋の照明が灯り、再び明るい光が戻った。リューナは手の中の光の球を消した。


「このように、明かりを操作することから、交通手段や扉、道具や調理家電に至るまで、様々な文明の利器を使うために必要な力となるのです」


「そうか、普通は自分の魔力を流し込んで操作するものだからな。それにしても、なぜそんなことに」


「古代グローヴァー魔法王国は、魔導の力で栄えていた国です。国民の皆さん全てが魔導士ではなかったのですか?」


 トルテの言葉に「とんでもない」とハイラプラスは笑った。楽しい笑いではなく、自嘲的な笑い方だった。


「三千年以上も続いている文明です。種としても衰退しているのかもしれませんね。誰でも便利な道具を使いこなすことはできても、誰もがその道具を生産することはできないでしょう?」


 それに……、とハイラプラスはトルテの無邪気な顔を見つめた。


「やはり、あなたたちの時代には、私たちの文明は滅び去っているみたいですね」


 ふぅと息を吐いた銀髪の男に穏やかな視線を向けられ、トルテはハッと口に手をやった。


「あ、そういえば。ご、ごめんなさい」


「過去形で語られた歴史でしたからね。でも、謝ることはありませんよ。嘘は私には通用しませんし、この時間からどのくらい未来に滅びるのかは聞かないことにしておけばいいのですから」


 ルエインが立ち上がった。激しい口調で声を荒げた。


「どういうことですか、先生! この子たちはいったい何なんです! 私にもわかるように説明してください」


「あとで説明しますよ。とはいえ聡明な君のことです。私の研究を手伝ってもらっているんですから、もう気づいているとは思いますけど」


「ではまさか――」


 ルエインはごくんと喉を鳴らし、リューナとトルテを交互に見つめた。


「そう、未来から来たのです。私が完成させるあの装置でね」


 ハイラプラスは口の端を引き上げるようにして微笑んだ。指をパチンと鳴らす。壁の一部が透き通り、ぽっかりと失せた。そこは研究室に続いていた。


 奥の部屋、台座のようなものにごろりと転がっていたのは、間違いなく『歴史の宝珠』――しかも、完成直前のものであった。



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