1章 歴史の探求者たち 4-3
『秘密基地』に向かうために屋敷の玄関から出て、学園の敷地内を移動していたときだった。
「おい、リューナじゃんか」
通りすがった三人の男子生徒が、お互いを肘で小突くようにして立ち止まった。
リューナは腰に手を当てて上着を広げ、彼の後方を歩くトルテの姿を隠す位置に立った。だが、三人組は彼女を見逃さなかったようだ。
「トゥルーテ様だ!」
その声に気づいたトルテはリューナの隣で立ち止まり、膝を少し折るようにして王宮式の挨拶として、優雅な辞儀をみせた。両手に分厚い本を抱えているので、手を添えない動きであったけれど、笑顔を向けられた三人は呆けたように彼女を見つめた。
「おはようございます、みなさん。授業って早くからあるんですね。ファルさん、ゴラムさん、リアーシュさん」
トルテの記憶力は、母親譲りなのかもしれない。町ひとつぶんくらいは簡単に、名前と顔を一致させることができそうだ。魔導士としての能力なのかもしれない。
トルテの記憶力に感心はしたが、正直、目の前のこいつらと朝から係わりたくなかったな、と思うリューナだった。今朝も――嵐の予感がする。
「リューナ、今日も授業はサボりか? それとも、初心者の俺たちには莫迦らしくて付き合っていられないってか」
ファルという名前の少年は言葉とともに顎を反らせた。基礎魔法の参考書を小脇に抱えている。他のふたりはニヤニヤと笑いながら成り行きを見ていた。
「あらっ、あたしも授業というものには出たことがありませんから……みなさんが羨ましいです」
トルテが胸に手を当て、澄んだオレンジ色の目を細めて悲しそうに首を振った。金色の髪がふるふると揺れる。
「え、いや、トゥルーテ様は魔導士だし、お姫様だし――そんなつもり、では」
途端にしどろもどろになったファルは、顔を真っ赤にして俯いてしまった。リューナは胸の奥がざわつくのを感じながら、苛々して目を細めた。
「悪いな、今日はトルテと約束があるんだ」
放り出すように言葉を置いて、リューナは三人組に背を向けた。勢い良く歩き出すリューナを、トルテが小走りに追う。
「リューナもさ、身分の違いってやつがあるだろ。おまえ、ただの学園長の子どもだぜ。こんな小さな町のさ」
背中に投げかけられる言葉に、リューナは唇を噛んだ。ずんずん歩いてゆくリューナに、トルテがようやく追いついた。
「リューナ、どうしたんですか」
トルテの心配そうな声に、「いや、何でもない」とリューナは返事をして立ち止まった。――身分の違い、か。毎回、何度もおんなじことを言いやがって……自分もトルテも、そんなことは少しも気にしていないというのに。
「トルテ。重いだろ、それ。持ってやる」
トルテの抱えていた文献を片手で持ち上げ、今度はトルテの歩調に合わせて歩いた。
リューナは歩きながら、手に持った本に目を落とした。学園で使う辞書よりひと回り大きく、ずっしりと重い。
二千年前の製本技術はたいしたものだと思う。綴られているページは紙ではないらしい。遺跡で埃にまみれて発見されても、水没した状態から引き揚げられても、装丁に飾られた文字でさえかすれることなく、中もはっきりくっきりと読めるのだから。
とはいえ、当たり前に必要な技術なのかもしれないな、とも思う。『真言語』と呼ばれる言語の表記文字は、その一字一句が魔法陣と同じほどに強力なのだ。欠けたりかすれていたりしていては怖ろしいことになる。
だから、製本技術が発達しているのか。それとも、古代のほうが、現代より遥かに文明の進んだものであったのか……。
「リューナ?」
トルテの声に、リューナは目を上げた。すでに『秘密基地』の建物の下に到着していた。
「ああ、悪い。考え事をしていた」
リューナはポケットから鍵を取り出しながら階段を一段飛ばしで駆け上がった。トルテの軽い足音が続く。
扉を開くと、陽光に溢れた部屋の内部が明るく見渡せた。
日除けに被せてある部屋の隅のシートの下には、リューナとトルテが遺跡を巡った時の戦利品を集めた箱が置かれている。思い出としてもらってきた物品がほとんどで、その金銭価値はないに等しい。だが、ふたりにとっては大切な宝物だ。
そして、部屋の中央には、昨夜の状態のまま転がされた、大きなオレンジ色の球体がある。
ふたりは部屋に入った。天窓の下の床に持ってきた本を置き、トルテの手がゆっくりとそれを開いた。
「魔導士、ハイラプラス……。王国後期の『時間』の魔導士として、たくさんの功績を残した研究者でしたよね」
トルテは索引部分に指を走らせた。内容は全て魔法語で書かれている。『真言語』でなくて良かったとリューナは思った。あれは、解読するだけで気力と魔力の両方を半端なく消費するからだ。しかも魔導士にしか読むことができない。
「膨大ですね……」
トルテがため息まじりに言った。
「『歴史の宝珠』という名で書かれていれば、苦労はないんでしょうけど」
「そうだな……でも、その名前は俺たちの時代で通る呼び名かもしれないぜ。おれたちは過去の世界を知りたいんだから、――っと、待った!」
リューナが声を張りあげた。突然の大声に目を丸くしたトルテだったが、同じ項目に目が留まったらしく、ふたりは同時に指差した。
「『過去への介入』?」
ふたりは目を見交わした。
「でも、何のことかしら」
「読んでみよう」
リューナが指定されていた頁を開いた。そこには『過去への介入、パラドックスの回避』とあった。
「うーん、これではないみたいですね……。ハイラプラスさんが、もし過去へ飛んだときに想定される問題について書いた項目みたいです」
「パラドックスって何だ? ……ふーん。こういうことかな。自分が過去へ行く方法を考え出し、それで実際に過去へ飛んだとする。飛んだ先で自分を殺す、もしくは飛ぶ方法を思いつくことを阻止したとしたら――」
「過去へ飛ぶ方法は失われるので、未来から飛んできたという事実はなかったことになる。それならば、過去は変えることができないから、過去へ飛ぶ方法は実現され矛盾が生じることになる」
「なるほど、堂々巡りになるわけだ、この問題は」
「それでも、そうなるとは思っていなかったみたいですね、ハイラプラスさんは。このパラドックスは百パーセント回避されるもの、と記してあります」
リューナとトルテはその文章も読んでみた。
「過去は、変えることができないもの……全ての時間軸は、通過してきたものの延長にある。すなわち、その根源を変えて他と結びつくことはできない。過去への介入がなされても、別の方法で未来に起こる事象は実現されるだろう」
そのページの文章はそこで終わっていた。自然にトルテの指が動き、続きを読もうと次のページを繰る。
ふたりは息を呑んだ。そこには――丸い球体の図解が描かれていたのだ。
「これは!」
「間違いない、『歴史の宝珠』だ。その名前じゃないみたいだけど」
リューナとトルテは、その図解を食い入るように見詰めた。不透明なオレンジ色の中身が、その図解で、手に取るように子細にわかる。
どれだけの時間、そのページから目を離さずにいたのか――すでに天窓から床に陽光が届いていた。昼が近い。
リューナは覗きこんでいた本から上体を起こし、信じられない、という思いでつぶやく。
「ここに書いてある通りだとすれば、これは……乗り物なのか?」
トルテも身を起こし、部屋に転がる大きな球体に視線を向けた。
「古代魔法王国は、魔導の力でいろいろなものを動かしていましたよね。動かしている技術そのものが魔導であるならば」
トルテはスッと立ち上がった。不透明なオレンジ色の球体――『歴史の宝珠』に歩み寄る。
「動力は、魔力であるはずです。もしかしたら――」
魔導士の少女は球体に手をついた。目を閉じ、意識を集中する。図解にあった骨組み、パネル、制御装置、稼動部分――それらを脳裏に思い描きながら、トルテは目の前の球体から実際に感じるイメージと同調させているのだ。
「ここに魔力を注ぎ込めば良いのではないでしょうか」
静かにつぶやいたトルテの周囲に、明るく差し込む陽光のなかでもはっきりと見て取れるほどの、魔導特有の緑と青の光が渦巻いた。
「トルテ」
リューナは驚いて手を伸ばしかけたが、自制心を取り戻して手を引っ込めた。
トルテは魔導の力を行使している。そんなタイミングで彼女の集中を乱してしまったら、力の制御を失い、とんでもないことになるかもしれない。リューナは手のひらを握りしめて待った。
トルテのオレンジ色の瞳に、白い輝きが星のように煌めき、踊った。と思った次の瞬間、瞳は力を失い、トルテの体はぐらりと倒れ掛かった。
「トルテ!」
リューナは少女の体を抱きとめた。横に抱えるようにして、そっと腰を床に下ろし、肩と首を自分の胸に抱えるようにして支えた。
「――トルテ! トルテ、大丈夫か!?」
意識がない――リューナは背中に冷たい汗が伝うのを感じた。恐ろしい予感に震え、少女の手を強く握った。
「……あたたかい」
リューナは祈るようにオレンジ色の瞳を覗き込んだ。――生きているよな、こんなに温かいんだから。目を覚ませ、トルテ……!
まつげが震えた。オレンジ色の瞳が彷徨うように揺れ、目の前の深海の色の瞳に向けられた。トルテはゆっくりと息を吸い込んだ。
「……燃料切れなのかも、と思って……魔力を流し込んだの」
かすれたような弱々しい声で言い、トルテが微笑んだ。リューナは安堵に顔を歪めた。
「――心配させるなよ、ばかやろ」
リューナは思わずトルテを抱きしめた。
「リューナ、どこか痛いんですか? 大丈夫?」
自分より相手のことを心配するトルテに、リューナは体を離して微笑んだ。
「無理はするなよ、トルテ。あとは俺に任せて、少しでも休んでおけ」
「はい」
トルテは素直に頷いた。床に座ったまま、リューナの行動を見守る。
リューナは半透明の球体に指を走らせた。トルテの魔力で充填された球体は、触れた表面に次々と魔法語を浮かび上がらせた。
文字の意味と勘に頼り、リューナは魔力を指先に集中させつつ文字を次々に辿っていった。要は『解凍』――図解に記されていた言葉だ。ロックされている部分を全て作動できる状態に整えればいいのだ。
ヴン……ッ。幾百も合わさった羽音のような不思議な音ともに、不透明だったオレンジ色の表面が透明に変わった。いや、手がすぅっと通り抜けた。
「壁が消えたんだ!」
リューナの言葉に、トルテが座ったまま膝をついて近寄ってきた。彼の顔を見上げて嬉しそうな声をあげる。
「すごい、リューナ! これで本当に封印解除ですね!」
トルテは目を輝かせていた。リューナも嬉しくなって、彼女の前に座り込んで腕を伸ばす。
「ああ!」
トルテの肩を抱きしめて笑うリューナ自身の目も、同じように輝いているのだろうと自分でも感じていた。
ふたりのそばにある文献の図解のページの一番下には、ハイラプラスの手書きの文字が添えられ、そこにはこう綴られていた。
――実際に、これは試されるであろう。我が手ではなく、君たちふたりの手によって。




