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ソサリア魔導冒険譚  作者: 星乃紅茶
【第三部】 《破滅の剣 編》
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エピローグ 結婚式と新王の戴冠

 長い長い、夢を見ていた。


 父と、母と、祖父と……在りし日の王宮の庭園で遊んだ幼少の頃の記憶。


「ルシカ」


 父と母が呼んでいた。


 やわらかな陽光の中、花を見ていたルシカは父と母のもとへ駆けていった。祖父が、何かとてもわくわくする、楽しいことを教えてくれた。


「お義父とうさま、ルシカはもうすぐ三歳ですよ。でも、まだまだ魔導のつかい手には早すぎます」


 朗らかながらも困ったような、母の声。


「いやいや。こんなに賢そうな顔をしておるのじゃから。可愛らしい容姿はおまえさん似じゃが、きっと将来有望なところはわし似じゃよ」


 そう言って祖父が笑う。


「ルシカ、そなたはきっと、いつの日か魔導の概念をも超越する力を持つじゃろう」


「ふふ、ルシカ、まだ難しいわよね」


 祖父と母の笑顔。傍には、父の笑顔。


「ルシカ」


 名を呼ぶ声は、優しく、温かく、とても懐かしかった。涙があふれそうになる。


 祖父はかがみこむように目線の高さを同じにして、彼女の頭を撫でた。


 叡智を宿した灰色の瞳に浮かぶ、穏やかな光。晴れやかながらも落ち着いた微笑みとともに、この上なく優しい声が告げる。


「ルシカ、幸せに生きるのじゃよ」





 あたたかい光に包まれ、ルシカはゆっくりと目蓋をあげた。


 やわらかな陽の光の差し込む室内は明るく、記憶と夢の続きから戻ったばかりの瞳には少しばかりまぶし過ぎた。まばたきを繰り返して、ようやく周囲のものが見て取れるようになる。


 見慣れた天蓋、落ち着いた色合いの明るい室内――そこは『千年王宮』の中の、彼女の私室だった。


「ルシカ」


 名が呼ばれ、声のほうに顔を向けると、覗き込むような姿勢でテロンが立っていた。澄んだ秋空のような青い瞳に深い安堵の光を浮かべながらも心配そうな表情で、ルシカの頬に手を伸ばす。


 大きな手を頬にあてがわれ、指先でしずくぬぐわれてはじめて、ルシカは自分が涙を流していたことに気づいた。


「どこか……痛むのか?」


「あ……ううん。ずっと夢を、見ていたの。お父さんとお母さんと、おじいちゃんがいた……」


 小さな声で発せられた言葉に、テロンは逡巡するように僅かだけ瞳を揺らした。意を決したように、口を開く。


「ルシカ。君のおじいさん……ヴァンドーナ殿は」


 テロンはベッドの傍の椅子に座り直し、ゆっくりと語った。


 ヴァンドーナが浮揚島に残っていた者たちを救い出すため、そして孫娘の命をつなぎ止めるために、全魔力をけた魔法を行使したことを。ルシカが二日間の昏睡状態から目覚めた今、すでにこの現生界の存在ではなくなっていることを。


 ヴァンドーナと『万色の杖』の魔力が、生命維持の限界を超えて失われたルシカの魔力を補填し、その命を繋ぎとめたのである。祖父の想い、そして『万色』の魔導の力は、今もルシカの内にり続けている――。


 テロンの話を聞いたルシカの瞳に、熱いものが溢れた。すべらかな頬を、涙がとめどなく伝い落ちる。


「父も母も、おじいちゃんまでも……。あたし、ひとりぼっちになってしまったのね」


「それは違う、ルシカ」


 テロンは椅子から立ち上がり、ルシカの手を強く握った。揺るぎのない眼差しで、途方に暮れかけていた少女の視線を離さぬようしっかりと繋ぎとめる。


「ルシカはひとりじゃない。これからはずっと、俺が、君の傍に居る」


「テロン……」


 真っ直ぐに向けられた想いの強さに、ルシカが目をいっぱいに見開いたとき。


「入ります」


 ノックの音がして、部屋の扉が開かれた。軽い足取りで入ってきたのは、花束を携えたリーファとティアヌだった。


「バルバさんにいただいたの。とっても良い香りだから今日も持っていきなさいって」


 中庭で咲き開いた花々から顔を上げ、リーファはようやく、ルシカが目覚めていることに気づいた。


「うわぁっ。良かったぁ」


「ルシカ、大丈夫ですか? 泣いているんですか?」


 嬉しそうな笑顔で飛び跳ねるリーファと、心配そうに身を乗り出してきたティアヌに、ルシカは目をぱちくりさせた。


「ああ、ありがとう、ふたりとも」


 ふたりに向き直ったテロンが花束を受け取った。ベッドの側に置かれたテーブルには、同じ花が飾られている。


「ほら、ティアヌ」


 とんっ、とリーファが彼を肘で小突いた。


「な、なんですか、リーファ?」


「にぶいんだから、もうっ」


 リーファはふたりに一礼し、ティアヌを引きずるようにして寝室を出て行った。


 ポカンとした表情のままふたりを見送ったルシカが、ぷっと吹き出すように笑った。仲間たちの無事を知って安堵し、張り詰めていたものがようやく緩んだのである。それでもこぼれて落ちてしまう涙を自分の指先で拭いながら、ルシカはテロンに笑顔をみせた。


「リーファ、ずいぶん変わったんだね」


「うん、すごく明るくなった。ティアヌが助かってほっとしたこともあるだろうし、彼の影響でもあるんだろうな」


 テロンは腕を伸ばし、上体を起こそうとするルシカを支えた。


「そして、俺も。二年前、君に出逢って、変われたんだ」


「うん、あたしも。あなたに逢えて、本当に良かった」


 太陽のような稀有なる色彩の大きな瞳が、ゆっくりと瞬きをしながらテロンを見つめている。彼はずっと、昏睡状態のルシカの傍に付き添っていた。彼女が再び目を開いたことに、胸がしめつけられるほどの感謝といとおしさを感じた。


「ルシカ。もう二度と、君を失いたくない」


 テロンはベッドに腰を下ろした。ルシカの細い腰と肩に腕を回し、想いを篭めてしっかりと抱きしめる。


「ともに生きると、今度こそ約束してくれ」


 テロンの腕は力強く、それでいて苦しくはなかった。包み込まれるような彼の体温を感じて、ルシカは幸せの涙のひとしずくとともに、返事をした。


「……はい、テロン」





 それから三ヵ月後、テロンとルシカの結婚式が執り行われた。


 白亜の『千年王宮』のそこかしこに、色とりどりの布や花が溢れんばかりに飾り付けられた。


 いつもふわりと肩に垂らしている長い金の髪を結い上げ、清楚な白いドレスに身を包んだルシカは輝いてみえた。


 騎士隊長にエスコートされ、大陸諸国から招かれた賓客が大勢集まった王宮の広間の真ん中を進んでいく。参列者の前を通り過ぎるにつれ、おそれにも似た嘆声が次々ともれた。


 壇上で待っていた王子テロンは、開け放たれた入り口の扉の光の中に現れたルシカを見て、ぽかんと立ち尽くしたくらいだ。すぐに立ち直って、整った顔に微笑を浮かべる。


 白と赤を基調にした正装をまとったテロンは、堂々としてみえた。髪にはきちんと櫛をいれ、背筋を真っ直ぐに伸ばして立っている。


 壇へたどり着いたルシカの手をテロンが取り、ふたりは並んだ。法と正義、そして婚姻を司る主神ラートゥルの最高司祭が壇上に立ち、おごそかな口調で結婚式の開始を宣言する。


 薄いヴェールを持ち上げて、妻となる女性の幸せそうな表情に見惚みとれながら、テロンは囁いた。


「天空の女神が舞い降りたのかと思ったよ」


 夫となる男性の言葉に、ルシカは素直に頬を染めた。


「あなたも、ものすごく格好いいんだもの。びっくりしちゃった」


「ありがとう」


 ルシカは顔を上向け、テロンは身をかがめるようにして、ふたりの顔が近づき――唇が重ねられた。万人の前での、誓いのキスだ。


 広間に拍手と歓声が巻き起こり、王宮中に響き渡った。


 新郎新婦を見守っていた双子の王子クルーガーの顔に、満足そうな笑みが広がった。少し目元に寂しそうな光が宿っていたのは、本人以外おそらく誰一人として気づかなかったに違いない。


 王子と寄り添うように立つ美しい宮廷魔導士の娘を見た誰もが、互いに愛し合って誕生した理想のカップルであると大いに納得した。それは特に大陸諸国の王族や貴族たちに意味を持ち、それが政略的な婚姻でなかったことを理解させたのである。


 これからのソサリア王国を支配する王族の血筋に、いにしえの魔法王国に連なる『魔導士』の血が入ることを快く思っていなかった者たちの口をも封じ込めるほどに幸せに溢れた、輝かしい未来を予感させる光景であった。


 そして、その結婚式の席で、現国王だったファーダルスは、これからは若い者たちの時代だと告げて引退を宣言した。跡を継ぐのは、双子の兄クルーガーだとその場で公式に発表したのだ。


 白と青を基調にした上下を着込んだ王子クルーガーが進み出る。


「ついにこの日が来ちまったわけだ」


 テロンとルシカのもとに歩み寄り、クルーガーはふたりに向けて片目を閉じてみせた。


「俺とルシカで、兄貴の治める国を、ともに支えていくよ」


 テロンはルシカの肩に手を置き、凛々しい表情で兄に告げた。ルシカが瞳に力を込め、しっかりと頷く。


「ああ、頼むぜ」


 双子の王子は、目の前に掲げた手をがっしりと握りあった。


 そうして、王国の未来を担う三人の若者は、壇上に並んで広間に向き直り、みなの歓声に応えた――。





 結婚式、そして新王の戴冠式。


 ソサリア王国は連日、祝いに沸いた。





 戴冠から数日経ったある日の午後、双子はゆっくりと顔を合わせ、王宮のテラスでティーを飲みながら話し込んでいた。


 ずっと、目が回るような忙しさのなかにあったのだ。兄弟ふたりで過ごす時間は、久しぶりである。


「ルシカには驚いたよ。ものすごくきれいだったなぁ」


 クルーガーが切り出したのは、結婚式のときの話題だった。


「ルシカも言っていたよ。戴冠式のときの兄貴はとても格好良かったよって。ピシッとして、いつものクルーガーじゃないみたいだねって」


 思い出したのか、テロンは楽しそうに笑った。


「そいつはひどいな。俺はいつも格好いいんだからさ」


 クルーガーはニヤリと笑った。「ところで」と言葉を続ける。


「ルシカも宮廷魔導士で在り続けるし、王宮で今まで通りの日常だが、何か変わったことってあるのかい?」


 『結婚』というものに現実感がわかないクルーガーが、結婚したばかりの目の前の弟に訊いた。


「そりゃあ、あるさ」


 テロンは青い瞳を輝かせて微笑んだ。相貌が幸せそうに崩れる。


「朝、目が覚めたとき眼を開いたら、すぐ隣にルシカの寝顔があるんだ。こんなに幸せなことは今までになかったよ」


 テロンが無邪気にそう答えた。


「こりゃやられたね」


 クルーガーは顔に手を当てて苦笑した。そして、ふと遠くの空に目を向ける。


「……今、どこでどうしているんだろうな」


 大怪我をしていたシムリアは、危ういところで王宮に転移され、一命を取り留めた。待ち構えていたファシエル神殿の司祭や神官たちのおかげだった。


 だが、回復するとすぐに、冒険者の仲間たちとともに旅立ってしまったのだ。


「堅苦しい場所は苦手なんだ」


 最後にそう言い残し、片手を上げてきっぱりと背中を向けた。クルーガーの生きる道とは、あまりに違いすぎたというところだろうか。


「どこかで生きているんだ。それでいいさ。――失恋ふたつに、王座まで継いで、俺は相当に苦労を背負い込む役回りかなァ」


 愚痴にも似た言葉を口の中でつぶやきつつも、クルーガーは晴れ渡った青空に穏やかな微笑みを向けた。


 そのとき、澄んだ声が響いた。


「テロン!」


 呼ばれたテロンが思わず笑顔を浮かべる。とたとたと軽い足音がして、テラスに走り出てきたルシカが、そのまま彼らのテーブルまで駆けてきた。


「テロン、クルーガー!」


 椅子から立ちあがった双子は、ルシカの後ろに続いているふたつの人影に気づいた。


「ルシカ、あんまり走ると転ぶぞ――」


 テロンが言い終わらないうちに、ルシカが躓き、テロンの腕に優しく抱きとめられた。


 後ろのふたりは、旅着に身を包み荷物を背負ったティアヌとリーファだ。


「僕たち、もう行きますので、挨拶にきました」


「そうなのか。もう少しゆっくりしていけばいいのに」


 クルーガーが手にしたままだったカップをテーブルに戻した。


「もう長居しすぎたくらいです。とても素晴らしい結婚式を見ることができましたし、戴冠式にも感動しましたので。大変お世話になりました、クルーガー国王陛下、テロン王弟殿下」


 かしこまったティアヌの挨拶を受けて、双子は同時に笑った。


「今まで通りで頼むよ」


「ティアヌから聞くと不意打ちだな」


 くすくすと笑いながら見ていたルシカが、ティアヌとリーファに尋ねた。


「ね、ふたりはこれからどこへ向かうの?」


「まずは、僕の故郷に行くつもりです。ルレファンのことをきちんと報告して、それから僕たち一緒に、旅に出ようかと思っています」


 明るく語ったティアヌの背に、ミルク色の丸いものがしがみついている。落ちかけ、薄青色の髪にぶら下がってしまい、「イテテテ」とエルフ族の青年は後ろへ首を仰け反らせた。


「マウも行くんだって!」


「まう、いてきまーっ」


 リーファとマウの楽しそうな声があがる。


「それではっ」


 ルシカが右腕を振り上げ、指を弾いて音を鳴らした。ふわっと指先の空間に魔法陣が広がり、空中から霧のように細かな水飛沫が生じる。


「みんなの進む道が、未来が、幸せなものでありますように」


 きらきらと光る水飛沫は、頭上を覆うように舞い上がった。まばゆい陽光を受けて煌めき、空にかかったのは『虹』だ。万色の太陽スペクトルが織り成す明るい未来への架け橋。


 彼女の内に、『万色』の魔導の力はしっかりと息づいている。祖父から託された想いとともに。


 空を見上げる仲間たちの瞳は、明るい陽光にも負けぬほどに輝いていた。これから何が起こるのかは、誰にもわからない。けれど命の続く限り、この世界を歩き続けていくのだろう。


 大切なものを、護るために。





――破滅の剣 完――


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