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ソサリア魔導冒険譚  作者: 星乃紅茶
【第三部】 《破滅の剣 編》
78/223

8章 ルシカの選択 3-23

 三人の冒険者が加わったことで、形勢は確実に変わった。


 テロンが冥獣の突進を阻み、動きが止まった瞬間にザアドが戦斧を振るう。フォーラスとリーファは互いの素早さを活かして敵を攪乱し、祭器の破壊を狙う。


「よくここまでたどり着いたな。それに、武器は――」


 クルーガーは、シムリアと互いの死角をかばうように背を合わせ、攻撃の合間に彼女に向けて問うた。


「ミディアルのギルドに掛け合ったのさ。これまでの報酬と引き換えに借りたんだ。馬もね」


 シムリアは語りながらも、重量のありそうな長剣を床から斜め上へ斬り上げ、続く剣撃で獣の表皮をずたずたにした。


「やってくれるね」


 肩越しに目撃したクルーガーも、負けじと自身の魔法剣を振るった。『闇狼王ダークウルフロード』は数を減らし、残り二体となっている。


「ここは俺たちに任せて、はやくあのなんとかってやつを壊してくれ!」


 ザアドが叫ぶ。テロンが頷き、祭器に向かって駆け寄った。渾身の力をめ、薙ぎ払うように手刀を『赤眼の石』と『青眼の石』に叩きつける。


 すでに割れ目を生じていた魔石はどちらも砕け散った――が、消滅と同時に凄まじい衝撃が放たれたのである。


 他の者は辛うじて耐えたが、至近距離にいたテロンが吹き飛ばされ、背後の瓦礫に突っ込んだ。そのまま立ち上がることができなくなってしまう。


「テロン!」


 だが、残された祭器はひとつだ。リーファが『破滅の剣』に素早く近づき、その刀身に短剣を突き当てようとした。


「リーファ、よせ! 任せろッ!」


 残る一体を斬り倒したクルーガーが声をあげ、リーファを制止した。魔法剣を手に走り寄り、リーファを後方へ下がらせる。裂帛の気合いとともに自身の剣を振り下ろし、『破滅の剣』の刀身に強烈な一撃を与えた。


 ガギイィイィィン!! 脳髄にまで響くような音がして、『破滅の剣』が粉々に砕け散った。


 その消滅とともに先ほどの比ではないほどの衝撃波が空間を襲った。床が爆ぜ割れ、せり上がる。残っていた柱や壁は外向きに倒され、或いは粉々になって吹き飛ばされた。


 下がらされたときにティアヌのもとへ駆け寄ったリーファは、床が割れる直前に間に合い、力一杯に彼の腕を引いて、意識のないティアヌが陥没した床に落ちるのを防いだ。ザアド、フォーラスは衝撃をこらえてその場に踏み止まっている。


 クルーガーが立っていた床は一瞬で爆ぜ割れた。だが、強烈な衝撃を受けて目を閉ざしたその瞬間、真横から突き飛ばされて難を逃れたのである。


 引っくり返されたような惨状の中、痺れる全身に力を篭めて起き上がったクルーガーの目の前に、シムリアの姿があった。


「シムリア!」


 爆ぜ割れた床や瓦礫から彼をかばったことで、彼女はひどい怪我を負っていた。頭部から流す血に朱に染まりながらも翠の瞳には優しい光を湛え、シムリアはクルーガーを見つめた。


「……何でも背負しょい込んで、自分で行動しないと気が済まないのかい……」


 まるで歳の離れた弟を叱るような声音で、シムリアは言葉を続けた。


「街で逢ったときもそうだったろ。それであんたが危なくなって、どうするのさ。……自分自身をもっと大事にしなよ。でなきゃ、誰も護れやしな……ゴフゴフッ!」


 咳き込み、血を吐いたシムリアの腹には、大きな裂傷があった。同じ剣士、戦士であっても早さを活かした攻撃を得意としている彼女は、自身を金属でよろっていない。衝撃を受けたとき破片に貫かれたのである。


「俺のせいで……どうしてこんな。俺をかばって死ぬな、シムリア……!」


 最後の祭器が消滅したことで床が揺れはじめ、いまや浮揚島全体が激しく揺さぶられている。クルーガーはシムリアを助け起こし、自分の衣服を裂いて止血のために押し当てた。


「姉御!!」


 ますますひどく大きくなる振動と轟音の中、ザアドとフォーラスがシムリアの傍に駆け寄る。リーファは床に膝をつき、腕にティアヌを抱き支えたまま声をあげた。


「祭器は砕けた、これで邪神を阻止できる! でも、わたしたちはどうしたら……」


 揺れる琥珀色の瞳は、まぶたを伏せたまま動かない青年の穏やかな面差しと、倒れたまま起き上がる気配のないテロンとルシカのふたりに向けられている。


 おおおおおおお、という怨悪えんおの叫び声のような音が、島全体を揺らしている轟音に混じる。神界と繋がっていた『無』が急速にぼやけて薄れ、『接続』そのものを断ち切られつつあった。


 亜空間の中であろうがなかろうが、浮揚島の墜落と消失は避けられぬだろうと思われた。


「すまない……」


 抱え上げたシムリアに向け、クルーガーは言った――言葉を絞り出すように。


 シムリアは微笑みながら目を閉じ、聞こえるか聞こえないかぎりぎりの声で言った。


「そうじゃないよ……もう。莫迦ばか


 島の揺れは、ますます激しく、大きくなってゆく。





「……ルシカ……」


 王宮の地下深く、『障壁シールド』の魔法陣にしていたヴァンドーナは、囁くように言葉を発した。


 体中についた無数の傷から血をにじませ、憔悴しょうすいし切った彼にはもう、立ち上がる力は僅かも残されていなかった。


 ルシカが危惧きぐしていた通り、王都に張られていた『障壁シールド』が受けた攻撃の影響は、制御していた五人の術者の精神と肉体に及んでいた。ヴァンドーナは、そのダメージのほとんどを自らの身に集め、引き受けたのだ。


 『障壁シールド』の維持ですら常人の精神力の限界を越えていたが、攻撃の余波は凄まじい力をもって術者たちに襲い掛かったのである。


 彼の魔導の力の宿る瞳には、孫娘の術によって亜空間の中に封じられた『浮揚島』が見えていた。その内部で、この瞬間、全ての祭器が打ち砕かれたことも――。


 ヴァンドーナは顔を上げた。


「もう『障壁シールド』は必要ない」


 その言葉で、メルゾーンやダルメス、タナトゥスとアレーズは、浮揚島に渡った彼らの勝利を知った。


「やりやがったか、あいつらッ」


 メルゾーンが、派手なガッツポーズとともに嬉しそうな声をあげる。


「それで、彼らは……?」


 タナトゥスは眉を寄せ、心配そうな目をヴァンドーナに向けた。


「うむ」


 ヴァンドーナが深刻な面持ちをして、頷いて応える。そして皺深き顔を穏やかに、静かに微笑ませた。


わしが、生きている者たち全員を浮揚島から王宮へ呼び戻す。ファシエル神殿に連絡し、手当てができるよう手配してくれ。重篤な怪我人をも救えるよう、至急にな」


 言葉が終わらぬうちにメルゾーンが弾かれたように立ち上がり、地上へと続く階段へ駆け走っていった。『癒しの神』ファシエルの司祭である彼の妻に伝えにいったのであろう。


 アレーズも頷き、立ち上がる。精神力とともに体力をも消耗していたため、ふらつきながらも黒髪をひるがえらせ、地上で待機している人々へしらせに走った。


 残された三人のうち、ヴァンドーナの傍らに座っている老齢の魔術師ダルメスが、激しく咳きこんだ。


「ゴフッ、ゴフッ……。そろそろ、私にも迎えが来たようですな……ぐ、ゴホゴホゴフッ!」


 友の言葉にヴァンドーナは目を細めた。ふっと、息を吐く。


「今回は、互いにちぃっとばかり無理をしすぎたの……我が友よ」


 タナトゥスは、声を掛け合った魔導士と魔術師に眼を向け――ある事に気づき、衝撃と驚愕とあまり呆然となってふたりをまじまじと見た。生命そのものを維持するための魔力マナが尽きかけているのに気づいたのである。


「積もる話もあったが、時間がない。ひと足早く、向こうで待っておるよ」


 ヴァンドーナの言葉の意味を正しく理解したダルメスは、哀しそうに、だが満足そうに深く頷いた。


「……そうか、そうですな」


「うむ。まだ、あのじゃじゃ馬娘を死なせるわけにはいかぬからな。わしはもう十分に生きた。子どもにも孫にも恵まれ、友にも同志にも恵まれて、本当に幸せじゃった……!」


「それではまさか――ヴァンドーナ殿!」


「タナトゥス……。ルシカが戻ったら伝えてくれ……後継あとを頼むと。責任感の強いあの娘のことだ、穏やかに暮らせというても聞かぬじゃろ。ならば自分の思うまま、己が信じる通りに生き抜け、とな」


 『時空間』の大魔導士ヴァンドーナは両腕を高く掲げた。あるはずのない風に吹き上げられて、魔法衣や白髪や見事な髭が翻る。流れるような動きで魔導のことわりを紡ぎ、魔法陣を具現化させた。


 空間に、優しい、限りなく優しい、魔導特有の緑色の光があふれた。滔々《とうとう》と流れる温もりに満ちた水のように、暖かい春風のように世界を巡り……そして次元を渡った。


 魔導の光は亜空間の中の『浮揚島』に届いたのであった。


 倒れ伏しているルシカの傍で、彼女の『万色の杖』がふいに浮き上がった。支えもなく真っ直ぐに立った杖全体を、ヴァンドーナの魔導の光が包み込む。


 『万色の杖』は、ルシカのために生まれた杖だった。その事実は、この時の流れの中では『時空間』の大魔導士ヴァンドーナだけが知っている。杖の意思は祖父の願いと魔導の力を受け入れ――承諾した。


 杖は一瞬で輝く幾万もの破片になり、彼らの意志と力を受け継いだいとしい孫娘の身体に優しく降りかかる。


 そして、ヴァンドーナの魔導の光は広がり続け、浮揚島のある空間と周囲全体を包み込む……。





「見ろ!」


「あれを――!」


 王都から頭上を仰ぎ見ていた者たちは皆、口々に叫んだ。


 天空を駆け巡った緑の光が浮揚島と白い魔法陣を包み込み……その双方が、ふっと空中に溶けるように消え失せたのだ。降り注ぐように見事なきらめきを残して。


 人々は、わぁっと歓声を発した。国民の深い安堵と喜びに包まれたファーダルス王は、つぶやくように言葉を発した。


「終わった、のか。そうか、遣り遂げたのだな」


 空を染め上げていた不気味な超常の色は消え、澄み渡った大気に満たされている。暮れの刻限を迎える夕空には、魔導の光のきらめきとともに、早くも幾つかの星が輝いていた。


 ――世界は、美しかった。


 空を見上げた誰もが、そう思ったに違いない。



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