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ソサリア魔導冒険譚  作者: 星乃紅茶
【第三部】 《破滅の剣 編》
76/223

7章 浮揚島、復活 3-21

 ヒュルルオオオォォォ……。


 孤独と怨嗟の吐息にも似た音で、風が鳴っている。


 年中晴れることのない瘴気のような濃い霧に閉ざされる岬の先に続く列島、その最奥の島の神殿で、これほどの風を感じることはありえないはずだった。


 地鳴りのような轟音と破砕音、突き上げるような衝撃の連続に転がされ、或いはその直前の冥獣との戦いで倒れていた者たちの衣や髪を、吹き荒ぶ風が掻き乱してゆく。


「う……」


「何が……起こったんだ」


 ゆっくりと目を開き、ルシカとリーファは顔を上げた。神殿の壁や柱の大部分が崩れ落ちている。その向こうには、荒涼とした草木一本生えることもない岩肌の露出した床と絶壁、そして暗い海が広がっているはずであった。


 けれど壁の向こうには……何も無かった。青というよりは、色が抜け落ちたように透明な空が見える。海に囲まれていたはずの島の周囲を、かなりの速さで雲が流れている。その雲が途切れた箇所には、遥か遠く地表が見えていた。


 まるで、途方もなく緻密に描かれた絵地図のように、海岸線や山脈の連なりが眼下にあった。人間の住む都市は、細かな砂粒が吹き集められたようにしか見えない。


「ここは空? 空を飛んでいるというのか?」


 リーファが呆然とつぶやいた――自分たちの故郷から、なんと遠く隔たってしまったことか。激しい喪失感が彼女の胸を満たしていく。


 ルシカは腕を支えにして上体を起こしながら、すっかり変わってしまった周囲の光景を見回した。


「テロン……、クルーガー、ティアヌ」


 彼らの命が尽きていないのは判っていた。生命の根源でもある魔力が見えているからだ。先ほど激しい揺れのなかで遣った癒しの魔法が、仲間たちに届いたという実感もある。だが、意識が戻っていないところを見ると安心はできない。


 周囲は異様に暗かった。まだ昼だというのに、島そのものが夕闇に包まれているかのようだ。目の前にある『無の女神』ハーデロスの像が原因であることは、力場を歪みを魔導の瞳で調べなくとも瞭然としていた。


「神界の存在が……別次元に降り立つとき、まず足場となるいしずえを築くというわ」


 リーファがルシカのつぶやきを聞き、絶望にも似た声を発した。


「まさかもう、ハーデロスがこの世界に来ているの?」


 ルシカは厳しい表情のまま、首を横に振った。


「まだよ。けれど確実に……急速に近づいてくるのを感じる。力が、存在が、途方もなく大き過ぎて……あたしにも全体どころか一部すらはっきりと知覚することができない」


「そんな……どうすればいいんだ」


 リーファは激しく動揺したが、ルシカの視線の先にあるものに気づいた。ハーデロスの像である。正確には、心臓の鼓動のように脈動する魔力を放つ四つの祭器――。


「もしかしたら、あれを壊せば……?」


 リーファが、ルシカの顔を見た。問われたルシカは、静かな声で答えた。


「そうね。あれらを壊せば、この浮揚島を維持できなくなるはず。ハーデロスは、この現生界へ渡るためのいしずえを失うかもしれない。簡単にはいかないと思うけれど……」


 リーファはきっぱりと頷いた。


「それでも!」


 ルシカのオレンジ色の瞳とリーファの琥珀色の瞳が、刹那、見つめあった。ふたりの少女は同時に頷き、神像に嵌め込まれたまま光を放っている四つの祭器を見た。


 リーファが、ルレファンの肉体が消えたあとに転がっていた自分の短剣を拾いあげ、眼前に構える。ルシカは、自分の魔導の力のとなった『万色の杖』を握りしめ、呼吸を整えた。


 ふたりの決意に気づいて警戒したのか――祭器が一斉にバチバチと火花を散らしはじめる。


 ヴンッ! 幾万もの羽虫が飛ぶような音を立て、祭器の放つ光が変化した。攻撃的な真紅の光が神像を一瞬で染め上げ、手前の空間が歪みはじめる。


「来るわ!」


 叫ぶと同時に、ルシカが杖を持った手を横にぎ、一瞬で魔法陣を展開した。放たれた赤い稲妻を、魔法障壁が受け止める。


 双方の力がぶつかり合い、石床を砕いて粉塵を空中に巻き上げた。渦巻く土煙の向こうから、ルシカの新たな魔法陣が輝く。


 ルシカの渾身の魔力を乗せた『分解ディスインテグレイト』が『破滅の剣』に到達し、炸裂した!


 ビシビシビシビシィッ。『破滅の剣』の刀身全体に細かな亀裂がはしる。砕くまでには至らなかったが、余波を受けた『赤眼の石』と『青眼の石』の双方に深い割れ目が生じた。


「……うっ……はぁ、はぁっ!」


 ふらりとよろめき、ルシカは激しい呼吸を繰り返した。視界に入る光景が滲むように揺れて見えていたが、杖を床に突いて両瞳に力を篭め、何とか眩暈をこらえる。


「壊れろおおおぉッ」


 神像まで駆け走ったリーファが短剣を振りかぶり、神像の右手にめられた『虚無の指輪』に振り下ろした。狙い過たず、刃先が黒い大粒の輝石の中央にガツリと当たった。


 ビキッ! 凄まじい音ともに輝石を割り砕き、刃先は指輪の基部までをも破壊した。


 だが、同時に強烈な衝撃が放たれ、リーファは悲鳴を発することも敵わず後方の床に叩きつけられた。勢いのまま転がったが、反動を利用して起き上がる。欠けてしまった短剣を握りなおし、再び眼前に構えた。


 そのリーファ目掛けて、空間の歪みから稲妻が放たれた。


「あ……!」


 咄嗟のことに無駄とは知りながらも、思わず腕をかざしたリーファの前に、誰かが立ちはだかった。クルーガーだ。


 魔法剣の平らな面を自分の腕に当て、刀身で稲妻を受け止める。足を踏ん張るようにして稲妻の威力を耐え抜いた。魔法剣は折れることなく、クルーガーの手の中でギラリと光を放った。


 彼は口の端を引き上げ、不敵な笑みを形作った。鋭い視線をハーデロスの像に向ける。


「お嬢さんたちが勇敢に戦っているのに、俺だけがのんびり寝ているワケにもいかないからな」


「相変わらずだな、兄貴は」


 弾かれたように首を向けたルシカの目の前で、テロンが立ち上がっていた。左腕は力なく下がったままだが、無事なほうの右腕を構えて、全身を『聖光気』で包んでいる。堪らないほどの安堵を感じたルシカが瞳を潤ませる。


「兄貴!」


「テロン!」


 双子の王子は互いに声を掛け合い、続けて同時に叫んだ。


「砕け散れッ!!」


 裂帛の気合いとともに、クルーガーは剣を、テロンは拳を神像に向けて突き出した。


 ゥゴオオオオオオ!!!! 剣からは解放された真空の刃が、拳からは不可視の衝撃のかたまりが放たれた。ふたつの攻撃が一体となり、空間の歪みを打ち砕き、神像と祭器に凄まじい勢いで衝突する。ハーデロスをかたどった神像が爆発するように吹き飛んだ。


 神像の背後にあったものは闇でなく、ましてや光でもなかった――純然たる『無』が現れたのである。


 『破滅の剣』とふたつの石の『眼』は、『無』の手前の空間に引っかかるようにとどまったままだ。虚空の穴のようにぽっかりと開いた『無』から、突如、不可視の力が放たれた。


 まるで心臓を握り潰されるかのごとく不穏な予感を感じ、ルシカは目をいっぱいに見開いたまま、いやいやをするように首を横に激しく振った。


「そんな……まさか、やめて……!」


「な、何だ……?」


 ルシカの怯えを感じ、テロンは警戒した眼差しを周囲に走らせた。柱や壁が崩れ落ちている神殿の外、浮揚島全体が急速に薄闇から真の闇へと沈み込んでゆく……。





 王都のあちこちから悲鳴があがっている。近隣の都市も同様の混乱の只中にあった。


 ソサリア王国の現国王ファーダルスは、伝令を走らせ様々な指示を飛ばしながら、自らの足を使って王都を駆け巡っていた。冒険者であった頃の健脚に衰えはないが、それでも呼吸のほうは乱れかけている。


 『浮揚島』が天空に現れてから、王都の郊外や近隣の町に伝令を出し、兵を派遣して王都をすっぽりと囲むように張られた『障壁シールド』内に都市周辺の国民を避難させているのだ。


 長き平和の時代に慣れていた人々は、死と破滅そのものの影をまとう『浮揚島』に戦慄し、為す術もなく立ち尽くしてている。


 できる限り多くの民を、安全に避難させなくてはならない。恐怖のあまり暴動同然になりかけたところへ、王自らが駆けつけたのであった。民と同じく動揺する兵たちを一喝し、側近のルーファス、ソバッカとともに手分けをして、人々を励まし、臨機応変に避難経路を構築しながら王都を駆け回っているのだ。


 『浮揚島』は、まず人間たちの拠点、大都市を攻撃してくるだろうと、王はヴァンドーナから聞いていた。ハーデロス降臨の引き金を引くエルフ族の男が、それを望んでいるからだという。


 急がねばならない。


 目の回るような忙しさのなかにあっても、脳裏から離れないのは、あの天空に浮いている島に向かった双子の息子たちと、友人の忘れ形見の少女、そして初対面の青年のことだ。


「無事なのだろうか……」


 ファーダルスは『浮揚島』を見上げた。


 うららかだった陽光は、すでに失われている。『浮揚島』の出現と同時に空の青さが抜けはじめ、今では異様に暗くなり、血のように赤黒い闇空に変わりつつあった。


 そのとき、天空に浮かぶ島の周囲に、赤と黒の閃光が生じた。蛇か竜のようにのたうちまわる光は急速に数を増し、幾重にも束ねられたいかずちの束となった。


 空の異常に気づき、見上げた人々のなかから、悲鳴や驚きの叫び声があがる。


 天空に展開されていたのは、魔法陣とは全く違う別次元の紋様だ。背筋を駆け抜けた恐ろしい予感に、ファーダルスは思わず生唾を呑んだ。


 グオォォォォオオオオオッ……!


 空と地表を震わせ、島がえた。或いは、空間が引き裂かれた悲鳴だったのかもしれない。遥か離れているはずの地上の生き物の鼓膜を震わせるほどの音量が発せられたのである。


 『浮揚島』の周囲の赤い閃光と黒い閃光が、収束する。遠い王都までの距離では、見えるか見えないかぎりぎりの大きさに凝縮した光は、突然、一気に王都に向けて発射された!


「――なにッ!?」


「ひいぃぃぃッ」


「うわぁあああ!」


 突然のことに、誰もが為すすべもなく悲鳴をあげた。頭を抱えて地面に伏せるのが精一杯だった。


 王都は真っ黒な闇に呑まれ、次いで真っ赤な光に染めあげられた。


 ドドドドドドオオオオオオン!! 大地が割れたのではと思われるほどの恐ろしい轟音とともに、大気にまでも激しい衝撃が駆け抜けていく。


 それらが収まったとき、人々は目や耳を押さえながらも起きあがった。


 ――王都は、無事であった。空も周囲もおぞましい色に染め上げられていたが……。


 さながら世界の終焉を告げる天変地異を目の当たりにしたかのようなショックを受け、震える瞳で人々は頭上を見上げた。王都を包み込む、半球状の膜のような障壁の表面を、いまだ消えぬ赤黒い稲妻のような禍々しいものが、閃光を発しながら蛇のように這いずり回っている。


「なんという……これでは『障壁シールド』も保たんぞ……」


 王は、呆然とつぶやいた。



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